2話 風の笛吹②
「……この笛は、物心ついたときにすでに持っていたものなんです。似たものを持った人に会うのはこれがはじめてで。だからつい、たずねてみたんです」
さきに少女が沈黙を破った。
「なるほど。僕も、旅をしていてはじめてです。この笛と似ているというのは……」
とつぜん笛吹は手に持った帽子をいじり、視線を落として困った顔をした。そして、横目で少女の様子をうかがいながら、
「実は、ちょっと僕も、おたずねしたいことがあるのですが」
と、彼は真剣な眼差しをする。
「はぁ……何でしょう?」
少女は、神妙な面持ちで笛吹を見た。
「とつぜんですが、この『
笛吹は、手をうしろに差し向けるように身体をそらし、そこに置かれた革の旅行鞄を見せた。
年季の入った頑丈そうな鞄が、キャリーカートにしっかり固定されている。
鞄はわりとシンプルなものに見えたが、下にあるカートは、ずいぶん個性的なものだった。
カートは、四つの金属製の歯車のような車輪がつき、後輪が前輪と比べ、目立って大きい。
それだけでなく、4枚の
「いいえ。こんな変わった鞄、はじめて目にします。それで『見覚え』とは、どういうことで?」
笛吹は少し目を
少女は、何か事情があるのだとすぐに察した。
「実は……ついさきほど。そこの駅馬車乗り場で、『とある老婆』が、この鞄を『ある人』に手渡してほしいと」
「『ある人』?」
「はい。それが、『青い笛を持った少女』だと」
少女は胸に手をあてた。
しかし、彼女は腑に落ちず、首を傾げ、こめかみをひとさし指でトンと叩いた。
「たしかに。青い笛を持ってはいますが……その方は人間の、それとも……」
「見たかぎりは、『人』でした」
「お名前は聞かれなかったんですか?」
「聞いてはみたんですが、とにかく、〈青い笛を持った少女〉だとしか……そのあと老婆も、すぐに駅馬車に乗って行ってしまいまして。もしや、持ち主が鞄をうっかり置き忘れて、それをあの老婆は偶然、近くで見ていたとか。それで、持ち主の特徴は何となくわかっていても、名前まではわからなかったのでは……と」
少女は困惑の表情を浮かべた。
「まぁ。でも、この笛も、私以外に持っている人はいるかもしれません。そもそも、その鞄もはじめて見れば、私には祖母もいませんし、親しいお年寄りの知りあいも特に……。ただの偶然では?」
笛吹は、納得した表情で肩を落とした。
当然だろう。
こんな突拍子もない話を信じるほうがおかしい。
でも少女には、笛吹が、平気で嘘を言っているようには思えなかった。
彼女には、困り果てた彼の様子が、老婆への親切心に満ちあふれて見える。
笛吹が言うに、「とある老婆」は七、八十歳くらいで、少し腰を曲げ、ゆったりとした白っぽい服装に格子編みの革の帽子をかぶった、上品な格好をしていたらしい。
嘘をつくようなそぶりもなく、彼女は必死に、その鞄を持ち主に手渡すことを笛吹に懇願していた。
ところが、少し不思議だったのは、急いで路上の駅馬車に乗って行くその身のこなしが、老人とは思えないものだったという。
ひと通り、笛吹の話を聞いて、少女は思いあたる節を頭の中で探してみたが、そんな身軽な老婆など現実にいるわけもなかった。
しばらく、彼女は思案しつづけていると、笛吹が何かを思い出した。
「あぁ、そういえば! 鞄か何かの『鍵』を持っていたりはしませんか? その老婆が去り際に、『その子はきっと鍵を持っている』とか、どうとか?」
「そんな『鍵』など持っていません。あるのは家の鍵ぐらいです。ここはもう……」
諦めかけたとき、少女は鞄の脇に括りつけられた、小さな飾りに目を引かれた。
彼女は鞄に駆け寄ってしゃがむと、服の下から、また小さな青いパァンの笛を取り出した。
そして、
「わぁ?! そっくり!」
掌の上に並んだ二つの青い笛は、細かな部分を除いて、感触、形とほとんど大差のないものだった。
「へぇー! まったく気づかなかった! わりと目立つのになぁ」
笛吹もまた鞄に近づいてかがむと、少女の掌から鞄の笛を取り上げた。
鞄につけられた小さな青いパァンの笛は、ちょっと見ただけでは、少女の持つものと区別がつかない。
