ファイト

撮影は押しに押したが、木曜の放課後、何とかクランクアップ。

主演を務めてくれたオム……、オク……、オラフに申し訳程度の花束を贈り、僕は早速、部室で編集に取り掛かる。

毎度思うことだが、不思議なもので、映画というやつは脚本を書いている段階では、完璧なのだ。

頭の中に思い描く画を脚本にして行くと、その傑作は形を成してくる。

そして、画コンテにする。いよいよ完全無欠の作品が生まれる、とワクワクする。

しかし、いざ撮影となると、問題が生じ始める。

ロケ場所、天候、キャスト、資金。様々な都合がつかなくなり、脚本を削ったり、辻褄を合わせたりする。コンテ通りの画が撮れないこともある。

加えてアキレス腱になるのは、音だ。

僕達はまともな録音機材を持っていないし、録音担当も居ない。

撮影時に、僕が安い市販の外付けマイクで必要な音を拾っておくくらいだ。

ショットによっては音が全く録れないこともある。

編集がある程度できたら、防音でも何でもない部室で、アフレコをする。こいつも厄介だ。

アフレコや効果録音もロクに出来ない場合だってある。

そうなると、諦めなければならない箇所も多くなる。

その様に、全てで、いつも何かしらの問題が生じている。その度に作品を切り刻まねばならない。身を切る思い、とはよく言ったものだ。

それでも、当初の理想型に近い様に、作り上げて行く。

結局、出来上がるモノは、頭にあった完璧な作品からは程遠いことが大半だ。

それでも、完成した時にはそれなりに達成感がある。思いを形に出来た達成感は、筆舌に尽くし難い。

次回は、より完璧を目指すと、心に誓う。

そしてまた、次の製作に取り掛かる、というわけだ。

今回も青息吐息だが、どうにかこのポスプロで形にせねばならない。

今回厄介なのは、作品の方向を途中大きく修正したことだ。

僕の頭の中では、上手く行く算段だが、それもわからない。

苦闘の後半戦が始まった。


冷え始めた空気が頬を撫ぜ、部室の外へ出てみると、辺りはすっかり暗くなっていた。

帰り支度をして、自転車置き場へ。

今日はとうとう部室へは誰も来なかった。

とりあえず、僕の編集が一旦出来て、ラッシュ試写まで皆の仕事は無い。

とはいえ薄情な奴らだ。編集に集中する僕に気を遣ってくれたのだろうが、飲み物の差し入れくらいあってもいいだろうに。少なくとも、僕ならそれくらいはする。

いや、いかんいかん。

他人を自分の杓子定規で計ってはいけない。

自転車置き場の自転車はもう疎らな時間だった。人気も無い。

僕の自転車のところまで行くと、大柄な男子生徒と他に二人ばかり、計三人が屯していた。

どうせ不良生徒だろう(僕がいえたことではないのだろうが)。

近づくとやはりそうだった。見た顔だった。

「お前か?映画部の部長って」

こちらが邪魔だと言う前に話しかけて来た。友好的な調子とは言えない。

「そうだけど」

僕は手近な自転車のカゴにリュックを置く。これだけは守らねば。中のノートパソコンには大事なデータが入っている。部室のハードディスクにバックアップは取ってあるが、それでも大事にせねば。兄貴から貰った物でもあるし、高価な物だ。

