1ー肆 危ない男に狙われる

ファングーラオと呼ばれるその一角は、ラフな格好というか、汚い身なりをした白人比率が高い、こじんまりとしたバックパッカーのたまり場だった。


まずは腹ごしらえという運びで、一同はテキサスステーキという看板を掲げた木造りの店で、サイゴンビールと、リブステーキを頼む。この店はどうやら、ベトナム戦争をよく知る白人の爺さんが、20代の若いベトナム人妻に見られる女性と1人の若いウェイターとで一緒に切り盛りしているようだ。


奥さんは乳飲み子を背負いながらウェイトレス業を無難にこなしているのも微笑ましく、外はせかせかとバイクや物売りが行き交っている町並みも、店内はゆったりとした時間が流れている。


ここの常連は不思議と老人白人しかおらず、おそらくベトナム戦争に対して何かしら思いがあるアメリカ人が往年にベトナムに旅行に来た際の同窓会的な店になっているのかも知れないと感じさせられた。何やら独特のため息と哀愁、感慨の吹き溜まりであったが、出てきたステーキはカーボーイが貪るにふさわしいヤンキーな出来栄えだった。


「この店のじい様方の穏やかで謙虚な事。このオヤジさん、語り部なんだろうな。話し方が堂に入っている。しかしよ、外の道をうろついてる奴ら見てみろよ。若造が偉そうになー。なんか白人が沢山アジアにたまっていると、ちょっと意味もなく歓迎されるじゃん、地元民にも。だからって付け上がりやがってな。これが黒人ばっかだったら社会問題になってるだろ。フランスとアメリカを叩きだした国ですらこうだぜ。なんかおかしいよな。」小包はいつもの調子でまずは毒づく。


「俺たちも傍から見たら、おんなじような汚いチンピラ外人だけどな。しかしまあ、君の疑問も一理ある。彼らは働くでもなく、観光するでもなく、ここで長く滞在してるみたいだが、何が目的なんだろう。年齢も俺たちほど若くは無さそうだし学生ってわけでも無さそうだ」黑鉄はサイゴンビールをチビチビ飲みながら話をあわせる。


紅音は開放感とサイゴンビールのお陰か、気分よく饒舌に語りだす。


「街コンだよ。日本でも流行ってたよね。これぐらい小ぢんまりとしてると、返って出会いやすいんだと思う。僕はこの界隈に入って、何か違和感があったんだけど、今わかったよ。綺麗な白人のお姉さんが1人もいない。」


「なんだよそれ、世紀の大発見みたいな感じで言う事でも無いだろ」小包が茶化す。


「いや、普通はいるもんだよ。バリとかバンコクとか、セクシーお姉さん達が競い合ってる感じなんだよ。それがこっちはどうだよ。年齢的にも30オーバーしかいないぐらいだし、容姿も並以下だよ。オカシイだろ。つまり、並以下の容姿の切羽詰まった白人女が同じ目的を持ってベトナムのこんな界隈に集まる理由・・結婚相手探しぐらいしか無いよね。きっと年頃の若い白人ニーチャンが退屈そうに溜まってる中に、世間では売れ残りのネーチャンが紅一点で飛び込んでいって異国のロマンも手伝ってサクッと結ばれてって、段々噂になっていったんだ。そしてこれは出会いの場として有効だと広まった・・と。」


「すげー。さすが紅音。その推理、ガチだね。多分、結婚相手見つけたかったら、ベトナムサイゴンのファングーラオに行っておけ。みたいな事が色んなところで書かれてんだろうな。」小包もビールをお代わりしながらはしゃぎだす。


「なるほど、英語が喋れるなら、誰でも挑戦可能だし、タイよりもずっと小ぢんまりとした丁度いいバックパッカー街、という位置づけはありだな。恋愛弱者の女と、女に飢えた貧乏白人若者をくっつける場としては実に魅力的だ。そんな弱い奴らの強い下心がこのバックパッカー街に活力と競争力を与え、ベトナムの地域振興や雇用創出にも役立っていると思うとなんだか感慨深いな」黑鉄もこういう下らない話に付き合う事が旅先では可能なようだ。


