センター街2020年//04_少女  

暫定治安維持機構/センター街2020年//04_少女


 しゅううぅん…


 かつてのガソリンエンジン駆動マシンと比較すると、驚くほど静かな音で浅賀のマシンは静止する。

 5号が見かけは普通のスクーターながら、決定的に違うのは計器パネルのレイアウトだった。

 暗がりでみれば、そのパネルの発光は異彩を放つ。

 5号と17式統合作戦車を連結するネットワークとセキュリティシステムは、エンジン停止とは関係なく作動していることがパネルを見ればわかる。

 戦術GPSモニターによれば、目指す場所は5メートルほど目の前だった。

 一端停止した後、徐行しながら進む。

 玉川通りを挟んで、セルリアンタワーが真正面に見渡せるあたり。

 あと一時間ほどで年があけるこの時間の慌ただしさが、玉川通りの車の流れにも何となく感じられるようだった。

 あまりうまそうに見えないラーメン屋の屋台が湯気を吐き出している。

 すぐ脇にカートに家財一式を積んで、呆然とそれを見つめているホームレス。

 そして?

 その向こうに、少女が膝を抱えて壁際にしゃがみ込んでいた。


 停止。


 照明の消えたビルの、植え込みの影あたり。

 「あ、」

 オリーブドラヴのダウンジャケットの少女は、浅賀に、力なく視線をあわせる。

 彼女は、薄紫色のワイシャツにネクタイを少し緩めている。


 かちゃ…浅賀はキーをひねって抜いた。


 見た目、10代後半。

 国際平和戦略研究所主任研究員、継原詩穂乃(つぐはらしほの)。


 彼女は人間の少女の名前を持っているが、人間ではない。


 2015年に始めて着任した第一世代のソシオンドロイドである。

 ソシオン:ソシオンネットシステム(SOCIety neural network recognitiON

system 社会神経網認識システム)が実用OSとして確立されてから(2009年1月)、量子コンピューターが実動状態になった時の純人間型機動端

末として、6年の歳月をかけて急ピッチで開発が進められてきた存在だった。


 継原詩穂乃 フルネーム/継原詩穂乃-TAOYAME-G3-705/愛称:詩穂乃ちゃん

 所  属:国際平和戦略研究所、極東第三局、主任研究員

 駆動時間:最長12時間。12時間経過した場合、5時間の強制冷却及びシステム自己検査 

が必要。




 「大丈夫か」

 浅賀は、真っ黒いライダースーツの体躯を、飛び跳ねるようにして少女の脇へ寄せる。

 「あ、う…、」

 「もう大丈夫だ。」

 「友紀乃ちゃんが…」

 「!」

 少女は、左手で、自分の“悲しみ”に堪えるように口にあてて、右手で力なく脇に荷物を被うようにしてかけてあったオーバーコートをはぐ。

 少女の右手の動きは、オーバーコートをかけてあったものが、少女にとって大切なものであることを感じさせるに充分な優しい動きをしていた。

 「ひでぇな…」

 コートの下には、両腕を顔の前に差し出し、膝を左右バラバラに曲げたまま横たわる人の形をした黒く焼け焦げたものがあった。

 第一世代のソシオンドロイドの身体は、構造材質上人間の肉体に比較的比重が近い。

 真っ黒く焼け焦げた少女の同僚の身体は、強烈な酸のような鼻をつく異臭を放っている。

 「立てるか?」

 「はい」

 「電子脳の自壊システム、うまく働いたみたいですぇ…」

 少女は報告した。不思議な感じのする京都弁だった。

