2ー拾 北へ

「祈るってのは不思議なものでさ。俺は家柄がそういうのを何よりも大事にするところだったから、形式上は子供の頃から色々知ってたが、信仰心なんてものは全く無かった。俺時々思うんだよ。ものすごい苦しみながら、ウンコ出る時ないか?年に1回あるかないかのような苦しみさ。昔の歌手で「糞詰まりに悩みながら神様を信じた」って歌ってた人がいたけど、あれは見事な表現だと感心したもんだよ。なぜか手を合わせちまうんだよ。あれが祈りの起源なんじゃないかと思ってた事があったな。そういえばよ。俺が思うのはウンコというのは、食べ物が消化された後の残りカスみたいな理解しかないだろ。普通の人は。でもさぁ、俺が思うに、沢山ある内臓の色んな都合で出た毒素とか、水分とか、排泄物とかも混ざってると思うんだよ。だから、断食長い人もウンコするじゃん。安易に全てのウンコを食ったものの結果だと思わないほうがいいのに、以外とそれに対して言及する人少なくねぇかなってね。つーのも、俺、大体体調悪い時、ウンコすると結構良くなるんだわ。あれって、皆不思議だとか思わないのかな?単に消化から排泄のプロセスとは思えないんだよと医者の連中達には言いたい。だがよ。ネットでウンコの事調べても、大してプロからの論文は無いんだよな。俺が医者なら、毎日ウンコを分析して論文を発表するだろうな。こういう、身近な事で誰もが手を付けていないし、薄々感づいている事に大きな秘密があると思うのさ。」蒼磨は躁状態に入ったように喋り出し、黑鉄は適当に相槌を打ちながら聞き流した。彼の脳内は酷く散らかっているようだな。小包もそういう気があるなと思いながら、ベトナム料理を味わう事に集中した。


食事が終わると、オバサンはコーヒーを持ってきた。エスプレッソのように濃厚だが、ロブスター種のベトナムコーヒーはとろっとした濃厚さの中に甘みがある。カレー屋で食べた卵コーヒーというのも旨かったがコンデンスミルク入りは、日本の缶コーヒーと同系統な味だと思ったし、缶コーヒーよりは淹れたての良さがあり、黑鉄は気に入った。かつてフランス統治時代から、アメリカの傀儡政権を経て100年以上。日本の欧米カルチャーとは違った枯れた感じの雰囲気を感じる。蒼磨は寝ながらにしては、器用に大量に飯を食って、食後の一服を楽しんでいる。ここまでボコボコにされながらも、脳天気なもんだなと黑鉄は感じ入った。


「アラハバキが何なのか?という質問にはまだ答えていただけていないようですが」黑鉄はタイミングを見計らって言った。


「いいだろう。しゃべりすぎた割には肝心な事を言っていなかったな。別に煙にまこうとした訳じゃない。最近日本語をあまり喋っていないので、つい喋り出すうち止まらなくなったまでよ。アラハバキには力があり、その力は誰にでも影響するが、力が強いという事は人によっては毒になる。それは災いをもたらすと信じられてきた。古代アラハバキを巡り色々と戦いは繰り広げられたらしいが、結局はアラハバキの力を活かせる家が選ばれた訳だ。アラハバキは4体ある。眠るアラハバキ、踊るアラハバキ、遊ぶアラハバキ、耽るアラハバキ、と言い伝わっている。俺は眠るアラハバキを受け継いできた家に生まれた。眠っているだけで欲しいものが入ってくる人形という訳だ。」


