0-3 Yeah! 天才狩人の覚醒!

 ベイビー夜は最高だ。

 夜が最高なのは言うまでもないことだが、敢えて言う。なんといっても空気が美味い。それに重く沈んだ光のない世界は、否応いやおうにも気分を高めてくれる。実に清々しい。

 下らないことにばかり現をぬかす愚民どもが、眼に映りづらくなるからか? それとも前世が夜行性の、黒豹か何かだったのかもしれんな。

 がしかし、しかしだ。

 前世という言葉は嫌いだね。おっと、大を付け忘れた。大大大嫌いだ。

 貴方の前世はさる王侯貴族に飼われていた美しい毛並の一角獣、君の前世は帝政時代のしがない農民、あんたの前世はイボイノシシ、お前の前世はどこぞのどぶ川をたゆたっていたケンミジンコ……こんなもん、いくらでもでっち上げてみせるわ。真相どころか嘘であることすら証明する術がないんだからなあ!

 前世占い? 知るかそんなもん。そんな昔の出来事が、今の俺とどう関係するってんだ。

 因果だと? じゃあその因果ってやつを、納得できるように説明してみろっての!

 記憶に残ってない昔の事象についてとやかく言及するなんざ、無責任極まりない発言だ。全くもってけしからん。虫酸むしずが走るわ。

 ん? この虫酸ってなんなんだ? ま、知らなくてもなんとなく通じるから問題ないか。慣用表現なんてこんなもんだろ。前世も慣用句も、雰囲気だけの薄っぺらい代物に過ぎん。火の粉一片であっさり燃え尽きちまう類いの。

 どうも予定と違う……それもかなり違う場所で、俺は目覚めちまったみたいだな。

 ここがどんな幕僚ばくりょうの支配下にあるのか、そいつはまだ判断しかねる。がしかし、別に構うことはない。どこに居ついても、やることは畢竟ひっきょうおんなじだ。

 を狩る、

 それさえ判ってりゃあもうなんの問題もない。獲物を狩って狩って狩りまくって、金を稼いで稼いで稼ぎまくる。欠かせないのは、この狩猟本能だけだ。

 ほかに何が必要だ? 生きていくには充分じゃないか。

 聞いたこともない不気味な鳴き声が、時たま地を揺るがして鳴り響く。

 あそこのだだっ広い道を、何かがとんでもねえ速度で走ってやがる。

 それも一匹や二匹じゃねえぞ。列をなして滑るように駆け抜ける、驚異的な俊足。暴れ馬や獰猛どうもうな虎をも吹き飛ばしかねない、そのいかつい巨躯きょく。何より恐ろしいのは、前方の闇を切り裂かんばかりの凶眼だ。陽光を凝縮したような、その両眼の鮮烈な輝きときたら!

 並み居る〈異形〉どもの中でも、上位の強敵だろう。さすがに丸腰じゃ歯が立たないな。連中に見合う武器を見つけるまで、手は出さないようにしよう。幸い道の脇を歩く俺のことなど眼中にない様子だしな。

 眼に映るもの全てが初見の、初めての世界にうろたえることもなく、冷静に己が使命を全うすべく次の一手を考え出し行動に移す。

 素晴らしいね! さすがというよりほかにない。賞金稼ぎの鑑だよ。

 逆に言やあ、この判断力というか周囲への適応力がなけりゃ狩人なんて務まらんわけだが。

 何はともあれ、まずは腹ごしらえだ。

 立木の垣根に取り巻かれた、大きな店舗を発見。よっしゃ料理屋だ。一軒目からいきなりツイてるね。いいよいいよ。なんといっても、こんな夜中に営業してるのがいい。その上素性も知れん一匹狼を受け入れてくれるなんざ、殊勝しゅしょうな心掛けじゃないか。


「いらっしゃいませ」


 無駄に格調高い扉を開けて辺りを見回していると、黒の短衣を着た従業員らしき男に声をかけられた。何をそんなにニコニコしてやがるんだこいつは。給料日が近いのか?

