第9話観客

 四回目の登校日、高校で変化が起きた。

 一度に三人のクラスメイトが退学したのである。

 一人は、教師にいじめられていた男子生徒。転校初日、夏樹に忠告した者だ。

 教師の辛辣な言葉の数々に耐えきれなかったのだろう。

 残りの二人は、主婦でもあるクラスメイトだった。

 彼女たちの退学理由は見当もつかなかった。

 教師に媚びているためいじめられる可能性は極限に低く、また仕事を持っているわけではないからだ。

 他のクラスメイトは三人の退学を悲しむことはなかった。

 前者の退学には納得しているが、後者に関しては不可解な様子である。

 それは、夏樹も同じだった。けれどクラスメイトと違うのは、誰かと囁き合うことがない。それだけだった。

 ホームルームが終わり、教師が教室を去ると、女子生徒の囁く声がひっそりと、けれどはっきりと第三者の耳に届くよう広がった。

 夏樹はそれを逃さなかった。

 「ねえ、私偶然聞いちゃったんだけどさあ、あの二人と教頭先生がこそこそと話していたんだよね。なんか『ヴィヴィッド』? とか言っていた」

 「ちょっ・・・・・・それ禁句だってば! 忘れたの?」

 「でも変じゃない? あの二人が退学するなんて」

 「それでも言っちゃだめだって!」

 「分かったよ」

 どういうことだ? 夏樹は鋭い目で女子生徒を睨んだ。

 答えを求める夏樹に対して、彼女たちはただ怯えるだけだった。

 男性の威嚇に身を縮めたのか、それとも禁句に触れた後悔なのかは、異性の夏樹には分からない。

 「わ・・・・・・和田君、なんでも・・・・・・ない、から。ね?」

 「そ、そうよ。本当に・・・・・・ね」

 この様子では確実な情報を手に入れられないと判断した夏樹は、眼光を瞼で遮断して、彼女たちに背中を向けた。

 険しい雰囲気が消えたことで、彼女たちは一息ついた。

 そして夏樹のいる教室で禁句を口にすることは二度となかった。

 一方、夏樹は指で顎を撫で、考え込んでいた。


 ヴィヴィッド・・・・・・VIVID・・・・・・「鮮血な、鮮やかな」・・・・・・大塚教頭と主婦の元クラスメイト。一体どういう関係があるのか?


 気になる!


