1ー漆 アラハバキ
与四郎がロールスロイスに乗るのをエスコートした後、在原が全速力で助手席に乗り込み、急発進しその場を離れると、突然翠は別人のように影が取れて、なめらかに喋り出し、3人はまたキョトンとしている。
「あ、警戒してる?気にしないで。私は翠。君たちは?」翠がサバサバと喋り出した。
「だから、名前よ。あんた達の。自己紹介してよね。」翠が荒っぽく言う。
「なんだこいつ?」紅音が言った。
「なんだこいつ??あんた失礼ね。私は翠。こいつとか呼ばないでよね。」
翠が言う。
「俺は黑鉄。彼は紅音だ。」黑鉄が答えた。
「オレは小包。翠ちゃんはところで何で突然キャラが変わった?オヤジがコワイのか?君年はいくつ?」小包は好奇心むき出しでたずねる。
「君、紅音って言うの。なるほど。」小包の事は無視して翠が答えた。
「なんだよそれ。人の名前聞いてなるほど、とか言うか?」紅音は顔をしかめて言う。
「あああ、ごめんごめん、何でもないの。ところでありがとうね。助かったよ。私ね、こうやって車椅子乗ってるんだけど、足を怪我したのは結構最近。悪いのは足だけで、特に外に悪いところも無いから気を遣わなくていいからね。」
ちょっと邪険な雰囲気になりかけたのを、ガラッと変えてしまうような惹きつける笑顔で翠は答えた。こんな表情ができる人が与四郎の前にいたような態度を取るとは思えない。何かあるんだろうなと黑鉄は思った。
「それで、お前は何しにここに来て、何で僕たちを誘ったんだよ?」紅音はダマされないぞとばかりに聞く。
「あのさぁ、ちょっと連れて行って欲しいとこがあるんだけど、いいかな。ここから10分ぐらい、君たちのレンタルスクーター走らせてもらえば着くと思うんだけど。」翠が遠くを見て言った。
「なんで、俺たちがバイク乗ってきたって?」小包が間抜けな顔して聞く。
小包は言った後、自分たちだけがヘルメットを持っている事に気づく。
「だいたい、こんな所来る人で君たちみたいにスクーターに乗ってくる人はいないし、いたとしても、普通はヘルメットはスクーターに引っ掛けておくもの。あなた達は、遠目から見ても、お調子ものの学生さんが、冒険気分でスクーター借りてやってきたんだと直ぐ目についた。3人だから2台で一つ席もあいていそうだし、それで声かけさせてもらったのよ。」翠が淡々と話した。
「でも、お前バイクの後ろなんか乗れないだろ?」車椅子を目にやりながら紅音が答える。
「まぁそうやって、可哀想な目で私を見る人も多いけど・・足が使えないだけだから。そんなに特別扱いしないでね。さ、行こうか。私を乗せてくれるのは・・・紅音君だよね。」翠がまた、胸をえぐるようなカワイイ笑顔を紅音に向ける。
「まぁ、大体道には慣れたし、外のやつに運転させるよりは、僕の後ろが安全そうだけど。」しぶしぶ紅音は答えた。
駐輪場からバイクを引き出すと、翠は車椅子を何やら操作する。車椅子は変形し、手押し車のような形状になり、翠は両腕で手押し車を掴む
「一応、これを掴んでいれば、しばらく立っている事もできるのよ。紅音君、ちょっとは手を貸してよね。」
翠がバイクの椅子に手をつき、良いタイミングでサッと紅音が支え飛び移らせる事ができた。
「上手いじゃん。思った通り、カンが尖そうね。」
翠は、そう言いながら、手押し車のボタンを押すと、カタカタと自動的に手押し車は小さくまとまり、ナップサックのような形状に収まった。翠は、この組立式車椅子を紅音に渡し、バイクに引っ掛ける。
「なんか、すげー車椅子だな。こんなの見たことないぞ。どこで売ってるの?」小包が興味深々にたずねる
