センター街2020年//03_その最初の兆し/暫定治安維持機構

センター街2020年//03_その最初の兆し/暫定治安維持機構


 19-1号機のパイロットは、また、自分の眼鏡に手をやった。

 落ち着かないのだ。 

 昔から、武器を手にする人間は好戦的だ、という物謂いがある。


 武器を手にする人間?

 それは、ここにいる。

 彼のことだ。

 これはフィクションではない。

 もしできるのなら、この物謂いを、あなたの好きな形で検証してみるとよいだろう。

 その検証のすべての過程において、意味の無いことは存在しないことを第一に踏まえておく必要がある。

 それは、武器にも意味がある、ということだ。

 その存在、という意味において、である。

 《形の見える武器》《形の見えない武器》《検証可能な存在理由》《検証不可能な存在理由》ここでは、この四つをまず提示しておくべきだろう。

 《形の見える武器》とはそのものずばり、携帯火器から戦車、戦艦、宇宙攻撃機などを指す。

 《形の見えない武器》とは情報そのものである。

 《検証可能な存在理由》とは、―武器は戦争に必要である―等具体的な思索の展開ができるものである。

 《検証不可能な存在理由》とは、―武器を手にする人間は好戦的だ―等、反証を確実に受け止めると検証されることなく一人歩きしやすい言葉が含まれる。

 そして、この四つの組み合わせは、この検証を進める工程を極めて実り深いものになることは間違いない。

 にも関わらずこの工程は、未だに一部の人間から、それこそ唾棄すべき文脈として認識されていることでもある。

 また、だからこそ、このプロセスをより深く確認してみることは、危険な人間に足をすくわれないための心構えとしても役に立つ。

 危険な人間:現実的な感覚を喪失しつつも、錯綜したイデオロギーの迷宮に憧れて、その中に耽溺する人間のことだ。

 空虚な言霊主義者ともいえるだろう。

 あるいは、覚悟を嫌う神学論争主義者とも。



 もはや21世紀初頭とはいえない今日、そのような存在は急ピッチで増えていた。


 この国は、物質的に豊かになることと比例して、思考停止をファッションとしてきた。

 ここに記述されていく物語は、そのファッションが伝統となり、その伝統によって養われた世代が、世代交代を始めた時代の最初の記録、ともいえるだろう。

 それは、精神の内なる部分に、希望と革新を実現することを怠ってきた人々の物語である。

 それは死を厭い、覚悟して生きることを厭い、惰性と化した生のサイクルを活性化させることを厭う。

 愚かしいほどにぜい弱で、肥大化したプライドがそうさせる。

 そして、この“怠る”という危機的な行為の集積をまっとうなスタイルとして確立さえしてしまった民族には、明日が無いことも数々の歴史的真実が語って

いる。

 ここに語られてゆくのは、そこに存在する虚無の物語でもある。

 この物語は、夥しい喧噪と騒乱をその身にまとっている。

 19-1号機のパイロットは、今日まで、その喧噪と争乱を彼自身の人生のBGMとしてきたのだ。

 しかしその喧噪と争乱の中枢に存在しているのは、実存的な生き方の残骸そのものだった。


 残骸?


 難しい話ではない。

 実存的な生き方をしたくないから、実存的 な生き方をしないだけの話である。

 実存的な生き方の否定?

