第2話母親

 登校日のたび、いじめはエスカレートしていた。教師は朱夏のレポートを見ようともしなくなり、単位を取ることができなくなった。

 教室では赤田と青崎が、黒板や朱夏の机に落書きをし始めた。

 ただし、人の生死を決める言葉はない。

 代わりに、子どもを授かる過程を描き、朱夏をそのモデルとした。

 「牧村さんはお若いから、きっと好奇心を抑えられなかったのよね」

 「お仕事やご家庭では一体どうされているのでしょうね? お子さんが小さければいくらでも誤魔化せるから、楽しくできるわね」

 普通の声量から一転、クラスメイトがいる中で叫ばれるようになった。

 クラスメイトは皆、困惑していた。いつ、自分が、朱夏と同じ目に合うのかと怯える者もいた。

 だが、誰もそれを止めることはなかった。

 かつて朱夏と一緒に煎餅を食べた敏子が、老衰のため帰らぬ人となったのだ。

 赤田たちにとって目ざとい存在がなくなった今、彼女たちの暴走は止まらなくなってしまった。

 仮に教師が赤田たちを止められたとしても、ここの高校ではそんな常識が通用しない。生徒が教師に歯向かうというのであれば、別の話だが。

 そして次の登校日、またしてもクラスメイトが一人減った。

 赤田たちとつるんでいた白川が、自主退学したのだ。

 しかし彼女がいなくなっても、赤田と青崎に動揺する様子は見受けられなかった。

 一人の戦略を失っても、いまだ幼稚な非道は続く。

 そのかたわらでは、教師に取り巻く姿がさらに目立つようになる。

 そんなとき、赤田と青崎に虐げられている一部の生徒が、囁き合っていた。好奇心旺盛な十代の女の子たちだ。

 「ねえ、白川さんって、本当に退学したのかな?」

 「怪しいよね。私たちとは正反対の立場の人なのに」

 「もしかして、VIVIDに関わったとか?」

 「やめてよ、こっちまで巻き込まれるじゃない。あれ、ただの噂じゃないっていうし」

 静かな悲鳴が振動のように、朱夏の耳に響いた。そのとき、朱夏の目が彼女たちを追う。

 「あ、牧村さん・・・・・・」

 女の子たちは朱夏の視線を感じ、咄嗟に背を向けた。朱夏は同じ立場の人たちからも孤立しているのだ。

 だが、赤田と青崎はその瞬間を見逃すはずがなかった。

 「あなたたち、私たちだって、白川さんのことを案じているのよ。余計な口を挟まないでちょうだい」

 「それに、気を付けなさい。いくら私たちより格下だからって、牧村さんと関わると、その歳で妊娠してしまうわよ。将来、立派な子どもを産みたいでしょう?」

 女の子たちは俯き、二つ返事で自分の席に座った。

 けれど朱夏は違った。頭の中でなにかが切れる音がすると同時に席を立ち上がり、大股で赤田と青崎のもとへ向かう。

 「今の、聞き捨てならないわ。確かに私は十代で息子を産んだけれど『立派な子ども』でないのですって? 息子は十分立派よ。侮辱するなら私だけにしなさい!」

 朱夏は酷く興奮している。一人の生徒としてでなく、大事な一人息子を見下されて憤慨する母親の目で、鋭く睨んだ。

 この学校の風紀が乱れ、赤田をはじめほとんどのクラスメイトが混乱してしまう。

 俯いていた女の子たちも顔を上げ、朱夏と赤田、青崎を順々に見渡す。

 「あ、あなた、自分がなにを言っているのか分かっているの?」

 「校則を破っているのよ? 本当のことを言っただけなのに、これだから困るのよ!」

 「校則がなによ! こんな馬鹿馬鹿しいの、校則なんて言えないわよ!」

 朱夏の叫びを最後に、教室がしんと静まる。校内の教師たちを束ねる生徒指導の大塚が現れたのだ。

 「これはなにごとだ?」

 大塚は朱夏をじろりと見ているが、別の人に問う。

 「大塚先生、牧村さんが騒いで大変なことになっているのです」

 赤田が真っ先に駆け寄り、答える。

 「教室の風紀を乱して、私たち困っていたところで・・・・・・」

 青崎が続くと、彼女たちにいじめられている立場の生徒までもが二人の言葉に頷く。

 朱夏への侮辱を肯定してくれる生徒など、一人もいない。

 せめて敏子が生きていれば、と朱夏は強く思う。

 きっとこの歪んだ世界の住人に、喝を入れてくれたかもしれないのに。

 朱夏は大塚ではなく、赤田を含むすべての生徒を一人ずつ睨み付ける。

 他の生徒は表情が強張り、赤田と青崎は「きゃっ」と小さく声を上げる。両方の拳を自分の顎に付けるという、今どき滅多に見ない仕草で。

 すると大塚が、教室の中へと入りだす。朱夏は、赤田たちに慰めの言葉をかけるためだと思った。

 きっと、他の生徒も朱夏と同じことを考えていただろう。

 しかし大塚は予想を裏切り、朱夏と向き合う形で立ち止まる。

 「牧村、今から生徒指導室に来い。君たちは講義のまとめでもしていなさい」

 「は・・・・・・?」

 大塚は突き放すように目を背け、大股で教室を出る。

 どうして私が一方的に責められるの? 朱夏の疑問の声など、耳に届くはずがない。耳を貸すつもりもないだろう。

 どうせ、この時間が終われば放課後だから、と朱夏は帰り支度をして生徒指導室へ向かう。

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