2-3(2-2に非ず!)Say Yeah! 天才狩人の暴虐!
「お客さん。昨日お釣り取り忘れたでしょ」
前回同様、紙幣を券売機の投入口に差し込もうとした瞬間、厨房奥から出てきた口髭の店員がそんなことを言ってきやがった。
「あ、お釣り?」
「そうだよ。ほら500円。憶えてないの? 昨日の夕方ここで飯喰ってたでしょ」
狩りの前の腹ごしらえで今日もこの定食屋にやって来たわけだが、そう言われると確かに釣り銭を受け取った記憶がない。というか誰も払い戻しに来なかったから、てっきり代金分ぴったり渡したと思ってたんだが違ったのか。
「どうして昨日言ってこないんだよ。大体さ、釣り銭渡しに来ないのが悪いんだっつーの」
「おっ、随分と口が悪いねお客さんだね」口髭の男はギョロ眼を剥いて券売機の箱を指差した。「券売機の仕組み知らないの? 渡し忘れじゃないよ、あんたが取り忘れたの」
見ると、紙幣投入口のだいぶ下に、〈おつり返却口〉と書かれた小さな穴が開いている。これのことか。しかしなあ、こりゃ見落とすわ。こっちは初めての利用なんだから、もっと判り易い配置にしてくれよな。
「夕べの配膳係が、お客さんの人相憶えててね。見たことない客だっつってたし、多分あんただろうなって思ってさ。当たりだろ?」
胴間声で言われた。俺は用意しておいた紙幣を服の穴に仕舞い、長机の向こうから釣り銭を差し出している口髭に対して、
「判った判った。じゃあその金で、お前さんイチ押しのメニューを頼むよ。定食がいいな、腹にがっつり溜まるやつ」
「威勢がいいねえ。まあ、お任せでいいってんならお勧めのメニューがないこともないが……ニンニク臭かなりきついぞ」
「ニンニク? 大好物だ。それで決まり。ただしこないだの、んーと、おんたまカルビより美味いやつにしてくれや」
「味は保証するよ、ガーリックチキン一丁!」厨房のほうへ声を荒げた口髭は、一度だけこっちに向き直り、「やっぱ変わってるわ、お客さん」と呟くと、そのまま奥へ引っ込んじまった。
適当な席に座って辺りを窺う。客足は疎らで、この世界での標準服らしい、胸元の開いた地味な上着を羽織った壮年の男たちが、脇目もふらず黙々と食事を口にしていた。相変わらずどこからともなく聴こえてくる曲は、不可思議な旋律と拍子の上を女の囁き声が浮遊する、凡そ形容しがたい曲調だった。
例の口髭は氷水入りの透明杯と共に、硬貨と紙切れを一枚ずつ持ってきた。
「お客さん。余計なお世話かもしれないけどさ、そんな恰好で寒くないの?」
「いや全然。厚着だと動きづらいし不便だ」
「ふうん、ならいいがね……ところで、ギルドとかいうのは見つかったのかい?」
「なんで知ってんだ? ……ああそっか、昨日の店員か」俺は舌打ちの音で
「事情はよく判らんが、警察に訊いてみたらどうよ」
「警察? あんな奴らの世話になって堪るか」
「おお、えらい剣幕だねえ。まあ早く見つかるといいねえ……はい、こちらガーリックたっぷり照焼きチキン定食、490なので10円のお返しです。今後はお釣りのほうお忘れなきよう」
硬貨を手に取る。10円だそうだが、銅貨だなこりゃ。金貨でも銀貨でもない。大した値打ちはないだろう。紙片は単なる領収書らしい。水のほうは放置。飲む気がしない。いくら無料でも、こればっかりは口に合わない。
「おほっ、こりゃ美味え」
口髭のお勧めは絶品で、あっという間に鶏・飯・野菜・吸い物と平らげちまった。心地好い満腹感に腹を擦り擦り、豪快にゲップを一発。これぞ至福の時ってやつだ。俺はこの店がすっかり気に入った。無愛想な客どもは正直薄気味悪いが、味わうのに集中しているんだろうさ。
徐に立ち上がり、厨房に手を挙げた。
「ごちそうさん。また来るぜ」
声が大きすぎたのか、客の何人かがいかにも訝しげにこっちを見る。感度の違いというか、どうも客連中と俺との間には、日常生活における一種の温度差があるみたいだ。関心が低いのか高いのか、どっちつかずな精神状態の連中。そんなふうに見える。
「ありがとうございましたー!」
折り重なる挨拶を背に、店を出た。
もう陽が没してから幾許かの時間を経ている。街路灯は洩れなく灯され、道を行く〈異形のものども〉も、総員眼を光らせて
狩りの時間が始まったってわけだ。
連日のように成果は上がっている。
