第15話:嘘つきはナントカの始まり

 中学校に上がる直前。小学校の卒業間近。

 僕は臨死体験をした事がある。概要だけ、先に言ってしまうけど、車に轢かれて意識を失い、生死の境をさまよったのだ。

 その頃、僕は実家の盛岡にいた。三月であれば、まだ雪が降る事はあっても、大きな道や街中で積もる事はあまり無い。しかしその日はたまたま、季節外れの大雪で、うっすらと白をまぶした景色が広がっていた。

 だからといって、誰もそんな事で出掛けるのをやめたりはしない。その辺りを走る車も、冬の道に詳しい事がほとんどであったし、気にする程の事でもない。そんな感じだ。

 僕だって、似たようなものだった。気をつけなさいよ、という母の声を聞き流して家を飛び出し、雪道をずんずんと進んでいた。

 いつもと変わらない通りを、いつものペースで歩く。友達の家に着いたらゲームをやって、中学校で入るつもりの部活の話だとかをして帰る。何もない、普通の一日のはずだった。

 横断歩道の途中で、悲鳴が聞こえた。振り向いた僕の目には、中型のトラックが飛び込んでくるのが見えた。その悲鳴は、誰かが助けを求めてあげたのではなく、僕を案じてのものだった。

 え、とか、あ、とか、そんな声にもならない声を出せたのかどうか。訳のわからないまま、僕は宙を舞っていた。

 よく聞く話ではあるけど、世界がスローモーションで再生されるというのは本当だった。不思議と痛みは無い。

 僕は、ゆっくりと近付く雪化粧のアスファルトを、ぼんやりと見つめていた。その途中で、違和感があった。

 違和感の無いはねられ方、なんていうのは知らないけど、とにかく、あれ、と思ったのだ。


――どうしてあそこに、もう既に僕が倒れているんだろう?


 僕が最初に見た、死の可能性だった。もう一人の自分に吸い寄せられていく身体は、鉛のように重い。まさにあの時、僕の命の灯は消えかけていたのだと思う。

 無意識に、手を伸ばしていた。何か意図があった訳ではない。手を動かしたつもりも無かった。ただ、嫌だなという気持ちがよぎったのだ。

 目の前に転がる僕に重なるのは、アレになるのは嫌だ。そう、感じただけだった。


「そのおかげで助かったの……?」

「多分、そういう事なんだと思う」


 手を伸ばして地面に触れた僕は、本来取るべきコースを外れ、雪道を滑って、もう一人の僕のすぐ隣で止まった。そのの上を、スリップしたトラックがキレイになぞるように通っていく。

 全てがゆるゆると動く現実味の無い世界は、いつの間にか終わっていて。僕は、いやに響く自分の鼓動に、身を委ねていて。

 それから、気が付くと病院のベッドの上で、母親の泣き声を聞いていた。


「来ないと思ったら、いきなり事故で入院とか。本当にびっくりしたんだから」

「こっちこそびっくりしたって。いきなり泣き出すし」

「もう、それずっと言うつもり? しょうがないでしょ。あの頃は私も純粋だったの!」

「えっと、ごめんね? それで、それからその……危ない事の予兆みたいなものが、わかるようになったって事?」


 話を急ぐミホノちゃんの表情は、険しいままだ。僕が本当に事故に遭った事をアイが証言してくれ、事情についてもシンジが先にフォローしてくれている。

 それでも、信じられなかったとしても無理は無い。シンジや、ここでの説明は省くけど、アイのように、実体験を経て信じるようになったのでもなければ、当然だ。むしろ、これを普通に受け止めている僕の方が、きっとおかしい。

 しかも、だ。危険な予兆がわかる事がある、等と言う、どうにも胡散臭いぼかし方をしているのだ。これは、ミホノちゃんと僕の事情の相性が悪い事もあって、あえて伏せているのだけど。

 結局、アイやシンジと同じ話に、臨死体験をそえて繰り返しているだけだ。僕は、怪しい超能力者としての地位を、自ら確固たるモノにしつつあった。


「私を助けてくれた時も、何かを感じで飛び込んでくれたんですね!」


 イマミヤが「やっぱり、運命……」と呟いて、うっとりした様子でこちらを見つめてくる。そういえば、この子も一緒に臨死体験をしていたんだっけ。

 すんなり信じてもらえているのはありがたいけど、こちらはこちらで、ちゃんと話をしないといけないな。僕は口の中で溜め息をひとまわりさせて、こくりと飲み込む。


「話は、何となくだけど、わかったよ」

「え。わかってくれたの……?」


 思わずそう聞いたアイに「でも」とミホノちゃんが言葉を被せた。僕は、やっぱりそうだよな、と思う。さっき飲み込んだばかりの溜め息を、もうひとまわり大きくして吐き出しておく。