 少女の視線は、同僚の残骸に注がれたまま。

 電子脳、この黒く焼けこげたものの中にある機能停止したもののことである。

 「ネットワークの強制介入痕、大陸系の軍事関係者、あらしまへんぇ…」

 語尾が幽んでいる。

 彼女の存在そのものが最終兵器であることを、浅賀は何度かのセミナーに参加して一通りの知識は得ていた。

 それは、人間の存在そのものに対する最終兵器、という意味合いだ。

 滅ぼすためのそれではなく、活かすための最終兵器である。



 局地戦の時代と称して、混乱の世紀の口火をきった人物として、21世紀初頭の有名な合衆国大統領の存在を引き合いに出すことでがきる。


 民主主義という名前の新しい階級社会が生まれた時に、その世襲的支配階級層に、常に暗愚と無知を温存する構造を与えたことは、まさに人間の宿痾を見つ

めさせる神仏の思し召しと見てもよかっただろう。

 そこでは、理解と支配とを取り違えて何ら恥じることのない傲慢、自由という名前の無秩序が発する暴力をいかに制御するかが必然的な課題だった。


 暗愚と無知によって視野狭窄を起こした為政者達が、己の無力さをなんら恥じることなく国民の間に、風化の進む砂上の楼閣のような不安を少しづつ充満さ

せてゆく。


 (ちなみに、口が達者である、ということは暗愚と無知を否定する理由とはならない。)


 2015年の時点までに、地球規模で急速に拡大する対テロ戦略において、本格的に、その持てる機動戦力を発揮できた正規軍事機構は何ひとつ無かったと

いってよい。

 まさに、かの大統領の姿は、地球の平和に影響を与える旧世代の知性の有り様そのものだった。それは、皮肉にも、新世代の知性が求められる道程を指し示

す道化の役割を果たすものであったともいえる。

 無政府主義は、テロリスト達のスイートホームである。

 彼らに対抗する組織が必要だった。

 地域共同体が溶解しつつあるこの時代に求められるものは何なのか。

 人間の種としての生存を困難たらしめる愚行の集積を破壊するためには、全く異なった兵器が必要とされると予見し、その端緒を具体化せしめた暫定治安維

持機構の存在があった。

 そして、この10代の美少女の姿が、その具体化された結論の一つだった。



 「浅賀はん、」

 「ん」

 彼女は、耳の後ろのポートから引き込み式のLANケーブルを引っぱり出して、浅賀に差し出した。

 「友紀乃ちゃんのメッセージどすぇ。」

 浅賀は、ハンドル中央のコンソールモニターを起動した。

 モニター右端のトラッピングパッドに指をにじらせたあとに、指先をとんとんと叩く。

 起動サインだ。


 高天原計画 TAKAMAGAHARA project


 と文字が現れ、4×5センチのモニターに灯りが入った。

 その灯りは、二人の顔を下から照らす。

 浅賀は、彼女のケーブルをコンソール脇のコネクターに黙って繋ぐ。

 少女の丸い顔の両頬脇に、短く切り揃えた黒髪が、乏しい光にゆれる。

 「10畤48分に最後の転送がありましたぇ。」

 「そうか。」

 最後の(彼女からの情報)転送:それは彼女の死際の叫びだったはずだ。

 浅賀は、少女の行為を、さり気なさを装いながら真剣に受け止めていた。

 正直なところ、軽い目眩を覚えていたのは事実である。

 彼の娘は、見た目はこの少女と同じ歳格好である。

 “俺がお巡り始めた頃は、プラスチックのボディに企業の商標入れてマネキンくさいやつが当たり前だったのにな…”

