1ー玖 囚われたものを助けに

車は、サイゴンの2区を抜け、 9区を越え、隣の省であるドンナイ省へと入り、ジャングルめいた風景が見られるようになってきた。


どこへ行くつもりかと思えば、工場などが突然現れたり、賑やかな集落に出たと思えばまたジャングルに入り、また工業地帯が現れる。それを繰り返し、人気のない割には巨大な工場の門をくぐった所で車は止まった。軍服を来た男数名が出てきた。通訳を介し在原と話しているが、どうも在原の表情を見るに、期待と違う状況にあるようだ。在原のような冷静な男には珍しい焦りが見える。


「厄介な事になった」在原は紅音と小包の所まで戻ってきて言った。


「どういう事ですか?」小包がたずねる。


「君たちに説明するには、色々とややこしく、言いにくい背景があるんだが。簡単に言うと、ここは公にはされていない軍部の中枢ちゅうすう部だ。与四郎先生はここで特別扱いの身分を持っているはずが、やはり、黑鉄君と紅音君の件、簡単にはいかないようだ。探りを入れてみたら、今日はかなり厳重な警戒体制がある事が分かった。先生の名前を出して強引に行くという手も無くはないが、君たちが追われている件の詳細がつかめていない以上、下手な事をすると不利に働く可能性も高い。まあいい。結論を言う。ここは実力で奪いに行く」



蒼磨とティさんは別室に隔離され、黑鉄と翠は殺風景な取調室のような所に入れられて随分経つが何の音沙汰もない。紅音があれだけ恐ろしい描写で、ヒゲの男のサディステイックさを語るから、ある程度は覚悟していたが、拍子抜けしてしまった。どうやら目的は、刑罰を課したり、尋問をしたり、という事でも無いようだ。


「黑鉄って、以外とイイやつなんだね」翠がボソッと言った。


「なんだ、いきなり。そういうからには、俺が悪いやつに見えていて、段々とイイやつに思える何かがあったという事か」黑鉄が反応する。


「いや、いや、そういうのじゃないの。いや、そうそう。なんか最初は怖そうな感じだったから。黑鉄は学者志望なんだよね」


「ああ、何で分かった?別に志望してるわけじゃないけど、得意な事がそれしか無いしね。後は、ギャンブラーという手もあるが」


「ギャンブラー?」


「いや、別にテキトウに言っただけ。給料もらって研究させてもらえるような気前のいい大学も海外には幾つかあるみたいだから、そういうのに行くかもしれない。いくつか目星も立ってきたし」


「何で研究するの?」


「何でって・・。別に理由は無いな。俺意外に誰もやっていない事で、俺が得意で、かつ俺が興味がある事、だからかな。人がやっていない事をやる事が好きだし。それが美味しいカレーうどん作る事だったらそれでもいいんだけど、カレーうどん作る事は少なくとも名古屋では昔からうどん屋どころか、カレー屋でも、喫茶店でも、どこでもやっているみたいだし、俺は料理は得意じゃないし、別に興味も無いからな」


「相変わらず、まわりくどいのね。なにそれ。どっかの作家風な言い回し」


「相変わらず?俺たちはさっき会ったばかりで、君は俺の何を知っている?あるいは君は海外育ちとかで、日本語の使い方に慣れていないのか?」


「ほんと、ズケズケ言うね。あなたはそうやって、自分にだけ忠実に今後もきっと生きていくんだろうけど。その先どんな苦難が待ち受けていても・・。ところで、あなた、私と出会った事、偶然だと思う?私にはどうしても、あなたと会った事が必然だと思えてならないんだけど」


「奇遇だね。俺もその事を考えていたよ。今日飛行機の中で、小包主導で、くだらない度胸試しをやる計画をしていたんだった。3人でまずは旅行中の浮かれた日本人の女の子を捕まえて、先にその子と二人っきりになれたら勝ちだっていうね。俺はちょっとした占いみたいな特技があってさ。俺がその勝負は100%勝つ、と事前に分かっていたんだったよ。そういえば」


