ヒロイン

自転車で帰宅前に、古本屋に寄り、中古ビデオの棚を物色する。これは日課だ。

目新しい品は無い。棚の変化と言えば、「死霊のえじき 最終版」のDVDが、棚から消えている。

オリジナルは本当に素晴らしい作品だが、これの「最終版」は肝心なシーンを大幅にカットした改悪バージョンとして名高い。

それを知らずに誰かが買ったのだ。哀れな。

それから帰宅。

辺りは殆ど暗くなっており、田んぼと畑の辺りには街灯も無いので、真っ暗もいいところだ。

一つ山を越えた住宅地の真ん中。

僕の家はそこにある。

よくある一軒家で、小型の大衆車が何とか収まる車庫と、物干しが置ける程度の小さな庭が付いている。

僕が小学校の時に、父がローンで買った家だ。

父は県庁に勤める地方公務員で、母は専業主婦。

車庫の奥まで自転車を突っ込むと、すぐ隣の勝手口から母が顔を覗かせた。

「おかえり」

「ただいま」

夕飯の支度が佳境と見えて、何やら香ばしい匂いがしている。

車庫に原付が無いところを見ると、父はまだ帰っていない様だ。

玄関から入り、部屋へ上がる。

スエットに着替えて、洗濯物を洗濯カゴに入れ、風呂場の浴槽を磨いてから湯を張る。

洗面所で手を拭っていると、父が帰って来たらしく、単車の音にリビングの犬が懐っこく吠えている。僕にも吠えてくれてもいいだろうに。

「ただいまー」

父が洗面所に顔を出した。帰ったら、まず手洗いと嗽をする人だ。

「おかえり。お疲れ様です」

「おう。風呂掃除サンキュー」

その後、夕食になった。

上京した兄の席は、空席だ。三人で食卓を囲む。

兄がどうしているかという話題と、僕の成績と作っている映画の話題を捌き切り、早々と夕飯を平らげる。

父の後に風呂に浸かり、部屋へ上がる。

ドアを閉めて、漸く自分の時間がやって来た。

父と母のことは、親として好きだし、何一つ文句が無い。無さすぎる。もっと抑圧してくれれば、僕ももっと屈折した作品が作れたのではないかと思う程だ。

だがそれも贅沢な話だし、罰当たりなことだ。

おかげで僕はやりたいことをやれている。

机に向かう。

ベッド横に置いてある、元々は兄貴の部屋にあった液晶テレビで、「怪獣総進撃」を流す。

これも僕の日課だ。

父が揃えている、ゴジラシリーズをはじめとする東宝怪獣映画と、若大将シリーズ、東映のトラック野郎シリーズを垂れ流しつつ作業をする。

今は怪獣映画の期間だ。明日は「オール怪獣大進撃」か。やはり本多監督の作品は傑作だ。社会に対する不信感が背景に感じられ、それ故、怪獣や怪人が暴れている姿にとても共感が出来るのだ。

それから明後日の「ゴジラ対ヘドラ」が待ち遠しい。

僕の書棚には映画の本の他は、「ゴッドファーザー」三部作と「ローマの休日」と「第三の男」のDVD、それに、へドラとジェイソン・ボーヒーズとビッグチャップ(エイリアン)のフィギュアが並ぶ。

