ストーカー

「ちーちゃん、ちーちゃん」

「それ、止めてください」

会話はいつもこれで始まる。バイトを初めてもうすぐ一週間。私はもう少しでバイトを辞める。

「ちーちゃんって好きな食べ物何?」

相変わらず無駄な質問が多い。本当にめんどくさい男だ。

「俺はね、ウサギ型のリンゴが好きなんだ!」

「ウサギ型って…」

いい大人してまったく…

「あ!今笑った!」

「……」

「ね!笑ったよね!」

少しすきを見せるとこれだ。いつも以上になれなれしくなる。そういうときは…

「お客さんですよ、櫻井さん」

これでめんどくさい会話終了。この人の扱いにもだんだん慣れてきた。

だけど…

「ちーちゃん、笑った方が絶対かわいいのになぁ」

こんな予想外の言葉の対応はまだ慣れなくて、やっぱり『櫻井結平』は嫌いだと思う日々が続いていた。

「ちーちゃん、いつになったら名前で呼んでくれるの?」

「さぁ」

「俺の名前覚えてる?」

「さぁ」

あきれたように答える。会う度にいつも同じことを聞いてくる。私はこの人を相手にしないと決めた。だからこの人を名前で呼ぶことは絶対にない。『結平』だなんて呼ぶことは…

ゴト……

ため息をついたとき、テーブルの上にいくつか商品が置かれた。

「ちーちゃんねぇ…」

精算していると客が小さく呟いた。低い、どこか聞き覚えのある声。私はゆっくりその客の顔を覗いた。

「先…生…?」

間違ない、先生だ。かなり雰囲気が変わったけど、間違なくなくこの人は…

…私がハメた男…

「久しぶりだな…黒沢」

ニヤリと不気味に笑う。ガリガリに痩せ、ボロボロの服を着て私の前に立つ。教師としての面影は全く感じられなくなっていた。

私はできるだけ早く精算を済ませた。

この人、ヤバイ…そう思った。

「…彼氏か?」

おつりを渡すときに小さな声で聞いてきた。先生の目線の先にいるのは…櫻井結平。

「…ち、違いますよ!ただのアルバイトの先輩です」

「…そうか」

少し間が開いての返事。疑いを持つ声。ねたむ目付き。

「それじゃぁ、黒沢…」

…全てが怖い。

「…またな」

そう感じたのは勘違いではなかった。


「あの人これで何回目?」

次の日、また先生が現われた。何分かおきに店に入っては、何も買わずに出て行く。

「ちーちゃん、あの人と知り合いなの?」

「…まぁ」

そう答えると、いかにも詳しく聞きたそうにジッと見てきた。ため息をついて口を開く。

「…先生です、もと」

「もと?ってことは今は違うってこと?」

「そうです」

めんどくさそうに答える。その返事を聞くと、今度は何かを考え始めた。

「なら何回も店に来てるのって、ちーちゃんに会うためじゃない?」

その言葉にビクリと体が反応する。

「その元教師のことを知ってるの、ちーちゃんだけだし。それにチラチラ視線感じるし」

私は先生をどん底に突き落とした。先生はそれを恨んで…?

「ちーちゃん?」

でもまさか…

「ちーちゃん!」

その声で我に返り、呼ばれた方を見上げた。

「そんなに心配しなくても、ちーちゃんは俺が守るから!」

突然の宣言に目を丸くした。私はこれまでいろんな男と付き合ってきた。でもこんなことを言われた経験は一度もない。まるで小さな男の子みたいに笑うその人に慌てて言い返す。

