2ー弐 棋士VS詐欺師

<紅音・小包>

7時直前に、リムジンがオペラハウスに横付ける。ほぼ同時に紅音が到着した。

「ああ、翠ちゃん。ご機嫌はいかが?」ニヤつきながら紅音が言う。


「それより、黑鉄がいないんだよ。どうしたんだ?あいつ?」小包が翠の顔を伺いながら言う。


「何かあったんじゃないかって心配なのよ」翠も不機嫌に言う。


「ああ、それなら心配無いよ。お腹壊して下痢が止まらないから、車に乗るのが怖いんだって。小包のを見て、より慎重になってるのかもね。ましてや会食なんて無理だと。さっき連絡あったよ」紅音が言った。


スーツを来た洗練されたベトナム人女性がにこりと微笑みかけ、在原が置いていったスペアの翠の車椅子を収納し、3人をエスコートする。流暢な英語で「これから、お食事に参ります」とにこやかに話しかける。リムジンの席には、シェリー酒が用意されていた。ツマミにはからすみのスライスが出される。


「お父さんは、大事なお客さんに待っていてもらう時は大体、シェリー酒とからすみなのよ。」翠がからすみをつまみながら言う。


助手席の女性が、英語で話しかける。

「これから参りますのは、香港の一流広東料理店で名声を博したベトナム系華僑のシェフによる会員制のレストランです。到着まで20分ほどですから、どうぞおくつろぎくださいね。とっても美味しいんですのよ」


「なんか、ベトナム行くって最初に紅音が言い出した時は、農村でパクチーとか食べるのかなと思ったけど、エラい事になってもうたな」小包がにんまりしながら言う。


「このからすみ、旨い旨い。シェリー酒っていっても、TIOPEPEしか飲んだこと無いけど、随分これは年期の入った高そうなものだね」紅音はシェリー酒をのどごしで飲み干す。


「お父さんは、いつもお客様に出せるように、常備してるみたいだからね。まぁ、金持ちは金持ちで、細々した事してるわけだね」


翠はあえて、紅音に今、アラハバキの話を持ち出す事は避けていた。どうせ紅音はどこかに置いてきたのだろうから、今それについて話しても自分が得るものはない。


「紅音君と小包君と黑鉄君って昔から仲がいいんだよね。いつからの知り合い?」


「まだ、数年前の事なのに、セピア色だよな。俺たちの青春と言える時代」小包が珍しく感傷的な表情になり、遠くを見た。こんな表情も持っているんだな。と翠は以外に思った。




紅音は、愛知県で将棋をやる人にとっては、ちょっとした有名人だった。金髪と派手な出で立ち、ルックスはどうみても将棋をやるような風では無い事も、紅音の神秘性を増す材料となった。 何しろ、将棋の県大会の決勝後、優勝者に勝負を申し込み、アッサリとものの10分で投了させてしまったのだから、伝説になるには十分だ。伝統ある将棋の県大会で金髪のだるそうな若者が乱入し、強引に勝負に出た。しかも、紅音は当時高1だ。まだ中学生のあどけなさも残っていた。大会の常勝高である東西高校の将棋部顧問であり、事実上大会の裏の運営者とも言える藤原は紅音の一方的な攻めが行われる中で、ひたすら怒りで大声で怒鳴り、投了となった瞬間に「馬鹿者!」と大声をあげ、そのまま泡を吹いて救急車で搬送された、というのも伝説に花を添えた。しかも予後も悪く、そのまま退職する事になる出来過ぎな展開となった。


校内では有名な冷血教官であり、教頭を努める藤原は、国立大学医学部を目指さないものはクズだと公言し、徹底的なスパルタ教育に絶大な自信を持つ、一言で言えば究極に嫌な奴であった。腐ったりんごは周りのりんごも腐らせる、という口癖と共に、藤原により退学させられたものも多いが、国立大学医学部進学率を急激に引き上げた功労者という栄光と自信で、無慈悲な自分に酔っているいけ好かないクソジジイという評判であった。