 更に忌々しいのは、男の発した言葉ってのが、ついぞ聞いた例のない異郷の言語だったことだ。こりゃ困ったぞ。言葉が通じない奴に、どうやって意思を伝えりゃいい? 身振り手振りでどうにかするしかなさそうだ。

 ……いや待てよ。こいつ今なんて言った?

 そう、〈いらっしゃいませ〉だ。


「いらっしゃいませ、お一人様でしょうか?」


 間違いない。聞き取れた。

 自分でも驚きだが、相手の語っている意味がするすると頭に入ってくる。凄え、いや凄えどころじゃない。驚異的な理解力じゃないか! 狩猟の天才は同時に語学の天才でもあったわけか。


「見りゃ判んだろ」


 しかもだ、それだけじゃない。


「一人様に決まってんだろが。それとも何か? 俺の後ろに散々狩り尽くした獲物どもの霊でも見えんのか。どんな面してんだそいつぁ。交霊が得意な魔法使いの類かおのれは」


 こんな具合だ。

 語学力の次元が違う。というか、よく判らんが語彙も文法もすっかり具えちまってるようだ。おお、我が才能の恐ろしさよ! どうやら天才の上にも〈大〉を付けてやる必要があるな。


「あ……いえ」


 男の顔色が見る間に変わった。異国の住人が自分たちの言語を使いこなすと知って狼狽うろたえてんだろう。いい気味だ。


「いいから早く飯喰わしてくれよ」

かしこまりました。お煙草たばこのほうは、おいになられますか?」

「おたばこ?」


 言葉を聞いただけでぼんやりと情景が浮かんでくる。草を詰めた白い棒状のもの。その先端から伸びる煙。反対側を咥えた人物の口許からも煙。濛々もうもうと立ちこめる煙・煙・煙……けむい。


「す、喫わねーよ。あんなもん煙てえだけだろうが」

「では、あちらの席に……」

「ところでさ、ここってツケできんの?」

「はい?」眼をパチクリさせ、男は一瞬呆けたように口をあんぐりさせた。「当店は現金払いのほかに、クレジットカード・デビットカード及び電子マネー各種のご利用が可能となっておりますが」


 先手必勝とばかりに、譜面台みたいな板――一瞥しただけで予約用の来客者名簿だと判った――をわざとらしく平手打ちしてやった。男の口がピタリと停止する。付近にいた先客どもの会話も止まったようだった。


「ごちゃごちゃうるせーなぁ」


 俺は他方の手で顎を擦った。髭が生えてないのが非常に残念だ。皇帝髭とまでは言わないが、然るべき箇所に髭がないのは威厳に欠ける。


「んなもん持ってねーよ。こっちはツケができるかどうか訊いてんだ!」


 会計奥の――多分従業員用の――部屋から、別の店員の影がちらりと見えた。早くも騒ぎを聞きつけたらしいな。もう少し粘ってみたかったが、ここでタダ飯にありつくのは無理なようだ。何せこっちは無一文。払うものなんざ何もない。頭でも掻きむしってやりゃあ、少々の抜け毛とフケぐらいは出てくるかもしれんが、まあなんの駄賃にもなるまいて。

 とにかく、何事も引き際が肝腎かんじん


「お客様、大変恐れ入りますが、当店指定のお支払い方法にご納得いただけない方は、当店のご利用はできませんので」


「なんだよ冷てぇな。門前払いかよ。急に掌返しやがって。接客態度がなってねえ」


 聞こえよがしに舌打ち一つ。どうや喰い物に関しちゃ相当厳しい世界らしいな。心が狭いというか、もっと度量のあるところを見せてほしいもんだ。


「この世界の飲食業ってのも、案外融通が利かねえもんだな。しょうがねぇ、出直すとするか。じゃあ、コイツだけ貰ってくぜ」


 指に挟んだ数枚の板切れ……〈チューインガム〉と書いてあるそれを男の眼前でひらひら踊らせ、


「邪魔したな。二度と来ねーよ」


 最後にそれだけ言い捨ててやった。

 どうだ参ったか! 語学の天才は初見の文字だって判読できるんだぜ。会計机の横に置いてあったやつだ。元は食後用のものだろうが、どうせタダなんだし文句ないだろ。大天才に食べてもらえるんだ、ありがたく思え。