へドラはクリアのソフトビニールの限定品。ジェイソンもファミコンゲーム版塗装の限定品だ。

壁には「ブラック・レイン」の松田優作のポスター。

間違いなく、オタクの部屋だ。

ちなみに、本は、和田誠の「おたのしみはこれからだ」と「シネマッド・カクテルパーティー」など貴重なものだ。

さて、今日もこの部屋で、机に向かう。

まず宿題を簡単に済ませる。

ゴロザウルスがバラゴンの代わりにパリの凱旋門を破壊するあたりで、宿題を終える。

リュックから出したマックブックを開く。

編集ソフトを開く。

読み込む間、軽く柔軟体操をする。

指の関節をベキベキ鳴らす。

これからが僕の総進撃だ。


翌日、今日は土曜日。

半谷も神前も皆予定があるらしく、僕一人で朝からエキストラショットを押さえに走る。

睡眠時間は四時間程度だが、問題ない。獣は手負いの方が攻撃的な様に、人間も少し睡眠不足な方が集中力が増すという。

昼過ぎ頃、駅前で、雑踏の足元や雑多な看板を撮っていると、甲高い声に呼び止められた。

「ちょっと貴方!」

そちらを見れば、同年代の女の子が立っている。

「何ですか?」

「カメラを見せて下さい」

カメラが珍しいとはとんだ田舎者も居たものだ。

「嫌ですよ」

貯金しておいた入学祝いとアルバイトで貯めたお金で買ったデジタルカメラだ。そこまで高価な代物ではないが、高校生には高い買い物だった。他人においそれと手渡せるものではない。