「お父さんは、病院とか、沢山持っててね。最近は介護施設とか色々買収したりして、こういうのを作る会社に投資とかもしてるのよ。確かにまだこれは売りだされてないんだけど、私が結構気に入っててね。お父さんがくれたんだよ。さ、行こうか。1区のレタントン通り、日本人レストランが沢山ある辺り。そこの裏路地のカレー屋さんにレッツゴー。」
サイゴン大聖堂のロータリを突っ切り、ハイバーチュン通りから、レタントン通りに入る。この辺りは、日本人街として、日本人経営の寿司屋、ラーメン屋、居酒屋が立ち並び、日本人居住者も多い。一方通行な事に気づきながらも、今更戻れず、無理やり逆走しながらなんとか地図どおりの路地裏に滑り込めた。
表通りとは一気に雰囲気が変わる。ベトナムの住宅というのは、何とも言いがたい
薄暗く、怪しげな日本語の看板がひしめき合っているが、殺伐とはしておらず、むしろ通りはよく手入れしてあり、掃除も行き届いている不思議な空間だ。スナックのような店、定食屋、マッサージ屋がここもひしめいているが、表通りより家賃も安いのであろう。零細な感じがただよい、外装は素朴なものであった。
「あ、あれだね。」翠は指差す。
示したところは、仏教なのかヒンズー教なのか判別がつきにくい、
「よし。その祠みたいなのの前にバイクを停めて。」翠は紅音に指示した。
紅音は言われたままにバイクを停めると、目の前には、小さなお店。看板には「極楽カレー パライソ」と錆びるままにした鉄板にクリーム色のペンキで描かれていた。確かにカレー屋のようである。
店頭の看板には、「地鶏と38種のスパイスカレー」「こく豚とレンコンのダイエットドライカレー」「秘伝42時間煮込んだスープカレー」など、頭の軽そうな日本人がつけそうな名前のカレーのメニューがそれぞれ書かれていた。対応する英語訳は、curry chicken /pork/soap とあっさり書かれているのがなんか微笑ましい。
翠の車椅子を稼働できる状態に戻していると、ベトナム人の女の子が照れた表情でパタパタと出てきた。簡素ながらも割りにセンスのいいエプロンと頭には特徴的な帽子。少し浅黒い感じだが顔立ちは目がクリっとして、可愛らしい。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?4名様ですね。ちょっと待ってね」と、店の扉を全開にして、車椅子が通りやすいようにしてくれた。ベトナムでは戦争の後遺症を持つ人もまだ多く、特に動じる事もなく、ホスピタリティを示してくれる。
中にお客はおらず、カウンター式のテーブルに4名は腰掛けると、厨房のような所から、ベトナム語っぽい男の声が聞こえる。店内は民家を改造して無理に店舗にした割には、味のある風合いが出た木目をうまく使ったり、奇抜な絵画をアンバランスに配置したりして、奇妙な空間が作られていた。
怪しげなスパイスが混ざり合った臭いが満ちていて、なかなか1人で気楽にカレーが食べられるような場所では無いんじゃないかとお節介にも3人は感じていた。暫くして、男が1人出てきた。明治時代の政治家のような豊富なひげをキチンと手入れしている異様な雰囲気の男だった。年齢は50近い感じだがガタイがガッシリしていて、喧嘩してもちょっと勝てそうな気がしない風格だ。
「いらっしゃい。今冷房つけるからね。この時間、空けてはいるけど、お客さんもそんなに来ないから、暑くてすまんね」
見た目の割には妙に気さくに日本語で話しかけてきたので安心した。
「すみません。実はちょっとご飯食べてまだ時間経っていないんです。ドリンクだけでもいいですか?」黑鉄が切り出した。
「どうぞどうぞ。うちは卵コーヒーというスペシャルドリンクが売りでね」
店主が気さくに答える。
「卵コーヒー?コーヒーに温泉卵でも入ってるんですか?それともあの有名なホビロン(
