センター街2020年//16_漣
暫定治安維持機構/センター街2020年//16_漣(さざなみ)
渋谷東部ホテル前。
19式先行量産型試験教導隊は、偶発的な渋谷駅前テロをほぼ制圧しつつあった。
継原のコンバットスクーター。
電脳界面。
AMC(攻撃機動構成体)がJSLの量子軸座標系を確定する解析スクリプトを読み込んでいる。
読み込み完了まであと32秒。
AMCは、現在電脳界面では静止状態であり、継原のヘルメットインナーモニター視界正面の中で、一佐の顔にモジュールの後ろを見せている。
待つ。
大小数万基のボリュームとそれをつなぐ縦横無尽のネットの構造。
それらが、一瞬の休みもなく目前に視覚化されてゆく。
市街戦を考慮した真っ黒いコンバットスーツに身を固めた継原一佐は、停止したジレラに身をまかせながら、電脳界の視野を見渡している。
その視覚化の工程は、一時も休むことなく、また一時も同じ様相を見せることはなかった。
それぞれのボリュームの上下には、ボリューム独自の階層構造が、そして、視界ぎりぎりで、ネット全体の階層構造、さらには23区の地図とすべてのビル
構造概念図が次々とオーバーラップする。
解析優先度の高いものはサブウインドウが開いて三次元表示に切り替わる。
表示優先度の低いものから順次ドックへたたまれてゆき、効率的な表示形態へと変化し続ける。
それは、彼女の思考の“ピッチ”をリアルタイムで電脳界面側からすくいあげていくスクリプトが為せる技だった。
電脳界面見かけの地平。
4機の軍事警戒衛星から伸びる戦略ネット(赤)。
戦略ネットは階層構造をもった特別なセキュリティシステムが、二次的な立体構造としてくっついていた。
この赤色の戦略ネットラインが重要だ。
継原一佐は、わずかに視線をあげた。
「モニターキュー!」
インナーモニターを切る。
15漣_03
渋谷の街路。
凍った空気の重みをわずかにコンバットスーツごしに感じたような気がした。
“意識ってのはさ、サブプランクスケールのはるか果てから打ち寄せる漣(さざなみ)なのよ…”
サブ・プランクスケール。
そこは時間と空間が畳み込まれた極微の世界だ。
量子力学上のプランクスケール《1.6×10-35メートル》を最大値として、果てしなく広がっている世界である。
そこは、真理の埋もれた無限の空間でもある。
大統一場理論の構築が次のステージに入ったことを何かの科学サイトでみた記憶が、一佐の表層意識に浮かびあがっていた。
“読み物としては面白いな…”
それは実務家に徹し切る彼女の主義に合った感じ方だった。
電子作戦部長は、ジレラのスターターを入れた。
移動する。
混乱した群集に巻き込まれた救急車や、複数の消防車によってほとんど狂乱状態に陥った渋谷109。
“人間の心はバックアップを取れば再現できるもの”
…などというバカな妄想が、
いつになっても無くならない。
そのバカげた妄想は、コンピューターのレーザーヘッドの読み取り機能を、人間の大脳がその神経構造によって全く同じように代行している、と勘違いする
愚にある。
膨大な記憶をコピーしたディスクは、プレスしていくらでもコピーはできる。
しかし、コピーしたディスクの中に心は無い。
これこそが、科学は唯物主義のバックアップにより完成されると信じてやまない人々が陥る過ちだろう。
彼らにとっては、両手のひらを合わせた中にもサブプランクスケールの世界があることを感じとることは困難である。
もしそれが可能であるのなら、唯識論と唯物論は不確定性原理のいくつかのキーワードをコアにして偉大なるブレークスルーへと導かれるだろう。
21世紀初頭の合衆国同時多発テロをもって開始された第三次世界大戦は、ある意味、世代間全面戦争になりつつある、といってもよい。
そこに登場するのは、精神構造の観察作業と縁をもつことを叶わなかった世代と、自らを制御し、この惑星で生存を許される種たらんとする世代である。
そして、この2種の登場人物の間に、虚飾と高慢によって形作られた暴力が渦巻き、それは際限の無い破壊と憎しみを増幅し続け、終りの無い地獄が展開さ
れてゆく。
心の内なる記憶を読み出すレーザー発振器に注目する過程は重要だ。
身体と精神が座す空間の構造は、極微の無限小から無限大へと連続的に続くものである。
そこには生の証であるエネルギーの揺らぎが、一時も休まず存在していることに注視する必要がある。
その結果、この《レーザー発振器》がどこにあるのかがわかる。
ここでは宗教家との共同作業も欠かせないものになるだろう。
そして、心理学、空間物理、量子波動学者らとの多彩なコラボレーションになるはずだ。
一年以内に暫定治安維持機構は、この魅惑的なプロセスの第一次計画を発表する予定である。
それは、この終わりの無い地獄を照らす光となる。
そして継原も、おそらくその計画の一端には関わるだろう。
「あぁ…」
一佐は、声に出して、珍しくため息をつく。
それは、軽い自嘲と、軽やかな高揚感の混ざったようなものだったかもしれない。
“あたしはまた荒木田さんの不幸をデジタル化しすぎてないかしら…”
身内の不幸の弔い合戦を情緒だけで語るほど彼女は無思慮ではなかったが、職業病ともつかぬこのこだわりは、彼女を可愛く見せるキーワードにはなってい
るだろう。
スクリプト、読み込み完了まであと5、4、3、2、1秒
その無数のボリュームの中の一つに、それはあった。
15漣_03
――そこっ、観念しなさい――
電脳界面。
AMC発進!
AMC発進と同時に数えきれないほどの情報体(マトリクス)がAMCの周囲に姿を現し、前方へ向かって飛び出す。
その実体は、1000近い種類の大容量ファイル形式で舞い踊る一佐の声だった。
それぞれのファイルのヘッダには、センサースクリプトが内蔵され、ターゲットにリンクした時点で、攻撃システムの誘導タグに変貌する。
ネット全体の階層構造に、ひっきりなしに《天空方向》から差し込んでくる光の束があった。
漏神通第二フェーズの起動状態を表していた。
電脳界では、距離は0でもあり無限でもある。
量子座標系は、アクセスの初期段階でぶちあたる《0か無限かの難題》を軽やかに越えて真実と理想を描き出す視点を提供するものだった。
それは、悪意をもったタグをあるリズムで吐き出し続けていた。
それは、赤黒い円柱の形をしていた。
JSLの本体だった。
神泉町ネットカフェ。
ヤニ男。
「何か、動いてる…」
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