そんな藤原にはただでさえ許せない暴挙であったが、藤原が後に地団駄踏んで悔しがったのは、それだけではない。普通はいくら紅音が勝負を申し込んだ所で、相手にされるはずも無いわけだが、この大会に偶々解説者として参加したのが、若手プロ棋士の山上だった。県大会には、日本将棋連盟から1名、若手の棋士が派遣され、挨拶と準決勝、決勝の解説、最後の総評を行うのが慣例であったが、山上が来ることになるとは藤原にとっては寝耳に水の話であった。山上は将棋界では異端児として人気のある若手だったのだが、実は東西高校出身で、まだ若かった藤原が横暴を振るっていた将棋部に在籍するも1ヶ月で退部させられ、その後退学して棋士になった経歴はあまり知られていない。


地味な将棋界は 話題性のある山上にあやかって、彼の独断の行動を黙認していた。投資でも成功しているらしく、この日も愛車のイギリス車、TVRのタスカンという派手な車に乗って、全身黄色のタキシードで登場し、会場を沸かしていた。容姿も棋士にしては美形で、ハラハラさせる小憎らしい物言いもおばさん達には返って人気が高い。大体、庶民にとっては、将棋を指すオッサンが慣例にそってやっているより、こういう破天荒な兄ちゃんのほうが、親近感が湧くものである。テレビにも最近はよく出ている山上が来るとの事で、県大会はかつて無い観客数であり、女子高生が試合中も断続して山上に突撃し、写真を取ろうとしては教師に怒られていた。


そんな中、紅音が優勝者が決まり、授賞式までの間に、つかつかと会場に入り込み、「すいませんが、僕はあなたより強いと思いますんで、15分だけ時間ください。勝ちますから」と言いのけた。


「何言ってんだ、君はどこの学校かね?」と教師達に囲まれそうになる中で、山上がそれを面白がって見ている。


「君、道場破り?自信あるの?あ、そう。いいね。そういう無茶苦茶なの好きやわ。なんていうか、そのKYな感じ。気に入った。僕が立ち会ってあげよう。」と言ったばっかりに、表彰式そっちのけで、観客がどっと集まってしまったから、藤原を含め学校関係者は断固とした態度に出るわけにも行かず、なし崩しで始まってしまったのだ。


他の競技とは異なり、将棋というのは運の要素が少ない。ギリギリのしのぎを削るプロの世界ならいざしらず、高校生程度では、実力差も激しいし、強いものは弱いものを簡単に、残酷に散らしてしまう。礼儀正しいものが勝てるわけではない。強いものが勝つだけのシンプルな世界だ。紅音はこれだけド派手な事を成し遂げた割には、勝つとさっさと消えてしまった事も物議を呼んだ。それを遠巻きに観客席から満足そうに眺めていた二人がいた。黑鉄と小包だった。


このちょっとした事件は、何も紅音が突発的に行った訳ではなくて、周到に企画された

ものだった。小包と対決し、敗れた紅音が約束通り小包の願いを叶えた、というのが3人だけが知る事の真相である。東西高校の劣等生であった小包は、藤原に睨まれて手を焼いていた。運が悪かったのは、クラスに東西高校で最も成績が良く、全教師から注目されていた大伴と席が隣だった事だ。大伴は、成績が抜群に良い奴の割には人格者であり、あからさまなえこひいきを多くの教師から受けていた。中にはあからさまにおだてて、下僕のような卑屈な言葉遣いをする教師までいた。しかし、その好待遇に調子に乗る事も無く大伴は小包のような劣等生とも別け隔てなく付き合った。


小包は麻雀が得意でよく放課後に麻雀を部室でやっていたのだが、小包と何故か気があった大伴は、ちょくちょく部室に訪れるようになった。小包と大伴が麻雀卓を囲んで白熱している所、藤原に現場を押さえられ、例の腐ったりんご理論を振りかざしてきたと言うわけだ。大伴は勉強などしなくても、成績は抜群なほどに頭が良かったのだが、まずい事に両親の離婚など、家庭で面倒が重なっていた次期でもあり、成績がやや下降していた時期だったのも災いした。


