例えばそこに、僕の屍が転がっていたとして

青山陣也

第1話:わりと毎日、九死に一生

 それは、大通りの真ん中にごろりと転がっていた。

 赤黒く塗り潰されたアスファルト。ありえない角度にぐにゃりと曲がった首。

 ネイビーのパーカー。ボーダーのTシャツ。アースカラーのパンツと黒のショルダーバッグ。顔は見えないけど、間違いない。あれは、僕だ。


「はあ、きっついな」


 僕、清水奏都きよみずかなとは二十歳の大学生だ。ただ平穏な毎日を望む、れっきとした一般人である。いや、少なくとも僕自身は、そうである事を願っている、と言うべきか。しかし、残念ながら現実は、平穏でけだるい朝とは程遠い。横断歩道の先に転がっているモノこそが、僕の日常なのだから。


「事故死とか……朝からグロいのは勘弁してよ」


 誤解を恐れずに言うのであれば、僕は中学校に上がる直前に一度、死んでいる。いや、こうして大学に通っているのだから、一応、手元に命を掴まえてはいるのだけど。

 九死に一生を得る。助かる見込みのない状況から命を拾う事、またはその例え。日本人なら、わりと誰でも知っている言葉だろう。

 僕は、それを実際に体験した事があるのだ。


「事故死って?」


 つい、口からこぼれた恨み言に、しまったと思うがもう遅い。隣を歩いていた伏見愛ふしみあいが、大きな瞳をぱちくりさせて覗き込んでくる。


「まさか例のあれ?」

「いや、まあ」

「最近、少し落ち着いたと思ってたのに。ね、どんな感じ? 大丈夫?」


 今の忘れて、ほっといてくれないかな。舌先まで滑ってきた軽率な言葉を飲み込んで、かわりに溜め息を吐き出す。幼馴染みのお節介は、なんだかくすぐったくて、居心地が悪い。僕のを知っているだけに、なおさらだ。

 人の命は決して軽くない。その言葉が示す通り、すれすれのところで命の糸を繋いだ僕は、それなりの代償を払っている。それは即ち、朝一番から無遠慮に横たわる屍。僕には、僕自身の死に様、その可能性がリアルに見えてしまうのだ。


「どんなって、本当に聞きたいわけ? この、爽やかな一日の始まりに?」

「そりゃあ、気になるもの」

「そう? 僕の首が明後日に舵を切ってるとか、全身がスプラッタしてるとか。そんな話なんだけど」


 苦い顔で「やっぱりやめとく~」と舌を出す彼女。返事代わりに曖昧に口角を上げて応えると、僕も前を向き直す。

 伏見愛……アイは、生まれた時からの幼馴染みだ。マンションの同じ階に住んでいたご近所さんで、小さい頃はよく一緒に遊んだし、小学校、中学校と九年間を過ごした腐れ縁である。

 そうは言っても、高校は別々だったし、少しずつ丁度良い距離感に落ち着いていくのだろうな、と勝手に考えていた。だから、上京した先の東京で、それも同じ大学の講義で顔を合わせた時は、本当にびっくりさせられた。

 空白の三年間を飛び越えたアイは、それこそ見違える程、女らしくなっていた。さらさらの髪を肩口まで伸ばし、よく見れば化粧もしていた。あの日は、とても新鮮な衝撃を受けた事を覚えている。

 なにしろ、高校時代にほぼ全くと言って良い程、顔を合わせる機会の無かった僕には、中学時代の彼女しか記憶になかったのだ。髪はいつもベリーショート。部活のバレーボールに打ち込んで、少年のように顔をくしゃくしゃにして笑っていた姿だ。化粧っ気の欠片も、あるわけがない。


 それにしても、最近少し落ち着いたと思ってたのに、か。横目でアイをちらりと見やり、視線をアスファルトへ落とす。

 残念ながらそれは正しくない。話していないだけで、僕には、いつも見えているからだ。

 確かに再会した当時は、僕の事情について話をする事も多かった。でもそれは、彼女を安心させる為の一時的なものだ。以前、中学時代のちょっとした事件もあって、彼女は僕をとても心配してくれたから。

 でも今は違う。僕が自分の死に様を見るようになって、八年目。それなりに対処法を身に付けてきたつもりだ。幼馴染みや友達、家族を危険に晒さない方法も。

 それにこれは、聞かされて気持ちの良い話ではない。よっぽどでなければ、黙っている方が良いに決まっている。


――今日は凄かったんだ。ほら、大学の手前にある橋のとこ。あそこの川を、ぶくぶくに膨れて白目を剥いた僕が流れてきてさ。きっと、溺死だろうね。慌てて迂回して事無きを得たよ。

