2ー陸 555とドライマティーニ

<紅音・小包>

結局、在原の配慮というやつだろうけど、紅音と小包は翠が泊まるホテル、ソフィテルのツインが取られており、半ば強制的にそこに泊まることになった。与四郎と在原はまた別のホテルに泊まっているようだ。ソフィテルホテルは一応世界的に名の通ったホテルではあったが、大体どこの国でも一応一流という事になっていながらも、流行遅れなイメージが着いてしまっているようなホテルだと小包が解説した。妙な事に詳しいんだなと紅音は素直に評価したが、サイゴンのソフィテルは、古いと言えば古いが、威厳を感じる古さで客層も街中ではあまり見ないタイプの品のよいヨーロッパ人の老夫婦などが多くて、期待を良い意味で裏切った。ツインルームに紅音と小包が入ると、中にはホテルで焼いていると思われる凝った焼き菓子が置いてあり、小包は迷わず食べた。


「うまいな。これ。さすがフランス系だけに演出がオシャレだな」こんどは果物をむきながら紅音に嬉しそうに言う。


「いいの?それ食べて?」紅音がどぎまぎしながら答えると、「紅音もまだまだこういう所は子供だな。こういうのは、食べても無料だよ。そこの酒とかは飲んだら課金されると思うけど」マンゴーとドラゴンフルーツをまるでフルーツ盛りに出てくるように切り分けて、小包は紅音にも勧めた。


紅音もソファに掛けながら、ライチをつまんでいると、部屋の電話が鳴り、フロントより、転送の電話という事だった。暫く待っていると突然誰かが英語でしゃべりだした。王だった。


「周りに人はいますか?友達も含みますが」


「はい」


「それでは私から電話があったと言わずフロントに行っていただけますか?怪しまなくて大丈夫です。ちゃんと説明します。一旦切ります」


「わかりました」紅音は話を合わせて、小包に適当な事を行って、フロントに向かった。


「王です。先ほどはすみません。特に隠したい訳では無いのですが、出来る限り状況を管理したいというのが私のやり方でして。単刀直入に申しますと、明日夜明けの便に乗って、一人で名古屋に行ってくれませんか?理由はまた説明しますが、紅音さんにとって、とてもいい話です。在原さんの力、興味持たれていましたよね。その事について、紅音さんに深く説明をし、場合によっては体験して習得してもらいたいんです」


「しかし、やけに急ですね。私は後3日はサイゴンにいる予定という事は知っていての事ですよね。連れもいるし」


「紅音さんの予定を強引に変更していただかなければならない事についても、お連れの皆様がいる状況での事も非礼をお詫びしたいのですが、外に選択肢が無いものでして。明日の午前便しか日程調整がつかないんです。これ以外だと、この話は無理となってしまいます。お願いできませんか?もちろん明日から発生する費用はこちらで全て負担します」


「そうですね。ええ、いいですよ。分かりました。突拍子も無い話だと今でも感じていますが、確かに中々ないような面白い出会いですしね。私も在原さんの件については、正直ずっと気になっていたのは事実です。明日朝ですね。」


「ありがとう。それでは、ホテルのものに、私から紅音さんのパスポート情報等を聞き、チケットを手配しておきますので、フロントでその同意書のサインをしておいてください。明日の朝、早くて申し訳無いのですが5時に空港までの向かえをホテルに送ります。なお、最後にお願いなのですが、同行者の皆さんには、置き手紙やメールなど、事後報告の形を取ってください。翠さんにももちろん言わないでください。これは、特に深い意図は無いのですが紅音さんが今出した結論を揺るがせない為の次善策です。貴方のような人には、そんな事は必要無いと思いますが、形式的な事だと思ってください。対外的には学生さんとの口約束なので、軽く変更されると私としても面目が立たない。最後にもう一度考えてみて、OKならば、あとはホテルのものにもう一度代わっていただけますか」紅音は一度下した決定を変更する理由は無く、ホテルのフロントにすぐに受話器を渡した。


しばらくすると、確かに上質なボールペンと共に紙切れ一枚を、事務スタッフが持ってきた。内容は、個人情報の受け渡し同意書だ。ご丁寧な事だと思いながら、サインをする。個人情報なんて言われ出したのも日本ではここ10年ぐらいなもので、明らかに30年以上前の日本のようなカルチャーのベトナムで個人情報関連のサインを求められるのは、ここが高級ホテルというだけでなく、現代社会という奴の特徴だろう。識字率は世界で日本が断トツだと常々教えられてきたが、不思議なことに、ここベトナムでは誰も彼もが人とのつながりを求めて、金を工面してスマートフォンを持っている。見た感じでは識字率が日本より低い印象は無いどころか、どうみても学校に行った事など無さそうな定食屋のお婆さんまでスマートフォンでゲームをやっている。むしろIT的な感性は日本より平均して高いのではないだろうか?そんな事を考えながら、フロントで3本目のタバコに火を着けていると、翠がやってきた。


