3ー漆 呪文を得る
<紅音>
「抑止力の無効化?核兵器を持つ目的のようなニュアンスで抑止力という言葉を使ってる訳ですか?核を使用する事が目的では無く、あくまで交渉のカードとして保有する事で安全を保証するという意味ですよね。相手が国家?例えばアメリカ、とか、日本とか、そういう事言ってるんですか?そりゃ確かに荒唐無稽としか僕には言いようは無いですね」紅音は呆れた顔を大げさにしてみた。
「国家対国家の抑止力という考え方は20世紀冷戦時代に生まれた訳ですが、今ではカビが生えたものになっています。ご存知のように、国家対国家として交渉力を持ち得たパワー、つまり核兵器の事ですが、これも例えばイスラム系テロリストの前では意味を持ちえません。核をテロリストの本拠地に落とした所で、その威力がいくら強大だとしても、テロ組織を壊滅する事はできない。例えそれで本拠地を破壊し、カリスマ指導者を殺害できたとしても、そこに空いた穴はいつか自然と別のものが現れて埋まってしまう事が昨今示されてきました。アメーバ状に再生するだけなのです。なぜなら思想は土地に依存せず、ネットワークを縦横無尽だからですね。そして憎しみという力をより備えてより強固に再生する事になるでしょう。国際的な均衡が冷戦で作られたように見えた構造に、もともと均衡を破壊する装置が内包されていたとも言えますね。テロリストが活躍するアラビアの諸問題は冷戦の忘れ形見とも言える訳ですから。しかし、未だ核抑止力というカビの生えた思想から解き放たれない主要国は、以外とあっけなく滅ぶ隙を抱えていると思っています。私どもは、人類の抑止力を無効化する新しい機関を作り、一時的にあらゆる軍事力を無意味化し、人類の新たなステージを用意するという目的を持っています。これは、人類を支配したい、とかそういう、子供向けアニメのような話ではありません。そのような動機は全く無い。あるのは、人類を破滅させないように一時的に誘導する、という使命感のみ。話についてこられますか?」
「馬鹿馬鹿しい話だなと思いますが、まぁ思考実験としてつきあいましょうか。」
「すでに君の力はある意味、イスラム系テロ組織に並ぶほどの厄介さを備えているとは思わないですか?気づいていないかもしれないが、今や君は格闘家としても、スパイ活動家としても、スナイパーとしても、圧倒的な素質がある、と断言できるんです。」
「何を言い出すんです?どういう事ですか?」
「君は本質を掴んで
「いや、確かにアラハバキを手にしてから、そのポンカロイドという奴がちょっと分かった気にはなりましたが、そんな魔法みたいな事ができるとはとても思えないんですが。
車は、すでに飛騨高山市内に入り、迷うこと無く小高い山に登っていき、城山公園についた。王はそのまま茶屋に直進する。南京錠がかかっているが、器用に針金のようなもので直ぐに明けてしまった。何でも器用な男だなと紅音は感心する。
「私も理由は良くわからないのですが、常世に続くターミナルがここにあると言われています。君にはここで修行をしてもらう。ここには常世の民も少数生息している。常世に行くことは今の君にはまだ無理でしょうが、ターミナルで常世の民と闘い、腕を上げる事はできます。恐らく、こんな補助装置を使うまでもなく、君は圧倒的な力を獲得できると期待しています。さぁ行きましょうか」
茶屋の中には、不自然な土管があり、その中にはハシゴがかかっている。王と紅音は黙々と長い長いハシゴを降りていった。降りると、不思議と紫がかった空、ピンク色の川、金色の山々、とてもこの世とは思えない光景が広がっている。川のほうを見ると、不思議なことに舟が川の流れと逆行して進んでいる。よく見ると、翠が老人と乗っている。間違いなく翠だ。あいつこんな所で何してるんだ?舟が岸につけられ、老人がひょこひょこと降りて、2人に近づいてきた。
「お主は、紅音と王じゃな。ちょっと助けてくれんかい。困っとるんじゃ。こっちに来てくれい」
老人は、わざと足元の悪い岩地に2人を誘い出した。かなり年老いた老人に見えるのにヒョイヒョイと岩場を飛び越している事に不自然な感じがしたが、2人はついていくと、突然老人が振り返ったかと思うと、その振り返った形相は、比喩では無く鬼であり、紅音を捕まえようとした。王が反射的に紅音をかばい、岩から突き落とし、紅音は岩の狭間に転落した。
紅音が我に返り、岩の上を見上げると、 老人は顔だけでなく体もいつの間にかムキムキな豪傑と化しているばかりか、巨大化した。そして、王をつまみ上げてそのまま丸呑みしていた。今度はいつの間にか翠が鬼の後ろにおり、鬼のクビを、空手の達人がレンガを割るように簡単に切断した。そしてクビの中に手を突っ込んで、王を引きずり出す。幸いにも王は、そのままの形でニョロリと引きずり出された。鬼の足がグニャグニャと動きだす。顔に変化し、顔が体を伝って、クビまで行き直ぐに再生してしまった。そして鬼がひと吹きすると、翠は河に吹き飛ばされて、そのまま河に沈んでしまった。
紅音は、岩の隙間に身を寄せて、頭を整理する事に努めた。何が起きているんだ?翠がいた。人間ではない鬼のようなものがいた。知性があるようだ。王が食われたが恐らく無事だ。あの鬼は、不死身に見える。
「おい、紅音。何も怖がる事は無い。翠が余計なことしてくれたから、追い出したが、王は無事じゃよ。どれ」鬼は、もう一度王をつまみ上げて、パックリと飲み込んだ。