 こんな事を毎日のように報告されて、喜ぶ人間はいないと信じたい。


「大丈夫……だよね?」

「うわ、なんだよ」

「だってすごい深刻そうな顔してる」


 一度は元のポジションに引っ込んでいたアイが、もう一度、顔を近付けてきていた。先程よりも更に距離が近い。

 僕はそんなに、心配になる顔をしていたのだろうか。まあ自分の水死体を思い出して笑顔になるやつはいないか。何となく決まりが悪くて、ぐしゃぐしゃと頭を掻く。


「大丈夫、大丈夫。でも一応こっちから行こうかな。じゃあまた後で」


 二つ先の信号でようやく横断歩道を渡った僕は、力なく手を振ってみせた。そして、大通りから一本入った道に足を向ける。

 こういう時は無理をせず、適度な距離を取るのが一番なのだ。グロテスクな自分の死に様からも、パーソナルスペースにするりと侵入してくる幼馴染みからも。


「こら。また後で、じゃないってば」

「あのなあ」

「私もこっちから行く」

「万が一って事もあるんだぞ」


 そう、万が一だ。自分の死相であるとかなにがしが目に見えるだけなら、まだ大した事は無かったのかもしれない。何故なら人間とは、慣れる生き物だからだ。日々、手術に従事する外科医の皆さんは、そういう資料や写真を前に、談笑しながらステーキを頬張る事が出来る。と、聞いた事がある。嘘か本当かは知らないけど、ニュアンスはそれと同じだ。

 そういう感じなら良かった。実際に僕は、ただ見えるだけなら、すっかり慣れてしまっている。凄惨な形になっていれば衝撃は受けるけど、映画だとかのそれに近い。

 肝心なのは、僕が見る死に様が、僕の命にダイレクトに影響するという事だ。もし、先程の首の捻れた僕の元へ、こうして歩いている今の僕が駆けつけていたら、僕はあの場で死んでいたはずだ。

 もちろん、あんなものを間近で見たい等という好奇心は、ヒトカケラも持ち合わせていないと断言出来る。幸運にも、最初からそう思えたからこそ、僕はこうして生きているというわけ。

 更にもう一つ、洒落にならない問題がある。もしその瞬間、その場所に、僕と一緒に誰かがいたとしたら、その人は巻き添えを食う確率が非常に高いという事。あのまま二人で横断歩道を渡る、なんていう選択肢は無理心中に近い。

 今だってそうだ。二つ先の信号まで歩いて、大通りを避けたとしても安心は出来ない。あれがあそこにあった以上、今朝のこの時間は、別の死に様とエンカウントする可能性が高いのだ。そこに事情を知った上で飛び込もうとするなんて。

 スリリングな毎日がお望みなのだとしたら、友達付き合いを考え直さなければならない。


「ほら、万が一とか言う。それならなおさらでしょ! いっこカシね。お昼、おごられてあげる」

「なおさらって、意味わかんないんだけど」


 これは僕の事情だ。人数が何人増えたからと言って、リスクが分散される訳でもないのに。苦笑いで拒否反応を示すが、お構い無し。かといって、命に関わるんだぞ、と脅しても逆効果だ。よりいっそう、むきになって付いてこようとするのは目に見えている。

 二歩三歩と跳ねるようにして僕の前に出たアイは、くるりと振り返った。夏を運んでくる爽やかな風、なんていうものがもし目に見えたら、こんな感じなのかもしれない。全く、こっちの気も知らないで呑気なものだ。

 ここまで考えて、僕は思わず眉を潜める。夏を運んでくる爽やかな風って何だよ、急に何を考えてるんだ、恥ずかしい。そんな僕の苦々しい表情を、更なる拒絶だと受け取ったのだろう。アイは一瞬ムっとした表情になって、改めて笑顔を浮かべ直した。わざとらしい位に、眩しいやつをだ。


「お昼、あのカフェのパスタが食べたいな。せっかくカナトのおごりだし?」

「あのなあ」

「さ、早く行こう」


 顔に、諦めて付いて来なさい、と書いてある。こうなったらアイはテコでも動かない。仕方ないか。僕が注意しておけば、大丈夫のはずだ。

 何度目かの溜め息を澄みきった空気に混ぜ込んで、僕は真っ青な空を仰いだ。

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