第7話生徒

 三回目の登校日、夏樹は初めて教頭と顔を会わせた。それは偶然のことだった。

 夏樹が課題のレポートに教師からダメ出しを受け、再提出するために職員室を訪れたときだった。

 担任の教師から小言を言われている間、夏樹は別の方向から強い視線を感じ取っていたのだ。

 夏樹が横目で追った先にいたのは、中年の男性だった。

 上半身は筋肉でがっしりしているのに、腹部だけ大きく膨らんでいた。

 顔立ちは夏樹と違い、立派に男らしく迫力がある。

 一見、威厳のある人物ではあった。

 けれど夏樹には、目の奥に秘められ謎めいたなにかが潜んでいるのが見えた。

 その目で見られ、夏樹は背筋に寒気を感じた。悪寒とも言う。

 教頭は席から立ち上がり、ずかずかと夏樹に近付いた。

 夏樹の担任教師は驚いて椅子から離れ、姿勢を正す。

 「これは、大塚教頭先生」

 大塚と呼ばれた教頭はその教師に目もくれなかった。

 ただ、夏樹の顔をじっと見つめた。

 「君が、例の転校生かね? ええと・・・・・・」

 「和田。和田夏樹です」

 「和田?」

 「あの、なにか?」

 凝視する大塚の顔があまりにも近いので、夏樹の上半身が引くように反り返る。

 夏樹は同性に見つめられて喜ぶ趣味ではない。それも体格の良い中年であれば、なおさらだ。

 けれど大塚の目は、その類ではなかった。むしろ驚いた表情をしていた。

 「君、本当に『和田』君かね?」

 「はい」

 夏樹は心の中で呟いた。もしかして正体が見抜かれたのか、と。

 しかし夏樹の予想は当たりとも外れとも言えなかった。

 「あ、いや。あまりにも昔の知人に似ているのでね。和田君は父親似かね? それとま母親似かね?」

 大塚の口走った言葉で、夏樹は母親のことを知っているのではないかと思った。なにしろ、夏樹は朱夏に酷似していることを自覚しているのだ。

 仮に大塚が朱夏に関してなにかを知っているとすれば、決して己の身分を明かすわけにはいかない。

 夏樹は俯き、悲しい少年を演じた。

 「さあ・・・・・・僕は物心がついたころには、すでに両親はいませんでしたから。顔なんて知りませんよ」

 夏樹は肩をすくめた。しかし大塚は納得していない様子で、夏樹の顔を凝視したままだ。

 本来ならば、刑事になったばかりであろうと、夏樹はひるまず相手の目をしっかりと見るべきだ。

 けれど「和田夏樹」である限り、平凡な高校生でいなくてはいけない。

 明確な目的を持ち、若く柔軟性のある夏樹は、後者を選んだ。

 「先生、あの・・・・・・もういいですか? 課題、やり直しますので」

 夏樹は俯いて、レポート用紙を握る。

 それまで担任の教師は不思議そうな目で夏樹と大塚を見合わせていたが、ハッとして大塚のほうに体を向けた。

 「教頭先生、他にも和田になにかあるのでしょうか?」

 「えっ? あ、ああ・・・・・・いや大丈夫だ。しっかり学問に励みなさい」

 「はあ・・・・・・」

 大塚は慌てて手で宙を切り、自分の席へと戻った。

 開口して大塚を見送ると、夏樹は教師に退室を促されてしまった。

 夏樹はゆったりと歩き、職員室を去る。引き戸を背に、夏樹は思った。

 大塚は怪しい。絶対に母親のことを知っている、と。


 さらにその日、夏樹に忠告した男子生徒の表情が暗い理由が判明した。

 彼の母親はスナックで働き、一人で彼を育ててきた。そのことを理由に、教師たちから良く思われていなかったのだ。

 授業中、多くのクラスメイトがいる中で、なにかと母親の水商売を悪く言われた。

 彼を庇ってくれるクラスメイトは誰一人となく、ただ教師の罵声に頷くしかない。

 「牧村」夏樹であれば、すぐさま教師に歯向かうところだが、「和田」夏樹である以上、クラスメイトに同化しなければならない。

 夏樹は非常に歯痒かった。

 さらに夏樹をいらつかせたのは、無抵抗な彼と、教師に肩入れする一部の生徒の存在だ。

 後者は主に既婚女性で、夏樹の実年齢よりも少しばかり上だ。

 彼女たちは通学の割には身に付けている衣服が、他のクラスメイトと並べると比較的派手だ。

 休み時間、小耳に入ってくる情報によると、彼女たちは教師と関係を持っているため、いじめられることはまずないという。

 ただし、どの教師と関係を持っているのか、それ自体が正しい情報なのかは不明だ。

 この時点では、夏樹にとって有力な情報はなに一つなかった。

 春野菜々に関しては。


 「ーーというわけで、もう少し潜入する価値はあると思います」

 夜の警察署、とある一室にて夏樹はグレーのスーツを着ていた。

 春野菜々捜査班の報告会だ。

 夏樹は変わった校則、大塚の存在を含め、知る限りの情報を発表した。

 ちなみに女性刑事が潜入していたアパレルショップでは、春野菜々は従業員に対してプライベートを一切明かしていないので、なに一つ有力な情報を掴めなかった。仕方がなく引き上げることになった。

 「それで、お前は次の登校日までどうするんだ? 確か、来週まで時間があるだろう?」

 タッグを組む田中が煙草をふかしながら夏樹に問う。

 高校生に扮している夏樹はともかく、すでに大人の顔になっている他の先輩刑事には、他にすることがない。

 その先輩たちをどう動かすか、田中は刑事として夏樹を試していた。

 夏樹はそれを知らずに、にやりと笑った。

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