仲直り

学校から近いアパートに引越した。人の声が聞こえない、静かなところだ。

「はー…」

アパートに着くと、荷物をそのままにして真っ先にベッドに寝転んだ。いつもと違う景色に少し違和感を感じる。

今日から一人暮らし。これでもう二人の邪魔にはならないし、勉強にも集中できる。なによりあんな思いをしなくてすむ…

ゆっくりと目を閉じた。眠気が急に押し寄せてきた。きっと昨日眠れなかったせいだと、体を丸めて眠りに入った。


ピンポーン…

チャイムの音で目が覚める。時計を見ると、もう深夜をまわろうとしていた。辺りは暗くて何も見えない。私は取りあえず電気をつけ、髪を整えながら玄関に向かった。

「ちーちゃん…!」

ドアを開けると、お父さんが現われた。

「え…?なんで?」

「なんでって何回も電話しても出ないから、心配して来たんだよ!」

「あ…寝てて気付かなかった」

「なんだ…でも無事でよかった」

そう言っていつものように笑う。

全然よくない。こんなことですぐ来られたら、引越した意味がないじゃないか。

「…お母さんは?早く帰った方がいいんじゃない?」

そう、今は夜。早く帰った方がいい…

「先に寝てもらったから大丈夫。それよりこれ」

持っていた袋から箱を取り出す。そこからは微かにカレーの匂いがした。

「ついでに持って来たんだ。寝てたってことはまだ夜ご飯食べてないよね?一緒に食べよ!」

そう言って、勝手に部屋に入る。そして自分の部屋のように、カレーを温め始めた。

「ちょっと!なに勝手に…!」

「ちーちゃん!お皿出してくれる?」

カレーの匂いが鼻をくすぐる。お腹も鳴る。

「……」

仕方なく、段ボールから食器を出した。

「いただきまーす!」

お父さんと向かい合わせに座って食べ始める。二人で食べるそのカレーは、今まで食べた中で一番おいしく感じた。お腹がすいていたからだと、お父さんのくだらない話を聞きながら、自分に言い聞かせた。

「そういえば最近愛美ちゃん見ないけど、元気にしてるの?」

そのくだらない話が、愛美に触れた。手が一瞬止まる。

「もしかしてケンカ中とか?」

「ケンカもなにも…私には友達なんかいないし」

そう、私には友達がいない。というか欲しくない。あんなめんどくさい関係なんてごめんだ。私は一人で生きていける。私は強いんだ。

「なに強がってんの」

本心を見透かしたように、お父さんが静かな声で言った。

「愛美ちゃんはちーちゃんの友達でしょ?」

「……」

「…仲直りしなきゃ」

愛美は私の唯一の友達だった。なんでも話せて、自然に笑えて…大切な存在だって分かってる。

でも…

あんなことをしてしまったんだ…絶対に許してくれない。

「仲直りしたら、また三人で話そうね」

仲直りしたくても、できないんだよ…

そう思いながら、優しく笑うお父さんを見つめた。


引越してから、一ヵ月が経とうとしていた。お父さんは相変わらず、時々ご飯を持って遊びに来ていた。今日も来ると、さっきメールがあったところだ。

「もう来ないでって言ってるのに…」

荒々しくケータイを投げる。自分の抑えている気持ちが、不意に出てきそうな気がして気が気でない。自分の弱さに苛立つ。

「人の気も知らないで…」

膝を抱えてボソリと呟いた。静かな部屋で一人小さく座る。心が悲鳴をあげそうになったとき、チャイムが鳴った。

「お父さん…!」

口ではそう言って、心の中では「結平」と呼んだ。走って玄関に向う。この寂しい気持ちを早く消したかった。

ガチャ…

ドアを開けた。目を疑った。思いもよらない人が立っていたのだ。

「愛美…?」

「久しぶり、チカ…」

何を話していいか分からない。愛美が何か言いたそうにしている。私はとりあえず、部屋に入れることにした。


テーブルに飲み物を二つ置いた。重い空気が流れる。少しの間、沈黙が続いた。

「…ごめん!チカ!」

沈黙を破ったのは、愛美の予想外の言葉。

「え…?」

「私、知らなくて…」

「何を?」

「結平さんのこと…」

その名前を聞いて、目をそらす。

「結平さんがチカのお母さんと結婚したって…この前結平さんに聞いて…」

「……」

「チカ辛かったよね…なのに私、あんな態度とって…」

ポロリとこぼれた愛美の涙。変わらない愛美を見て、少し胸が温かくなった。

「謝るのは私の方だよ。愛美にあんなことして…」

「そんなの…もうどうでもいいよ。チカ、知らなかったんでしょ?それに結平さんのこともあったんだし…」

「でも…」

「大丈夫!実はあんまり好きじゃなかったんだ!…新しい恋を見つけるよ」

あぁ…また一人…

…私は男を奪ってしまったのか。

しかも大切な友達の好きな人を…

私は黙って、強がる愛美を見つめた。

「ねぇ…チカ」

愛美が小さな声で私を呼んだ。

「私ともう一度友達になってくれる?」

これがどんなに嬉しい言葉なのか、誰にも分からないだろう。

「チカ?」

私にとってその言葉は、涙が出るくらい嬉しい言葉。願ってもない救いの言葉。私は愛美の手を握って、何度もうなずいた。


「…それで結平さんとはどうなってるの?」

少し落ち着いて、遠慮がちに聞いてきた。私はその質問に淡々と答える。

「ちゃんと家族として付き合ってるよ」

「それってどういう…」

ピンポーン…

チャイムが鳴った。私は愛美に笑って、玄関へ向かった。

「ちーちゃん、来たよ!」

「うん、上がって」

「あれ?誰か来てるの?」

そう言いながら中に進む。愛美の顔を見て驚いたようだった。

「愛美ちゃん!?てことは…」

「さっき仲直りしたの」

「本当!?よかった!本当によかった!」

そう言って嬉しそうに笑う。愛美が心配そうに私を見ている。

「あぁ分かったから、夕飯作るなら作って!お父さん!」

お父さんをキッチンに行かせ、愛美のところに戻った。

「チカ…」

「ん?」

「今お父さんって…」

そのとき、キッチンから楽しそうな声がした。

「愛美ちゃんも夕飯、食べて行くよね?」

愛美が困って私を見る。それを見て笑って言った。

「食べてってよ」

「でも…」

テーブルを片付けながら小さく呟く。

「二人きりだともう少しだけ…辛いしさ」

そう言うと、愛美が悲しそうな顔をした。そんな愛美に私は再び笑顔を向けた。


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