第一章(四)

 土曜日の昼下がり。バーのカウンターに座り、ジンジャーエールのグラスを持ち上げ、FBI捜査官レオナルド・ジローラ。通称レオはグラスを鏡にして後ろの男の様子をうかがっていた。

 ため息が出る。『何で俺がこんなことを。新人のひよっこのやることじゃないか』

 彼は後ろの席の男を監視せよとの任務を受けた。普段ならビールの一杯も引っかけているところだが、任務中のためそれが出来ない。つまらない任務だ。尾行など性に合わない。ましてや対象がセクシーな美女ならともかく、汚いなりの出来損ないのパンク野郎ときている。現実は映画のようにはいかないものだ。

 しばらくパンク野郎の様子を見ていたが動きがない。やつの持っている荷物はパンクには似合わない黒いアタッシュケース。中身はぎゅうぎゅうに詰め込まれたドル紙幣。やつの待ち焦がれている相手はマフィア。麻薬の取引だ。

何処か遠くで銃声が聞こえた。だが驚く者は誰一人いない。この町では銃声など子守歌程度でしかない。

バージニア州の一角にあるホーガン横町。ここではありとあらゆる犯罪が横行している。売春、銀行強盗、テロリストが大腕を振って歩いている。恐らくこの町で起こっていない犯罪など無い。

 ここの人口の半分が警官で半分が犯罪者と言われている。アメリカでの犯罪発生率はナンバーワンだろう。真っ昼間から堂々と麻薬の取引が行われているのも当然だ。

 グラスに映ったパンク野郎を別の人影が遮った。この人影には大いに心が惹かれた。小さめのタンクトップに無理矢理詰め込んだこぼれそうな胸。ジーンズのショートパンツから伸びた長い足。赤毛の癖っ毛が魅力的だ。

 美女が横に座った。

「ねぇ、あなたのその金髪、本物」

「ああ、これだけが自慢なんだ」

「外に止まってる車、あなたのでしょ。ドライブにはもってこいのお天気よ」

そう言うと美女はウインクをした。

 いつもなら一も二もなく誘いに乗っていただろう。実際任務など放り出してしまいたい。でもそれが出来な状況にある。

「あたし、のどが渇いちゃった」

 レオの心の葛藤を知ってか知らずか、美女はレオにしだれかかる。

 レオは天使と悪魔の戦いの末、口を開いた。

「飲み物が欲しけりゃ、通りの角に自販機があったぜ。あれなら、ここのバーテンよりも愛想がいい」

 美女は憤慨して席を立った。

「このホモ野郎。男のケツでも舐めてやがれ」

 捨て台詞を残して立ち去る美女を見送りながら、レオは自分の愚かな行為に涙した。

 店内にいた客たちがクスクス笑う。レオは周りに笑顔を振りまき誤魔化す。

 しかしそれがいけなかった。一瞬パンク野郎と目が合ってしまった。

 パンク野郎はレオの正体を感じとったのか突然立ち上がり店を飛び出した。

 慌てて追いかける。

 店の前はメインストリート。パンクは一〇〇メートル程走った所で路地裏に逃げ込んだ。

 レオは任務を受けた時から、この町の地図を頭にたたき込んでいる。しめた、この先はゴミ収集所。行き止まりだ。

 袋小路の壁をよじ登ろうとしているパンク野郎にゴミをかき分け飛びつき、そのまま後ろへ投げ飛ばした。

 パンク野郎が叫ぶ。

「まっ、待ってよ。俺、一日八ドルしか貰ってないんだぜ。そこまでやられちゃ割に合わねぇよ」

 その言葉に興奮していた自分に気づき、ややあって我にかえった。

「悪い、悪い。根が真面目なもんでね。訓練てこと忘れて、つい本気になっちまった。でも、それだけお前さんの演技が上手かったって事だよ。オスカーもんだったぜ」

 パンク野郎に手を差し出す。ゴミの山から引き上げる時にパンクのはめていた棘の突き出た指輪がちくちくした。

 ホーガン横町。バージニア州にあるFBIアカデミーの中の実践訓練用に作られた町。

 犯罪者は全てFBIに雇われた俳優。中には現役を退いた捜査官が敵のボスに扮する事もある。

 ここで訓練を受ける捜査官には予め『台本』がわたされる。しかし、それは大まかなものであり、細かい行動については知らされていない。全ては犯罪者に扮した俳優が判断する。捜査官はそれに合わせて対処し行動する。

 パンクを引き上げ、姿勢をまっすぐに伸ばした瞬間、後頭部に冷たく堅い物が当たった。銃口だ間違いない。

 パンク野郎を見ると怪訝そうな顔をしている。怯えているようにも見える。仲間がいる設定になっているなら驚くはずがない。

 まさか本物が混じっていたのか。

 両手を上げゆっくり振り返る。そこには大きな黒い人影が四五口径のベアーのHRTモデルを構えて立っていた。

 レオが人影に苦笑いをすると、人影が口を開いた。

「落第だな。実践なら貴様は死んでいた。訓練中に気を抜くなど言語道断。新人に混じって、もう一度基礎からやり直すんだな」

「俺は本番に強いタイプなんでね」

 レオは腕を下ろし、黒い人影が銃をしまう。

「それより何でここにいるんだよ。お前もお仕置き食らったのか」

「貴様を迎えに来た。現場復帰だ。さっさと用意しろ」

 それだけ言うと、FBI捜査官ハリー・ハーディングはきびすを返し歩き始めた。

 役者に手を振り、ハリーの後を追った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る