「占い?何それ?」


「まあ、それは今度説明する機会があれば。ややこしい話だから。それで、結局君が俺とここに二人でいる。そういう時にいつも思うんだ。偶然というのは、言葉の定義からも本質的な意味の上でも、事前に計画されて履行りこうされる事じゃないよな。むしろその全く逆。その瞬間に偶発的に発生する事を言う。オレと君が二人になる事が予め分かっていたとしたら、この出会いは偶然では無いと言える。でも、そんな事言ったら、全てが偶然じゃないって事になるんじゃないか?とね。俺は、自分で定義付けた不確実性のある未来をそれが実行される前に見ることができるんだから。となるとこれは「偶然」という言葉や概念そのものにバグがあるのか、あるいは本当は、偶然なんてものは存在しないのか?」


「あなたみたいな科学しか信じなそうな人が、そんな占いを前提に随分哲学的な事を考えるのね。なんか、変な感じ」


「確かにこの占いは、何か「学」がつくような事で説明ができない。これが再現性のある能力だという事を実験によってなら証明する事はできるが。まぁそれはちょっとややこしい話だけどね。そう、この話をするのはややこしいんだ。だから、小包、紅音ぐらいにしか言っていない。実感としては常に正しい。何度も、というか、何万回も試行を繰り返し、少なくとも数理的には意味を成すという事は自分で試算済だ。なぜそうなるか分からない事があって、それを分かるようにしていくプロセスの事を科学的な態度と僕は理解している。だから変な占いかもしれないが、非科学的な態度を取っているつもりは無い」


「あなたって、そうとうおバカさんなのね。私みたいな見ず知らずの科学音痴にまで、一生懸命難しい言葉で自分の正当性を主張して」笑いながら翠は言った。


「誤解しないで欲しい。俺は科学的な視点をベースに物事を考える事は多いが、だからと言って科学が生み出した結果を信じている訳ではない。世で起きていることは、起きてしまっているんだから、承諾し難い結果であろうと、全て正しいと認めるべきだ、と言う人がいる。俺はそうは思わない。自然現象で起きている事は確かに全て正しい。が、人間が考えたことには必ずウソか間違いがあると思っている。これは必ずだ。大事なポイントとしては、必ず間違うという事なんだ。だから俺は経済というものは信じない。法律も信じない。政治も信じない。それだけじゃない。自然科学と言われる物理学だろうが、化学だろうが、医学だろうが、数学すらも信じない。自然ありのままだけを信じるんだ。ジョンレノンが唄う歌に、「神信じない。聖書信じない。タロット信じない。ヨガ信じない。ブッダ信じない。ユダヤ教信じない、ビートルズ信じない・・・ヨーコと自分だけを信じる」みたいなのがあってさ。そういう心境さ。ま、俺はジョンほど自信家じゃないから、俺の事も信じないけどね。これでも数学は熱心に勉強してきたし数学だけは信じられるんじゃないかと思った時もあったが。」黑鉄は少し黙った。翠も突然ヒートアップした黑鉄を黙って見つめた。


「何それ?散々、学者っぽい理詰めな話をしながら、数学も物理も信じないってどういう事よ。」


「俺も真理がわかっていないから、偉そうな事は言えない。だがね。例えば、光とは何だ?みたいな話になると、波であり粒子である。と、高校生でも理系ならば一応知っている。数式的には、確かにそうなるだが俺はそんな詩的な事を認めたくは無かった。皆数式を絶対視しすぎている。1+1=2とか、三角形の内角の和は180度というのは宇宙人でも皆理解する万能の産物だ、と俺も子供の頃は思っていたが、そういうのは所詮人間が解釈できる数式をこね回したゲームなんじゃないかという疑いは晴れない。そこにきて、量子力学なんて言うのを習い始めると、こんな事を信じろと言われる。粒子の運動には本源的な不確実性がある。だから、ここに電子があるか無いかは、決定できない。何故決定できないかは、情報が不足しているからでも、測定する機材が無いからでもなく、電子の行動を予測する能力が人類に無いからでもなく、自然界として決定していないからなのだ。とね。俺はそうは思わない。なんだよ、自然界として、って。そんな神みたいな事を平気で大学教授が皆言うんだよ。自分より明らかな膨大な天才、偉人達が長い年月かけて作った理論体系だからという権威を傘にね。」


