センター街2020年//08_ブービートラップ
センター街2020年//08_ブービートラップ
「ちっ!」
ランチャーの発射元の舌うち。
ビルの谷間を覗くと、のろのろとけが人を運び出す様が見えている。
「だっせーの…」
アラキは、ロケットランチャーを無造作に放り出した。
毛皮のコートの裾がひるがえる。
がっちゃんっカラカラカラ…照準器が外れて転がってゆく。
陸自の正式装備品のようだ。
――これは小手調べだからな――
――うん――
彼女は、ロンドンの名門女子大を卒業した才女、ということになってはいる。
焼き過ぎの焦茶色の肌に、ビーズを編み込んで脱色しまくった髪、グレーパープルの口紅。
産軍複合体と一体化して軍閥化したある地方自治体の首長を父にもつ。
現在はグループのトップにたつための秘書修業に就いている、と公には宣伝していた。しかし、マネージメントに役立つようなことは何一つやっているわけ
ではない。
四肢の運動機能が普通の人間の4倍以上に強化されている。
特筆すべきは走行能力だろう。
時速80㎞で10分、時速60㎞で40分以上の継続が可能だった。
また、手の甲や、二の腕などは、カッターやスタンガンなど、恐喝などに使える武器の隠しポッドになっている。
さっきまでは無かったのに、どこで手に入れたのか、安っぽい雨合羽のような振動迷彩コートを羽織っている。(限定的な対人ステルス効果がある立派な軍
装である)
ベルトに各種デバイス駆動用のバッテリーを装着。
コートの下は、ケバいキャミソールドレスにレオタード、ブーツ、そしてキティちゃんのキャラクターアイテムだった。
――ちぇ、むかつく、――
彼女は毒づく。
何に対してむかつくかはどうでもいいことだった。
変な女がいた。
アラキのいるビルの屋上からNHKの方向に100メートルほどの路上。
ピンク色のダウンジャケットに、くたびれた厚手のジーパン。
ピンクのマフラーを巻いて大きなイヤマフをしている。
そいつは、パームトップ型のワークステーションらしきものを、立ち止まってはモニターを広げて確認する行為をくり返している。
時々テキストを打ち込んでいる。
カバみたいな顔の年齢不詳の不細工な女だった。
センター街入り口で第一撃を喰らった時も近くにいた。
そいつを仲介して、どこかでモニターしている奴がいるに違いない。
――カバ女――
『なにぃ』
――うまく引っぱれよ――
『わかってるよ、けっ』
アラキの視界には、インサイドモニターが現れている。
アラキは相手をそう決まっているかのようにカバ女呼ばわりし、相手からの返事は、インサイドモニターにあらわれるテキストだった。
それは大脳内部にナノマシンネットを使用したロジックコンバーターをインストールし、思考の無線中継を可能とした連中特有のものだった。
インサイドモニター自体は擬似的なもので、網膜からの神経反応を視覚野で処理する時に干渉して割り込ませることで、モニターを視野の中にインポーズす
ることを可能としていた。
彼女は、LOFTの上に、通りを飛び越して30メートルほど跳躍した。
ビルの下からみたら、いったい何に見えるか?
コウモリ?
それともビルからビルへ飛び移る猛獣?
着地!
