Ⅷ.Dionysus and Demeter

 第六の試練――束の間の安息。最終試練に向けて躰を休め、覚悟を決めろ。

「何よ……この『ご褒美』と言わんばかりの試練は……と言うか、“試練”じゃないでしょ?」

 ローラが代表して呟いた。

 そこは広いとも狭いとも言えない白い部屋で、美しいものについて話し合ったあの部屋に似ていた。ただ、今回は机の上にとても豪勢な料理が並んである。部屋が白い分、料理が非常に目立つ。

「うっわぁ~。美味しそう~」

 べりぃは料理を舐め回すように見つめながら机を一周した。そして、近くにあった果実に手を出し、口に運ぼうとする。

「待って!!」

 キリアの声にべりぃのみならず、その場に居た者は皆止まり、キリアを見つめた。

「食べるのは待って」

「何で?」

 アイアコスは『束の間の安息』と言った。つまり、これは我々の為に用意したのだとべりぃは思っていた。

 べりぃは口から果物を離し、果物とキリアを交互に見つめている。

 それに答えるようにキリアは口を開いた。

「冥界の食べ物を口にしたら冥界の住人になってしまうのよ。そうしたら転生出来なくなってしまうわ」

「……そうなの?」

 一瞬間を置いて、近くに居たローラにべりぃは訊いた。ローラも冥界について多少は知識があるようだったから。

「何かそんな感じの話は聞いたことがあった気もするけど……。そもそも私達に“空腹”なんて感じる気持ちがなかったから、今まで考えもしなかったんだけど」

 その言葉にミントが相槌を打つ。

「そうですね。ただ時が過ぎるのを待つだけ……」

 ローラは頷き、続けた。

「それに『束の間の安息』って……試練でそれは有り得ないでしょ。絶対コレは罠に決まってる」

 机の上に並んでいる料理を指して言う。

「あ!!」

 突然、何かを思い出したのか、べりぃが声を上げた。

「私……食材集めの時……桃、食べちゃった……」

「はぁ?!!」

 ローラを筆頭に、皆がべりぃを見る。

 そんな中、もう一人の声が聞こえた。

「……俺も一緒に食べた」

 れいんだ。

「ぇええ?!!」

 皆の視線はべりぃとれいんに集中した。

「あれって……冥界の食べ物だったりするのかな……?」

 べりぃが弱々しく呟くのを最後に沈黙が始まった。



「この組は沈黙が多いなぁ……」

 モニターを見つめる3人は溜息を吐いた。

 この試練は料理を食べてくれないと始まらない。だが、この6人は深読みし過ぎて食べてくれそうになかった。

「仕方ない。少し手を加えるか」

 アイアコスはマイクに向かって喋り出した。

『それらは冥界の食べ物ではない』

「ん?」

 6人は何処からか聞こえてくる声に耳を傾けた。

『そこに並んでいるものは全て、お前達が今までの試練で集めたもので作ってある。あの地は色々な世界と繋がって出来たもので冥界ではない。だから口にしても平気だ』

 ――だが、多少手は加えてある。

 それだけは言わずにアイアコスはマイクのスイッチを切った。

 声が聞こえなくなっても暫く沈黙が続いたが、それを破ってローラが声を発した。

「……ってことみたいだけど……?」

「態々アナウンスしてまで食事して欲しいってことか?」

 光太郎は言いながら料理に視線を移した。

「よし!!じゃあ、誘いに乗ってやろうじゃないの!!」

 そう言ってべりぃは席に着き料理に手を出した。その姿はただ単に食べたかっただけのようにも見える。

 だが、それも頷ける程、並べられた料理は魅惑的で、自然と空腹感が押し寄せてくる。

「おいしぃ~!」

 べりぃに続いて5人も席に着き料理に手を出す。

「わぁ、本当に美味しいです」

「これ、どうやって作るのかしら」

「うめぇ!俺、コレが一番好きかも。苦労して捕まえた甲斐があったよ」

「あ。ホントだ。確かに美味しいわね」

「俺は肉より野菜派……」

 6人は久しぶりの食事を楽しんだ。

 皿の上の料理が無くなり始めた頃、キリアが呟くように言った。

「……何か……ありそうよね……」

 隣に座っていたべりぃはそれを漏らすことなく聞いていた。

「大丈夫だよ」

「でも、何か変じゃない?」

「何が?」

「今までの試練だって、力の解放をしてまでするようなことではなかったじゃない。それに、ただ単に食事するだけの試練って……」

 キリアは箸を置き、俯いた。その姿にようやく他の4人もキリアの様子に気付いた。

「……だ、大丈夫ですか?」

 べりぃの隣に座っていたミントが声を掛けた。そんなミントに対し、キリアは元気のない笑みを浮かべる。

「私ね、次の最終試練が気になるのよ。何か途轍もなく大変な試練なんじゃないかって。これはその前触れなんじゃないかって……」