「ごめんね、ちょっと。ついていけないっていうか」

「まあそうだよね」

「うん……でも事故とかは本当なんでしょ? 凄く良く出来た話、だとは思うけど」

「良く出来た話かあ」

「おい、カナト。お前が納得してどうすんだよ」

「だってやっぱり無理があるって。逆の立場なら、こんなのまず信じないし」

「だから、それをお前が言ったらおしまいだろうが」

「なんでシンジが怒ってるんだよ」

「っつうか、ミホノちゃんもミホノちゃんだよ」


 シンジは話の途中から、ずっと不機嫌そうにしていた。話をぼかしている事に、怒っているのだと思っていたのに、様子がおかしい。

 なんだか、妙な方向に転がり始めた気がする。良い予感は、正直というか、もちろんというか、全くしない。


「え、私……?」

「そりゃあさ、こんな話だ。なんだこいつって、なんだこいつらって、思ったかもしれないよ」

「うん、ごめんね。そう思っちゃった」

「あはは、すげーはっきり言うし。そういうとこ、嫌いじゃないよ。でもさ、こいつと何度か話して、遊びに行ったりもして……あ~、今こうなってんのは、その遊びに行ったのがモトではあるんだけど」

「大丈夫だから落ち着きなよ」

「うるせえ、お前はもう少し焦れっつうの」


 僕だって、落ち着いている訳ではない。自分より慌てている人がいると、慌てている場合ではなくなってしまう、あの感じだ。

 それに話している内に、これは難しいだろうな、と諦めに近い気持ちにもなっていた。

 こうやって、シンジのように泥臭く食い下がれるのは、羨ましくもある。


「とにかく、こいつはそんなに嫌なヤツでも、危ないヤツでもねえんだって」

「うん……そうなんだろうな、とは思うよ」

「それならさ」

「でも、これは無理だよ。逆に、三人ともどうしてそんな、普通にしてるの?」


 ミホノちゃんは、どうにかこうにか、口の端を持ち上げてくれていた。確かに、想像していたよりはっきり物を言うし、それは物凄く堪える事でもあった。それでも、この子はやっぱり、すごく優しい。

 普通なら……という言い方はあまり好きではないけど、どこで帰ってしまってもおかしくない話だ。


「誰も、嘘をついてる風には見えないよ。みんなと遊んだりしたのも楽しかったし」


 本当に、と続けたミホノちゃんは、自分自身にそう言い聞かせているようだった。

 僕はもう、随分と長い間、放置されたままの、まな板の上の鯉だ。叩き切るなり、煮るなり焼くなりしてくれれば良いのに、なかなかそうしてもらえない。

 こんな事はしたくないんだけど、とおっかなびっくり放っておかれているようで、余計に辛くなってくる。でもそれも、ようやく終わりそうな気配である。


「でもね、やっぱり嘘みたいだよ、こんなの。信じられない」

「うん、わかる。そうだよね」

「だからお前がさ」

「シンジ」


 僕は、精一杯の笑顔らしきものを作って、シンジを諭す。次にアイとイマミヤに視線を移し、最後にミホノちゃんへ。

 どうかな。多分、今の君よりは、上手に笑えていると思うんだけど。

 そう聞いてみたかったが、僕の口はちゃんと、別の仕事をしてくれた。


「ごめんね、急に呼び出して。変な話だったのに、最後まで聞いてくれてありがとう」

「……うん」


 それから何かを話したのか、それとも黙っていたのか。よく覚えていないけど、とにかくその場は解散になった。

 僕は「やっぱり嘘みたいだよ」と絞り出した時のミホノちゃんの顔が忘れられず、その台詞を頭の中で繰り返していた。


「嘘つきは、ナントカの始まり」

「……ドロボウ?」

「あれってさ、ちょっと無理あるよね」

「無理って?」

「風が吹くと、なんとかが儲かるみたいな」

「どうなのかな」

「要は悪い事すんなよって、脅かしてんだろ。それっぽい単語でさ」

「それっぽい、ね」

「真っ正直なドロボウはどうすんだって話だよな」

「シンジくん、それは違うかも」


 とりとめの無い話にアイとシンジを付き合わせながら、歩く。イマミヤは後ろですっかり大人しくなっていた。ミホノちゃんが、信じられないと言い切った事に、どうにも納得がいかないらしい。


「ナントカの始まりかあ」

「なに、もしかして気に入ったの? それ」

「煮えきらねえのはカナトっぽいけどな」

「うるせ」


 真っ正直なドロボウはどうすんだ。

 おかしな例えだけど、僕は何となくわかる気もしていた。真っ正直なのに、嘘つきだと思われてしまったら。始まってしまったナントカは、どうやって終わらせれば良いのだろうか。

 今回はありがたい事に、答えは無いけど、とりあえずのやるべき事はわかっている。信じられる友達もいる。僕は、まだ進めるのだと言い聞かせた。


「やるしかないか。シンジも、これで文句は無いだろ」

「なんだ。もっとがっつり落ち込んでんのかと思った」

「落ち込ませるつもりで、けしかけたのか」

「そりゃ、いくらなんでもねえって。まあ、今日のは俺も」

「頼むから謝るなよ」

「あー、うん」

「私は信じてますから」

「あ、今宮さんずるい。ずっと黙ってたくせに」


 一つ、ふわふわとしていた気持ちにけじめを付けて、僕は顔を上げた。これくらいの事は、これからやろうとしている事に比べれば、多分きっと何でもない。

 息を潜めていた蝉時雨が、わんと響いて、一斉に戻ってきた、ような気がした。

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