それに、SDカードには今日撮った素材が入っているのだ。

「見せるのが嫌?どうしてですか?」

「大事な物ですから。貴女こそ、どうしてカメラを見たいんですか?」

カメラに興味を持つタイプには見えない。服飾のことはよくわからないが、流行りのファッションに身を包んだ、流行りの女の子といった感じだ。

こういう子は、フィクションラインの低いホラー作品で、怖い目に遭うキャラクターにキャスティングしてみたくなる。

ゾンビやモンスターより、シリアルキラーに襲われるとか。

「え?だってさっき貴方、私のこと撮ってたから……」

「え?」

何の話だったっけ。

そうそう。なぜカメラが見たいのか、という話だった。

「僕が撮ってた?貴女を?」

「え、うん、だから……」

「嫌だな。僕は風景を撮ってたんですよ」

彼女は余計に訝しんだ。

「みんなそう言うんだよね」

「みんな?」

僕も訝しむ。

互いに眉間に皺を寄せて、睨めっこする。

端正な顔立ちだ。化粧のりが良さそうだが、テカリを抑える程度で十分画になるだろう。

「みんな貴女を撮るんですか?盗撮?」

「そう。多くて困っちゃう」

美人だとは思うが、まだ小娘だ(僕と変わらない歳だろうけど)。

それに、珍しい程の美人ではない。

「気のせいでしょう」

僕の言葉に、彼女はムッときたのか、眉間の皺が深くなった。

「なに貴方!失礼な人!」

その声に、周りが反応する。道行く人が僕らを一瞥しては通り過ぎる。

「貴女こそ、変な人だね」

こんなことで慌てる僕ではない。

こういうことはよくあるし、それに、原付きの無免許運転二人乗りでトラッキング撮影の最中に、お巡りさんと出くわしたことがある僕だ。

服装だってこういう時の為に、不審者呼ばわりされないよう、綺麗にアイロンをかけたシャツを着るなど、身綺麗にしている。

「自意識過剰です。そういうことでしたら、撮ったものを見せますよ。貴女が自惚れ屋だと証明されるだけですけど」

「誰が自惚れ屋⁉私⁉」

声が大きく高くなって行く。

「私のこと知らないの⁉」

ついにはヒステリックに叫ぶ。

そこで彼女は、やっと自分の声が己の耳に届いたのか、周囲を見回し、チャコールグレーのシックなベレー帽を目元まで下ろしつつ、

「もういい!」

と宣い、去った。

残された僕は、途中からコッソリ回していたカメラを停め、その背中を見つめた。

『私のこと知らないの⁉』

知っていたら、ああ!貴女でしたかミラ・ジョボビッチさん!となるだろうが、知らない人だ。

大方、中堅の事務所で売れないアイドルでもやっているとかだろう。そのうち脱がされるのがオチだ。その時には、そのアダルト作品の動画を違法ダウンロードしてあげよう。


翌日日曜日は、昼から夕方までカラオケ屋のアルバイトだった。

時給870円で、月に六日程度の出勤だ。毎月2万5千円から3万円の給料を、映画部の活動費に充てている。

街外れのカラオケ屋の厨房仕事は、三十分に一回ドリンクを作って運ぶだけの仕事だ。

その間ずっと、携帯のメモで、シノプシスや脚本の下書きを書いたりしている。

これで時給が貰えるのだから楽なものだ。

他のバイト仲間も、宅建試験に備えるフリーターとか、哲学を勉強する大学生とか、似たような輩ばかりで、学校より居心地が良いくらいだ。

映画監督は、難しい仕事だ。

優れた芸術家でありながら、同時に優れたビジネスマンでなければならない。

人、物、情報、そして金。

それらを上手く捌き、作品を作るのが、映画監督なのだ。

資金の調達も効率的でなければ。

アルバイトもその一環だ。苦ではない。


明けて月曜日。

登校するオータム、……オラクル、……えーと、オムライスのショットを撮る為、早めに登校。

オムライスに知らせず、ドキュメンタリー風に撮ってやるのだ。

サブキャラクターにキャスティングもされている神前が、オムライスの前に突然現れ、「おはよう」と挨拶してから学校に行く迄を、押さえるのだ。

明るいのでパンフォーカスで行ける。

オムライスは演技の素人なので、これくらいの演出はしてやらねば。

見た目で選んだ演技未経験キャストなので、演技プランは立てようが無い。こちらでしっかりハンドリングせねば。

並木道を歩くオムライスを、気を挟んだ歩道から自転車ドリーで撮る。

朝のオムライスは、輪をかけてボケッとしているので、すぐそこでカメラが回っていても、気づかない。よしよし。いいぞ。

いよいよ木の影で神前が待ち構える。

「おはようっ」

神前が挨拶すると、オムライスは少し驚いてから挨拶を返す。

「びっくりしたぁ」

「ゴメンゴメン」

「サッキーどうしちゃったの。何か変」

「どうもしないわよ」

「ほらぁ。変じゃん。そんなしゃべり方」

サッキーは神前の愛称らしい。その神前はすっかり役に入っているらしい。なかなかいい女優だ。神前とオムライスは元々友人同士。音声は使わないシーンなので、二人が何を話そうが本編には関係ない。要は、二人が仲良さげにしているシーンを撮れれば良いのだ。