「ちょっと話があんだけどよ」

息がタバコ臭い。なんでこういう奴らが進学校に通っているのか。

「手短にお願いします」

良い予感など微塵も無いが、平静を装う。

目を合わせるのがそろそろ怖くて、足元あたりを見る。

「あ」

僕は何となく理解した。

「レッドウイングだ」

思わず口にしていた。高校生にはなかなか高価なブーツを履いている。

「なんだよ。このブーツ知ってるのか?」

言われた奴が声のトーンを上げて問う。

「良いよね、それ」

ミロス・フォアマンの「カッコーの巣の上で」で、ジャック・ニコルソンが履いていた。足音のしにくい、ハンティング・ブーツだ。

「わかってんじゃん」

嬉しそうに言うコイツは、あの名作など観てはいまい。

見れば、彼らは三人とも良い靴を履いている。

「親がお金持ちなんだね」

だからだ。だから、こういう進学校に入れるのだ。

「だからか。君たちみたいな人がチョロチョロいるのは。親の金で不良やってるんだね」

思わず出た一言が彼らを怒らせたのは言うまでもない。

パンチというもの。

キックというもの。

こんなにも、痛いものなのか。

気が狂いそうな程、痛い。

僕にもう少し堪え性が無ければ、泣いていただろう。

何発か貰って倒れていると、上から、

「調子コイてるなよ、コラ」

と言われる。あの背が高い奴だ。

「いつかのよ、全校が避難した火災警報。あれを俺らのせいにしようとしたろ」

その通りだ。

「いや、さ、君らが、居なくなればいいなと思って」

正直は美徳。

腹にそいつの爪先がめり込む。

口は災いの元。

地獄のような苦しみにのたうち回っていると、

「卑怯な奴」

などと、三人で寄って集って僕を殴る蹴るする若い紳士らは言う。

「それと、報知器のボタンを須東に押させようとしたろう」

またデカイ奴が問う。

「だから?」

僕は声を絞り出す。なるほど。お腹や口の中が痛む時、人の声はこんな調子なんだな。憶えておこう。演出に役立つ。

頬に触れるコンクリートの地面の冷たさ。

そこに口から血が滴った。

なるほど、こんな色でこれくらいの粘度なのか。

これも憶えておこう。

「二重で人に罪をなすりつけるとか、最低だな。お前」

「そんな僕をリンチする為に人まで集めて、こんなに遅くまで学校に残って、ご苦労様。それもこれも正義の為ってわけ?」

何故こうもスラスラと皮肉が言えるのか、自分でも不思議だが、今は言うべきタイミングではない。

ほら、また靴の裏が降って来た。

痛い、痛い。

クソ。しかし上等なブーツだ。

「俺らのことはまだしも、須東には……」

ノッポがまた何事か言おうとして、やめた。

背が高いコイツは、上等なスニーカーを履いているのだが、僕はそれを抱き締める様に捕まえたのだ。

「てめえ!」

抱えた手で裾が捲れて、すね毛だらけの脚が覗いていた。

蹴り足を捕まえたのは、痛みに耐えかねて思わずやったことだが、次の瞬間には、僕は明確な意思を以って、理性的に、その脹脛に噛み付いていた。

すね毛が気持ち悪い。

が、遠慮してなどいられない。全力で噛む。

悲鳴が聴こえる。凄いな。人の本気の叫び声は、こんな風なのか。「ミッドナイト・クロス」のトラボルタの気持ちが分かるというものだ。

むり、

と、前歯が脹脛にめり込み、物凄い血臭と塩味が口に拡がる。

彼らの蹴りが肋を打つ。ヒドく痛い。

その痛みに歯を食いしばると、余計に歯がめり込んで行く。

口を放せない。不味い。臭い。痛い。なんだこれ。笑ってしまいそうだ。

プチプチ、

と音を立てて、脹脛の皮を食い千切ってしまう。

人の肉。それが口の中にある。

ふいに吐気がする。

足を放してやると、傷口を押さえてデカイのが転がった。

取り巻き二人は僕を蹴るのを止めて、足から血を流す仲間を気遣う。

僕は、もしここで座り込んだままゲロゲロとやってしまうと、また蹴たぐり回されると思い、必死に、しかしそうは見えない様に、ゆっくり立ち上がる。どうだ。不気味だろう。

そうだ。

口の中の肉を吐き出すというのも良いが、食べてやるという手もある。

勿論、舌の裏に隠して、食べたふりをするだけだが。

モグモグと噛むふりをする。

三人の驚愕の顔。カメラがあれば良かったのに。いや、少し光が足りない。照明を焚かねば。

喉を動かし、嚥下するふり。

すかさず口を開く。

舌の裏に隠した肉片は見えまい。