「つまりは、あと3つも蒼磨さんのような力を与えているという事ですか?」


「良い質問だな。恐らくはそうだろうと思う。というのも、力の内容は俺の家では極秘事項で、家のものでも代々頭首しか知らないぐらいだ。外の家も恐らくそうだろう。そういえばいい忘れたが、こうやって毎年祭りをしていても、お互いがどういう奴なのかは勿論、皆お面を被っていて顔すらも分からないのよ。 で、その能力という奴だがよ。そういう意味では信三。お前には何か強力な素質がある可能性があるんだがなあ。お前の家はなんたって俺たちの上に君臨する黑鉄一の家なんだからよ。最強の能力と恐れられていたものだ。それが何なのか分からないが。それでアラハバキが4体集まると常世の門が開かれ、黑鉄一は常世に帰ると言われている。正直俺はなんの事だか分からないんだが」蒼磨が満足げにタバコをくゆらしながら、黑鉄を見た。


「信ずるかどうかは置いておいて、一応話の筋は理解できました。大変興味深い話をありがとうございます。それで、私に聞きたいこととは何でしょうか?」黑鉄は話の筋を追う事に徹し疲れを感じていたが、それを顔に出さないように気をつけながら言った。


「いや、もういい。大体分かった。不思議なもので、お前とこうやっていると、何やらよく分からんが、それだけで俺にはよく分かるんだ。お前はティさんが言うように常世へのアクセスが可能な選ばれた素質があるんだろう。それを引き受けて生きていく事になるはずだ。それに、お前今、俺のアラハバキを持っているだろ。それはとりあえず受け取っておく。異存は無いか?」


「あ、あなたに返す為に持っていたんですよ。当然お返しします。不思議な老人が渡してくれたんですよ」黑鉄は鞄からアラハバキを取り出した。


「おっ、また戻ってきたな。よかったよかった。ところでその老人とやら、恐らく黑鉄一だろう。お前の爺さんだ」


「え?」


黑鉄は確かに爺さんを知らなかった。両親は物心付く前に離婚し、母子家庭として育っている。父親の顔を見た事も無ければ、ましてや爺さんの顔など知らない。母親に何度か尋ねた事はあったが、普段は黑鉄に対して甘いし尽くす傾向のある母親が露骨に嫌な顔をし、ウヤムヤにしてしまうのを見ているので、黑鉄も聞かなくなっていったのだ。しかし、あの爺さんが自分の爺さんだとは信じがたい。確かに日本語を喋ってはいたが、そもそも爺さんにしては高齢過ぎたし、それ以上に、人には見えなかったとも言える。それに自分の孫に対して目玉をくり抜くとか、吹き矢を吹くという行為も理解に苦しむ。蒼磨はまた話し始めた。


「アラハバキがベトナム、サイゴンにあったというだけじゃなく、俺はそれから10年も歳月が経ってしまったが、ベトナムで4体が揃い、常世の扉が開いた形跡を見た。常世には異形のもの、と史書には書いてあるが、こっちの世界の言葉で言うとエネルギーの塊のようなもので満たされている。常世の扉を開けると、圧力が高まった圧力鍋の蓋をいきなり開けるようなもので、自然とエネルギーが吹き出すんだ。で、面白いのは俺たち人間は常世のエネルギーを見る力が何故か備わっている奴もいる。まるで見えない奴もいる。霊感と言われるものがそういうものかもしれない。そんでよ。そいつらはなんとも言えない形態をしているんだが、簡単に言えば、化け物、妖怪の類に見えるんだ。不思議とな。これを異形のもの、と俺達は呼んできた。異形のものの死骸を俺はこの10年で複数確認して結論は出たんだ。ベトナム、サイゴンで4つのアラハバキを持って、常世を自在に操る何者かがいた。今は4体はバラバラになり、今1体は俺が持っている。恐らくは、まだサイゴンに外の2体はある。1体は、そこまで遠くないが、ベトナムから出たようだ。」


いつの間にか気づかぬうちに蒼磨は酒を飲んでいた。風貌や家に似合わず、赤ワインを飲んでいる。やはり金持ちだけに、高そうなグラスを使って、高そうなワインを苦しそうに飲んでいた。「なんでサイゴンに外の2体があり、他の1体は外国にあると思ってたのですか?根拠はあったのですか?」黑鉄が聞くと、ワインを喉ごしで飲み干して喋り出す。