「大抵の女の子は、そろりと後ずさりして逃げ出すようなタイプだね。君は」翠は笑った。なぜかつられて黑鉄も笑ってしまった。こんな状況で2人で笑うのがおかしくって、それがまた笑いを呼び、暫く笑い続けていた。


「それなら、私達は今日のお父さんとの夕食に間に合うの?あなたの占いならばわかるっていうの?」


「いい質問だね。時間が限定されてるし、事象も明確だ。答えは100%今日の夕食会は行われる」


言うか言わないかのタイミングで、ドアが開いた。


「さあ、これから駆け足で戻ろう。説明は後ね」紅音がいた。


紅音の後について、翠を背負った黑鉄は黙って走る。目隠しされて連れて来られ気づいた時には翠と部屋にいた訳だが、改めて建物の作りを見ると、随分と大きな建物に幽閉されていた事が分かる。エレベータは使わず、階段を登って渡り廊下からまた階段をおりたり、中庭を抜けたりと、随分複雑な経路を通り、紅音はドアを開けると、そこは応接ソファーがある重役の部屋のようで、小包が不安そうに待っていた。


「おお、やったな!ふたりとも大丈夫みたいだな」


「さあ、行きましょうか。翠さんお怪我はありませんか?」突然声がした。


部屋には小包だけだと思っていた中で、黑鉄は聞き覚えのある声ではあったが、ビクッとする。


「そういう事か。随分と頑張ってくれたみたいね」翠が感情の入っていない声で言った。


在原は、ぎこちなさを表に出さないように取り繕っているように見えるほど疲れた様子であった。


「とりあえずここからは早く出ましょう。翠さん、私がお連れします」在原が少し苦しそうに言った。


「あなたは疲れきっているようだから、もう少し黑鉄さんにお願いさせていただきます」翠はきっぱり言った。黑鉄は何も言わず苦笑しながら従った。


この部屋に入る時には気づかなかったが、部屋の前には地位がありそうな制服組の軍人が立っていた。在原は彼に封筒を握らせて、早足で出口まで出ると、タイミングを合わせたように待たせた車が外から門に入り、5人を乗せた。


道が悪い上、車を目一杯飛ばしているのでガタガタ揺れる車中でも、珍しく小包もしばらく沈黙を守っていた。在原は寝ている訳ではないだろうが、目を瞑り手負いの猛獣のように少しでも体力回復に努めている様子が見えているからだ。


「僕も未だによくわからないんだけど。まぁ無事でよかったね」紅音が沈黙を破った。


「そうね。無事でよかった。皆いい仕事した。」翠が重ねる。


「小包君も、ヘマしなかったというだけでも、偉かったよ」小包が黙っているのを見かねてか翠はねぎらった。


「確かに、小包は普段こういう時は、1人だけコケて捕まったりするからね。上出来上出来」紅音が苦笑する。


「なんかそういう事言われると、俺ウンコしたくなってきたよ。いや、冗談じゃないよ。マジでやばいかも」小包がもじもじと言う。


「今まで小包なりに集中してヘマしないようにしてきた風だったけど、バランス取ろうとして、迷惑行為の通常運転再稼働という訳か」黑鉄が笑いながら言った。


「やばい。このままじゃぶちまけるよ。言っておくけど。俺は別にいいんだけど。言っとくけど恥ずかしいとか無いから。でもお前ら文句言うなよ」小包が悲壮な顔しながら言った。とりあえず、車を停めてもらうと、そこは田舎の集落で、小包は走りながら、身振り手振りで売店のオジサンに自分の状態を伝え、駆け込んでいった。


「翠のお父さんのコネで、これぐらいの事だったら、一緒に捕まった翠はスムーズに出してもらえるはずだったんだよ。だが、黑鉄と僕は、元々追われていた。下手に僕達がここにいると知られると返って危ないので、実力で奪いに行くという事になったんだ。」


紅音が説明する中で黑鉄がさえぎる「で、紅音が独断で決死の捜索に来た、という訳でも無さそうだけど・・」


黙っていた在原がまだ苦しそうな表情を見せながらも「私から説明しましょう。」と言って、またしばらく黙った。


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