「な…!何言ってんのよバカ!」

私は照れる自分を隠すことで必死だった。

ゴト……

そのとき、テーブルの上に商品が置かれた。赤くなった顔を見せまいと、精算に取り掛かかった。

「…やっぱり彼氏なんだ」

そう言われ、チラリと客の顔を見た。目の前には気味が悪い先生が立っている。

「だから違うってば!」

思わず強めで答えた。照れ隠しのためか、先生のしつこさに嫌気がさしたためか分からない。ただ少し落ち着きたかった。

「はーい!俺、ちーちゃんの彼氏でーす!」

そんなとき、いきなりなれなれしく肩に手をかけてきた。

「あ…あんたなんか彼氏じゃないし!」

「ヤダなぁ~照れちゃって。ほら、いつもみたいに名前で呼んでよ!」

「名前なんて知らない!」

「ったく、かわいいんだから!」

そんな会話が続き、先生はいきなり店を飛び出した。

「ははっ!おもしろいな、あの先生」

笑っている間に、私は肩にかかった手を振りはらった。

この人の相手は本当に疲れる。ため息をついたのはこれで何回目だろう。

そんなことがあって、その日はあの人とは口を聞かなかった。話しかけられても無視。不機嫌なまま家に帰った。

「ったく、なんなのアイツ!」

今日あったことを思い出す。

「明日でちょうど一週間。やっとアイツと離れられる」

そう独り言を言っていると、ポストに何かが入っているのに気が付いた。私はそれを取り出そうとふたを開けた。

バザバサ…

開けた途端に落ちてきた紙。

「何…?」

拾い上げ明りに照らしてそれを見た。

「私…?」

そこに写っていたのは学校に通う自分。他の写真も全部自分。バイトをしているものに、あの人と話してるもの…

それに…

「うそっ…!」

次に拾い上げた写真には、着替えをする自分が写っていた。 撮られてたなんて全然気付かなかった。 無防備に写る自分の裸を見ながら、その場にしばらく立ち尽くした。


「はぁ…」

「どうしたの?ため息なんかついて」

次の日、店の奥の部屋で準備をしていると、あの人が入ってきた。

「なんでもないです!」

そう言って、鞄をロッカーに投げ入れた。大きな音が部屋中に響く。

「何?これ…」

「何ってだからなんでも…!」

振り返るとその人が何か持っているのが見えた。あれは…

バッ…!!

素早くそれを奪い、そっと見た。思った通り、自分が写っている写真…

…見られた。

「これ…」

なんか言わなきゃ…

「…友達がくれたんです」

「友達?」

「…はい、綺麗に撮れたからって」

「そっか…」

そう呟くと、その人は自分のロッカーの方へ歩いて行った。運良く「普通」の写真だったので、なんとかごまかすことができた。

コイツに何か弱みを握られると、また余計に調子を狂わされる。このことは自分でなんとかしないと…

そう思いながら写真をじっと見つめた。


「ちーちゃーん!」

バイトが終わって帰ろうとしていると、後ろから呼び止められた。

「一緒に帰ろ!」

「は?なんで」

「んー…」

何を言うのかだいたい想像がつく。

「彼氏だから?」

やっぱり。

「ヤダ」

「お願い!一緒に帰ろ!」

今日はやけにしつこい。もしかして店長から今日でバイト辞めることを聞いたのかもしれない。一応いろいろ教えてくれた先輩だし…

「…勝手にすれば」

「やった!じゃぁ帰ろ!」

…最後くらいはいいかな。


「じゃぁ、ここで」

一緒に歩いている間、あの人はずっとしゃべり続けた。気付けば空は暗くなり、家の近くまで来ていた。

「あと少しで家?」

「はい」

「なら家まで送るよ!」

「え……」

家まで…?