気さくなオーナーがカーボーイハットをかぶって、近寄ってきた。こういう時には英語が堪能な紅音の出番となる。流暢なやり取りに残りの二人は愛想笑いがせいぜいだ。普段は元気な小包もおとなしい。なにやら話は思ったよりも随分と長くなり、二人は待ちくたびれていたが、自分が入っていけない無力感により、息を殺していた。


話終えた紅音がゆっくりと話し出す。


「やはり、この爺さんは、ベトナム戦争の巡礼を志して、10年前に妻子と分かれ、家も売り、単身でこっちに来たみたいだ。今は、当時持っていた心の傷は癒え、こうしてカワイイ奥さんを手に入れて第二の人生を謳歌してる。ベトナム戦争時には、こういう若い女の子からゲリラ攻撃を受ける恐怖と戦ってたわけだから大したもんだよね。それでベトナム産の牛肉ステーキがマズイ上に、テキサススタイルのワイルドな店が無い事に目をつけて、独自の仕入れルートで入れた安いオージービーフを白人観光客向けに打ち出して結構繁盛してたみたいだけど、最近はレストランのバラエティも格段に増えて、客入りはイマイチらしいよ」


「何十年前か殺し合いしてたんだよな。ここで。以外と仲良くなれるもんなんだよなー。人間ってのはさ。」小包は周りの白人老人達ににこやかにビールを運ぶベトナム人ウェイターを見ながらつぶやく。


「それでなんか、面白い事言ってたよ。この爺さん。ベトナムにアメリカが勝てなかった理由は色々と論じつくされているように見えるし、実際その通りと思う事も多いんだけど、戦争中に聞いた話を語る人が誰もいないのが不思議でならないと。あれほど、戦争中はよく耳にしていた話なのに。なんでもそれは「TOKYO」と言われていたらしいが、東京とは関係無いらしい。」紅音が神妙に語りだした。


「TOKYO? ベトナム戦争時に、東京か。しかしそれが、ベトナムにアメリカが勝てなかった理由とどうつながる?」黑鉄も興味をそそられたように聞く。


「なんか、よくわからないんだけど、僕が日本人だからか、お前は知らないのか?と聞いてきたんだよ。ゲリラ戦で徹底的に米兵がやられた要因は、ベトナム人の力だけでなく、「TOKYO」という化け物だか、なんだか分からんものが関与していたらしいと。英語ではモンスターと言っていたが、それが比喩的な意味なのか、ほんとうに化け物なのかは分からないけど。

壊滅した部隊の形跡を見ると、とても人間が殺った風には見えなかったらしくて、それが噂を生んで、色んな話として伝わっていたはずで、当時は誰もが知っていると思っていたのに、この店のお客に来るアメリカ人で、TOKYOの話が通じた人は今までいなかった。ただし、一度だけ日本人と思われる男が来て、TOKYOの話に強く興味を持って、色々聞いてきたという事だよ。だから、日本人だから何か知ってるんじゃないかと思って、僕に聞いてきたみたいなんだ」



ステーキをたらふく平らげた後、3人はファングーラオで12ドルの部屋を借りた。

いわゆるゲストハウスと言った感じで、玄関口では、若いカップルのベトナム人が二人でギターの練習をしていた。腕前は大したもので、見たことのない指の使い方をして、寂しげな哀愁ただようブルースを弾いていた。どこでそんな弾き方を覚えたのかと聞くと、キューバ人に教えてもらったそうだ。ベトナムは共産国でキューバと伝統的に仲がよく、人も物も出入りが多いと聞いたことを黑鉄は思い出す。


親切なカップルがベトナムにおいて気をつけるべき事を丁寧に教えてくれた。と言ってもボッタクリとヒッタクリとスリに気をつけろ、というだけなのだが。その後、部屋を案内してくれた。


驚いたのは、エレベータは無く、忍者屋敷のように急な階段を6階まで上がり、増築したのがすぐわかるような、出っ張った部屋を案内された。部屋の入り方も、毎回変な斜めの細い通路を使わなければならず、子供の頃に憧れたような秘密基地の風格がある。火事が起きれば一巻の終わりだろうが、安い割に清潔で親切だから文句を言うわけにもいかない。


小包と黑鉄は部屋に先に上がって行ったが、紅音は構わずに玄関口に残ってタバコを吸っていた。どんな些細な事でも、もはや癖として紅音は皆と同じ流れのままには動かない。3人で来て、ホテルで部屋を取ったらそのまま、3人一緒に引率されるものだが、そういう、普通さを無意識に拒絶するのは、習性とも言えるし、生きる知恵とも言える。