 目の前にいるのは『機械である』と説明をしない限り、見かけでは絶対に人間と区別のつかない人の形をした機械なのだ。

 そして、信頼すべき戦友でもあった。

 「回線、繋ぐぞ」

 「お願いしますぅ」

 少女の瞳は、5号の小さなコンソールの灯りを映していた。

 ケーブルを繋ぐ。



 どぅぉおおおおん…玉川通りの車の流れが発する音。


 大晦日。

 浅賀の緊張感は幾分その音の狂躁の度合いを、さっきより増幅しているようだった。

 彼女の電子脳から5号の電子脳へのデータ転送のステイタスバーが凄まじい速度で伸びはじめる。


 『Wellcome to TAKAMAGAHARA project』


 その小さな文字が、5号の小さなデスクトップの左上で、1秒間隔で輝きを放つ。

 『TAKAMAGAHARA project(高天原計画)』暫定治安維持機構の国家創建プロジェクトを現すコードネームである。

 バーが伸びる様を見つめながら、彼女は伝えるべきことを伝えた。

 「彼女の仕事領域160テラバイトの67%は、うち、と沙菜はん、御津倶はんに分割して確保できてますぇ。」

 「うむ、それはよかった。」

 彼女らが仕事領域として抱え込んでいるこの恐るべき量の情報は、そのほとんどが、この20年ほどの間に信じ難い勢いで増殖を続けてきたインターネット

の量子コンピューターによる解析である。

 それは暫定治安維持機構のすべての作戦計画を支えるものといってよい。



 小さなコンソールモニターに、いきなり夕闇が濃くなった渋谷の光景が写った。

 その渋谷の光景は彼女;友紀乃の視界だった。

 数人の男に取り囲まれているようにも見えたが、囲んでいる人間は、邪悪な意志を発散させるかのような動きで、彼女を追い詰めているのが見てとれる。

 視界の中に写りこんでいるビルから、道玄坂の一番上道玄坂1-21番地あたりと推測される。

 標準起動モードのソシオンドロイドの視覚認知は、ワイヤーフレーム処理された特殊なもので、ビデオカメラの概念とは根本的に異なり、機体(身体)駆動

制御に必要な対象物の動態解析と意味認知のみを行っている。

 ビデオカメラモードやスキャンモードは、視覚の中に別個のウインドゥとして開く。

 「やめてくださいっ…」

 彼女の悲痛な叫び。

 彼女は走っていた。 

 火が上がった。

 彼女の身体に火が放たれたのだ。

 「やめてください、」

 「…」「へへへへ、」「きしshしshっ」「…」

 「お願いします、もうやめて、」

 「…」

 ちゃりん、ちゃりん…がー、どぅおおおおおおおん、

 殺人者のアクセサリーらしきものが出す音。そして、南平台の信号待ちをしていた車やバイクの流れが信号が変わって動き出す音。

 「…!」「ほへ、」

 無言でとりまくテロリスト達。

 「あなたたち、何、この人、早く火を消してあげなきゃだめでしょ、」

 通行人の不審を表明する声が入った。

 (自己のコミュニケーションに関連付けられる、と判断された対象人物にのみ、ワイヤーフレームがフルカラーのビデオキャプチャ画像に瞬時に変わる)

 誰かが下卑た応える。

 「だいじょうぶっすよ、これ、暴走した介護ロボット焼却処分してるだけっすから、」

 「えー、こんな所で?」

 「こーやってビデオで記録撮っといてあとで区役所届けるんすよぉ、」

 「ほんとぉ?」

 ハンディビデオカメラを回していた男の様子は、彼女の視界のワイヤーフレームからも充分把握できた。

 「だいじょーぶだいじょーぶ、きしshししし、ちゃんと、後片付けしときますから…」

 残酷な笑い声や、下卑た含み笑いだけが聞こえてくる。

 火力は強いのか。

 手を振り回して火を払おうとする彼女の動作が見てとれる。

 「イやあっ、」

 酷薄な殺人者の表情は、彼女の視界には無機質なワイヤーの動きとして映っている。

 視覚認知画面下のテキストエリアに、警告メッセージが現れた。



 『高速LANポート処理能力低下…停止』

 『代替ポートとして無線ポート、チャンネル013から017を使用…』


 彼女はよろよろと走っていた。

 視界をまわりから塞ぎこむようにして火が強くなってくる。視界左端のビルが、ふらつくように何度も迫ってくる。

 逃げているのだ。東急プラザ方向へ向かって…


 『機能回復限界を超えました2116891_21』


 ばんっ…みしっ、みしみし…何かが弾ける音?