オムライス演じる主人公が、親友とのかつての友情を回想するシーンだ。

二人が校門に消えるところ迄を押さえ、

「カット!」

と僕が言うと、荷台に座った半谷がカメラを止める。

「チェックしよう」

と僕らが頭を寄せ合うと、

「こら!お前ら!二人乗りなんぞしおって!」

当然、生徒指導の浦田先生が校門の影から姿を現した。

「すみません!」

すかさず深々頭を下げる。

二度としません、と、頭を下げたまま言いつつ、ジリジリと校門を入り、頭を上げ、タイミングを外された浦田の顔を確かめてから、

「お疲れ様です!失礼します!」

と半谷と二人、転身する。


結局、朝撮った素材のチェックは昼休みに持ち越しとなった。

弁当を持って部室へ向かう途中、

「貴方」

背後から女の声がした。

振り向くと女子生徒が一人。

「はい?」

「同じ学校だったんだ」

何やら鬼の首を取った様に得意気だ。

「はあ」

「私、先週転校して来たところなの」

「はあ」

「貴方、映画部なんだって?今朝校門の前で見かけたよ。クラスの人に尋いたら、この学校じゃ有名みたいじゃない?」

「そうですか」

やっと思い出して来た。この前、土曜日にイチャモンをつけて来たAV女優だ。

彼女は、

「この前は悪かったと思ってる。謝るよ」

と、謝ると言った割に頭を下げる気は無い様だ。

「ああ、いいんですよ。では、これで」

腹も減ったし、部室に向かおうとすると、

「ちょっと!」

と、また呼び止められる。

「何ですか」

「貴方、私のこと忘れてる?」

「この前の土曜日に会いましたよね。憶えてますよ」

何とかね。

「よね!良かった。で、私のこと、まだ分からない?」

「シャーリーズ・セロンさん?」

「なによそれ、面白くない」

「何なんですか貴女。僕に構わないで下さい」

行こうとすると、彼女は僕の前に回り込み、

「先週の『うたパンゲア』観てない?」

と顔を寄せる。

口臭止めのミント臭と柔軟剤のフローラル臭。僅かに香るボディミストか何かの柑橘臭。

控えめなアイラインと薄い口紅、耳には小さなピアス。

型通りの"イケてる"女子高生だ。

「観てません」

「じゃあ、『IDOLer』は?』

「知りません。テレビはあまり観ないもので」

彼女は唖然として、言葉を次ぐのを諦めた様だった。

「それでは」

バスケットボールでディフェンスを掻い潜る様に(やったことはないけど)、横を抜ける。

「ちょっと!待って!」

背中に浴びせられる制止の声を、走って振り切った。


「そりゃお前、二年C組の秋里だ」

半谷が咀嚼中の飯粒を飛ばしながら言った。

逃げ込む様に辿り着いた部室で、ようやく弁当を食べている。

先に着いていた半谷は、既に弁当の殆どを食い終えている。

「秋里?」

「そうだよ。秋里典子。芸名『秋里サクラ』は、カマプロの看板アイドルグループ……」

「ああ、『シャイニー・シスターズ』だっけ?」

「……の、姉妹ユニット『ブライト・シスターズ』の右から二番目だ」

「知らないよそんなの」

僕は河豚みりんを苦々しく噛みしめる。

「つまり、まだ売出し中の芸能人ってこと?」

「そうそう」

「詳しいね」

「お前はテレビ観てなさすぎ。映画漬けじゃん」

「だって、まだ観ぬ名作が山ほどある上、自分で作ってちゃ、テレビ観る時間が無いよ」

「せめて時事くらいはさ」

「ラジオなら登下校で聴いてるよ」

弁当を食い終えると、二人で今朝の撮影素材をチェックする。

いいないいなと言い合い、フォルダに保存する。

「しかしお前さ」

「なに?」

半谷がこちらを向いて、姿勢を正した。

「秋里サクラは、確かに俺たちの学校に転校はしたが、チヤホヤされてるわけじゃないし、さりとて、無視されてるわけでもない、つまり、普通よりちょっと珍しい転校生って程度の存在だ」

