とある過去の話 前編
俺が相模柚葉と出会ったのが今から約三か月前のことだ。
その当時、俺は嫌な記憶の残る地元の町を飛び出して、誰も俺を知らない地を探していた。
そこで出会ったのが、この天才少女相模柚葉だった。
どうにも柚葉からの説教は未だ終わる気配が見えないので、少しだけ昔話に付き合ってもらいたい。
要するに暇つぶしだ。
では、少しだけ長い話になるけれど、俺と柚葉の始まりを聞いてほしい。
そう、あれはある雨の日のことだ………。
「うわぁ、降って来た」
今日は朝から天気が怪しかったからいつかは降ってくるだろうと思ってはいたけれど、まさかこんなに早く降ってくるとは思わなかった。
家とあの町から逃げ出して来て大体一週間が経った。
この一週間の俺の生活はかなりひどいものだ。
食事は基本ジャンクフードで、寝泊りはネットカフェ、コミュ障が災いして、もうすぐ二十一だというのに未だに職には就けず、趣味のアニメと漫画の世界にダイブしていた。
よくよく考えればこんな生活、引きこもり時代と違う点を探す方が難しそうなくらい無いも変わっていない気がする。
起きる時間もバラバラで、髪や髭の手入れもせず、一日中パソコンの前に座り続ける。
………まるで違いが見当たらん。
俺は強くなっていく雨の中、コンビニに向かって走り出す。
最近のコンビニには大抵ビニール傘が売られている。
なんとも素晴らしいサービスだ。
「いらっしゃいませ」
コンビニに入ったはいいけれど、なんでこの店客が全然いないんだ?
普通こういう雨の日ってどこのコンビニでも雑誌を立ち読みしてる人が少なからずいるはずだ。
なのに今この店内にいるのは店員のアルバイトの女の子だけ。
ま、いいか。
ここの売り上げがどうなろうと俺には関係のない話だし、もうこの店に来ることもないだろう。
ならば俺がこの店の入客量を心配しても何の意味もない。
「ビニール傘が一点で五百円になります」
店員、木曽川さんは事務的に告げる。
俺は財布から五千円札を取り出して渡すと、視線を誰もいない店内に向ける。
深夜でもないというのに、この場所には誰も入ってこないし誰もいない。少し不気味だ。
「やっぱり気になりますか?」
「え?」
「店の中に誰もいないことです」
なんだ?急に?
「なんでかは知らないんですけど、私がここに立つとお客さんが寄り付かないんです。だからお客さんは私にとって初めてのお客さんなんです」
よくクビにならないな。
そんな不利益しかもたらさない店員俺だったら即切るぞ?ここの店長はなにを考えているんだ?バカなのか?
「雨、強くなってきましたね?」
「え、ええ、そうですね」
「実は私、今日傘忘れて来ちゃったんですよ。帰るまでに止んでくれると助かるんですけど」
「ど、どうでしょうね、こんな勢いで雨が降るのは久々ですしよく分かりませんね」
「そうなんですよね。季節の移り変わりってだけにこれからは雨の日が多くなるみたいですよ?」
雨は嫌いだ。嫌な記憶が呼び覚まされるから。
人と話すのは苦手だ。もう何年もちゃんと話したことがないから。
実際、あいつが大学に行くようになってから俺はほとんど誰とも話していない。
唯一話すのは事務的な味気のないことで、こんな風にたわいもない話をしたのはもしかしたら三年ぶりくらいだろうか?
「お客さんは雨は好きですか?」
ビビった。つい今まで雨の好き嫌いを考えてたところで随分とピンポイントな質問を投げかけてくる。まさか心でも読んだか?………いやそんなわけないか。
「私は苦手です。だって雨が降ると洗濯物は乾かないし、靴がビショビショになるし、朝から気分が沈むし、良いことなんて全然ないですから」
激しく同意だ。雨が降っても良いことなんて一つもない。
「あ、でも一つだけ良いことありました」
「それはなんですか?」
同じ雨嫌いとしてどうしても気になった。
「ふふっ、お客さんを連れてきてくれました」
「………俺?」
「いえ、確かにお客さんと会えたことも嬉しいですけど、私にとって初めてのお客さんが来てくれたことがなにより嬉しいんです」
あ、そっち?
いや、普通そうだよな?俺は一体なにを期待してたんだ?俺に会えてうれしいなんて言うもの好きな女の子がいるわけがないだろうに。
全く、紛らわし言い方しないでほしい。
「ですから、また来てくださいね?」
「え?」
「お客さんにとっては数あるコンビニのうちの一つの、ただの店員に過ぎないかもしれませんが、私にとってお客さんは唯一、ただ一人のお客さんなんです。だから、これは私の身勝手ですけど、私の我が儘なエゴですけれど、お客さんにこの店を贔屓にしてもらいたいんです」
「……それは店員としての言葉ですか?」
「それもないとは言いません。ウチとしても優良顧客が増えてくれるのは嬉しいですから。でもそれとは別に、私自身がまたお客さんに来てほしいと思ってるんです。またお客さんと他愛もない世間話がしたいと思ってるんです。だから、コンビニを使おうと思った時は、できるだけウチを利用してくれませんか?」
こんなの客商売やってる人間の言葉じゃないだろ。
客に対してなにを言ってるんだよ?
公私混同させてるんじゃねぇよ。
こんな言葉言えるわけがないか。
だって、木曽川さんからは鬼気迫るなにを感じるから。
なんでそんなに必死になるのかは知らないけれど、まあ、コンビニに来るくらいいいか。要はコンビニに行くときはここを使えばいいだけだから、俺に損は無いんだから。
「分かりました。用があったらまた来ます」
「っ!はい!ありがとうございます!」
そんなに泣くほどなのか?謎いなぁ。
「じゃあ今日はもう行きますね。なんか元気もらった気もするし」
「そうですか?それならよかったです」
「よかった?」
「はい、お客さん全然元気がなかったのでちょっと勇気を出して話しかけてみました」
俺は人の好意を信じない。信じられない。
だからその言葉を信じることはできないけど、そうであって欲しいとは思えた。
それは佳穂に対して抱いた感情と同じで、だからこそ俺は、きっと彼女のことを親しみを込めてこう呼ぶべきだ。
「ありがとう。また元気をもらいに来るよ。木曽川ちゃん」
「はい!またのご利用お待ちしております!」
コンビニを出ていきながら俺は思った。
外の世界も捨てたものじゃないな……と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます