第2話 ラスヴィーシェ

 大規模宇宙ステーション「アヴァロン」は、外部から物資を一切輸入する必要のない、完結した環境を有している。このステーションには人類のほか多くの家畜が生息し、彼らが呼吸で発する二酸化炭素は同じくこのステーションに生息する植物が光合成によって酸素に変えている。また排泄物や不要物もバクテリアなどによって分解され、あらたに肥料となるよう加工される。地球の一部をそのまま宇宙に持ってきた、というのがわかりやすいだろうか。

 ―――ただ、家畜を飼っているといっても数は限られるから、口に入るのはごく稀である。ここで販売されている肉の多くは、今朝がた将磨の食べたベーコンエッグのような人工食肉で、味もオリジナルとは完全に異なっている。端的に言えば、不味い。

 しかし、そんな食生活ともお別れの時が来た。将磨が大規模宇宙ステーション内で、同い年くらいの少年少女が何人も集まっている広場に向かう。そここそが、目的の集合場所であった。

 広場には少年少女らに混じって、折りたたみ椅子に座って携帯端末をいじる大人がちらほらと見られる。将磨は一番近くにいた大人に声をかけた。

「アヴァロン内右舷F2、213号室―――坂上将磨さかがみしょうまです」

 身分証を提示しながら自分の住所と名前を告げる。声をかけられた大人は、振り向いて将磨の顔と、端末内に書かれた情報を見比べて始めた。眼鏡をかけた、物腰柔らかそうな女性だったが、しかし目つきは鋭い。眉間にしわも寄っている。

ひゃい、・・・ああ、いえ、はい、坂上将磨くんですね! 確認終わりました!」

 ……単純に緊張しているだけだったらしい。肩透かしのような感覚を覚えて、肩の力が抜けた。

「ああ、どうも・・・」

 どんな顔をすればいいのかわからず、将磨は気の抜けたような返事を返してしまう。

「大丈夫ですか? ええと、確認しますが―――ここから先は多くの危険が伴います。この地球渡航、そしてその後の学校生活はザイオキスタ作戦の一環であり、これらの結果として起こり得るあらゆる事故、事件、またそれに伴う身体生命の危機について補償については致しかねますが……保護者の方の同意、及びあなた自身の同意はありますね?」

「はい、大丈夫です」

 なにやら物騒な話だが、それは覚悟の上だ。保護者云々については、かつて世話になった施設の人に頼んで書類を書いてもらっていたので問題はない。なんの躊躇いもなく将磨は首肯した。

 それを見た女性はにっこりと笑う。

「よろしい。では――――ようこそ、魔導学校ラスヴィーシェへ」


            ◇◇


 65年前。

 かつてEXAを持たない旧人類ノーマルによって虐げられていた新人類―――EXAホルダーたちは、ある一人の指導者の下に集い、突如として反乱を起こした。それも初めは少数のEXAホルダーたちによる紛争に過ぎなかったのだが、この反乱は次第に世界中に飛び火し、全世界を巻き込む旧人類ノーマル新人類ホルダーの戦争となった。

 ただ、たとえEXAという異能の力を持っていたとしても、数で勝り、兵器などの技術も高かった旧人類の敵ではない。EXAホルダーであろうが銃で撃たれれば死んでしまうし、爆発に巻き込まれれば散り散りに吹き飛ぶ。だから、旧人類の多くは自らの勝利を信じて疑わなかった。

 そう、EXAホルダーたちは日常生活でならともかく、こと戦争という場面では敵ではなかった。

 そう思っていた。

 その、はずだった。


 長年の屈辱の期間、EXAホルダーたちが何もしていなければの話だったが。


 EXAホルダーたちは異能の力と同時に、その力をより効率的に、より安全に使うための高度な知能を有している。彼らが複数人そろえば、破壊した敵の兵器を鹵獲し、それをもとに新たな兵器を作り出せるくらいは朝飯前だった。それも、兵器開発に携わっていたEXAホルダーや、あるいは機械や兵器そのものを操る能力なるものが存在していればなおのこと―――旧人類が自らの数と技術に胡坐あぐらをかいている間に、彼らは根を張り、力を蓄えていたのだ。

 結局、戦争はあっけなく終わった。人類は数多くの仲間と地球の土地を旧人類が失い、地球外へ逃亡するという結果を残して。約10000年にわたって拡大してきた住処のほとんどを、10年という期間の間に新人類らに奪われるという無残な結果を残して。

 ―――しかし、そんな中でも例外はあった。

「ただの技術、ただの兵器では新人類ホルダーたちに奪われてしまう。ならば、盗まれない技術と武器を用意すればいいだけの話だろう」

 そう言って立ち上がり、彼らに盗まれない「武器」を手に最後までEXAたちに抵抗を続け―――ついに己の土地を守り切った人々。

 誰もがおとぎ話と信じていた「魔法」という武器を操る―――彼らは、魔導士と呼ばれる人々だった。



 現状、反乱を成功させたEXAホルダーたちの建国した「EXA共同連邦」が地球の大部分を支配している一方で、旧人類は「ノーマリア星間同盟」を形成し、魔導士らの守り切った集落や土地、大部分の旧人類が住むいくつかの宇宙ステーション、および月面ステーションを拠点に国土帰郷ザイオキスタ運動を実行している。

