3ー肆 ロールスロイスとコロうどん

<紅音>

王が運転するロールスロイスは、高速に入り、飛騨高山を目指す。名古屋からは凡そ2時間。見せたいものがあるとの事だが、それが何なのかは着いてからのお楽しみというやつか何も言わない。


「古代人ってわかりますか。有名なところではエジプト人、ギリシア人、イランやシリアの辺りの中東や、中国にもかなり古い時代から文明があったと言われています。」王は、唐突に無表情で話しはじめた。


「彼らは地球が丸い事など当然知っており、今でいう三角関数や微分積分の概念等基礎的な数学などは常識的な事項であったらしいですね。しかし、興味深い事にどの国も、紀元数百年代以後、文明は多かれ少なかれ衰退していくのです。ヨーロッパのように、全体的に蛮族化した所もあれば、中国のように、王朝の秩序の下の集団的堕落にはまり込んだケースもあり、民族によって衰退の個性はありますがね。共通して言えるのは、古代人が生み出したような新しい発見や、哲学、発明などとは無縁の、原始的な暴力が支配した点です。そしてそれは、近代と言われる科学の時代まで長く続く事になる。理由としては色々研究はされています。気候変動が実は原因だったとかね。しかし私に言わせるとですね。人間がポンカロイドを忘れたからなんですよ。ポンカロイドというのは、研究者による専門的な言葉として、私が作った造語なんですがね。ココロともいいますね。」


一旦紅音の様子を見ながら王は続ける。


「言葉としてはなんでもいいです。魂と言う人もいる。面白いことに、世界同時的にどの文明もココロを忘れてしまったと言えるんですよ。日本はどうですかね。ちょっと特殊な文明ですから、これはこれで興味深いのですが、比較的ポンカロイドを大事に保持してきた面が、常に世界史上一定の力を持ち得た原因かも知れませんね。」


精密機械のようにクラシックタイプのシャンパンゴールドのロールスロイスをスポーツカーのように操りながら、王はカーブを加速しながらも一方的に話し続けた。目に見える車はすべて追いぬかなければ気が済まないようだ。さっきから止まることなく喋り続ける。こんなに喋る奴だったのか?それにしてもこの日本語力には恐れ入ると紅音は今更ながら感心した。


「ココロを忘れた日本人、とか、なんか居酒屋の便所に貼ってありそうな話ですね」紅音は、警戒を解いたわけではないんだぞとばかりに、あまり話に乗っていかない。


「まぁまぁ、もう少し聞いてください。ポンカロイドでもココロでもいいんですが、ここでいうそれは俗に言われる心臓の事では無いんです。心臓の大動脈にひっかかるようにあるんじゃないかと私は仮定しています。今の医療機器等では、それを認識する事などできませんがね。人はポンカロイドが活性化する時、無意識にポンカロイドに集中せざる得ず、胸のあたりに何か感じる。それが心臓が何か役割を果たしているんじゃないかと直感してきた積み重ねにより、ココロ=心臓というようなイメージができてきたんだと思われます。心臓に限りなく近いのは、最も新鮮な血液が必要だからだという仮説を立てて、それはそれで研究を進めている途上です。恥ずかしながら、まだよくわかってはいないんですがね。主題を戻すと、人は脳に頼る事で、協力し合ったり、情報を蓄積したり、考えたりして、進歩を続けてきたと言われております。確かに脳を使ってそういう事をしてきたわけで、それなりな成果も収めてきたと言えるでしょう。ただ、その結果、人類は進歩はしなかったどころか、逆に退化してしまったと私は考えているのです。分かりやすく言えば、古代人達が当たり前にやってきた、ポンカロイドと脳の共同作業的バランス間隔を忘れてしまったと考えています。」


「それで、何が言いたいんですか?回りくどい説明で要点が見えませんが」紅音はいい加減にイライラして言ったが、王は何事も無いように話を続ける。


「脳に依存してしまうと、脳が解釈できるものだけしかリアルの世界として感じられない事が問題なんですよ。」紅音には煽られまいと、口調を変えず王は言った。


「脳が解釈できるものだけしかリアルの世界として感じられない?当たり前じゃないですか。そういうものでしょう。」


「確かに、それで困ることはありませんよ。他の人間も皆そうなんですからね。敵と言えば、大半の人間にとっては、他の生物では無く、同種の人間しかいない現代社会においては真実を知らずして、一生脳の錯覚に踊らされて生きて死んでいけばいい、という事にも一理があるでしょうね。しかし、それでは人間はいつまでたっても、真理とは別の、単なる解釈、というか幻想を信じる悲しき生き物であるし、現在の人類が解決ができない問題に、今後も悩み続ける事は避けられないでしょう。」


「なんか、王さんは人間じゃ無いみたいな言い方だな。」


「例えば死、なんてのが何なのか、あるいは生とは何かでもいいですが、これは生きていく上で誰しも重要なテーマだとは思いませんか?人類のほぼすべてが、死が何なのか分からず人生を閉じます。滑稽だと思いませんか?死にたくないと思うくせに、死が何なのか分からない。老いもそうですよね。忌み嫌う。おかしな話です。極端な事を言うとですね。人が死ぬとします。人が死ぬという事、これは病気、事故、老衰、自殺、ぐらいが原因と思われていますよね。しかし私の考えは違います。これは宗教でも何でもなく、偶然性は無く、電池が切れるように定められた寿命が尽きて死ぬと考えています。つまり、いつ死ぬか予め決まっているのです。決まっている時よりも前だと、何をやっても死にません。逆に、死ぬ時には、何をやっても死にます。古代人は少なくともその事を分かっていたはずですが、段々と人はそんな基本的な事も迷信と混同し、分からなくなってしまいました。その為に、脳に支配されている人間から見たら、脳が解釈できるストーリーの結果として死ぬ、という事になるんですよ。事故にせよ、病気にせよ、自殺にせよ、他殺にせよ、死ぬという事実は変わりないが、どう死んだか、これは生きている人間が解釈した結果にすぎない。死という、ある意味人生において最も重要なイベントですらそうなんだから、ましてや些細な事に関してはより一層脳の解釈に依存する事となる。そうやって、何世代も何世代も続きながら、人間は脳で理解できる事以外を信じない、とするのが主流になっていった。脳は、脳で解釈できる事以外は存在しない事にしてしまうプログラミングがあるので、ポンカロイドなどという機能は、いかがわしいものだと加速度的に、全世界的に進められたのですよ。」


「運命には逆らえないという話ですか?」


「そうとも言えますが、もう少し過激です。運命すら無い。人生すら無い、時間すら無い、あるのは解釈だけ。いや、まぁ、こういう事を口で言うのは無意味だとは分かっているんです。そもそも人間の脳に最適化された言語なんてものを使っている以上、脳の拘束からは抜け出せない訳で。いささか回りくどすぎる説明になりましたね。それでは在原さんが君たちに見せた不思議な能力について、解説しましょうか。あれ脳の機能を抑える事で、ポンカロイドを引き出した結果です。在原さんが使っていた装置は、何かの能力を引き出すものでは無く、逆に脳の機能を抑えこむものなのです。なので、誰が付けても機能するわけではないんです。それどころか素質の無い人が着用すると、錯乱して再起不能になる可能性もある危険な機材です。在原さんは十分な素質もありましたが、着用する前にはかなりの訓練をしてもらいました。それにより、常世に近づけたという事です。在原さんレベルで、10000人に1人という素材なんですよ。実を言うと、僕は君に1億人に1人の素質を期待しているのですが、その期待は報われそうな気がしますね。今のところ。」


王が清見ドライブインと書いてある、休憩所の看板を過ぎると、紅音の顔色を見ながら、ドライブインに入った。一応気を使ってくれているらしい。確かに食欲は無いが何か飲みたい気分だ。ドライブ中のカップル、夏休みなので、帰省なのか旅行なのか、家族も多い。後は、駐車場にはトラックが並ぶ。日差しは強いが、爽やかな高原のカラッとした暑さが心地いい。紅音は王に断る事も無く、タバコを2本、ゆっくり吸った。王が待っているテーブルに着くと、冷たい汁のうどんが2つ置かれていた。この界隈ではなぜか、この冷やしうどんをコロと呼ぶ。配慮と言うよりは、王なりに紅音の空腹が過ぎると、スムーズに事が進まないと見て、やれる事を無自覚にやった、というまでだろうなと紅音は思う。何も言わず無言ですすり、スマートフォンをしばらくお互いいじって沈黙した。小包と黑鉄からそれぞれ、簡単なメッセージが届いていた。二人とも、示し合わせたように同じ文章で目を疑った。


