センター街2020年//14_一万年後
暫定治安維持機構/センター街2020年//14_一万年後
「行くわよ」
「そうっすね」
それは、二人にとっては了解済みの作業だった。
一佐は、ヘッドセットをつけたまま外へ走りだす。
氷る外気が頬を撫でる。
ここは、夥しい外野を交えたままの全くパターンどおりの市街戦の戦場である。
彼女の全身は、市街戦を考慮した真っ黒いコンバットスーツだった。
走りながら叫ぶ。
「ATM展開」
ATM(ATTACK TERRESTRIAL
MONITOR)それは、電子作戦部長の声紋のみに反応して起動する特殊なネットワーク戦闘モジュールだった。
17・Bの発進ベイから、支援戦闘バイクが出され、セットアップされていた。
メインフレームとハンドルは、イタリアのジレラRUNNER-150をベースにしているが、パワーリソースは19のエンジンをスケールダウンしたホ
イール内蔵モーターを、メインとサブで2基使う。
コンバットスクーターである。
全体が艶消し黒のカラーリングで被われて、側面に、
『暫定治安維持機構 試-07』
の白抜きハーフトーンの文字がある。
見た目の大きな違いは、単にマフラーが無い、ということだけだった。
そして異様にごついセンタースタンドは、ロボット工学を応用した自動引き込み式の機動肢である。
機動肢は開けば最大1メートルにもなり、走行中に強制停止アンカーとして使用することも可能である。
バイクのハンドルフェアリング中央部には、ヘッドランプと一体化した弾頭部5センチほどのロケットアンカー発射機がある。これと機動肢を併用すれば、
ビルの壁登りも可能だった。
他に特筆すべき点があるとすれば、20回まで連続使用できる衝撃緩衝用のエアバッグだろう。
これのおかげで彼女のカスタムジレラは、10メートルの高さから落ちても機動力を失わない。
彼女は、専用のデータグローブを交換し、バイクの衝撃緩衝ユニット内のリレーと接続するためのケーブルをハンドルの端末に差す。
ヘルメットを被り、武骨な真っ黒いモニターゴーグルを引き下ろした。
それには外を見る部分そのものが無かった。
音声コマンドを放つ。
「ATM全周環境解析描画」
モニターゴーグル内部に外周が写る。
それは、年があけたばかりの渋谷駅前の気狂いじみた喧噪だった。
解析データウインドウが、赤外線、民生電磁波帯、軍用電磁波帯、宇宙空間ネット等のシンボルアイコンとともに、インポーズされる。
14 一万年後_02
彼女がささやくように声を発した。
「ATMスーパーバイザー起動」
『ういっす!』
刈谷三尉の返答と同時に次の指示を渡した。
「渋谷区全域67450台のサーバーをを強制徴用エリアへ!」
『了解!』
ステルスジャケットを羽織り、フードをヘルメットの上まで引き上げた。
一佐はアクセルを捻った。
きゅぅぅうううん…
セットアップを終えたメカマンが二人、脇へ下がる。
モーターの戦闘出力にわずか3秒ほどで到達する。
彼女のバイクは対空ミサイルの発射のように走りはじめた。
それはガソリンで動く乗り物の形をした、全く異質なものの動きだった。
ここはもはや戦場だったはずだが、その認識をもっているのは、まだ、彼女の関係者だけだったはずだ。
ここから100メートルほど離れた場所で進行している状況なぞ、徹底した情報統制をかければ、“ガス爆発が起きました”程度で済んでしまうだろう。
そのようなやり方もある、ということである。
可戦域内にあるすべてのデータストレージボリュームの分布マップが表示された。
ベースイメージは『スーパーマップル1/5000、2018年度版』である。
渋谷区全域が表示される。
次いで目黒区、新宿区、港区全域が表示され、瞬時に縮小表示に切り替わってモニターデスクトップ脇へ待期した。
それは瞬時にモニター下部のドックにたたまれて、待機状態で表示が必要な時を待つ。
刈谷三尉が操作を行っているモニター表示も、一佐の見ているものと完全に同調していた。
このマップ内に存在するボリュームは、スタンドアローン以外はすべて、17のコンバットサーバーに強制的に連結されATMの攻撃エリアとしての仕様
データを展開される。
各ボリュームのユーザー環境が考慮されることは一切無い。