 夏樹の心は紅蓮の炎を纏っていた。

 母親の朱夏に似ているせいか、探求心が強く、何事もはっきりと解決しなければ納得しない性分であった。

 これは大仕事になりそうだ。夏樹は授業中、上の空であった。


 「ーーということで、二十四時間の見張りが必要になるかと思います。とくに教頭を務める大塚正に関しては」

 またもや七人の先輩刑事は開口し、五本の指で前髪を掻き乱した。

 中には頭部前面の髪の毛が寂しい者もいた。

 「牧村・・・・・・お前、噂通りの無茶ぶりだな。お前が以前勤務していた交番の連中から聞いたぞ」

 田中が肩を落として嘆いた。

 夏樹は彼の心中を知らずに、あっけらかんとしている。

 「いけませんか?」

 「いけなくはないが。お前も俺も! ここにいる皆も生身の人間だということを忘れるな! と言いたいの」

 「分かっていますよ、そんなこと。だからこそ、事件も生ものでしょう?」

 「ちくしょう! 俺はゆとり教育を呪うぜ!」

 「私も」

 「同じく」

 他の先輩刑事も田中に口を揃えた。

 その態度に、夏樹は驚いた。

 「え? どうしてですか? ゆとり教育の捉え方を間違えていませんか? 残業しないとか言うのが彼らでしょう?」

 夏樹の脳裏には一般企業に勤める新入社員の姿があった。背景は相変わらず灰色だが、新入社員の顔は夏樹の同級生が当てはめられていた。

 残業を命じる上司と逆らう同級生たち。

 けれど七人の先輩の脳裏にあるゆとり教育像は、夏樹のものとは違っていた。

 「俺が言いてえのは、先輩に向かってはっきり発言しやがったり、酷使したりするお前のことだよ!」

 田中が夏樹を指差した。本人の言う通り爪を切る暇もなかったので、指の爪が伸びていた。

 「牧村・・・・・・」

 田中は数字の一を書くように、真っ直ぐ指を下ろした。

 「この世界はチームプレイが必要だ! しかし実力主義でもある。よって、お前は筋が通っている! ・・・・・・ですよね? 課長」

 田中は夏樹にくるりと背中を見せ、夏樹たち刑事七人を束ねる男に振り向いた。

 「まあな。くたびれたオッサンでも体力溢れる若者でも、気張るときは気張らないとな。今後は牧村の潜入先を中心に洗っていくぞ、皆」

 「はい」

 「はい」

 「はい」

 夏樹を含め七人の刑事は、課長に向かって敬礼した。思いはそれぞれ異なるが、任務達成という目標は同じである。

 「では、早速作戦会議だが・・・・・・」


 四回目の登校日、夏樹はタートルネックのニットを着て、校門をくぐった。服の下には、盗聴器付きのネックレスが睨みを利かせている。

 警察署での待機組は、それをもとに有力情報を拾いだす。

 田中は大塚を校外から尾行、もちろん彼の耳にも夏樹からの情報が入るようになっている。

 教室では、クラスメイトが先週退学したばかりだというのにも関わらず、何事もなかったかのように、ゆったりとした時間が流れている。

 退学した生徒の仲間が一人だけ残っているが、以前のように第三者をいじめることはなくなった。

 よって、教室でのいじめは実際なくなったことになるが、それはあくまで生徒間での話だ。

 教師にいじめられていた男子生徒が退学したことによって、教師のターゲットがいなくなった。

 代わりに、今度は夏樹が教師に嫌味を言われ始めた。

 「まったく、親御さんの顔を見てみたいな。ああ、忘れていた。お前は確か施設育ちだったな」

 胸元の盗聴器が働いているとも知らずに、教師はクラスメイトの前で夏樹の出生を明かす。

 また、教師は夏樹の禁句を知らない。

 母親の朱夏を侮辱することだ。

 「牧村」夏樹であれば、退学になっても教師を殴るだろう。

 実際、夏樹は小学生のころ、同級生の保護者が禁句に触れたことで暴言を吐いている。

 「うるせえ、ババア!」

 夏樹の保護者代わりである施設の職員が何度も学校に呼び出されたことを、夏樹自身は覚えている。

 けれど今は状況が違う。刑事となり潜入までする「和田」夏樹である限り、大人しい地味な青年を演じなければならない。

 夏樹はこういうときに、社会の厳しさを感じる。

 なにもかもが思い通りにならない。ときには心ない辛辣な言葉を受けることもある。今の和田夏樹のように。

 刑事の牧村夏樹として聞き込みをしても、中には面倒臭そうに当てつけられることもある。

 人の負の心に触れ、侵されないように自律するのが刑事の務めの一つだ。

 夏樹は拳を握り、下唇を噛みしめた。

 それを良いことに、教師の舌は終業のチャイムが鳴るまで回り続けた。


 放課後、夏樹は一度下校した。そして忘れ物を取りに来たという名目で裏口から校舎に入った。

 夕方は通信制の生徒と入れ替わるように、定時制の生徒が集まってくる。

 夏樹は彼らに紛れて、屋上へと向かった。

 三階に登ると、夏樹は足音を消して次の階段を目指した。

 ところが、途中で男女の話し声が聞こえてきた。

 夏樹はサッと身を隠し、様子を窺った。

 声がする方向は、夏樹が目指していた屋上への階段だ。

 決して気付かれないように除き見ると、教頭の大塚と通信制の主婦生徒が屋上の入口を塞いでいた。

 「次の・・・・・・は・・・・・・時で・・・・・・」

 夏樹にはよく聞こえなかった。けれど署で盗聴器を分析すれば、夏樹が聞き取れなかった言葉が判明するかもしれない。

 夏樹は気配を消したまま、そこに居続けた。


 「よう、お疲れさん!」

 「お手柄よ、牧村君」

 署にいたのは、待機組の課長を始め、先輩刑事四名だった。

 「聞いて! あなたのおかげで前進できるわ!」

 「本当ですか!」

 女性の先輩が夏樹の肩を叩いた。

 夏樹は異性との接触でときめくより「前進」という彼女の言葉に反応した。

 ただ、その言葉の意味は、夏樹と彼女との間で大きく異なっている。

 彼女は春野菜々捜査の発展、夏樹は大塚の正体を暴くこと、それによって朱夏の居所を掴むことを指していた。

 「それであの・・・・・・田中さんは?」

 夏樹は辺りを見回した。春野菜々捜査班は課長と夏樹を含めて八人の刑事で形成されている。

 それが、現在署にいるのは夏樹と待機組の五人のみで、田中を含む尾行組三人がいない。

 「あなたが尻尾を掴んでくれたから、田中さんたちは別の作戦に入っているわ」

 そして彼女は夏樹に教えてくれた。

 この街のどこかでVIVIDという催しものがあると。

 「それでね、あなたには・・・・・・」

 このときの夏樹はまだ、すべての真実を知らなかった。

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