 その言葉に皆も不安を抱き始めた。そんな中、べりぃが場を盛り上げようと立ち上がった。

「大丈夫だよ。今までだって乗り越えて来れたんだもん。6人で力を合わせれば、きっと何とかなるって」

「そ、そうだよ!会ったばかりの仲なのにここまで来れたんだ。きっと次の試練も楽勝だって!」

 べりぃの言葉に光太郎が便乗する。すると、場は徐々に明るさを取り戻し始めた。

「そうね。私もこの6人ならいける気がする!皆でエリシオンに行きましょう!」

「ああ」

 5人が次の試練に向けて闘志を燃やしていると、べりぃの右手が天高く掲げられた。

「ここで提案!!」

 5人はべりぃに注目した。

「皆お互いに生前のことって知らないでしょ?だから、仲を更に深める意味を込めて、生前の話でもしようよ!」

「…………」

(あ……れ?何か……この話は不味かった?)

「あああ!で、でも!無理にとは言わないよ!」

 べりぃは慌てて付け加えた。

「正直、皆のことあんまり知らないから、知りたいなぁと思ったけど……そうだよね。誰にでも触れられたくないところってあるよね。ごめん。この話は、なし!忘れて」

 気まずそうな笑みを受かべるべりぃを見て、れいんが口を開いた。

「俺は村人を皆殺しした」

「っ!!?」

 その言葉に5人の視線はれいんに集中した。先程とは打って変わって真剣な眼差しだ。

「べりぃなら判ると思うけど、俺が住んでた世界は白い翼を持つ者と黒い翼を持つ者が居て、特殊な能力が弱いからと言う理由から黒い翼を持つ者は奴隷として扱われていた――」



 れいんにはたった1人の肉親である弟のへいるが居た。2人は幼い頃に両親を失い、奴隷として人攫いに捕まった。そして、奴隷制度が色濃く根付いている村に売られた。

 ある日、弟は過労から高熱を出し倒れた。これが初めてではない。奴隷と言う過酷な状況により、まだまだ成長途中の弟は度々体調を崩していた。

 そんな弟を庇うように、れいんは弟の分も働いた。しかし、1日に与えられる1人分の仕事量は休みなく働いて何とか1日で終わらせられるという量だ。これを1日で2人分も終わらせることは不可能だった。

「なんだいこれは!!今日のノルマの半分も終わっていないじゃないか!!」

「すみません……」

「謝る余裕があるならしっかり働け!!お前ら2人分の食費を出してやってるのは私なんだよ!!」

「すみません……」

「だいたい何だい。そっちのは直ぐに倒れて使えなくなる」

「…………」

「もしかして……お前、仕事が嫌で仮病使ってるんじゃないだろうねぇ?」

「違います!!弟は本当に!!」

「嘘吐け!!ちゃんと立って居るじゃないか!!」

 しかし、それは「立て!」と命令されたから。兄のれいんが支えてやらないと立つことも儘ならない。

「立っているのがやっとなんです!」

「あーもう、煩い!!お前、こっち来な!!」

 れいんから弟を剥ぎ取る。

「あっ」

「お前は今夜の夕食抜きだからな!!」

 そう言い放つと、雇い主はへいるを連れて部屋を出て行った。

 れいんは自分のことよりも、連れて行かれたへいるの身を心配して、いつまでも閉められた扉を見つめていた。



 次の日、昨日の朝から何も食べていないれいんは空腹に耐えながら仕事に取り掛かっていた。

「あ、あの……弟は……」

 夜に連れて行かれてから姿の見えない弟を心配して、雇い主に恐る恐る声を掛けた。

「弟の心配をしている暇があるなら仕事をしろ!!昨日の遅れを取り戻せないなら今日も夕飯抜きだよ!!」

 そう言って雇い主は去って行った。



 その夜。

 れいんは昨日の遅れを取り戻せず、僅かにしか与えられない貴重な睡眠時間を割いて仕事を続けた。家の中は静まり返り、今ならへいるを捜しに行けると思った。

 しかし、逃げ出さないようにと部屋には鍵が掛けられているのを思い出し、拳を握り締めるしかなかった。



 外が次第に明るくなり始めた頃、漸く遅れを取り戻し始めていた。

「やれば出来るじゃないか。怠けずやれば出来るんだから集中してやれ!」

 そう言って、雇い主は今日の仕事をれいんに言い渡し部屋を後にした。

 れいんは空腹と眠気に襲われながらも、必死に耐え続けた。



 バチンッ

 もの凄い音に続いて痛みを感じ、れいんは目が覚めた。

「仕事中に寝るなんて……私を舐めているのかい?!ぇえ?!!」

 バチンッ

「ぐはっ!!!」

 身体に激痛が走り、漸く自分の置かれている状況に気が付いた。

 れいんは両手両足を縛られ吊るされている。そして、痛みの原因は鞭で打たれているから。

 痛みに耐えつつ、瞳を開けると視界の端に人が横たわって山が出来ているのが見えた。

(あれは……)