「私にもくれない?たまに吸いたくなるんだ」手を差し伸べながら翠が車椅子を寄せた。


「やだね。当然もらえると思っている奴にやるものは無い」紅音が軽くあしらうと、翠はしばらく黙って「そう。じゃあいいわ」とあっさりと戻ろうとした。


「待てよ。なんだよその態度」


「あんたホントにバカね。あんたがここで我慢して黙っていれば、今度は私が困ったのに」ニコッとしながら翠が言う。


「なにがバカだよ」紅音は反発しながらも、負けを認めタバコを渡す。


「タバコなんて、若い女の子が吸ってるとイメージ悪いよ」


「それは、お気遣いありがとうございました」翠は、妙に慣れた手つきで男っぽくタバコを吸う。


「お前、そうやっていつもコッソリタバコ吸ってるの?」


「いや、別に。初めてよ。あんた達が旨そうに吸ってるから、ちょっと吸いたくなってたのよ」翠は強いタールの555を深々と吸いこみ、暫くめまいを楽しんでいた。


「ん?お前たまに吸いたくなるとか言ってなかった?大丈夫か頭?」紅音はわざとらしい変な顔で言った。


「あ、そうね。初めてって言ったのは、通称ね」慌てて翠が車椅子を移動させて、意味もなく動き出した。


どこかたまに不思議な所がある奴だな。天然という風には見えないんだけど、何なんだろうか?もう少し性格が柔らかくて、ああいうイカツイ親父の娘じゃなければ、もしかしたらタイプだったのかも知れないんだけどな。と紅音はぼーとしながら思索していると、また突然車椅子が突っ込んできた。


「あなた、自分がオジサンになった時とかお爺さんになった時想像できる?」翠がイタズラっぽい表情で紅音を見つめて言った。


「何を突然」


「今の自分と、年を取った自分が決定的に違うとしたら・・何が違うとか考えたこと、あなたならあるんじゃないかって思ったのよ」


「ああ、考えた事あるよ。多分あまり変わらないんだと思うけど、決定的に変わっているとしたら、周りの人間が段々死んでいくのを体験している、という事なんだろうね。僕が先に死んでたら、そもそも年を取っていないし。年を取ったというのはそういう事なんじゃないの?」紅音はサラッと言ってのけた。


「あなたらしい回答だね」翠は嬉しそうに反応した。


「死に分かれというのは、一番インパクトの大きい分かれだろうけど、そうじゃなくても、別れは当然今よりも増えていく。なんとなく合わなくなってしまう奴もいるだろうし、対立して別れる事もあるだろう。好きな人になんだか分からないままに振られてしまう事もある。年を取るというのは別れが溜まりつづける事なんだろうね」


「今仲いい一井や小包とも別れる事もあるんだと思う?」


「そりゃそうだろう。三国志の劉備達だって、生まれた時は違っても、死ぬ時は同じ、とかいつも言ってたくせに、皆死に方はバラバラだったと思うし。三国志は小学校の時マンガとかで好きだったんだけど、あれは子供ながらに呆れたよ。そんなドラマチックな死に別れなんかよりも、しょうもない切っ掛けで喧嘩したり、考えが合わなくなって別れる事のほうが十分に考えられる」


「あんた、まだ20代そこそこでよくもそんなに冷めたこと言えるわね」翠は笑った。


「可能性として言っただけだよ。仲良くやってるほうがそりゃいいさ」紅音はタバコを消して、立ち上がった。


「ちょっとそちらのバーにでも行ってみない?たまにはあなたのオゴリで」翠が指した先には、古いフロントの雰囲気とは違った、前衛的な入口があった。最近作られた空間のようだ。


「まぁ別にいいけど」紅音は自分から人を巻き込んでいくタイプでは無いが、人から誘われると以外と断れないところもあって、高そうなバーだなと思いながらも承諾した。流石に欧米系のホテルなのか、バリアフリーは古いホテルなのに整っていて、それとなくスロープがある。翠は器用にスルスルとスロープを登り、ボーイに指示し、カウンター席に座らせてもらっていた。紅音も後に続く。ガラでも無く、ブランデーらしきものを翠はストレートで注文した。


「よくそんなもの頼むね」


「あんただって、よく平気でそんなもの頼むよね。ゼロゼロセブンでもあるまいし」ドライマティーニをチビチビ飲んでいる紅音に対して、笑いながら言った。


「ねえ、さっき小包君が話していた、あなた達が出会った昔話。まだ続きだったわね。その後を聞かせてよ」翠は、薄暗いバーでは、子供っぽさは無く、妖艶な感じにさえ見えて、紅音はドキッとした。


「ああ、あの話。確かに不本意だけど、僕はまんまと一井の策略にハマってしまったんだよ。今思い出しても悔しいけど、まぁお陰でこういう関係になった訳だし、複雑だね。」タバコに火をつけながら紅音は言った。

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