 魂の叫びに忠実たらんとする勇気の無い憶病者の生き方のことだ。

 そこには、必然的に暗愚と無知の渾沌が発生する。

 しかし、人は人として生きてゆかねばならない。

 結果、それら情報化社会の半腐れの苗床において、人はいやがおうにも暗愚や無知と同居することになり、そこで生のスタイルは穢れ、倫理は風化してゆく。

 まさに残骸そのものである。

 そんな過程の推移すら自己の証しとして大切にし続けることができるほどに、この国の豊かさは犯罪的だった。

 『そのようにあること』が犯罪であるとき、誰がそれを裁くことができようか。

 精神の内なるものを見据えて精練することのできる人間に、外なるものの制御はさして難しい課題ではないといえる。

 それは、歴史を築くことを人間の取り組みとするための、人間の最後の約束事に他ならなかった。

 社会秩序の崩壊に具体的な言葉を与えて方向性を指し示すことのできる人間が、誰ひとりとしてこの国に出てこなかったことが、この約束事が守られなく

なって久しいこの国の風土をよく現していた。

 その約束事をやめて自由になることも自由なのである。その先に何があるかは、誰にもわからない…

 そして、その最初の兆しが現れ始めた時代だった。



 19-1号機、コクピット。

 パイロットである彼には、美しい妻と可愛いさかりの子があった。

 彼は、幸か不幸か、そのことととは全く不釣り合いに性格は暗い方だった。

 肥満体。

 そして身だしなみも不潔だった。

 その程度でも許されてしまうほどの、それなりの裕福な生活を送っていたのである。

 濃密なスタイルのデスクワークを中心としたスタイルの頭脳労働者であれば、さして珍しくなかった。

 そのことが、世間的に見れば、彼という人間を定義するに充分な要素であったことは想像にかたくない。

 彼は、19式特別警戒機動車を駆動するOS主任開発者である。

 正式には、高天原計画に動員されるMASURAO-OSの基本アーキテクチャ、主開発ディレクターだった。

 荒木田 武史28才。

 自動車の運転すらあまりする機会の無かった人間だ。

 仕事で自分が育てあげたシステムを直接動かすのは悪く無いもんだ…という、やたらと子供っぽい快感が沸き上がっていたのも事実である。

 彼の両手は、作業着屋で仕入れた安物の軍手をはめている。

 指から先は切り落として、生身の彼の指が見える。

 両手のすべての指の爪は、垢がつまって真っ黒だった。

 19式特別警戒機動車のコクピットのエアコンなら、何も防寒に気を使う必要はなかったし、この戦闘機械の制御は、指先まで被ったデータ入出力スーツな

どを身につける必要の無いものだ。

 ましてや、彼の指がここまで汚くても、けじめがどうの、と言われる場所ではなかった。


 ここは戦場だったから。


 今日、彼自身の彼の人生への取り組みは、いくつかの理由で特筆すべきものがあるといえる。

 それは今までの評価への心地よい裏切りだった。

 彼は、何度も自分の眼鏡に手をあててバランスを直す。

 あまりフィットしていないようだ。

 心臓は、早鐘のように鳴り響いていたが、悪くない気分だった。

 モニター越しにざわめく通行人達が見えた。

 彼は富士の特別演習場で研修に参加して以来2度目だった。

 そしてこれは実戦だった。

 強電磁界面駆動の推進ベクトルを“低速”に入れたまま機体全システムを機動する。

 巨大な4つの装甲タイヤのホイール部分に収まった強電磁界面駆動のドライブジャイロの出力を20%のまま、車輪走行で前進。

 車体はほとんど接地荷重0のまま渋谷駅前交差点に姿を現した。

 機首をあげ、わずかにブレーキングをかける。

 腹に響く奇妙な轟音を捲き散らしながら機体が接地する。

 着地のタイミング。

 この奇妙な2台の機械の動きを見守っていた群集が、ずざっ、と周囲へ後じさる。


 彼は、この物語の主人公だった。


 彼は不潔でみすぼらしく、暗い男だった。

 才能はあったが、極め付けの不幸が彼を取り巻いていた。

 そこに、彼にこの物語を語ってもらわなければならない理由がある。


 それは、この時代を背景にした時に、古いものを壊し、必要とされる新しいものを作るチャンスが、たまたま彼の人生の近辺に多く集まっていた、というこ

とにすぎない。

 彼は、多くの人がそうしているように、惰性で人生を消費するためにここにいるのではない。

 彼はまた、誰かの要請を、当たり障りのない過程で実行するためにここにいるのでもない。

 ゴマカシと逃避のための方便と化したおびただしい数の物語を破壊し、新たなる希望と平安への道程を物語る行為を起動するとすれば、そこにはそのための

チャンスがより多く存在している方がよい。

 ただそれだけのことだった。

 先に彼の搭乗する1号機、次いで萩原空将の2号機のサスペンションが軽く沈む。



 萩原空将、試験教導隊戦術計画顧問、40代。国際平和研創立メンバー



 誰かが気をきかせたのかよくわからないが、大きな電飾済みクリスマスツリーが、まん中の欠けたセンター街のアーチのすぐ向こうにある。

 強電磁界面駆動の低速モード。

 圧縮された機体周囲の行き場を失った空気が、4メートルほどの道幅に、猛然と渦巻く。

 カーキグリーンのステルスジャケットから伸びた2号機の左手が、

 “前進”のサインをとった。

 「…」

 彼は、2号機の戦術指揮官に応えて、何か口にしようかと思ったが、口からは何も出てこなかった。

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