「ああ、色が変わるんだ。ほら、今、茶色だろ。4つが近づくほど色は赤になる。遠ざかるほど黒になる。どこまで遠ざかると黒になるのかは知らないが、少なくとも茶色である以上は、1体は遠い。が他はそんなに遠くないはずだ。1体はどこに行ったんだろうな。あの翠とかいう奴に会うまでは赤かった。ベトナムに全部あるはずであったのだがな」蒼磨は時計をわざとらしく見てそわそわした調子で言った。


「悪いが、もうじき大事な来客があってな。今日の所はここまでだ。金には困っていない様子だが、まだベトナムにはいるんだろ?また話したい。」ゆったりと話していた蒼磨だったが、なぜか急にそわそわしだした点、黑鉄は不信に思ったので、わざと黑鉄はカマをかけてみた。


「実は、蒼磨さん。私の先祖代々に語り継がれた歌があるんです。暗号のような歌が」黑鉄は途中でもう少しマシな嘘つけばよかったなと後悔しながら、神妙な顔をして言った。


「なんだそれは?いや、また今度聞こう。明日にでもまた来てくれ」蒼磨は随分と焦っている様子だ。


仕方ない。使いたくないが、今日は特別だ。と思い、黑鉄は後藤を見て集中した。蒼磨が自分に何かを隠していている可能性・・・100% やはりそうだ。この種の問いかけが一番後味が悪い。嘘をついている可能性、隠し事をしている可能性、要は人の内面が見える2択の質問は、答えは0%か100%かどちらかの訳だが、これも黑鉄は見えてしまう。定義と時間軸がぼやけると機能しないこの能力だが、この程度の事ならば判別できてしまう。便利な機能だと一瞬思った事があったが、後味の悪さに封印していた。人が嘘をついているかどうか、ここまで簡単に分かってしまうというのは、攻略本を見てゲームをやるに近い。人間が嘘をつく時というのは、多かれ少なかれ、皆罪の意識を感じながらも切実な理由でやっていると思うからだ。そんなものが簡単に分かれば恐らくその先にあるのは、生きる意味の喪失と絶望だろうと怖くなったものだった。今はそれほどセンチメンタルな人間では無くなったと自覚しているが。


「蒼磨さん。あなたは今私に大きな隠し事をしてますね?」黑鉄は蒼磨の目の底を見て言った。


「何を言い出す?何の事だ?」蒼磨の目は一瞬泳ぎながらもかろうじて普通に答えた。


その時、スパイスが入っていると思っていた麻袋が破裂した。破裂したように見えたが、よく見ると人が飛び出したのだった。ティさんだった。


「もういい。もういい。蒼磨さんが私が我慢してこんな所に隠れているのも忘れて、長々と話すから。体中カレーの臭いになった。ウンコの話とかし始めた時は、出て殴ってやろうかと思った。それにご飯まで作ってコーヒーなんか飲んでいいわね。私はお腹ペコペコなのに、全然気にしてくれない。いつも蒼磨さんだけ。ホントいつもこう。治らない。人の事すぐ忘れる。黑鉄さん。ごめんね。隠していた訳じゃないんだけど仕方なかった。でもね、もう一つの事でビックリすると思いますが、私の事悪い人だと思わないでね。仕方なかった」


ティさんは、隣の麻袋を見た。よく見ると麻袋がガツガツと音を立てて動いている。蒼磨はこれを見て焦っていたのだ。ティさんは華麗にバタフライナイフを出して麻袋を切り裂くと、手足を縛られた在原が転がるように出てきた。どうやら、眠らされていたようだ。時間が経ち眠りが覚めて動き出したという訳か。蒼磨はいつもの癖という奴で、ティさんと在原の事を忘れて、話に夢中になり、メシまで食って、酒も飲み始めてまたぶっ続けに話していたとはのん気なのにも恐れ入る。ティさんは猿ぐつわをされて手足を縛られた在原に向かった。