しかしながら、これが同じ人のつくったものなのか、それとも鞄を預けた老婆と何か関係があるのかはわからなかった。
「そのおばあさんは、青い笛のようなものを持ってましたか?」
「いや……定かではありません。ですが、おそらく身につけてはいなかったと思います」
「そう――」
ほかにも、笛吹と老婆の関係もあらってみたが、いま一つ手がかりは出てこなかった。
しかし、ここでかんたんに引き下がるのは、青い笛を持つ少女にとって少しもどかしい思いがした。
「ならば、私の両親に聞いてみましょう! 何か手がかりがわかるかもしれません」
「なるほど! その手がありましたか! ただ……」
笛吹は紫水晶の瞳を煙るように曇らせた。
「ただ、僕は、今日泊まる宿すら決まっておらず、これから探さないとなりません。しかし、この混雑でもうどの部屋もいっぱいでしょう……もし、野宿となると、僕は構いませんが、この鞄が、置き引きにあうかもしれません。預け屋もいっぱいのようでしたから……」
笛吹は少し笑って首をひねった。
そして少し考えるように背中で息をつくと、手に持った鞄の笛をそっとおろす。
少女は、こめかみをひとさし指でトンと叩いて難しい顔をした。
すると、笛吹は立ち上がって変わった提案を少女に持ちだした。
「……一つ、お願いがあるのですが。この鞄をいっとき、預かってはいただけませんか?……」
少女はあっけにとられて笛吹を眺めている。
どこの誰のものかもわからない鞄を今日はじめて出会ったものに、それも、いきなり預かれと言われるのだからしょうがない。
たしかに、今の状況ではヘイルハイムでの宿泊は難しい。
かといって、少女の家に泊めてしまえば万事解決とはなるが、そんなのはさすがに気が引ける。
両親を頼る手もあるが、あまり、
ここで彼らに貸をつくるとあれば、娘のためにと過保護も図に乗り、拍車をかける悪いきっかけとなる。
そうなれば、親と距離をとるための手段でもあった一人暮らしにも、今後、大きな影響を及ぼしかねない。
しかしながら、それでも鞄を引き受けるのは難儀だと思った。
少女はとっさに我に返えると、面倒ごとはごめんだと、一番まっとうな方法を持ち出そうとした。
「え、えーと、それもそうですが。やはり、ここはですね……交番に……」
けれども、笛吹はあの紫水晶の瞳を遠くにやり、一人で勝手に話を進める。
「……それに! もしかしたら、あなたの忘れている大切なものかもしれないですし! 明日まででいいんです!」
「えぇ、あぁ、明日まで……」
「そうですか! ありがとうございます! では、僕は大切な用事があるので、また明日、同じ時間にこの場所で」
笛吹は一方的に喜ぶと、少女に鞄を半ば強引に手渡した。
そして、銀に光る懐中時計をチェーンでさげたポンサックを肩に、人混みに向かって走りだした。
「あ――」
少女は、笛吹を呼び止めようとする。
すると、笛吹は身をよじってふり返り、
「あっ! 僕はパァンといいます。もちろん食べる『パン』ではありません!」
と言ってにこりと笑い、風が隙間を縫うように人混みの中を消えていった。
(名前なんて、誰も聞いてもいないのに……)
笛吹の不思議な勢いに、少女はうまいこと言いくるめられたと思った。
しかしながら、あいまいな答え方をしたらしくない自分にも落ち度はある。
彼女はその怒りをどこにぶつけてよいかわからず、苦虫を潰したような何ともやりきれない気持ちでいた。
すぐに笛吹を追いかけようとしたが、あまりの混雑と勢いに押され、少女は広場に取り残された。
ちょうどめうらしく、にわか雨が降りだしていた。
近くに雨雲など一つもなかったはずだ。
地上の凪とは打って変わって、上空はだいぶ吹き荒れているのだろうか。
広場を行きかう生命魂たちが、きゅうな雨に驚き、屋根を求めていっせいに移動しはじめていた。
いまいちバツの悪い少女は、その流れに逆らうようふり返った。
そびえ立つアポロの塔が、ぼうっと揺れる。
はじまりの「鐘」は、いつ鳴っていたのか。
昼下がりの影をつくるその塔は、少女の知らないうちに〈傾斜の刻の終わり〉を告げていた。
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