 これは、骨格系のどこかに重大なダメージが発生した音だ。『機能回復限界を超えました2116891_38/機能回復限界を超えました

2116891_42』

 ばすっ…彼女は、道端に積み上げられた後に、雨や雪で崩れた段ボールの塊につまずいて転んだ。


 『機能回復限界を超えました2116891_43/機能回復限界を超えました2116891_51/…『さ・よ・な・ら…後・よ・ろ・し・く・ね…』


 画面下のメッセージエリアに、彼女の“言葉”が現れた。

 音声ファイルの再生転送能力が無くなっても、彼女はテキストデータで、別れを送ってよこしたのだ。

 まだ視覚認知画面は見えていたが、いきなり地面が迫る。

 おそらく立っていられなくなったためだろう。

 ばしっ、がすっ…地面に頭部を激しくぶつけたと思われる音。

 「…」

 「…!…」

 彼女が聞いていたであろう外界の最後の音が、無気味な気配として存在していた。

 そして、それが最後だった。

 詩穂乃は、両手で口を押え、目を見開いて同僚の叫びを見守っていた。

 画面が消える。

 最後は、テキストレベルの光る文字だけ。

 『最終セキュリティ起動0000023671192011_0112198011919321_56690041110…』

 小さなコンソールモニターは暗闇になった。



 高度介護サービスのソシオンドロイドを破壊して、パーツをジャンク屋に売り払う渋谷系の破壊強盗が横行している。

 そのパーツの流通経路の先に“臭い”を感じてよってくる極めて危険な連中の存在は、予期されていた。

 結果的に彼女の同僚が破壊されたのはテロ、あるいは途中に第三者を介在させたリモートテロの可能性も否定できない。

 継原詩穂乃が、友紀乃ちゃんと呼んでいたそれを見ると、頭部と胸部にある複数の電子脳を、バールか何かで引きずり出そうとした痕が見えた。

 それは、極めて醜い反射行動のようにも見える。

 獣じみた執着によってのみ可能とされる極めて単純で力強い行動だ。

 身体駆動コマンドを強制的に停止させてしまうために、単なる通行人のフリをしてぶつかり、持っていたガソリンをかけて火をつける、というやり方だった。

 両目等の感覚器が焼けてしまえば、システムエラーで停止し、崩折れるように倒れてしまう。

 内部のハードが焼けてしまわないように倒れたタイミングを見計らって火を消す。

 ソシオンドロイドの四肢出力は、リミッタ解除の緊急モードで軽自動車を持ち上げることができたから、それを理解した上でのプロの手口だった。

 目当ては電子脳のデータ資産だった。

 それ以外にも、確保できれば高く売れるパーツはいくらでもあった。

 方法としては、外部からモニタリングしながら電子脳本体を分離させるつもりだったようである。

 ソシオンドロイドの女性型を駆動するTAOYAME・OSの最終セキュリティが働いてしまうと、電子脳の分子回路組織は自壊してしまうように設計され

ていた。

 頭部は、人工頚椎の両脇からバールをねじ込み、電子脳のケーシングのマウントをねじ切ろうとしたようだった。

 結局自壊したため放棄されたようである。

 同僚の美しかった顔は、焼け焦げた表皮を耳の後ろから引き剥がされてぼろぼろになっていた。


 機械の美少女は、まるで同僚の意志を引き継ぐかのように顔をあげる。

 「新たなテロリスト聖域のターゲットボリューム、発見しました。」

 「67%の中にも?」

 「はい、物理座標の算定、いけます!」

 少女の静かな闘志が、その横顔に伺えたようだった。

 ソシオンドロイドの美少女は、浅賀から渡されたガムテープとタオルで、包帯がわりに同僚の焼けこげた身体を被い、抱き上げる。

 ライダーは、少女に注意を促し、同僚の骸を抱え込み、浅賀の背中にしがみつく。

 「いいか?」

 「はい」

 少女は、人の形をした人ではないものだったが、少女の行為は、人の愛おしさを確かめるに充分な行動だった。

 戦闘マシン;5号は、二人の少女の身体を抱え込み、静かな殺気を放って発進する…


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