酸性雨でもろくなったコンクリートの外皮が、派手な音とともに、水たまりに飛び込んで両脇に飛び散る水しぶきのように吹っ飛ぶ。
腰を落として静止、ゆっくりと歩き出す。
ふと、きょろきょろしたかと思うと、ポケットに手を突っ込み、あるスイッチを押した。
うずくまって寝ていた男。
ゆっくりと顔をあげる。
そこは、ファーストフード屋のゴミ袋がうず高く積まれたところだった。
ア彼女の視点から十数メートル下の道路。
「あ…」
いきなり少年の額に電撃が走った。
「ふげぼっ…」
ショックで、彼の口はおかしな声を吐き出す。
そして、振り回されるようにして起きあがった。
「う、う…」
電撃は少女の押した気つけのスイッチだった。
男のヘアバンドの中には、遠隔操作可能なのスタンガンの電極が組み込んであった。
男は、そういうものを頭に巻き付けて、ふらふら生きている人間だ、ということである。
21世紀に入ってからこのかた、さして珍しいものでもあるまい。
歳の頃は、十代後半とも二十代ともとれる。
もしかしたら少年なのかもしれない。
ナルシスティックな顎ひげ。
流行りの形ではある。
この真冬に痛々しいほど異常に日焼けした風貌は、もしかしたら三十代のものかもしれない。
彼は、この寒空のなか、Tシャツの上に薄汚れた厚手のダウンジャケットを着込んだだけだった。
彼は、ブービートラップだった。
ブービートラップとは、一見して爆弾とはわからないように擬装された小形爆弾の通称である。第二次世界大戦中、ドイツ軍が使用した万年筆型爆弾などに
その原形をみることができる。
アフガン紛争に使用された蝶々型地雷の発展型も、未だ局地戦には派手に使用されているらしい。
効果的だからだ。
彼の人生は、だから、今日終わることが決められていた。
彼のような生き方が生まれたのも時代の想像力の成せる技だった。
彼自身、そうなったいきさつや理由などに思いを巡らす人生ではなかったし、今となってはすべて無駄だった。
しかし、今の彼には、明確に感じることのできる不幸も苦しみも無かった。
もともと幸福だ、不幸だ、といったところで、ある程度、考えて言葉を使うライフスタイルが前提となるものである。
小学校1、2年程度の文字表記能力しか持たないまま成人する世代が2008年以降急激に増えた背景は一応参考にはなるだろう。
自分が幸福だったとか、不幸だったとかは、少なくとも幸福、あるいは不幸という言葉について、自分なりに詳しく説明できることが前提となる。
彼もまたそのような表現行為に無縁な一人だった。
彼の生き方は、自分の名前を漢字で書き表わす機会すら無いそれそのままだった。
彼の歳が幾つだか、尋ねる術すら無いが、孤独で淋しい人生だったことを代弁することは可能だろう。
自分が何を言いたいか分からないことによって引き起こされる広大にして茫漠たる寂寥感に満ちあふれた孤独な荒野を彷徨うことに、決着をつけることが必
要だった。
しかし、その必要性を理性的に実践することは適わなかった。
ただ、自分が分からないのは、何にも無かったこと、として忘却のかなたへ片付けてきた…ただそれだけの、まったく当り前すぎる生き方だった。
彼は、薬品を併用した強力な催眠暗示をかけられている。
彼が望んだ、という意味で、今の彼が陥っている思考停止は、彼のスタイルそのものだ、とも言えたかもしれない。
思考停止が社会的なファッションにまでなった国に生まれた、単なる独りぼっちの人間である。
珍しくはなかった。
彼は、たまらなく空腹だった。
ゴミ箱あさりが浮浪者のライフスタイルから大幅に拡大されてきた時代である。
どこへ行けば何が食えるのか渋谷は不自由はしない街だった。
(もっともそれは社会がモラルに対して節操を無くしていただけにすぎないが)
少なくとも、今は、食い物を調達する行為をどのように段取りをつけるかまで思考がいきつくかが問題だった。
首から下げた“テラまる”の音量を最大にする。
ネットからおとしたサウンドや映像を、ろくな編修もせずに、道ばたの露店で売っている。“テラまる”はそんな違法ディスクの一つの呼び名だった。
楽曲のMP-3のファイル数だけで、すべて聞くだけでも30年くらいかかるシロモノだった。
もはや、音量は3メートル以上はなれてても聴こえるほどだった。
今かかっている曲は、ソウルフルなロックだ。
男の身体は、その曲に反応はしている。
それでも今の自分が感じている空虚感を紛らわすことはできそうになかった。
かさかさでひびわれた唇の端に、虚無的な笑みをたたえていた。
毛糸のヒップホップ系の帽子、ウエストポーチ、貝殻を繋ぎあわせて、じゃらじゃらと音がするネックレス。
首輪には合成麻薬のタイマー付き自動注入器が仕込んであった。
彼のウエストポーチは、彼にとって“主観的な意味においては”うまいピクルスの入った缶詰めだった。
彼はピクルスが好きだった。