「いや、これが結構いけるんだよ。ハノイに有名な店があってね。卵黄とコンデンスミルクを泡立てて、ベトナムの苦いコーヒーに合わせてるんだ。それを私なりに改良して、日本人の人に飲みやすいように出しているんです」店主は、慣れた感じで担々と説明した。
「じゃあ、それを4つ、お願いできますか?」翠は受け流すように答えながら、店内を素早く目で追う。何か違う。
「オーナーさん。以前、日本の雑誌に取材受けたことありますよね。それで私興味持って来たんですよ。その頃の写真に覚えがあるんですが、内装随分変わりましたね」
「へー、あれを見たのかい。そうそう、あの頃はこの柱に黒板をまだ付けてなくて。ちょっと祭壇ぽい感じの彫込がされてるものでね。不気味に思う人がいてねぇ。もともと、ここは単なる住居だったから。それでこの大きな板を特注で頼んで、柱を隠してるんだよ」店主が答える。
「私も時間が無いので単刀直入に聞きますが、あなたはアラハバキについて知ってるんですか?」
店主の目が座り、翠を凝視する。長すぎるほどの沈黙が続いた。
「お嬢ちゃん。何か知っている事があるみたいだねぇ」ニヤつきながらも、ガラッと雰囲気が変わった店主が切り出した。
「取引しませんか?私もアラハバキを追っている。あなたは1体持ってますよね。実は私も1体持っているんですよ」翠が慎重に言葉を選んでいる様子で言った。
店主はもはや、キャラを隠す事を辞め、興奮しながら饒舌になる。
「なんだと?どこにある?取引だ−?・・・いい度胸じゃねぇか。」
「あなたはアラハバキを私に引き渡すとしたら何を望みますか?ご協力できる事があると思います」翠は店主のペースには飲まれず、淡々としゃべる。
店主は翠を睨みつける。大人げない憎悪をあからさまに出した睨みだ。動物が
「いいだろう。まずは君のアラハバキを見せてもらおうか。それが本物かどうかを見定めてからだな。話し合いができるのはそれからだ」店主は落ち着きを取り戻して言った。
「それは私も望むところです。あなたのアラハバキを私に見せてくれるなら、私もそうしましょう」翠はツンとした様子で答える。
店主は、聞いていなかったようで、しばらく沈黙していたが、唐突に喋り出した。
「え?お嬢ちゃん、今なんて言った?なんでお嬢ちゃんより先に俺が見せなきゃならんのだよ!おつむ大丈夫か?」
「何を慌ててるんですか?もしかして、もうない、なんて事、無いでしょうね」翠は
「この板の中の祭壇に今も安置してある。が、板を外すのが大変なんだよ。一旦外しちまうと、もう一度工事しなきゃならん。今夏休みでお客さんがね、休暇で少ないんだよ。簡単に言うと店の収支はカツカツな状況でね。取り外しは時間もかかるし、まずはお前のアラハバキを見せてもらおう」店主が言った。
「私は時間が無いと言いましたよね。回りくどい話にはしたくない。しかたないな。これで解決してください。」翠は、封筒を出して、机にすべらせる。店主はすっと受け取り、中の紙幣を確認する。
「なんだこれは?お前、その年でこういう事やるのか?たまげた奴だ。親の顔見たいわ。いいか、金の問題じゃぁねえんだよ。しかしお前はどうもバカじゃないようだな。そういう誠意の見せ方をしてくるという事は。その度胸は買おうじゃねーの。よかろう。おーい、ティさん、板を壊す必要があります。そういう事できる人連れてきて」店主が言った。
「私疲れちゃったし、今日はこの時間まで昼寝無い。昼食も肉も海老もないフォーしか食べてないし、果物も食べてない。力何も無い。もう寝なければなりません。」ティさんが答える。
「大事な事なんだ。ティさん。そこの隣で工事してるオヤジ連れてきてくれ」店主はイライラする気持ちを押さえながら、言った。