これは戦争だった。
偶発的なテロ局地戦が、民主主義への重大な挑戦である、と宣われる御仁は、決して現場に出向く事はない。
彼等が人の価値を真に考え抜くことの無いところにこの時代の風があったともいえる。
いずれはそのような愚か者を一掃すべく作戦が展開されてしかるべきだ、と、電子作戦部長は、いつか何かに発表したコメントを思いだしていた。
14 一万年後_03
メインモニタの脇に、サブモニタリングウインドウが現れて、17を中心にネットワークの再構築が始まっている状況が高速で描画され始めた。
美しい電子作戦部長は、走りながら、ステルスジャケットのフードを一旦下ろし、左手で耳たぶの後ろにあるポートに転送ケーブルを直結した。
そのシーンは、彼女にとって唯一、あまり見られたくないものだった。
肉体と機械の融合を女性的感性で受け入れること自体、彼女にとってはまだ開発中の取り組みだった。
超高速で展開される演算野が彼女の意識の奥の方に開いた。
彼女の神経系に接続しているロジックコンバーターの向こうに、暗色系のモニターイメージが開いている。
そこに数字の奔流が溢れかえっているイメージを呼び起こすことは簡単だった。
しかし、それはあまりすべきことではなかった。
己を知り尽くしたと錯覚した人間が、電脳と直結して驚異的な演算能力を取り込もうとすれば、タチの悪い統合失調症になるのがオチだった。
あるいは人間とはいえないものになるケースもあった。
有機体神経系とロジックコンバーター・コアの結合モジュールを利用して電子回路の中へ意識を飛ばすことを可能とした人間がいることはいた。
軍事関係者にその数が多かったのはいうまでもなかったが、その技術をもって人間存在の電子的変換を可能ならしめた、とする人間がいるのは驚異だった。
電子回路の中へ飛ばされた意識は、時間がたてば消えてしまう『影』である。
意識の縁を電子的なプログラムの世界から捕捉して、その形を高速でなぞるスクリプトはすでに実用の域にあり、彼ら軍事関係者がそれを給しているのは間
違いなかった。
そのスクリプトは、ネットに接続された生きた大脳の活動を自動でなぞり続ける。
やがては、あらかじめスキャンされていた意識変動のアルゴリズムをそのままなぞるに値する核として作業を続行する…
14 一万年後_04
ATMのブロックがメインモニターに描画されてゆく。
それは、量子コンピューターの演算能力をもって始めて可能ならしめた超絶的な戦術解析支援システムの姿である。
ATMスーパーバイザーによって刈谷三尉のサポートを受け、ネットに直結した一佐がATMのコンバットデバイスである攻撃機動構成体(AMC)を操作
する。
詩穂乃が、オーバーヒート覚悟で操作する漏神通第二フェーズが、戦局を打開する光となるはずである。
継原が、自らの体内に装備しているコンバットオペレーションサーバーの処理するイメージは、現用の軍事ネットの転送速度すらも旧式になるほどの超高速
レートで、17とのやり取りに供給される。
ブロックの中に、一つ、二つ、そして三つ、超大容量ディスクイメージと連結した窓が開いてゆく。
「刈谷くん」
『はい、姐さん、AMC起動秒読み開始』
「ん」
『5、4、3、2、1、AMC起動』
「よぉしっ」
一佐が直結変換操作するAMCがATMのブロックモニターの中に現れた。
それは、変動する三次元ゲージといくつかのコンパクトにまとめられたインジケーターウインドウのかたまりだった。
ウインドウの枠に『FUMI』の刻印があった。
機動構成体:AMCは、ネットを高速で移動し始める。
一佐はネットの中を飛翔する見かけのスピード感を楽しんでいた。
彼女は、意識の中に起動しているコンバットオペレーションサーバーのインターフェースに向かってつぶやく。
『コンピューターで心をつくるなんて、あと一万年たったってできやしないわ…』
人とは何か、という定義を誰もが得意がって下したがる時代だった。
だから、彼女は、そのような手合いには格好の肴だった。
しかし、人は何か、という問いの答えは、単なる個人の定義等よりも、人がどのように生きてきたか、その足跡から厳粛な分析作業によって抽出されるもの