「紅音へ、予定の日には帰れないかもしれない。そっちは何かあったか?こっちは色々あった。取り敢えず無事だ。詳しくはまた連絡する。」という内容だった。


冷たい麦茶を飲んで、二人はそそくさと車に戻る。王はまた何もなかったように、高速だが荒っぽくなく滑らかな運転を始めた。


「さっき聞き流しましたけど、言葉を使う以上は、説明できないから無駄だ、というような事を言っていましたよね。あなたは今日はぶっ通して色々とベラベラ喋ってきましたけど、肝心な事に関しては、説明しないのは、ちょっとどうかと思いますがね。言葉というか、論理が立っていない理屈を主張するのでは、残念ですけど王さんをオカルト学者と見なさざる得ないんですがね。」腹が膨らみ、場が和むどころか、今度は紅音が議論を蒸し返した。


「言葉でしか人間は考える事ができない、というような主張をしたいんですか?まあそういう気分も分からなくはありませんよ。何しろ君はまだまだ若いし、頭脳明晰だからね。では紅音さん。たとえば君は寝ている時のまどろみの気持ちよさを説明できますか?寝る直前に恐らくその気持ちよさはピークに達するんでしょうが、寝てしまうからそのプロセスや到達点は覚えてさえいないですよね。あの意識と無意識の中間点の気持ちよさを説明できますか?あるいは、性行為をしている時の気持ちよさのほうが分かりやすいかな。最高に快感のある性行為と、まぁまぁな性行為の時の体感の違いを言葉で説明できますか?怪訝な顔をしてますね。しかし幸福感とか気持ちよさの追求をしてるのが人生だとしたら、その気持ちよさの状態を言葉で論理的に説明できないのは、おかしくは無いですか?言葉は確かに便利なもので、色々な事の情報伝達、共有に有用ですが、だからと言って、すべてを扱えるんでしょうか?君が万能だと思っている、論理にしても、それは限定的な事しか説明できないという可能性を考えたことはありますか?言葉、あるいは論理を使って、高度な事を考えた気になって、見落としているものが多いと考える事がオカルト的でしょうかね」王は気持ちよさそうな表情で、交通量が減ってきた飛騨への道を伸び伸びと運転をしながら、歌うように喋り、紅音をちらっと見た。


紅音は暫く意識的に黙って窓の外を見た。


「君にこんな事を言っているのは、着くまでの暇つぶしでも無く、君に対する挑戦でも無く、これから始める試練の前に出来る限り情報を与えたほうが、君の飲み込みが早まるのではないか?という一点に尽きること、分かってください。おこがましい言い方をすれば、研修の一貫、とでも言いましょうか。とは言えさっきも言いましたが、私は君に強烈に関心があるんで、ちょっと饒舌になりがちな事に自分でも驚いていますがね。」


「ところであなた達は最終的に何をしたいんですか?金持ちの道楽にしては、度が過ぎている気がするのですが」


「そうですね。我々の動機について、君が知る権利もあるかもしれませんし、より深く関わっていただきたい事もありますから、ご説明しますよ。まぁ、君のような聡明な青年にとっては、噴飯物に感じる荒唐無稽な話でありますが、嘘偽りを申し上げている事はありません。率直に言います。抑止力の無効化です。国家に対して強い交渉力を持つ機関を創設します。なぜなら、人類は近い将来大きな曲がり角を迎える事が我々には分かっており、それに抗う為。あまりに大きな運命である為、正直な所勝算は限りなく無いに等しい。ただ、抗う事ならできる。そこに私と与四郎先生は青臭い表現でいけば人生を賭けました」

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