1ー参 舐め屋

2016年/夏/ベトナム/サイゴン タンソンニャット国際空港

【黑鉄 紅音 小包】


普通海外に行くと、突然空港に放り出されて、街までが遠いのか近いのか、危ないのか安全なのかも、添乗員がいない限りは自己判断になる。旅行慣れしている人でも本音では、飛行機を降りてから街まで出るのが気が重いものだ。


そういう意味ではサイゴンの空港はそのまま歩いて街に出られるほど街に侵食されており、旅行者にとって市街地へのアクセスが楽なのも魅力の一つである。


年中30度はほぼ下回らないサイゴンは、南国の爽やかな風によって、1年で本当に熱い時期は雨季前の6月ぐらいで、実際は年中湿度の低い日本の初夏ぐらいの体感温度が続く。日差しに限って言えば当然日本よりは強烈なのだが、その分日陰が優しい。


雨季という響きは旅行者を遠ざけるが、1日に30分程度のスコールが1回降る、というぐらいのもの。むしろバイクの排気ガスにまみれた空気が洗われるようで気持ちよく、たとえずぶ濡れになったとしても、雨が止めばカラッと晴れてすぐ乾くし、ずぶ濡れの人が他にもいるから、目立つことも無い。高級な革靴さえ履いていなければ、失うものは特になく、慣れてしまえば何てことはなくなるものだ。


強烈な太陽の日差し、一時的とは言え、この世が終わるのではないかと思える雷鳴と豪雨。それらを凌ぐしのための木陰。この陰を提供してくれているのは南国には向かない巨大化した街路樹達だ。100年前にフランス人達が植えていった忘れ形見とも言える。


日本から直行便も増え、価格も手頃で随分と身近になってきたこの不思議な共産国家から物語は始まった。


「おー、日本よりむしろ暑くないね。なんかカラッとしてて、いい感じ。まずは、どこ行く?あんま普通っぽいとこ行ってもしょーがないんだよねー。あそこ行く?カオダイ教の本山。知らないの?なんか、フリーメイソンみたいなマークの新興宗教。釈迦とキリストとモハメッドとなぜかモネとマルクスを崇拝してるらしーぞ。あるいはココナッツ教なんてのもあるらしいね。椰子の実を新興するなんて、ベトナム人ってのはカワイイ民族だな」


小包香助こづつみこうすけがいつもの調子で脈絡無くまくし立てるようにしゃべり続ける。黙っていれば魅力的な童顔とそれに不釣合いな長身。髪のサラサラさは特筆している。が、中々尊敬を勝ち得られない理由が多い男である。


「小包は誰も相槌とか打たなくてもベラベラベラベラ喋れていいね。就職の面接なんか強そうだよ。女の子にもそうやって調子合わせずにペラペラ自分の事ばっか喋ってるから逃げられるんだろうけど。」紅音暁あかねあきらは、面倒ながらも受け答える。


紅音はよくクールだと言われるのだが、徹底的にはクールになれず、特に小包のような男を無視し続ける事ができないのが彼の本性なのかもしれない。基本的には年齢不相応な近づきがたい危なさと奇抜な出で立ちではあるが、漂う色気が出始めた頃であった。


「紅音テメーよー。俺は愛しのエリー1本だって言ってるだろ。これ見てみろよ。さっき届いてたみたいだけど、なんのコスプレなのかさっぱり分からんけど、可愛いよなぁ。」小包はニヤつきながら画面を見せる。


「小包、本当にその子は君の彼女なのか?俺は正直、いつお前が嘘と白状するか待ってたんだけど随分引っ張るよね。なんか、最近ウワサを耳にしたよ。君が手当たり次第、ドーナツショップで管巻いている女子高生相手に、白人留学生を脇に連れて、自分も留学生に成りすましてインタビューしてるって話。成果出たの?」黑鉄信三が無表情でたずねる。