によってのみ作成されるべきである。
最先端の量子波動理論から導かれる認識は、時空の広がりを身近な意識のうちへ引き寄せ、快活な革新を容易に心の内に起動させることが可能である。
その作業を無視し、古びた固定観念への執着を振り回す人間に対抗するために暫定治安維持機構の戦略が存在する。
その中枢を担う人間として、彼女には語らなければならないことがいくらでもあった。
彼女は陽気で饒舌な女性だ。
てなぐさみでエッセイをまとめる趣味はあったが、自己の歴史を作って残そう等と考えるほどの酔狂な女でもなかった。
軍人としての自分を受け入れ満足していたし、休暇すらも自己鍛練にあてて楽しむ女だった。
そして何よりも女らしさを大切にする普通の女性だった。
彼女のことは、彼女を理解する有志達によって、まとめられるべきであることを、同僚の一人が言ったことがある。
それに対しても、彼女は何もコメントしなかった。
そのような外界とアクセスするのが一気に面倒になるような時には、決まって彼女のイヤリングが揺れる。
(本人が自覚せずに鳴らす癖かもしれない)
あたかも
“好きにすれば…”
とでも言ってるようだった。
14 一万年後_05
ジレラコンバットスクーターは公園通りを駈け登り、渋谷東武ホテル前あたりで停止する。
彼女は今大容量ネットワークの有機中継モジュールだった。
一佐:継原 芙美は、ふと正面を見据えた。
人間は実にくだらない理由で死ぬ。
そのくだらなさが歴史を描くのだとすれば、そのくだらなさに真面目につき合わない小説や映画など、すべて意味が無いし、観る価値も無いと彼女は思って
いた。
ハリウッドの大作は相変わらず豪勢に作られ続けていたが、このおかげで人類はバカになり続けている、と、かなり確信犯的に彼女は思っている。
かつて、民主党が政権党になった時点から始まった『劣化市民革命』は、劇的な政権交替の後に幾分その進行をゆるめはした。
しかしグローバリズムの衣装変えを方便としていまだとどまる所はなく、彼女でも、仲間とのにはそのような注目すべき日本現代史を、酒のつまみ程度に面
白おかしく話す事は出来た。
自覚的であり、主体的である事を要求しなくなった悪しき虚無主義に毒された流れは、“面白おかしい話の需要”だけは切らすことはなかった。
ただ、それでも人は、常に語り部を欲し続ける。
その欲はキリがなく、飽くことを知らない。
美しい言葉と絵で語ることができる語り部達は、そうやって欲の自制を失った無数の魂を、何かの中に囲い続ける。
彼女は、自らの身体の中に、最高機密に属する戦闘システムを搭載したサイボーグだった。
彼女が搭載しているコンバットサーバーは、高天原計画最高執行部、電子戦略情報部、外宇宙探査接触防衛相互協力機構に直結できるアクセスキーを保持し
ていた。
これが彼女の立場をよりいっそう明確にしている。
サイボーグは生きるための手段である。
生きるための、おそらくそれは、人類史上もっとも過酷な選択肢かもしれない。
彼女が、このような生き方を選択した事実は、いずれ語る用意はあるが、その時を見極めることはそれ相応の覚悟が必要なことには間違いなかった。
手段を手にとり、それを用いて、自らが前に進む過程を刻んでゆく。
これが生きることだ。
その行程は、地味で、孤独で、目立たないものである。
人間は、自らその孤独を癒そうとして、物語を語り合う。
その語りあう行為は、人間にとって原初的な光景であるはずだ。
それは、お互いが価値を認めあう行為でもある。
その行為が為されている場所へ、気付いては立ち返ることがない限り、人は、孤独が癒されることが約束された陽光の降り注ぐ高原へ辿りつくことはできな
いだろう。
虚無という地盤の上に究極的に繁茂した物質文明は、全身を生き人形化;サイボーグ化した人間を大量に生み出してはいた。
しかし、彼らの存在は、欲の大海に人間の実存の輝きを保障するものではないことは、明記しておくべきことだった。
心とは、肉体の中に広がる宇宙だった。
そのことを理解できる人が、あと一万年くらいしたら現れるんじゃないかしら、と彼女は思っていた。
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