「ああ、うん」

なんだ、その話か。

「だからさ、出てくれたりしねーかな?うちの映画にさ。箔が付くぜ」

「言うと思ったよ。却下」

「なんで?」

「そもそも向こうが首を縦に振ることは無いよ。それは僕との話からも分かるだろ?」

心象が良くないのは確かだ。

「それに、相手はプロ。ギャラを払わないのは失礼だよ」

「払う気は無いのな」

「まず第一、僕はそういう客寄せキャスティングが大嫌いだし」

出演者の人気を第一の頼みにした商業映画は、あまり出来が良い物が無い。と、僕は思っている。

「頭が堅いねー。『監督は優れたビジネスマンでなければならない』って、普段から豪語してる割に」

半谷はこういう痛い所を突いてくる奴だ。

「譲れないところはあるもんだよ。まあ、適役があれば、かな」

と、僕もお茶を濁すしかない。

「偉そー」

「半谷が言い出したんだろ」

少しの沈黙。やがて、僕はあることを思い出した。

「僕って、有名なの?」

「何だよ藪から棒に」

アキモトだかアキサカだかが言っていたことが、少し気になっていたのだった。

「アキハラさんだっけ?が、そう言ってたんだよ」

「秋里な。そっか」

「どういうことなんだよ」

「いや、ほら、お前、撮影の度に揉め事起こしてるから、学校中に知れてんだよ」

当たり前の様に半谷は言う。

「それに、例の火災警報の件じゃ、全校生徒と先生に迷惑かけた上、ヤンキーどもまで巻き添えにしたからな。お前のこと知らないやつの方が、居ないんじゃないか?」

「ええー?なんだ、それだけか」

「それだけって。何を期待したんだよ」

「僕の作品に感動した人が大勢いるのかと思ったんだよ」

「ボク達の、な」

「僕達の、うん」

「お前な、幸運だと思えよ。普通なら停学モンだし、イジメられてるかも知れないし、ヤンキーからはリンチされても仕方ないんだぞ?」

「うん、そうだろうね」

僕は不思議とそんな目にあったことが無い。

「呑気だなぁ、お前は」

「いやしかし残念だな。皆、僕らの作品を観てくれないかな」

「いやいや、まず、だって皆、映画って物を観ないじゃん」

半谷が愚痴をこぼし始める。

彼の意見には僕も同意する。

テレビ局の事業部が、自局のテレビドラマの映画版や、ベストセラー小説の映画化を乱発する世の中になり、映画館もそういう作品を優先してかけるという、製作から配給までのシステム的問題がある。

その為、海外や国内の意欲的な芸術作品が観られにくくなっている現状。

そんなこんなを話していると、昼休みも終わりとなった。


同日放課後。

予定より少し押しつつも、なんとか撮影を終えて、マクドナルドでミーティングとなる。

半谷、神前、須東、オムレツ、そして僕。

それぞれがSサイズのドリンクを飲み切り、更に氷が溶けて水になったのを噛み潰したストローで啜るまで、話し込む。

話しているのは大体僕だ。そこへ神前と、時々半谷が質問や注釈を入れてくれる。

クランクアップは目前だった。

先日急遽変更した内容を伝え、撮影の詳細について、再度アナウンスする。

今回の作品は、夏をテーマにしていた。

大体みんな夏が好きだ。夏を題材にした映画作品も多い(撮影時間や光の都合だろう)。

そして大概は、明るく爽やかな夏のイメージを思い描く。

青春のイメージなのだろう。

だが、僕からすると、夏に良いことなんて何も無い。

日が長いから、撮影に向いているというくらいだろう。

暑いし、やたら日が眩しい。

気分が暗い時に、目も眩む光を浴びせられても、余計に陰鬱になってしまう。

そういう周囲の明るさ故の、暗澹たる夏を作品にしたかった。

話はこうだ。

主人公の少女は、毎日を孤独に過ごしている。

彼女はその中で、少し前までのことを回想する。

彼女には少し前まで親友が居り、二人は仲良くしていた。

だが、主人公はその友情を失う。

親友は別の友達グループで過ごす様になり、主人公はそれを見て、嫉妬するものの、もはやどうすることも出来ない。

そして、今は一人孤独に学校生活を送っている。

筋書き自体それだけの話だが、合間合間に、親友の行方不明の噂や、血のついたカッターナイフのイメージが挿入され、最後には主人公が手に持つ髪の毛の束と、パトカーのサイレン音で終わる。