「本当にゴメンナサイ。信じられないと思うけど、私達は敵じゃない。予定と違って黑鉄が直ぐ来た。これは私のミス。だから私も一緒に袋に入って我慢しようと思った。蒼磨さんのせいで話長引いたのも私の判断間違った。こうなる事事前に予想できた。猿ぐつわを取りたいのだけど、騒がずにまずは私の話聞いてくれますか?」ティさんはハッとするほど綺麗な身のこなしで頭を下げた。


在原は冷静さを取り戻し、しばらく様子を見て、ゆっくりと頷いた。


「ありがとうございます。でも、猿ぐつわ外すのやっぱり、待ってください」ティさんは照れながら笑顔で言った。黑鉄はズッコケそうになったが、これも彼女のリアリズムなのだろう。


「まあ、それにしても結果的に必要なものは全部集まったわけだ。アラハバキも戻ってきたし、黑鉄と、こちらの在原さん?でしたっけ?こりゃどうも。私蒼磨と申しやす」蒼磨は抜け抜けとニヤけた。


「そうですね。よかったね。予定変えて今から行きましょう」ティさんもあっけらかんに答えて、携帯電話で何やらベトナム語で指示を出している。


「行くって何処行くんですか?」黑鉄が尋ねると、蒼磨はしばらく黙った後に、また不自然なニヤつきを浮かべて話しだした。


「悪い悪い。何でも事後報告になってな。今からみんなでダナンに行くんだ。中部の街だ。海が綺麗で海産物も美味しいところだ。在原さん。悪いな。もう少し勘弁してな。あんたみたいな強そうな人、簡単にお縄解けん事情察してな。悪いようにせんで。後から埋め合わせたっぷりするからさ」蒼磨は口調とは異なり悪びれる表情もせず言った。


「どういう事か説明してください。僕も一人で来てる訳じゃないし、日本に明後日には帰るわけですし」黑鉄も冗談で言っているわけじゃ無さそうだと動揺を隠せず言った。


「ああ、お前の友達ね。一人はもう日本帰ったよ。もう1人はあの娘さんと一緒だ。俺のアラハバキを特注金庫に封印した娘さんね。あいつは大した玉だったな。気にするな。別に日本に帰るのが多少遅れたぐらい」蒼磨が担々とした口調で言うのを聞き、黑鉄は瞬時に察した。


「ああ、そういう事ですか。僕の携帯電話をティさんが取って、蒼磨さんが色々と情報を取っていた訳か。しかし、日本に1人帰った?とは」蒼磨は黑鉄の携帯電話を返してながら言う。


「さすがに頭の回転は一流だな。まぁ大体そういうこった。メッセージ見てみな。連絡あるだろ。何で帰ったのかは在原からじっくりいずれ聞くことになるだろう。どうやら、俺たちだけが動いているわけじゃぁ無さそうだって事だな」


通りからクラクションが鳴った。ティさんがおばさんに何か話し、おばさんは表に駆けつける。おばさんがガラガラと移動式の担架を持って戻ってきて、ティさんと二人で蒼磨をせっせと担架に乗せる。そしてまた暫くして戻ってきて、今度は在原を担架に載せようとするが、手足を縛られ、非協力的な在原を担架に乗せるのはさすがのティさんも苦戦している。黑鉄は本来ならば在原を助けるべきなのに何で俺も協力しているんだと思いながら、二人が担架に乗せるのを手伝った。おばさんはカラカラと単純業務を行うように在原を担架で運んでいった。


「さあ、行きます」


ティさんも担架について行くと、外からは観光バスにしか見えないバスが路地を出た所に泊まっていた。これでダナンまで行くという訳か。黑鉄は恐る恐る中に入ってみると、バスの椅子は外されて、応接ルームになっており、蒼磨が寝かされ、在原は縛られたままで寝かされていた。

黑鉄は中を一通り見て一旦降りようとすると、ドアが閉まった。


「じゃあ、出発します」


運転席を見ると、ティさんがいつの間にか座っており、周りのバイクをものとせず、強引に急発進し走りだした。

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