第13話 死神の憂鬱
「だ、騙しやがったなクソアマ……!」
阿鼻叫喚の中、デス沢は悪態をついた。
本名、
これでも、青森県代表『恐山フィルハーモニー交響楽団』で唯一の生者である。
担当は指揮者。
『恐山フィル』はまるでフルオーケストラのような体裁をとるバンドであり、総勢七十名にも及ぶ圧倒的な物量を武器としているのだ。
恐ろしい事に……その物量の大半には、実体がないのであるが。
「ひとつも騙してなどおりません」
デス沢に対し、斜め上から冷たい声が降った。
そこにはすまし顔の女がぷかぷかと浮いている。
恐山フィルの「プロデューサー」を名乗る女である。名は
「ふざけやがって! 予選だってそうだ。八十人いたオケがあの、なんだ、ウンコみてえのから出てる光にやられてあっという間に七十人になっちまったじゃねえか」
「それは免責事項です」
三途岸は顔色ひとつ変えず、広告ページの最下部を示す。そこには確かに「※召喚した霊魂が成仏してしまった場合でも、一切返金は致しません」と書かれている。
「だ、れ、が、読むんだよこんな辺境の地みてえなトコに書いてある文字を! しかも背景色とほっとんど同じ色だろうが。サブリミナルか何かか?」
「霊が成仏するのは当たり前です。買い置きした野菜が腐ったからといって八百屋にクレームつけますか?」
「こ、コノヤロウ」
デス沢は恨みの籠った目で三途岸を見た。同時に反省した。
そもそも『株式会社メイフスタッフ』とかいう所からきたこの女営業には、足が生えていなかった。こんな怪しい話に易々と乗るべきではなかったのだ。
訴えようにも裁判にできるかどうかすら怪しい。相手には戸籍もないのだ。既に鬼籍に入っているからである。
それに、差し当たって今戦うべき相手は別にいた。
彼はライブステージの上から客席を見渡した。そう、ライブ中なのである。
この時間は曲間、という体で中空に文句を垂れていたにすぎない。
しかし一曲目の間にも、七十人いたバンドメンバーのうち十人ほどが逃げ出してしまっていた。
原因は客席にあった。
そこは死者の霊魂で満たされたこのイースト・ステージの上と比べても、よほど地獄といえた。
なぜなら、そこでは……
「グガオォォォォォォォオオオン!!!」
死の恐怖そのものといえる怪物が、吼えているからである。
怪物の名はジョゼフィーヌ。歳は十一歳。
生物学的な分類は……クマ科、クマ属である!
「グゴオォォォォガアァァァァァァゴオォォ!」
「ひッひいいいいいいいいい! 恐怖! 恐怖が会場を染め上げます! 第二試合、北海道VS青森は『モリノクマサン』の咆哮で幕を開けた~~~~~ッ!」
「ファンサービスのつもりなのでしょうか、いきなり客席まで降りてくるとは……。見てください、本気で逃げ出してますよ、あのへんの客」
放送席も恐怖していたが生で、間近で「死」を味わっている観客はそれどころではない。逃げ惑おうにも客席は基本的にスタンドで、人口密度も高い。彼らは恐れ、転び、崩れ、失禁している。
しかし、それだけならデス沢はこれほど困りはしなかった。熊が真に迫る”死”を表現しているだけであれば、まあ「今回の相手は強い」くらいの話で済むことだった。
彼にとって誤算だったのは、
「うっ、うわあああああああああああああああ! あああああああああああ!! あっアアアアアアアアアアアア!!!」
「きぃええええええええええええええエエエエエエエ!!」
「く、く、く、く、く……くくく、くくくくくくくくくく、」
「「「熊だァああああああああああああ~~~~~~~~~~~!!!」」」
既に死んでいるはずのバンドメンバーたちが絶叫して逃げ惑い、完全にライブが崩壊しかかっている事であった。
デス沢は舌打ちをした。
「いいかげんにしろ、この半透明野郎ども! お前らは、これ以上死ぬ事ァねぇんだろうが! なんで熊が恐ぇってんだよ。何のためのシースルーボディだ! あァ!?」
「んな事言ったってなあ。熊は恐いだろ」
「死んだ事もねーくせに適当言ってんじゃねーぞ」
「お前もいっぺん熊に食われてこい」
デス沢の罵倒に、幽霊たちは揃って口を尖らせる。
「ンだと……」
「――霊魂は、死亡時の人格を固定して召喚しております」
そこへ、三途岸がビジネス口調で口を挟んだ。
「あ?」
「確かに彼らに物理的な熊が危害を加える事は不可能です。ですが、目の前に巨大な獣が現れれば恐ろしいと思ってしまうような、反射的な感情の動きは……生前のままなのです」
「マジかよ」
客席を再び見る。熊は絶好調である。
ただ吼えているだけでも恐ろしいのに、彼らがバンドであるがために、その声はマイクを通して倍加されている。
言ってしまえばそれだけのシンプルなパフォーマンスではあるが、その力強さに、この幽霊軍団が手も足も出ていない。
デス沢は愚痴をこぼすしかなかった。
「……まったく、卑怯だぜ。どうしろってんだよ、あんなもん」
* * *
「ゴゴオォォォォアアァァァァァ!」
その様子を、『アフター・スーサイド』の面々は控室のディスプレイから見ていた。
全ての力を使い切った唯はぐったりと気を失っており、安優に抱きかかえられている。さんざんマイクに打ち付けた額には絆創膏が貼ってあり、今はパンツ以外の衣服は身に着けていた。無論、パンツはアンドリューの頭だ。
「ひぃっ! つ、次にあんなのと当たったらどうしよう……」
安優が悲鳴をあげた。
虫すら恐れる一介の女子高生が熊の前に立てる筈もない。
彼女の反応は、言ってしまえば当たり前のものである。
「ああ。……怖いな」
そしてその恐怖を、アンドリューも肯定した。
それは安優には少し意外だった。
「えっ。アンドリューさんでも、恐いと思うんですか。あんな、こう……ムキムキおばけの研究員だって押さえつけられるのに。ピアノでなんとかなっちゃったり、しないんですか?」
「ハハ。買いかぶりだな」
偉丈夫は穏やかに笑い、タバコに火をつける。
「おれの身体はだいたい二メートル、二百キロだ。さっき相手した化物どもも、もうちょい小柄だが、まあ似たようなもんだろう」
煙を吐く。少し、指先が震えている。
「――
緊張が伝わった気がして、安優は身をこわばらせた。
改めて、恐ろしいところに来てしまったのだという事を実感する。
「少なくとも三メートルはあるだろう。それを支えるだけの……いや、それ以上の体躯もある。おれのチンケな筋肉じゃあ相手にもならない」
死をも恐れない、という点でいえば彼らと幽霊は共通している。
しかし死ぬより恐ろしいものというのは存在する。
安優であれば小蜘蛛でさえそうだ。
そして熊ともなると、一度死んだ幽霊たちや、あのアンドリューまでも恐怖する。
そもそも死などという実体のない概念に比べ、熊はあまりにも具体的だ。
誰もが一瞬で理解できる圧倒的な、目に見える脅威。
この場で強いのは、肉体強化した研究者よりも、
多数の幽霊よりも、グランドピアノを軽々と振り回す大男よりも、
熊。
……熊なのだ!
「これが、種族の差、ってやつか」
タバコを灰皿に押し当てるアンドリューの声には、ある種の諦観が滲んでいた。
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