つまり、本当のところ、彼女は親友に恋慕し、その結果友人関係が崩れてしまい苦悩した結果、親友を殺害するにまで至った、というストーリーなのだ。

タイトルは、「DOG DAY」。

"猛暑日"という意味であり、名作「狼たちの午後」から取っている。

この夏に、バイト先でコッソリ失恋した経験を活かして書いたシナリオだった。

言っておくが僕は異性愛者である。勿論。

今回の作品にレズビアン要素を入れたのは外連だ。他意は無い。

ちなみに失恋云々の話は、皆にはしていない。そもそも話したくないし話せないから、映画にするのだ。


「では、そういうことで」

大量の変更箇所を伝え、質疑応答を終えると、皆で席を立つ。

空っぽの紙コップは、須東が皆のをまとめてゴミ箱に捨ててくれた。

表で解散になるが、半谷は神前とオモニを送って帰るという。

「お前はスドーちゃんをよろしくな!」

こういう紳士なところがあるから、半谷は女子からモテるのだろう(それでも一般的なレベルなのだろうが)。

須東は電車で通っている為、駅の方へ送ることに。

しかし何故僕が須東なのか。神前とオマールの方が作品への関わりが密なので、話しながら帰れたのに。

半谷も肝心なところで気が利かない奴だ。

「後ろ、乗る?」

自転車二人乗りを須東に促すと、

「え、いや、いいっス。重いんで」

と遠慮する。

須東は僕より背が高い、というより、そこらの男子より遥かに上背がある。

確かに、体重は僕と同じくらいだろう。

いいから乗れよと勧めるほど僕の脚力は頼れるわけじゃないし、僕自身がそれほどフェミニストでもない。

それに、背中にあの胸を当てられでもしたら、大ごとだ。僕は童貞なのだ。

僕は自転車を押して歩くことにした。

須東と二人で歩く。

沈黙。

今更沈黙が気まずいわけではないが、どうも落ち着かない。

僕はいつも何かしらしていないと時間が勿体ないと思ってしまう質だ。

何か話したいものだ。

ちなみに、須東は映画部だが、そんなに映画に詳しいわけではない。

僕は映画以外に話題が無いので、困った。

あ、いや、待て。

確か、須東は宮崎駿監督による88年のアニメ映画、「となりのトトロ」が好きだった筈だ。

「須東」

「うス」

「トトロ、好きなんだっけ?」

表情が少ない癖に、見る間に笑みを浮かべる須東。

「はいっ、大好きでスっ」

「そっか。僕も好きだよ」

「本当っスか⁉良かったっス」

須東は子供っぽく、握った拳を上下に振りながら、声を張る。

しかし、直後にそのハシャギようを改める様に、嘘の咳で間を取って、周囲に気を配る。ファンの目でも気にしているのだろうか。

「先輩、アニメもご覧になるんスね」

「うん、あんまり沢山じゃないけどね。観るよ」

「スタジオジブリの作品、自分好きなんス」

「そうなんだ。意外」

「意外っスか?なんでっスか」

「いや、須東は空手やってるでしょ?カンフー映画とかが好きなのかと思ってた」

須東は少し笑って、

「ああ、だから先輩、演技指導の時、私に『燃えよドラゴン』の踏みつけみたいにーとか言ってたんスね」

踵を軽く地面に打ち下ろす。軽くやっているのだろうが、ポメラニアンくらいなら即死する強さだ。

「え?それじゃあ須東、『燃えドラ』観たことないの?」

「あの日帰ってから観ました。パパが、いえ、父が、ビデオ持ってたンで」

「そうだった。あの日はNG連発で、何日か後に再撮影したんだっけ。再撮影では一発OKだったもんね」

「そっス。『燃えドラ』観てから、自分で研究したっス」

「そうだったのか。や、それは悪かったね」

これは僕の演出ミスだった。僕の話が一方通行で、須東を困惑させてしまったのだ。

「先輩が謝ることないっスよ。私の不勉強がイケナかったんスから」

須東が足元を見ながら微笑んでいる。撮影のことでも思い出しているのだろうか。

確かに、あの撮影は楽しかった。だからつい、僕も夢中になってしまい、冷静さを欠いてしまったのだろう。反省せねば。

「でも、観てないなら観てないって言ってくれれば良かったのに」

「そう言うと、先輩は必ず、全部自分で演じて見せてくれるじゃないスか」

「うん、そうだけど?それが?」

「いえ、毎回全力でやって、肩で息をしながら戻られるンで、なんか、悪くって。一度なんか、背中を痛めてらしたし」

髪の毛先を弄りつつ、須東は声を落とす。

「そんなの気にしないでよって言ってるのに」

僕は呆れたが、須東のこういう優しさは、助かる局面もある。文句を言うつもりはない。だが、

「演者と演出家は信頼し合ってナンボだよ」

と言い含めておかねば。

「すンません」

「や、僕も悪かったよ」

少しの沈黙。

「トトロってさ、どういう話だと思う?」

僕から話しかける。幾分僕らの気分も和らいでいた。

「どういう?んんー、子供が頑張る話っスか?」

「あ、そうだね。的を射たね」

「正解っスか?」

「正解も不正解も無いんだけど、僕がそう思ってるって話」

向こうの喜ぶ話をしてやらねば。先程の話で、ばつが悪い気がしていた。

「先輩もそう思うんスね?」

「うん。要するにイニシエーションの話だね」

「なんスか、それ?偽の宝石みたいな?」

「それはイミテーションだよ。イニシエーションは、通過儀礼って意味で、要するに大人になる儀式のこと。元服とも言うね」

「へえー。子供が大人になるお話っスか」

「ま、僕も本で読んだだけなんだけどね。でも、そういう作品は沢山あるよ。子供みたいな大人が、ちゃんとした大人になる話も、そうだね」

「イニシエーション。難しいっスね。トトロはイニシエーションの話なんスか?」

「うん。だと思うんだ。それと、"無垢"なことってのが、どういうことなのか。子供って何だろうかって、話だと思う」

「はア」

須東は眉を八の字にして考え込む。今日は妙に表情が豊かだ。

「つまり、どういうことっスか?」

「普遍的ってことだよ。いつの時代に誰が観ても、子供について分かる話ってこと。トトロと接するあの子供達だけの特別な話でなく、一般的な"子供という者"について描いてるんじゃないかな」