それが得になると思えば、誰よりも先に単独で動き、身の危険を感じ取れば、集団行動を乱しても自分だけでも慎重に行く。


別に大した意味は無い。ただ、勝負の世界では、その大した事ではない、最初の一手が後の勝敗に影響する事を紅音は本能的に知っているのだ。黑鉄や小包など気心しれた関係は、その紅音の習性を一々突っ込まないから楽でいい。


ベトナムとは無関係の音楽にしても、異国情緒に溢れるメロディーと街の騒音が交じり合った空気とタバコを代わる代わるに吸い込みながら、放心していた紅音だが、放心していたお陰で通りの空気がガラッと変わった事を誰よりも先に気づいた。


本能的にフロントに置きっぱなしの3人のパスポートをサッと持ち去り、2階のベランダまで駆け上がる。外から見た時に、南国の花が綺麗に飾ってあって印象に残っていたので、ベランダがあって、道路の様子がよく見える事は分かっていた。


ベランダの花壇に潜み、道路を見下ろしていると、軍服を着た男3人が、狙いを定めた獣の物々しさで、周りの人間に問いかけている。1人はベトナムではこういうのもありなのか分からないが、ダリのような変なヒゲを生やしているし、服装も奇抜で、コスプレじみた特注の軍服だが、多分あいつが一番偉いんだろう。周りは取り巻きにすぎない。


道行く人はほとんど外国人なので、取り巻きは英語で何やら高圧的に喋っているが、ガタイのいい全身タトゥーのスキンヘッドの毛むくじゃらの男が、小馬鹿にしたようなジェスチャーをして、周りの白人連中を巻き込んで馬鹿笑いしている。おそらく、そのダリの様なヒゲを見て、何かの冗談だと思ったんだろう。馬鹿笑いが終わると、ヒゲの男の声が紅音にもハッキリ聞こえた。


「ご盛況、恐れいります。それでは今度はこっちが笑わせてもらおうかな。殺しちゃだめだぞ」ニコニコしながらヒゲの男が言うと、周りの連中が、特殊な訓練されているとしか思えないスピードで、警棒のようなものをスキンヘッドに躊躇なく振り下ろした。


頭がパックリ割れて、血が噴水のように吹き出す。スキンヘッドの男は、唖然として何がどうなのか分からないようにキョロキョロしている。周りの白人はというと、「オーマイゴッド!」とか「ファック!」とか「サノバビッチ!」とか色々と叫んでいる。


今度は、ヒゲの男が血が吹き出すスキンヘッドにニコニコと近寄って行き、「ハー!」と気合を貯めてポーズを取っている。皆はポカーンと見守りながら、何が起こるのかハラハラしている。すると一発、「ターッ!」と裏返ったカンフー映画を模したような気合の声と共にドスッと腹に正拳突きをし、デブのスキンヘッドの腹に深くめり込んだ。


デブは、あっけなく、ヒザをつき、ズドーンと頭から倒れた。


「ギャハハハッ」ヒゲの男は笑う。


「弱えー。見かけと違いすぎるなぁ。お前ら。笑うんなら、こういうウスノロデブを華麗に成敗したあとに、高らかに笑ってくれよ。」スキンヘッドの仲間達は、後退りしながら、一気に走って逃げようとしたが、ヒゲは1人の足を引っ掛けて、見事にころんだ。


「ウギャハハッ。お前、コケっぷりがいいねぇ。俺の下で働かない?寂しい時にはそうやってスッこけて笑わせてくれよ」ヒゲの男は涙を流して爆笑した。周りの軍人がコケた男をつかんで起こした。


「ところで、お前さん。若い日本人ここらで見なかった?名前は、AKANE、という奴とKUROGANEという奴。知らないの?使えねーなーお前。もう一回コケてろ」


ヒゲの男は、今度はさっきの正拳突きとは打って変わって、見えないほどの速さでコケた男の足元を膝下だけで蹴り上げた。男はアクション映画のスタントマンかと思うほど、華麗に宙で巨体を一回転させて、コケた。


「ギャハハハ。お前、ほんとコケっぷりいいよ。どう、うちに就職しない?まかない旨いぞ」ヒゲの男はまたワルノリして大声を生やした。


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