 ―――ザイオキスタ。国土帰郷といえば聞こえはいいが、要は新人類ホルダーたちに奪われた土地の奪還作戦である。

 ザイオキスタの内容は多岐にわたる。主にはEXAホルダーとの交戦を続け、武力によって彼らから土地を奪い返すのが主要な活動だが、ほかにも彼らとの和解を目指し、この戦争を終わらせることや、あるいはそういった交戦から交渉を行う人材の育成もザイオキスタの一環として行われている。

 将磨の向かう魔導学校「ラスヴィーシェ」は、そのザイオキスタの活動のうち「交戦から交渉を行う人材の育成」を目的として、地球の拠点に建てられた学校の一つだった。

 そしてこういった学校には、奪われた地球の土地を奪い返すための戦力である魔導士や、交渉の橋渡し役であるネゴシエーターとなるべく、数多くの少年少女が集まってくる。家族をEXAホルダーに殺されたという重い過去を背負った者、あるいは魔法という力に惹かれただけというような、軽い理由から参加する者―――理由は人それぞれあるだろうが、将磨の理由は後者にあてはまるだろう。

 ―――この閉塞感アヴァロンから抜け出したい。無限に広がる、空や海が見てみたい。自然というものが知りたい、うまい料理が食べたい。

 それらは、とうてい国土帰郷ザイオキスタなどという言葉からかけ離れた、子供のわがままのようなものばかりであったが、将磨にとっては重要なことだった。ただ、このまま地球を羨望のまなざしで見つめて、無為に一生を終えたくはない―――その一心だった。

 このラスヴィーシェへの入学を志願したのも、そのため。たとえその先に戦場という未来があったとしても、将磨は地球にありたいと願ったのである。

 故郷の宇宙ステーションに思い残すことはもうない。もともと将磨自身は地球に生まれて、それから宇宙ステーションに渡ったらしいのだが……父親はかつての地球での紛争で死に、母親もどうなっているかわからない状態、つまりは孤児になって宇宙ステーションに預けられた身だ。その際、命からがら、親切な誰かによってこの宇宙ステーションに来たらしいのだが、その親切な誰かもどんな人間か知らない。物心ついたころにはステーションの施設に預けられていたし、その親切な誰かの存在を知ったのもつい最近のこと。

 ―――やっぱ、家族との思い出がないってのもこのステーションに居づらいと思う一因なんだろうな……。

 集合場所であった広場の天井を見上げながら、そんなことを一人思っていると。

「あの……皆さん、もう移動していますけど……」

 おずおずとした様子で声をかけてくる人がいた。振り向くと、自分と同じくらいの背丈の少女が立っている。長い髪は透き通るような茶色で、羽をあしらった髪飾りをつけ、それで髪の一部をちょん、と縛っている。そして少し戸惑うような、しかし心配するような目つきでこちらを見ていた。

 言われてみて気づけば、さっきまで広場にいた人々はそろって移動を始めており、周囲には少女を除けば誰もいなくなっていた。

「おっと……教えてくれてありがとな」

 キャリーバックを手に取ると、集団が移動していくのを追う。

 その少女も大きなバッグを手に将磨についてきた。

「いやあ、助かった。危うく地球に行き損ねるとこだった……俺は坂上将磨。君は?」

「私は井筒邦香いづつくにかって言います。その……あなたは、どの学校を志願したんですか?」

 一応、地球上にある魔法学校は一つではない。地球にある共和連盟の拠点に、だいたい一校から二校は置かれている。だから、この広場に集まったものすべてが同じ学校に行くわけではない。出立のタイミングは同じでも、行先は様々だ。

「俺はラスヴィーシェに志願入学したよ。君は?」

「わあ、私もラスヴィーシェです! こんな偶然ってあるんですね……!」

「へえ、じゃあこれから付き合いも長くなりそうだ。これからよろしく」

「はい!」

 満面の笑みで邦香は答えた。なるほど、先ほどのおどおどしながら話しかけてきたのは、ラスヴィーシェへ行く仲間を探していたのかもしれない。これから始まる学校生活で、友人を作るのも重要な要素だろう。

 キャリーバックを引きずりながら先頭を行く集団を見やると、先ほどの教員がいた。生徒が迷わないようにするためか、「ラスヴィーシェ」と書かれた小さな旗まで持っている。まるで「地球の写真」という写真 集に載っていた「バスガイド」とかいう職業の人々のようである。

「お、なんとか追いついたな。これ以上はぐれるのもマズいし急ごうか」

「はい!」

 将磨と邦香は、急ぎ荷物を引きずって、ようやく集団に追いついた。

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