「ふへんてき、っスか。サツキちゃんとメイちゃんは、確かに、普通の子供っスもんね」

「だよね」

「具体的には、どういうことっスか?」

僕は考えを整理する。

「うん、まず、サツキとメイ、二人は姉妹だけど、二人も子供が出てくる意味だよね」

「はい」

「どっちか一人でいいはずだけど、二人の主人公が居るわけだね」

「はい」

須東はすっかり書生さん然として聞いている。

「でもこれが大事なんだ。二人の違う点。それが大事。実は、姉のサツキの方は、少し大人なんだよ」

「そうなんスか?」

「うん。まず脚本の段階から。お地蔵様の所で雨宿りするシーンがあるよね?」

「はい。メイちゃんと、下校中に雨が降るんスよね」

「そう。そこへ大家の孫のカンタがやって来て、傘をくれるでしょ?」

「はい。こう、」

須東はそのシーンのカンタが傘を差し出すアクションをやりながら、

「『ん!』」

と短い台詞まで付けてくれる。

「ってやつっスね」

「そうそう。で、その後なんだよ」

「後っスか?カンタは雨に濡れながら走り去るんスよね」

「そう。でも、カンタはさ、笑ってるんだよね。雨に打たれながら」

「はい」

「ね?でさ、サツキはというと、こっちも、傘を差しながら笑ってるんだよね」

「はい」

「なんでカンタとサツキは、笑ってるんだと思う?」

「え?うーん」

須東は顎に手をやり、次にはその手を頬に当て、何やら言いにくそうに、

「好きだからっスか?お互いに」

と僕の膝あたりを見ながら答える。

「惜しいな。まだ二人にそんな明確な感情は無いと思う。その手前なんだ」

「手前?」

「つまり、カンタは女の子に自らのジェントルを見せることで、そのヒロイズムを嬉しんでるんだよ」

「はい」

「で、サツキは、同年代の男の子から生まれて初めてレディーとして扱われて、嬉しかったんだよ」

「なるほど!納得っス。だから二人は笑ってるんスね」

「そう。要するに、二人は少しだけ大人なんだよ。メイよりね。あのシーンは、そういう意味だと思う」

「分かった気がしまス」

「でさ、脚本だけでなく、サツキとメイは、キャラクターデザインにも差があるよね」

「デザイン、スか?」

「うん。サツキの笑顔や泣き顔を思い出してみて。目鼻口、どれも大人と同じ様にデザインされてたよね?」

「ああ。はい、そっスね」

「でも、メイは違わない?」

「確かに。なんかこう、なんてゆーか」

「そう、トトロに似てるよね?」

「あ!そーっス。それっス」

須東はコクコクと頷く。

「ね?メイの歯並びや、目の離れ方は、トトロのそれにソックリでしょ?」

「そうっスよ。そうっスね。でも、なんでっスか??」

「それは、子供を、人間と言うよりむしろ、"トトロ側の生き物"としているからだよ」

「トトロ側?」

「鳥獣側、と言うか。子供はケモノと同じだと言ってるんだよ」

「け、ケモノ?っスか?」

「うん。だって、メイの行動や言動を思い返してみなよ。犬や猫と変わらないでしょ?」

「えー?あー。ええ?あ、うーん」

須東は暫く困惑しながら、眉間にシワを寄せていた。やがて、

「そっスね。そうかも知れないっス」

と、不満げに漏らす。須東は子供好きなのかも知れない。

