第8話侵入者

 「おい、牧村。何度も言うが、これは検事に任せても良くないか? それもこんな違法まがいなことまでする必要があるとは思えんが」

 「『和田』です」

 「あ、すまん、和田」

 深夜二時を回ったころ、夏樹と田中は潜入先の高校の裏口に立っていた。

 ある夜の会議で、夏樹はこう提案したのである。

「校内の資料を徹底的に調べましょう! もちろん、皆さんとご一緒に」

 「はあっ?」

 先輩刑事は七人揃えて顎を外した。深夜の侵入を提案する夏樹の精神を疑ったのだ。

 「まさか、春野菜々の分だけではなく、高校全体の資料とか言わないでしょうね?」

 先日までアパレルショップに潜入していた女性刑事が両手を広げて、夏樹に問う。

 「え? そうですけど、なにか?」

 夏樹が満面の笑みで答えると、またしても七人揃って先輩刑事 は肩を落とした。


 「あのなあ、和田。こういうのは検事に任せるもんだろ? しかもどうして俺らが泥棒まがいのことをしなければならないんだ?」

 「先輩はピッキングの達人だとお聞きしましたが?」

 「それでも子どものころの話だ。今とは違う!」

 「でも、それで功績を積み重ねて、刑事にまでなられたんですよね?」

 「うるさい」

 田中はぶつぶつと呟きながら、慣れた手つきで裏口玄関の鍵を開ける。夏樹はその手さばきを感心した目で見ていた。

 「さあ、案内しろ。お前が調べたいのは、どの教室だ?」

 「こっちです」

 夏樹と田中は当直者の目を盗み、廊下の壁を這って中へ進んだ。

 まず、夏樹が目を付けたのは、生徒資料室だ。

 ここには過去の卒業生の顔写真など、多くの資料が積まれている。

 二人は頭部に装着したライトの電源を入れた。照明の度合いは弱く、せいぜい目の前が見える程度だ。

 「おいおい、和田。春野菜々は在学生だぞ」

 田中は小声で夏樹に注意する。もちろん、手など動かしていない。

 けれど夏樹は資料の山に手を付け、流れるような仕草で仕分けしていく。

 「ここの卒業生、入学者の一割に満たないそうですよ」

 「そりゃあ、まあ、通信制だからな。仕事との両立が大変なのかもしれんな」

 「退学の理由がそれ以外であったら、どうしますか?」

 「は?」

 夏樹は屈んだ腰で振り向いた。田中の目に鈍い光が直撃する。

 「仮に春野菜々が校内でいじめられていなかった場合、彼女が登校しない理由がどこにあるんです? それを地道に調べるのが刑事だと聞いたのですが、違いますか?」

 「ったく、最近の若いモンは・・・・・・しゃあねえ、俺は入り口を見張っているから、やばくなったときはお前も撤退するんだぞ。いいな?」

 「はい」

 夏樹と田中は互いに背中を合わせた。

 夏樹は資料へ、田中は入り口の見張りと当直者の気配を感じ取るために。

 過去二十年でも卒業生の総数は二百人足らずだが、夏樹はそれを探るべく忙しく揺れる。


 ない、ない、ない・・・・・・。


 やはり、夏樹の母親、牧村朱夏の名前と写真はどの年度の卒業生一覧にも掲載されていなかった。

 朱夏は依然として行方不明のままであった。

 跡形を残さないよう、一つずつ資料をもとの場所に戻していると、黄色の染みが際立つ冊子を見付けた。

 背表紙がなく、紐で綴じられただけのそれには、夏樹を引き寄せるなにかがあった。

 夏樹は迷いなく、本の狭間からそれを抜き取った。

 埃を纏って現れたのは、筆で書かれた「校則」という文字だった。

 夏樹は白色の手袋をはめた手で、さっと埃を払う。

 手袋は白色から黒に近い灰色に変わった。

 頁をめくると、筆字はかすれていた。暗闇の中、頼りない明かりだけで文字を目で追う。

 多くの文字は「はらい」の部分と次の文字が繋がっていて、現代人の夏樹には少々読みにくい。

 夏樹は文章の中身を理解しているわけではない。それでも、夏樹は頁をめくる手を止めない。

 「おい、明かりを消せ。誰かこっちに近付いていやがるぞ!」

 トン、トン、と田中は夏樹の背中を突いた。

 夏樹は二度の突きでは気付かなかったが、三回目の感触でようやく田中のサインを察知した。

 夏樹は冊子を手に持ったまま、頭部のライトを消した。同じく暗闇に紛れた田中とともに床を這った。

 コツ、コツ、と誰かの足跡が大きく響いてくる。夏樹の鼓動は唸るほど激しかった。

 夏樹と田中は緊張の極みにいた。もし見付かれば侵入者とみなされ、警察に通報される。この作戦は捜査班のリーダーである課長の耳に留めておいているので、上層部に知られたらどのような処罰が下されるか分からない。

 また、和田夏樹の潜入も失敗となり、三週間の苦労が水の泡になってしまう。

 コツ、コツ、コツ・・・・・・。

 二人はただ足音が過ぎ去ることだけを願った。

 コツ、コツ、コツ・・・・・・。

 所持していると思われる懐中電灯の明かりが生徒資料室の入り口に当てられる。


 母さん!


 生徒資料室は数秒ほど照らされ、やがて明かりが揺れだした。

 コツ、コツ、コツ・・・・・・。

 そして、足音はゆっくりと遠くなっていった。

 「ふう、危なかったな」

 「・・・・・・はい」

 「今日はもう、撤退するぞ」

 「そうですね」

 夏樹は古びた冊子を携えて、深夜の校舎を後にした。


 「ってお前、なんてものを持ち出したんだよ! 牧村!」

 「なにって・・・・・・これですよ?」

 夏樹は先輩である田中に対して、高校の規則を記した紙の束をひらひらと揺すって見せた。

 「お前、刑事だろうが!」

 「はい、刑事です」

 夏樹の返事は、冊子に向けられた。田中の小言など耳に入らず、夏樹の視界は冊子の頁で占められている。

 午前四時ごろ、夏樹は灰色の手袋で、ある「校則」の項目を探した。

 頁を半分ほど開いたところで、ようやく目当ての文字を探し出した。

 そこには現存する校則の内容だけではなく、それを施行した年月まで記されていた。現在からおよそ八十年前、まだ全日制だったときになる。それを提案したのはーー。

 「なんだって?」

 「おい、どうした?」

 田中はすでに手袋を外し、素手で目を擦りながら夏樹の叫びに驚く。

 「俺・・・・・・この人知っています。名前だけですけれど」

 「おい、どういうことだ? ちゃんと説明しろ」

 灰色の手が震える夏樹の肩を田中が掴み、冊子を覗く。

 そこに書かれていた名前は、山田敏子である。

 もし生きていれば現在百十歳になる彼女は、かつて夏樹の母親、牧村朱夏のクラスメイトであった。

 敏子は九十歳で永眠したが、生涯現役で学問に励んでいたと、夏樹は聞いている。

 もし同姓同名ではなく、歪んだ校則を施行したのが彼女だとすれば、三十歳のときになる。

 つまり、山田敏子はかつての全日制高校の教師であったということだ。

 朱夏はこのことを知っていたのであろうか。

 もしそうであったとしても、幼かった夏樹に話しただろうか。

 山田敏子の存在を。

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