実際は、接触対人センサーで起爆する小形地雷である。
このような武器がこの街で手に入るようになって、もう10年にはなる。
しかし、催眠暗示下の彼には、全く預かり知らないことだった。
“この缶詰めにはおまえの大好きなピクルスが入っているからな…”
“あの人”の“力強い言葉”だった。
…缶切りをかりなければ…彼は、ふと大切なことを思い出していた。
考えている。
缶切りだ、そうだ、缶切りだ…あれは大切なものだ…
缶切りのことを考えて、何かを食うことを考えて、そして、何の気なしに家出したときのことに想い至った…
彼の表層意識は、まるで、ゴミが浮き、生温く腐臭を放つ淀んだ下水だった…
2機の19式は、人が歩くよりもわずかに遅い速度で移動を続けてゆく。
吐きすてたガム。
たばこの吸い殻やその他のゴミ。
人の口の粘液をたっぷり含んだそれらが、路面の様々なゴミ搦めとり、硬く堆積して、新種の岩石のように縁石に沿って固くこびりついている。
映像屋は、重装備のままビデオカメラのファインダーを覗きながら走る。
その走りっぷりは、全く軍人のそれだった…
サンドイエローのハマー。
廃ビルと化した大型百貨店の荷物搬入口から駆け出してくる。
運転していたのは、見た目歳のよく判らない男である。
七三分けに、スーツで眼鏡。
この状況にこの格好ができる彼自身の姿が、彼の本質をよく現している。
スーツ男の、携帯のヘッドセットが鳴った。
『もう一人出すか?“会長”?』
「いや、いいっす。セイジさん…一人で間に合います。」
“会長”は、ハンドルを切った。
ぼーっと歩いていたブービートラップがいる。
徐行しながら減速して、右手でひっつかむようにして中へ引っ張り上げた。
停車。
ハマーは左ハンドルである。無理矢理右側の助手席に押し込む。
「元気でしたか、ハルヤマくん!」
「あ…」
「缶切り、見つかりましたか?」
「う、あ、いや、まだ…お腹すいた、」
「そうか、悪いですねぇ準備してあげられなくて、」
「う…」
「さぁ、早くあの人のところへ行って、」
「缶切りをもらうんです。」
男は、さりげなく携帯の画像をブービートラップの目の前に突き出した。
画像を見せて確認をとっているようだ。
「いいですねぇ?」
携帯に写っている画像は19式だった。
さらに両眼にねじ込むようにして近付ける。
「これ、わかりますよね?」
「う、うん」
「ここにいけば、もらえますからねぇ!」
これは人間ブービートラップの戦意を高揚させるための簡単な動機ずけだった。
厚手のキャッシュカード型をした合成麻薬注入機を少年の手の甲に押し付ける。
ブービートラップ『彼』の表情。
テラ丸に身体を震わせていた男は少年のような快感を押さえきれない。
「強い人は正しい人です。」
「うん」
「正しい人はあなたを救ってくれます。」
「うん」
「この間、あなたはセイジさんにイニシエーションを受けましたよねぇ」
INITIATION…奥義(?)伝授
「う、うん」
「どうでしたか?」
「気持ちよかった」
「それはよかったですねぇ」
ある意味、この二人の会話は、前世紀の末から続く渋谷のアイデンティティそのものだったのかもしれない。
常識の乏しい人間を見つけては、教育を施して自分のいいなりになるよう管理するのが生き甲斐だと言う征服主義者がいる。
“会長”がそうだった。
実体は、東京マフィアの中堅戦闘幹部として、薬物催眠で人間ブービートラップを作る役柄だった。
需要は結構ある。
違法ナノマシンを使った時限システムを併用すれば、受注金額は一気に跳ね上がるらしい。
「わかりましたね~、」
「う…」
「必ずごはんを食べさせてくれますからね~」
彼は自らのチンケな人道主義に酔っていた。
それは、語尾をねちっこく噛んで含めるように相手に話すところに、その“酔い”の本質があった。
まず彼の声質そのものが、およそ男の野太い声とは懸け離れたものだった。
彼は、自ら“自分はインテリで優しい人間だ”と信じて疑わなかった。
しかしそれは、はた目にみたら悪臭を撒き散らす腐肉のようなものでしかなかった。
そのスタイルが適用できる相手が、そもそも社会生活に適応できない連中ばかりだったからである。
“会長”はハンドルを握りながら、ロールバーにくくりつけたサービスパックのランチャーを開放。小さい破裂音とともに、接敵用ワイヤーカメラが前方へ
射出される。
10年前だったら、中東の目の血走ったテロリスト達御用達だったであろうこのような戦闘装備、今じゃ、渋谷のまん中で乗りまわせる。
“会長”は充実していた。
4駆は路地に曲がる直前で、家出男“ハルヤマくん”を放り出すようにして停止。
ストーキングカメラのファインダーに前方30メートルほどの所に、体制を建て直した1号機が映っていた。
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