三人は、プレデターを目撃したビル・デュークの様に叫び、すぐに逃げ出した。デュークは機関銃をぶっ放していたというのに、情けない。

べっ、

と口の中の気色悪いものを吐き出す。

なんだ。

もっと、餃子の皮くらい大きいかと思ったが、吐き出してみると、案外小さい。

エレキバンくらいしかない。

早く口の中を洗いたい。

口元と喉元も、僕のと奴のが入り混じった血に塗れている。

人生で初めての喧嘩だった。

興奮している。

立ち尽くす。

膝が震えている。

火の様に呼気を吐く。

「あ、あの、どうかしたんですか?」

背後で声がした。女子の声だ。

驚いたりなど、しない。今の僕はどんなことにも驚きなどしない。

明滅する蛍光灯の薄明かりの中、ゆっくり振り返る。

お、あのアキ何たら言うアイドルの人だ。

彼女は僕の顔を見て、全身を強張らせてしまう。いかん。今の僕はトム・サヴィーニのメイクそのものだろう。

「やあ」

怖がらせまいと精一杯の笑顔で言ったのだが、アキハバラはぶっ倒れてしまった。

本当に人間というのは失神するものなんだな。

僕なんか、これだけ殴る蹴るされても平気なのに。いや、平気ではないが。


アキバを楽な姿勢に横たえさせてから、ティッシュとハンカチで血や擦り傷を拭う。

自転車置き場の側の花壇の縁に腰を下ろす。

全身が今になって痛んで来た。骨に異常が無いといいが。

「ひっ……」

彼女が目を覚まして、身を起こした。僕を怖がっているのは明らかだった。

やがて、息を整えた彼女は、目を凝らして僕を見つめ、

「大丈夫?ですか?」

と問うて来た。

「うん、有難う」

僕は簡単に答える。

「何があったんですか?」

「いえ、転んだんです」

「でも、私、凄い叫び声を聞いて、ビックリして、それで」

「様子を見に来たの?」

「ええ、はい、そう」

どうも様子が変だ。他人行儀な感じがする。他人だけど。

「僕だよ。わからない?」

「え?」

彼女はまた眉間にシワを寄せて、こちらを凝視する。

「あ!貴方だったの?」

漸くだ。

「そ」

「ヒドい顔だよ?わからなかったもん」

「元々ヒドい顔じゃないか」

「そんなことないと思うけど、腫れてるよ?あちこち」

アキシノノミヤは腰を上げ、こちらへ寄って来た。

隣に腰を下ろす。

「オバケかゾンビかと思っちゃった」

「ゾンビならもう少し腐敗してるよ」

「十分怖いっての」

彼女は俯いて、少し考えてから、改めてこちらを向く。

「ケンカ?」

「違うよ」

違う。あれは一方的なリンチだ。

「ふーん。あんたも男の子なんだね」

「暴力反対」

「非暴力不服従?」

「ガンジー?そんな大層な人とは違うよ」

ベン・キングスレーはあの役、あの映画があったから、大俳優になった様なものだ。

彼女はハンカチを出して、僕に差し出した。

「使って」

「間に合ってるよ。有難う」

「いいから!」

ハンカチを僕に投げつけて立ち上がると、彼女は自分のものらしき自転車まで大股に歩いて行き、鍵を暫くガチャガチャやって跨る。

立ち漕ぎで僕の側を通る時、

「お大事に!」

と言って去った。怒っていたのではない。多分。

また静寂が訪れる。

「帰ろうかな」

今日は収穫があった。喧嘩の緊張感と、暴力による痛み。どちらも実体験出来た。次回はバイオレンスを撮ろう。今すぐにでも脚本にしたい気分だ。

しかし、あのデカブツ、須東がどうこう言っていた。それが少し気になるが、もしかすると、須東のファンかも知れない。つまり、僕の「血と群青」を観たのかも知れない。なんだか嬉しいものだ。痛み分けでもあるし、次に校内で見かけたら挨拶くらいしてやろう。それから、感想を聞くとしよう。

そして、アキカウリスマキは、こんな時間まで校内で何をしていたのだろうか。

それはさして気にならなかった。

気づけば、いつものジョン・ウィリアムズ楽曲集を聴きながら帰るという習慣を忘れていた。

街の音が直接耳に届いていた。

自転車を漕ぐ膝が痛む。

自宅が近くなると、両親に何と説明するかを考えねばならなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

青いマクガフィン @sodom_vs_godzilla

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