 不快な店を出る段になって、ようやく何人かの店員が会計の周りに集まってきた。ふん、群れないと何もできやしない烏合の衆どもめ。お前らなんぞ狩る価値もない。

 チューインガムとやらを一枚口に含んで荒々しく扉を押しやると、すぐ先にいた歳若い二人組が眼をみはってその場に立ち止まった。こっちの鼻息の荒さにえらく驚いている様子だ。


「どきなオラ、邪魔だ邪魔邪魔っ」


 わざとらしく二人の間に割って入る。勢いに押され、繋いでいた手が自然と離れた。瞬間、短い腰巻を穿いた女の尻を素早く撫でる。


「キャッ!」


 女が当然ともいえる反応を示し、尻を押さえてこっちを睨みつけた。冴えない面構えの男のほうも、当惑気味に俺を見ている。


「そんな短いので寒くねえのかよおい。よっぽど脂肪の蓄えが豊富なんだな、アッハハハ」


 怒ったような困ったような表情で立ち尽くす二人連れ。どうせなら財布でもスッてやれば良かった。

 まあいいさ。賞金稼ぎは悪党とは違うんだ。この世界の貨幣がどんなものか多少興味はあったが、じきに近場の同業者組合……で正当な報酬として貰ってやるさ。

 それ以上連中をからかうのはやめにして、建物の横手に回ってみた。

 平らな路面を走る矩形の白線。広めの空間には、あの恐るべき〈異形のもの〉が二匹ばかりうずくまっていて、あとはがらんとしていた。その場を明るみに出しているのは街灯じゃなくて、面した建物から煌々と洩れ光る店内の明かり。

 座席を選んでいた様子の件の二人組が、吸い寄せられるように窓際へ近づく。再度眼が合った。明らかに顔面が引きつっている。そんなに俺様に相手してほしいのか?

 笑いながらつかつかと歩み寄り、すかさず水晶……もとい玻璃はりと呼んだほうが正しいな、玻璃の窓めがけてチューインガムを吐き捨てた。反射的に身をよじった女の短い悲鳴が、透明の玻璃を通過して聴こえた気がした。

 ざまあみろ。役目を失った包み紙を丸めて指で弾くと、間抜け面をした男の目前で玻璃にぶつかり、ガム同様光の届かない地表の暗闇へ消えた。

 大体このチューインガムという代物、美味いのは最初だけで後はちっとも味がしないし、噛めども噛めどもこなれていく気配がない。だったらいっそのこと、こいつで連中を脅かしてやれと思ったわけさ。これも天才ならではの茶目っ気ってやつだな。

 いやしかし、ちょっと待てよ。改めて考える。

 組合のことだ。この世界に〈ギルド〉なんてあるのか?

 たとえ獲物を狩り集めたところで、そいつらを換金してくれる機関がなけりゃ意味がない。完全な持ち腐れになっちまう。先立つものは何よりも金だ。そのためには〈ギルド〉が絶対に必要なんだがな。

 夜の道路を再び歩き出す。

 路上に金貨でも落ちていやしないかと這いつくばってみたりもしたが、収穫はなかった。初日はこんなもんだろう。焦りは禁物だ。このままもうしばらくブラブラしてみるか。思わぬ発見があるかもしれないし、仮に何も見つからなくても一向構わない。あの天をかんばかりの巨大な城塞に、引き返せばいいだけの話だ。獲物も賞金もない今の身分のほうが、よっぽど身軽に動き回れる。

 それにいくら夜だからって、人目につきそうな場所での狩猟行為は避けるべきだわな。どこの世界にも、治安を守る法規組織は存在するだろ……そう、警察だ警察。夜陰に乗じてやるに越したことはない。目立たないように狩りゃあ誰にも気づかれないで済む。

 慎重かつ大胆に。そいつが狩猟の鉄則だ。

 腹の辺りから、恨めしげな低音が鳴った。体ってのは本当に正直者で困る。仕事前の腹ごしらえは、ひとまずおあずけか。空腹を満たすには、まず獲物を探すのが先ということらしい。