ここまで来ると、失敗する気がまるでしない。そのうち〈ギルド〉に換金してもらう必要が出てくるだろうが、飯さえありつけりゃ急ぐこともない。だったら、上向いているこの流れに乗って狩りを続けたほうがいい。
適当にほっつき歩いて腹がこなれるのを待つ。俺の根城の周辺は種々雑多な建物が溢れ返ってやがるんで、見ていて飽きが来ない。
中途半端な繁華街を逸れ、人気の少ないやや広い路地に出る。やけに金網の多い場所だ。猛獣でも飼育してやがるのか? 物々しい雰囲気に包まれた金網だった。
鐘を打ち鳴らすのにも似た金属音の繰り返しが、遠くで聴こえた。続いて地面を揺り動かす轟音。驚きに足を止めると、視線の先を、嘘みたいに長い胴体の生き物が、これまた凄まじい速度で走り去っていった。
「な……な、なんだありゃあ!」
かなりの距離だったが、結構な迫力だった。数多く
さて、そろそろやったるか。
適当な獲物を物色してやろうと辺りに視線を走らせると、前方から迫り来る人影があった。暗くても一目で判る、見憶えのある服そして制帽。警察官だ。
平然とやり過ごす。抜かりはない。というか、別に怪しまれるような身なりもしてないしな。
そこでふと思ったのが、ほかでもない、にっくき〈あいつ〉……。
麟音のことだ。
見も知らぬ第三者に、書置きの手紙という回りくどい手段で助けを求めた女々しい奴。いや、実際女なんだろう。それもかなり若い。
今日は嗅覚という名の勘がうまく働かないらしく、足取りにも前ほどキレがない。まだ麟音の奴が動いてないだけなのか、それとも……まさか今頃、警察の許へ駆け込んでやがるのか?
そりゃ困る。大問題だ。仮に奴が警察の
だがしかし、その心配はやはり取り越し苦労だろう。奴はこう書いてやがった。
〈あなただけが唯一の救いなのです〉とな。
俺がこの世界の警察機構を毛嫌いするように、奴もなんらかの理由で警察に関わりたくないのかもなあ。それなら勝機は十二分にある。警察に頼ることもできず、そのくせ赤の他人を当てにせざるを得ないほど非力な存在なんだ、麟音という女は。
それに比べ俺様のなんという能力の高さよ。鼻にかけるわけじゃないが、素質も経験値も遥かに上回ってる。いやはや全くもって末恐ろしい。昨日の手紙に書き加えた悪戯書きだって、使ったこともない文字をさながら自国語の如くすらすらと書いてのけたんだ。おいそれとできる芸当じゃないね、こりゃあ。
おっと、誰か来るな。
警官が来たのと同じ方向から、新たな人影が姿を現した。なんだか足許が
警官じゃないようだが、はて何者だ?
「フンフンフーン……ララン、ラン、ンァアアーッ」
そいつは調子外れの鼻歌を歌いながら、しゃっくりを定期的に繰り返していた。酔っ払いか。安酒の臭いがここまで漂ってくる。
渋い色合いの
「ウィー、フンフッ、フンフーン、ヒック」
いや、それにしてもこいつは驚いた。〈獲物〉のほうからのこのこと狩られにやって来るとは。初めてのことだ。ここの世界で言う、飛んで火に入る夏の虫ってやつだな。
惜しむらくは、相手がどうにも聞き分けの悪そうな酔漢だってことか。うぬぬぬ。残念だが狩りは諦めるか。なあに、もう数刻ぶらついてりゃ、好機は転がり込んでくるさ。
酔いどれ親父は俺の手前に来たところで、顔を顰めて唾を吐き棄てた。それから、
「おい、危ねーじゃねえか、コラァ」
と、断続的に喉を衝いて出るしゃっくりに言葉を詰まらせながら、俺様に突っかかってきやがった。
何が危ないってんだコラ。酒に溺れた人間特有の不可解な挙動に、こっちも思わず言い返したくなったが、かかずらうだけ時間の無駄だ。大人の対応で引き下がるとするか。酔っ払いの相手をするほど物好きでもないしな。
にも関わらずだ、酔漢は俺様の気も知らないで尚も挑みかかってきやがる。
「なんだァお前、何やってんだおい」
お前に言われる筋合いはない。ったく、とんだ飲んだくれに出くわしちまったな。
「うるせー。とっとと失せろ」
あ、つい口を滑らせちまった。
「なんだお前、やんのかコノヤロー」
フラフラと揺れる上体をそのままに、男は
少しだけなら取っちめてやってもいいだろう。俺は掌が地べたに着くくらい体を捩じると、反動を利用してさっきの10円硬貨を全力で投げつけてやった。
「ぁ痛ッ!」
男の短い悲鳴が重なる。至近距離だったことも手伝って、硬貨は見事酔っ払いの額の真ん中に命中した。