黑鉄がいつどんな場でも結局は一目置かれる存在になってしまう事を小包は知っている。そこに強烈な嫉妬と羨望を感じるも、小包がこうして一緒にいられるのは少なくとも外見的には優っているという優越感である。確かに黑鉄も長身ではあるが、オタクっぽい服装センスだし、どこのメーカーか見当もつかないスニーカー。もみあげは無く、テクノカットが示すとおりの床屋での散髪。ここに安心感を覚えるのである。


「黑鉄君。何で君がそんな事知ってるんすか?大体ドーナツショップって何だそれは?何その昔風な言い方・・・ま、そういう事をしていた事もあったかなー。成果?なんだよ成果って?童貞オタク男のカールだからって安心してたのに、あいつがその成果って奴を出しやがっただけですよ。メチャメチャカワイイ17歳を、あんなに簡単に捕まえやがってよー。多分あの子を落とせた理由は白人ってだけよ。いつも馬鹿の一つ覚えみたいに、おやつのカールでーす。とか、バカ−ルでーす。とか絶叫するんだよあいつは。で、その下らないネタがなぜか受けるんだよ。女子高生には大体人気者だぜ。みんなゲラゲラ笑うの。カワイーとか言ってさ。可愛くねーよ。あんなすね毛も胸毛もモジャモジャのどこが可愛いんだよ。バカだよね−。俺のほうがよっぽど男として器がでかいのによー。ま、いいわ。俺はエリだけだよ。エリさー。オレのこと、ギフティちゃんって呼び出してさー。カワイイよねー。こづつみ、って名前からプレゼントを連想して、ギフト。ギフトちゃんより、ギフティちゃんのほうがカワイイよなぁ。センスいいよ。まじ。」小包は気心しれた仲間であるのに、いちいちジェスチャーを交えて熱っぽく応える。


「お前、ギフティって何だよ。キモいなぁ。黑鉄も何とか言ってやってよ。」紅音は呆れてぼやく。


「岐阜TEAちゃんと聞こえるね。岐阜のお茶に関連ある人という印象を持つよ。あるいは、ティさんという名前の義父なのかなと。」


黑鉄は相変わらず表情なくつまらなそうにつぶやくと小包は手を上げて、お手上げというメッセージだと思うが大げさに話す。


「何だよ。その岐阜のお茶と言うのは。何なんだよ。そのティさんという義父は。黑鉄君はホント救いようが無いぐらい変だよねぇ。着眼点が。」小包はやれやれと言わんばかりに両手を広げる。


「いや、ベトナムにはティさんという名前の人が沢山いるらしいよ。ベトナム人はグェンティ チャン ウェン さん、とか、名前が長いから、大体最後の部分で呼ぶみたいだね。」紅音は今までの会話よりは興味を持ってまた会話に入る。


「ほう、紅音はベトナムには確かもともと詳しいんだよな。紅音的には今回の旅行で一番行きたい場所とかあるの?」


小包が促すと少し黙って、考えるように紅音は答える。


「海高武という、昔の有名な作家が書いたベトナムの本に載ってた店があってさ。そこには少し興味があるね。」紅音は少し照れくさそうに言った。


「何だよ。もしかして・・・エッチな店?」小包が興奮する。


「ベトナムには、耳を掘ってくれる店とか、白髪を抜いてくれる店とか、顔剃り専門の店とか、そういう細かい店が色々あるらしいんだが、舐め屋ってのがあるらしい。」


「何それ?もしや・・・」小包が息を呑む。


「そう。好きな所どこでも全身舐めてくれるんだってさ。でも誰に舐められるかは選べないんだ。僕は知らない人に舐められたくはないんだけど、そういうカルチャーには興味がある。小包、挑戦しない?僕が費用は負担するから」


小包は暫く真剣に考えていた。


「まあ、とりあえず、飯食って、ホテル決めてから考えようぜ」黑鉄がタクシーを捕まえて、3人は乗り込んだ。


「バックパッカー街があるらしいから、その辺りなら安宿が見つかりやすいだろう。行ってみよう」黑鉄は、運転手に通りの名前を見せて、タクシーは出発した。




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