 あと、こっちは二の次でいいんだが、警察の居場所も突き止めておきたい。より安全に動くためにな。

 二枚目のガム――チューインガムを略したんだ。もちろん俺の発案。なんて合理的! ――を口に放り込んだ。これ、無理矢理飲み込んだらちったあ腹の足しになるかもしれん。ものは試しだ。味がなくなったらやってみよう。

 要らなくなった包装紙を指先で器用に丸め、大して照準も定めず弾き飛ばす。おっといかん。ポイ捨ては良くないな。こんな夜中に逢引きを気取るような軟派連中どもを冷やかす目的でなら大いに結構だが、それ以外の理由だったり、もしくは理由もないのにゴミを道端に捨てるのは感心しない。

 いやしかし。今回ばかりは警察官にも見逃してもらうとしよう。元々視力が悪い上、適当に爪で弾いたせいで、どこに飛んだか完全に見失っちまった。

 ゴミの行く末は夜を統べる暗黒神のみぞ知る。ま、どう考えたってこの程度の悪行、白日の下に曝されるはずもなかろうがな。

 神だって? ヘッ! んなもん実在すんのかね。

 大体、俺は自分の本名すら知らないんだ。もし神がいるってんなら、是非そこんとこも教えてほしいもんだぜ。んで、渾名あだなよりもっとカッコいい名前だったら、そっちを採用してやろうかね。実際のところ名前なんてその程度のもんだろうが。いいほうを採って劣ってるほうはさっさと捨てるに限る。ポイ捨てと同程度さ。眼が悪くても本名がなくても、当代随一の賞金稼ぎにして凄腕の狩人であることに変わりはないんだ。

 下穿きの横の、なんだこれ、この手を突っ込んだり物を入れたりする、穴みたいな空洞――まあいいや穴で――その穴の中に、残りのガムを仕舞おうとしたそのときだった。突っ込んだ指の先端が、何かに触れたのが判った。

 硬くて細長い感触。


 俺の手に、銀色をした冷たいが握られていた。


 脇を走る〈異形〉の眼光を反射して、鋭い刃先が物騒な光を閃かせた。

 途端に体が震えた。寒気? 尿意か?

 だとしたら、今からあの巨城に引き返しても間に合いそうにない。公衆便所は見当たらんし、いくらなんでも立ちションはまずいだろ。ポイ捨てと立ちションの重犯はなかなか罰当たりじゃなかろうか。

 億劫だがさっきの料理店に戻って、便所だけ借りることにするか。散々吐きまくった悪態はさておいて、膀胱ぼうこうをパンパンに膨らませた一文無しの哀れな青年を、門前払いするような無慈悲な真似はさすがにしないだろ。ついでにあのしょうもない二人組をおちょくってやるのも悪くないかもな。

 おおっと……また体躯に震えが走りやがった。

 いや違う。尿意じゃない。得物を手にしたことでもたらされた、こいつは武者震いだ。鋭敏すぎる俺の感覚はちゃんと判ってやがるんだ。


 ……獲物が近いってことを。


 ここがどこなのかは、さして重要じゃない。どれだけ〈大陸〉から隔たっていようと、異世界だろうとなんだろうとな。大切なのは、ここで何をするか、何を為すべきなのかだ。そうだろう?

 闇の中で、短刀の切っ先をゆっくり舐めた。

 もうじき風が吹く。

 方角は、夜中だってのに光がこぼれまくってやがる、あの四角い建物のほうからだ。俺には判る。自然を知り尽くした狩人の勘だ。

 しばらくして、乾いた風が湿った舌の裏を冷たく掠めた。ほらな。思った通りだ。

 ふと闇が和らぐ。見上げると、雲の切れ間に月が輝いていた。

 満月だ。

 ……厭な月だ。みてえじゃねえか。

 すぐさま俺は視線を逸らした。

 そうだな。もうしばらく〈ギルド〉を探してみるか。新天地での冒険は始まったばかりだ。眠るにはまだ早い。Yeah、夜は長い。そう、夜は長いんだ。どこの世界であってもな。

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