「何しやがんだ……ヒック、畜生、ぶっとばしてやるっ」
上等じゃねえか。かかってきやがれ。
「おらおらおらぁーっ!」
男はがむしゃらに拳を振り回したが、距離感が狂っているんで空を切る一方だ。
「参ったかコラ……参ったと言え、この、コンチキショーめ……ゼエ、ゼエ」
早くも肩で息をし始めている。光源の離れた暗がり、色眼鏡による視界の不備、そうした悪条件に追い討ちをかける
辺りには俺と酔っ払い以外誰もいない。警官はとうに姿を消している。引き返す気配もない。予定変更だ。狩りは遂行する。こいつにはちと切ない目に遭ってもらおうか。
小手調べとして相手の脇に回り込み、助走をつけて飛び蹴りを一発喰らわす。
「うがっ、ぐわっ!」
随分と派手な音を立てて、酔っ払いは道路脇の砂利の上に叩きつけられた。飲み物が二列に並べられた自動販売機の、ちょうど死角になっている地点だ。受け身も取れなかったのだろう、横向きに寝転がった姿勢から起き上がれず低い声で呻いている。
「いてて……くそっ、痛ぇー……」
「はは、ざまねーな」
なんとも呆気なかったが、この程度で音をあげてもらっちゃ困る。土手っ腹に数回爪先蹴りを浴びせると、男は完全に抵抗をやめた。
「おい、おっさん。もうお終いか?」
なんだこいつ。口ほどにもねえ。弱すぎる。これじゃあちっとも張合いがないじゃないか。よっぽど打ち所が悪かったんだろうな。
「うぐぅ……憶えてろよ、こいつめ……あいたたた」
ケッ、口だけは達者な野郎だ。金でもふんだくってやろうかとも思ったが、俺は強盗みたいな真似は絶対にしない。何故なら狩人だからだ。狩人には狩人としての
「あばよ、くそったれが。俺様をなめんじゃねーぞ」
「待ておい、いててて……動けねぇ」
もうこの場所に用はない。この酒臭い親父にもだ。永遠にそこで寝てやがれってんだ。
「さっきの10円は貴様にくれてやる。そこの販売機の飲み物代にでも使いな。っつっても自力で起き上がれたらの話だがな。それか通行人にぶつけて助けを乞うのもいいかもな。そんなとこで寝てたら誰も気づかないぜ、あっははは」
俺は口笛を吹きつつ、早々とその場を去った。思いつきで作った即興の曲だ。特定の歌じゃないが、酔っ払いの鼻歌なんざ足許にも及ばぬ、我ながら惚れ惚れするような旋律の佳曲。
極上の狩りには、詩歌を含む芸術全般に通じる美しさがある。しかも、この手の精神的余裕はそう簡単に真似できるわけじゃない。超一流の狩人ならではの発想であり、境地でもあるんだなこりゃ。
肌を刺すような突風の冷たさが最高に心地好かった。
夜の風は格別だ。そのまま城に帰っても良かったが、なんとなく回り道をすることにした。なあに、多少寄り道したって問題ない。帰りがちょっと遅くなるだけだ。
見慣れない路地を幾つか折れると、じきに見たこともないバカでかい建物の前に出た。巨大な門柱に〈聖十字総合病院〉の文字。天才狩人に読めない文字はない。病院かここは。
「おいおい、マジかよこいつぁ。なんだこの大きさ」
巨大すぎて、ここからじゃ全容を一望できない。この世界じゃ、こんな怪物級の建築物は常識だったりするのか?
割かし小ぶりな建物にばかり出入りしていたせいもあってか、夜の闇に紛れてもなお周囲を圧するかの如き堂々たる佇まいは、まさしく驚異的だった。俺の住んでいる城を、一体何棟収容できることか。未だお眼にかかったことのない、暴君の棲まう伝説の城……名前なんだっけか、確か鳥の……うー出てこないな。その〈なんとかの城〉だって、ここまででかいかどうか疑わしい。
いつかこんな威風堂々とした城に暮らしてみたいもんだ。今の城が悪いとは言わんが、狩猟の腕前に見合った住居は
いつか〈ギルド〉を見かけたら、ここの所有権の明け渡しを申請するのもいいだろう。俺の業績を評価して、格安で譲ってくれるかもしれんしな。Yeah、名案だこいつは。
病院ってことはだ、どうせ死の影に恐れ
「ふわあぁーぁ」
……ああ眠。欠伸が出た。とっとと帰るか。
今夜もまた独り寂しく冷たい寝床に潜るわけだ。たまには艶っぽい女性に、
一体〈麟音〉って女は、どんな面をしているんだろうか。
もし不細工だったら、さっさと殺しちまおう。
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