東西高校は、成績上位者は常に、その動向が毎週の職員会議で議論される。大伴の成績低迷は由々しき事態として、丁度取り上げられていた所だったのだ。全ての元凶は小包であるという結論に至り、麻雀程度では重すぎる、無期停学が出され、何故か同席していた大伴はお咎め無しという決定となった。微々たる金を賭けていたのは事実だが、点数計算が小包しかできなかった、という事実から、ギャンブルは全て小包の誘いによるもの、と勝手に筋書きが作られたと後から小包は知らされた。大伴のような学校の宝を小包と隔離したい為だろうというのは東西高校生ならば誰しも瞬時に分かる処分であった。


実際、小堤は復学後強引に最も厳しい担任と恐れられる菅原のクラスを変更されて、席も最前列に固定された。全教員に「小包を締め上げろ」というメッセージが藤原から出されていたので、復学初日から不当な圧力をかけられた。脳天気な小包も、怒りよりも身の危険を感じるようになった。チャラチャラしていたが、所詮は進学高の中途半端な不良である小包は、家ではいわゆるマザコンで、家庭も裕福、ただでさえ青天の霹靂である停学を喰らい両親をビックリさせているのに、このままでは揚げ足取られて退学にされかねない。部活に属していない小包は、通称麻雀部屋である、書道部の部室に出入りしていたが、ここに立入る事を禁じられ、行き場を失っていた。両親には、卓球部に所属していると言っていて、スパルタ教師でいつも7時まで練習させられている事になっている手前、家に帰るわけにも行かない。


行き場を失い、旧館をウロウロしていると、木でできた古めかしい看板に達筆な筆字で、「数学倶楽部」と書かれてある部屋があった。実在しているとは聞いていたが、始めて目にする部室に興味が湧き、覗いてみる。見たことがある男が、黒板に何やら沢山数式を書いているのを、オタク風な男が2人で聞いている。1人はバーコード頭のハゲで、恐らく数学教師の額田だ。もう一人は生徒のようだ。板書に忙しい男は、同じクラスの黑鉄である事が分かった。話した事は無いし、大体授業中も授業外も、本を読んでいるか、数学系の問題を解いているような気持ち悪い奴だった。ああ、ああいう不気味な奴の為に、こういう部活があるんだなぁ。どんな奴にでも受け皿というものがある訳か。


「おい、額田、お前こんな所で、まさか生徒から数学を教えてもらってんのか。」小包は驚かすように、いつもの調子で入り込んでいった。


「へっ?ち、違いますよ。いや、ちょっとね。黑鉄君の見解を聞いていたところで・・・す!」明らかに動揺しながら額田は荷物をまとめ出し、「では、私はこれから職員会議があるから失礼するよ」と、そそくさに髪を振り乱して去っていった。


静まり返る部屋の沈黙を、もう一人のオタク風の男が破った。「額田先生は、黑鉄君にいつも数学の議論をすると見せかけて、分からない問題の解放をねだりに来るのさ。うちの学校は、医学部目指す奴とかが、塾とか予備校行って、すごく難しい問題持って帰ってくるじゃん。その解法を生徒達が額田先生に質問しに来る。 先生が答えられないと、それこそメンツに関わるし、そういう噂はすぐ広がるからね。それに藤原にでも知れたらえらいこっちゃ。だから、こうやって、極秘に額田先生はやってくるんだよ。その代わり、黑鉄君は謝礼として、色々な恩恵を受けているみたいだけどね。」


黑鉄は、小包をぼんやりと眺め、突然にキラキラした表情とでも言おうか、普段見せたことの無い輝いた目で語りかけた。


「君は、なんか最近、目をつけられてるんだってね。藤原に。俺も奴を一度痛い目に合わせたいと思ってたところなんだよ。直接仕掛けてやってもいいんだが、もう一人その前にギャフンと言わせたい奴がいてね。どうだい。俺たちが協力して、藤原を倒さないか?」



「その黑鉄がギャフンと言わせたい奴ってのが、紅音の事で、紅音はまんまと俺達にギャフンと言わされ、将棋の大会での筋書きに協力させられたってわけさ。その紅音と俺、というか黑鉄との戦いがまた痛快なのよ。な、紅音」小包は紅音のほうを向くと、ムスッとしている。


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