「いいでしょ?俺、まだちーちゃんと話してたいし!」

そう言って、楽しそうに歩く。

ちょっと待ってよ…家までって…

「帰って」

聞こえないふりをしているのか、本当に聞こえないのか。私の言葉を無視して、あの人は足を進める。

「ちーちゃん、家どこー?」

仕方ない…

「帰えんないと嫌いになるから」

今まではしゃいでいた人が急に静かになる。

「マジ…?」

「マジ」

そう言うと、慌てて引き返してきた。

「じゃぁちーちゃん…俺帰るね」

「うん、そうして」

私の冷たい言葉に傷付いたのか、あの人はトボトボと帰っていった。「またね」という言葉を残して。

「はぁー…」

大きくため息をして歩き始めた。さっきまでうるさかったせいか、余計に辺りが静かに感じる。自分の足音と虫の声がよく聞こえた。

「またねって、もう会わないのに…」

小さく呟いて空を見上げた。空にはたくさんの小さな星が散らばっていた。

「……」

あの人には家に来て欲しくなかった。お母さんに会わせたくなかった。なぜかそう思った。

でも……

もう少し一緒に歩きたかったと、少し後悔した。

「こんばんは…」

いきなり声をかけられて前を向く。

「写真…気に入ってもらえたかな?」

そこにいたのは…

「先生…!?」

「会いたかったよ…黒沢」

少しずつ近付いてくる。ニヤニヤ笑いながら。

「それよりヒドいなぁ、嘘つくなんて…」

「え…?」

「やっぱりバイトの先輩と付き合ってるんじゃん」

「だらか違うって…!」

「これは…オシオキしなきゃね…」

不気味に笑うと、いきなり腕を掴まれ近くの草むらに押し倒された。

「ちょっ…!やめてよ!」

必死に抵抗してもびくともしない。先生は楽しそうに私の嫌がる顔を眺める。

「さぁ、そろそろ…」

そう言うと、今度は首にアザを付け始めた。吸われる鈍い音が辺りに響く。先生は太ももをゆっくり触り、どんどん奥へと移動させていった。

「こ…このこと奥さんに言ってやるんだから!」

すると、手の動きがピクリと止まった。

「いないよ…そんなもの」

「え…?」

「学校辞めさせられて、途端に婚約解消されたよ…」

私の身体を押さえ付ける左手の薬指には指輪はなく、一瞬先生の顔に悲しい表情が見えた。

「でもいいんだ…」

その表情は元の不気味な顔にすぐに戻る。

「僕には黒沢がいるからね…」

「……っ!」

「僕ね、練習したんだ。だから今度は黒沢を気持ちよくさせてあげられるよ…」

そう言って、再び手を動かし始めた。左手は力強く身体を押さえ、右手はゆっくり奥へと進む。

…もう逃げられない。でも仕方ないのかもしれない。こうなったのも自分のせい…

それに…

私はもう汚れてるから…これからさらに汚れようが、汚れているのに変わりはない。

……

でも……

なんでかな、あの人の笑顔を思い出してる…涙を流してる…

「……」

手が下着まで達したとき、私は叫んだ。

「結平…!!」

なぜかあの人の名前を…

バンッ…!!

急に押さえ付けられていた圧力がなくなった。そして目の前には…

「大丈夫!?ちーちゃん!」

私が名前を呼んだ人…

「なんで…」

「やっぱり心配になってさ、嫌われるの覚悟で戻って来たんだよ。そしたら…」

そう言いいながら着ていた上着を脱ぎ、私にかける。

「ちーちゃんが俺を名前で呼んでくれたからビックリしちゃたよ」

「それは…!」

「…すっごい嬉しかった」

その人はにっこりと笑い、私の頭を優しくなでた。

「邪魔すんなよ…」

離れた所から低い声が聞こえた。

「黒沢と楽しんでるんだからさぁ!!」

「……」

「なぁ…?黒沢」

ゆっくりと近付いてくる。殴られた口には血が付いていた。

「ちーちゃん、ちょっと目つむってて」

そう言うやいなや、先生を殴り、蹴り、最後には地面に顔を思いきりぶつけた。

「や…止めてくれ!」

そう言っても、暴力は続けられる。

「止めて!」

私はとっさに叫んだ。それでも続けようとしている。

「…結平!」

そう言うと、我に返ったように足を降ろした。

「…今度ちーちゃんになんかしたら俺、アンタに何するか分かんねぇから」

「……」

「覚えてといてよ、先生…いや、元教師さん」

そう言い残し、私たちはその場所を後にした。

私の肩に手が添えられ、ゆっくりと歩く。見上げるとにっこりと笑う顔と、光輝く月が痛いほど眩しく見えた。

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