「そうなんだよ。まだ物心が付かない子供を、動物として描いてるんだ」

「はァ」

「でも、そんなメイは、姉のサツキがお母さんが心配で泣いているのを見て、ある行動に出るよね」

「はい、最後の方っスね。お母さんに会いに行くんスよね。一人で」

「そうそう。でも、それは只お母さんに会いに行くんじゃないよね?」

「はい、トウモロコシを届けにっス」

「そう。つまりね、周りから世話をされるだけだったメイが、そこで初めて、人の為に行動するんだよ。初めて、理性的な行動を取るんだ」

「おお!」

須東は手でも打ちそうな様子だ。

「あのシーンで初めて、メイは人間になるんだよ。他者に食事を与えるという行為で」

「なるほど!」

「だからほら、エンドタイトルで、メイは赤ちゃんの世話をしてるよね?」

「あ!はい!そんなとこもあったっス」

「母親の不在と、姉の挫折を目の当たりにしたメイは、一つ大人になったんだね。大冒険までしたし」

「だから、イニシエーションなんスね」

「そう。イニシエーションだね」

嬉しそうに笑っている。デカい図体して可愛いヤツだ。

「サツキちゃんは?どうなんスか?成長してるんスかね?」

「元々お母さんの手伝いをしてた様子だから、しっかりしてる子なんだろうけどね。みんなのお弁当作ってたでしょ?」

「そっスね」

「でも、母親の代わりをやらなきゃって程度の意識のサツキも、最後には本当の母性が芽生えてたもんね」

「まー、妹が行方不明になれば、そうなるっスよ」

「そういう姉妹愛も泣かせるよね」

「っスね」

などと話している内に、駅に着いた。

「着いちゃったっス」

「そうだね。帰りは気をつけて」

須東は名残惜しそうに、切符売り場へ向かう。

「先輩」

「なに?」

こっちを振り向いた須東は、ここ暫くで一番の笑顔だった。

「お話出来て楽しかったっス」

「僕もだよ。あ、でも、映画の話ばっかりでゴメンね」

毎度こういう時に後悔する。喋りすぎて、相手の話を聞けないことが多い。僕の悪い癖だ。そういう時は「アニー・ホール」が観たくなる。

「そんな。トトロのお話、スゴく勉強になったっス!」

「宮崎監督に聞いたわけじゃないからね?念の為」

二人で笑った。須東は本当に僕の長話を面白く聞いていた様だ。

「私も、イニシエーションするっス」

「須東はもう大丈夫じゃないかな」

胸なんか特にな。それに、空手なんかをやっていれば、個人を捨てて社会的な関係を構築する能力はあろう。

「そんなことないっス。イニシエるっス」

「そうか。じゃあ、僕もしようかな」

僕にもまた、本当の挫折が必要だとは感じている。ほんのチョット。

「じゃあ先輩と一緒に大人の階段を昇るっス」

「それは語弊がありゃしないか?須東」

須東は小首を傾げながら、改札を入って行った。おぼこい奴だ。

ホームの方から、「失礼しまス!」と、元気の良い挨拶をして来たので、手を振ってやる。

やれやれ。少し話し疲れた。

大人になる、か。

僕はもう大人なのか。それともまだ子供なのか。

兎に角、今は、腹が減った。

自転車で帰路に着く。

夜風がもう随分涼しくなって来ていた。

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