ティさんは、不服そうにも店を出て、人の良さそうな小さな人夫を連れてきた。何か細かく人夫に指示をしている。
「ティさん、今日は夜の営業は休みだ。 なんか金もたんまりもらったからこれで遊びにでも行って来い」様子を見ていると、普段は中々味わいのあるいいオヤジなのだろう。
「わかった。じゃ、またね。
人夫は、バールのようなものを持ち出し、ガンガンと板を引き剥がす。あれよあれよという間に、板が引き剥がされると、そこには確かに、何やら不気味な祭壇が彫り込まれた柱が出てきた。
「蒼磨さんって言うんですね。なるほど。これは確かに眠りのアラハバキ。あなたの誠実な対応に感謝します。悪いけど、手にとって見たいんです。いいですか?」翠は、自分の足が不自由な事を軽くアピールしながら、蒼磨に迫る。
「偽物だとでも思ってるのか?まぁいいだろう。大事に扱えよ」蒼磨はわざわざ、嫌味も込めて白い手袋を持ちだして、宝石鑑定士の威厳さを持ちながら翠に渡した。
翠は、すかさずカバンからなにやら、小さな箱を取り出し、手際よくアラハバキを入れて蓋を閉める。蒼磨はしばらくぼーとそれを眺めてハッとした。
「はーー??おいっ!お前、何やってんだ?」慌てて蒼磨は叫ぶ。
「これはお返ししておくわ。大丈夫、アラハバキは無事よ。取り出すことはできないけどね」翠はにっこり微笑みながら答えた。
「んーー?お、お前どうしてくれるんだ?」蒼磨は思考停止している。
「言っておくけど、この箱は、爆破しても開かない、特殊な技術で作られているから、無駄なことしないでね。大丈夫、アラハバキは完全な状態で守られるから」翠が答えた。
「おいっ!バカなまねするな!。お前何が目的なんだ?」蒼磨は動揺を隠さない。
「ようやく立場がわかったようね。あなたは、これで私との交渉力は大幅に弱まった。残念ながら私はアラハバキなんて持ってないわ。車椅子の女の子というのも、油断を誘えるから、偶にはいい事もあるものね。いっておくけど、私しかこの箱は開けられないから、私の機嫌を損ねるような事するのはあなたのためにはならないよ」
「お待たせしました。卵コーヒーです」
ティさんが殺伐としかけている場にも関わらず、自分は何も関係無いような様子で、和ませるようにコーヒーを持ってくる。
「ベトナムのコーヒーは、苦いですが、コーヒー苦いから甘さを美味しくさせます」ティさんはたどたどしく説明した。
「ありがとう。日本語上手いのね」翠はにっこりと微笑みながら、コーヒーを受け取る。
蒼磨は、ひとまず感情的になる事は得策では無いとだけは理解したようで、この場をどう収めるか色々と思索をしているような表情で黙った。
紅音は一連のやり取りを注意深く見守りながら、卵コーヒーをすすった。確かに、濃厚で苦いロブスター種のベトナムコーヒーに、卵黄をコンデンスミルクで粘りが出るまで撹拌したクリームは相性がいい。中々このオッサンは、見かけによらず繊細な所もある人物なのかも知れないなと思いながら、戦争博物館で拾ったアラハバキと呼ばれる人形を思い返していた。
このオッサンが持っていたアラハバキとやらと、拾った人形は、作者が同じとしか思えない特徴をひと目見て感じたが、ここでその話をするのは得策では無さそうだ。心配なのは小包が思い出して、ここで得意がってしゃべることだ。
「まだ、しばらく色々ありそうだね。小包、一緒にタバコ買いに行こう」紅音は小包の肩を叩く
「紅音、オレのも買ってきておいてよ。オレ、疲れちゃってさ」小包は気だるそうだ。
「いいから行くよ」紅音は目配せして、強引に小包と外に出る。
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