「自分で喰っておいて、無事だとはどういう事だ?お前は何がしたいんだ?」
「お主は何も分かっておらんようじゃの。まぁ無理もない。ここには、喰うも喰われるも生きるも死ぬも無い。あるのはポンカロイドだけじゃ。それを今のお前のレベルで解釈してるに過ぎぬ。ここは常世と現世と彼世のターミナル。現世の意味で死ぬというのがあるが、それは現世から彼世に行く異動に過ぎぬ。つまりは、このターミナルで死ぬなんて事は原理的に無理なんじゃよ。何も失われず、何も生まれない。ここのルールはお主の住む現世の常識とは違う訳じゃわい。王はのぉ、常世に転送したんじゃよ。ワシの腹からな。アイツには常世でやるべき事があるんでな。翠ちゃんはそのまま現世に追い返したったわい。心配するな。お主はのぉ、これからワシと行く所がある。」
鬼は、紅音が隠れている岩の隙間に腕を伸ばした。スルスルと手が伸びて、紅音を捕まえると、自分の方へ引き寄せた。紅音は、こいつにはどうあがいても自分ではどうしようもできない圧倒的な差がある事を認めざる得ず、足掻くことはやめて大人しくした。
「おお、物分りが相変わらず良いやつじゃ。じゃあ行くぞい」
鬼の背中から奇妙な肉が飛び出したかと思うと、グロテスクな羽のようなものが形作られた。鬼は紅音を背中に乗せると、凄まじい脚力で岩を蹴り上げ、飛び立った。
「まぁ、お主には不思議に見えるかもしれんが、大したことでは無い。お主もやろうと思えばできる事じゃ。ムヒョッ、ヒョッ、ヒョ」
鬼は笑いながら大きく羽を羽ばたかせ、高度を上げた。上から見えるのは、得体のしれない者達の行列だった。数えきれない集団が、綺麗に整列して長い列を歩いている。
「あれがな、全部2016年の現世に雪崩れ込むんじゃ。8月、お前たちがベトナムにいる間にのう」
「僕は一度、ヒルコと戦った。ヒルコは人間を襲うし、手強い奴だった。ああいう力を持っているの?あいつら。」
「あそこにはヒルコなんかおらんぞ。ヒルコなんて言うのはな、あそこにおる100万を超える常世の者達の中でも、最底辺。そんなもんじゃないぞ。ここでは奴らに動機が無いからおとなしく見えるがの。あいつらは1匹でもお前たちが住む世界に入り込んだらそりゃ大事じゃわい。」
「それが、100万匹が全部、2016年8月を目指しているという事?」
「フォッフォッフォ。その通り。しかもな、お前の仲間が集まるベトナムのダナンからあいつらは、世界中に広がるんじゃわい。」
「なんでそんな事になったんだろう?さすがに1匹2匹なら相手にできるかもしれないけど、100万匹とはね。どうすればいいんだろう。さすがに無理でしょ」
「ああ、無理じゃ。だが人類はしぶとい。全部が死に絶える事も無いじゃろうて。わしが知るどの世界にも当てはまらない、始めての事じゃから予想もつかんがの。大体常世の者たちが現世に
「お主と黑鉄はの。これからこの河の流れのどの時代でも、戦い続けるんじゃ。人類誕生から、何千年もじゃ。じゃがのう。其の戦いも無限では無い。2016年に終わるはずじゃ。」
「言っている事の意味がよくわからない。なんで俺が黑鉄と戦うんだ?2016年に終わるって、今2016年だろ。意味がわからん」
「今のお前には、何を言っても理解はできんじゃろて。ところでお主、もう既に芽生えとるようじゃのぉ。じゃが、お主だけでその力を開花させるのには紅音として生きる人生のうちは間に合わんじゃろうて。ちと強引じゃが、色々と状況も変わっておるのは間違いない。このままお前の人生が呆気無く終わっても仕方あるまい。次の生まれ変わりを待つ訳にもいかんからのう。今授けてみようか。」
大きく鬼は回旋しながら高度を上げた。見ると、空に固まりが浮いている。近づくと、それが島だと分かった。空に浮く島だ。この何でもありな世界に慣れつつある紅音はさして驚きもしなかった。鬼はそこに着陸し、紅音も恐る恐る降りてみる。降りてみたら分かったが、芝生が整っており、幾何学的というか、対称を意識した庭園の作りになっている。鬼はスタスタ歩いて、切り株に腰掛けた。紅音も仕方なく鬼の側で芝生に座る。
「紅音、お主は
微かに、ニヤッとしたかと思うと、突然鬼の腕が伸びた。紅音は予感ですぐに臨戦態勢になったがとてもかわしきれるスピードでは無かった。鬼の二本の指が紅音の鼻の穴に刺さる。
「ゴゲッ」
紅音は思わず口を大きく開けて唸ると、そこを狙ったとばかりに、鬼の角が伸びて、先端が釣り針の形に変わったかと思うと、紅音の舌に引っかかって、そのまま根こそぎ舌を引っこ抜かれた。紅音は、もうこれはどうしようも無い状況だと感じ取り、抵抗する事をやめた。とても勝てない。ただ、不思議と痛くもないし、気は一瞬ぐらついたが、以外と平気だ。ぼんやりと鬼を見ると、今度は鬼は、自分の口に手を突っ込み、なんと、舌を引き抜いた。以前、肉屋で牛タンのまるごとを見たことがあるが、そんなんよりももっとグロテスクな黒光りする舌だった。
鬼は、引き抜いた舌を片手に紅音の口をこじ開けた。まさか・・、
こじ開けられまいと抵抗するも甲斐なく、すごい力で簡単に開けられてしまった口に、鬼は自分の舌をぶち込んだ。
「紅音よ。これでお主は立派な
鬼は亡失している紅音を持ち上げ、空高くぶん投げた。
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