 見覚えのある服。見覚えのある体型。その山の中で顔は見えないが、見覚えがあり過ぎる人が居た。

 れいんの視線に気付いた雇い主は口を開く。

「ああ、それかい?お前もそうなりたいのかい?!!」

 バチンッ

 れいんはその言葉を聞いた瞬間、全てを理解した。横たわっているのは自分の弟で既に死んでいる事を。

「…………か?」

 れいんは小さく呟く。

「は?」

「あの日、へいるを連れていったのは、殺すためか?」

 少し大きく言う。

「ああ?身体が弱いやつをタダで養ってやれる余裕はないんだよ。お前はまあまあ使えそうだったから仕方なく弟も買ってやったが……さっさとこうするべきだった!!」

 バチンッ

 バチンッ

 バチンッ

 鞭の嵐が続く中、れいんは声を上げることもなく、ただ弟の亡骸を見つめ続けた。

 ――どうして、こんなにも虐げられなければならない。

 ――どうして、能力が弱いと言うだけで奴隷にされなければならない。

 ――どうして、白と黒がある。

 ――どうして……。

 鞭を振るのに疲れたのか、雇い主は振るのをやめて息を整える。

「まあ、今日はこのくらいにしてやる。そこで弟と共に死なせて貰えることに感謝しな」

 そう言い残し、雇い主は部屋を出て行こうとドアに手を掛ける。

 ドオンッ

 しかし、ドアは開けられることなく、代わりに背後からもの凄い力で圧された雇い主がドアに叩き付けられた。

 痛みに耐えながら後ろを振り返った雇い主は驚き、その場に座り込んでしまった。

「何で……っ?!!」

 そこには縛られているはずのれいんがへいるを抱えて立っていた。手足には引き千切られた紐が付いている。

「どうして俺達は虐げられなきゃならない」

 一歩前に出る。

「どうして黒翼だからって奴隷にされなきゃならない」

 また一歩雇い主に近付く。

「お前……その力……っ?!!」

「お前には理解できるはずがない!!」

「ああああああああああああーーーーーっ!!!!」

 腕を大きく振り下ろしたれいんは雇い主を蹴り飛ばし部屋を出た。

「俺達を虐げた奴ら全員殺してやる……」



 陽が落ちすっかり暗くなった頃、れいんは村の中央にある広場に居た。その腕の中にはへいるが眠っている。

「なぁ……もう、誰も居ない。俺達を傷付ける奴は誰も居ないんだ。俺達は2人で静かに暮らそう。な?」

 しかし、返事は返って来ない。

(へいる……お願いだから独りにしないでくれ……っ!!)

 静かな村に叫び声が響き渡った。



「俺は元々、白翼と黒翼のハーフだった。黒翼である母親の血を多く引き継いでいたから翼は黒だったし、能力も出なかった。でも、恨みや憎しみによって眠っていた能力が解放されてしまった。気付いた時には村人全員殺していたし、俺も大量の血が流れていて……」

 その後の言葉は口にしなかった。しかし、なんとなく予想はつく。

 ――いつの間にか冥界の入口にいた。

「何か……衝撃的としか言えないな……」

 静まりかえる空気を光太郎が破った。

「俺は――」

 そして今度は光太郎が語り出した。



 光太郎はいつものように街に繰り出し、多くの人が入り乱れる通りを眺めていた。そして、何かを見つけたのか1人の若い娘に近付いた。

「ねえねえ、君、今1人?」

 ナンパだ。

 その娘は何かあったのか、暗い顔をしていた。こう言う娘は優しくしてあげると直ぐに気が緩んでくれる。

 いつも通りにナンパし、街から少し離れた静かな場所にある家に連れ込んだ。

「まあ、コレでも飲んでゆっくりしてってよ」

 温かいココアを差し出した。

 娘は全く警戒することなく、それを飲む。一口飲むとコップを置き、倒れ込んだ。



 娘は漸く目を覚まし、辺りの様子を窺おうと首を動かした。しかし、辺りは真っ暗で何も見えない。

「お。意外と起きるの早かったな」

 声が聞こえ、視界も若干明るくなったが、それでも何も見えない。

 そして、漸く気付いた。目を布で覆われていることに。更には紐で縛られ身動きが出来ないことにも気付いた。

「え?な、何?!何なんですか?!!」

 娘は自分の置かれている状況に危険を感じていた。

「は、放して!!」

「いいねぇ~。やっぱり、君には見込みがある」

「は!?何言ってるんですか!!?」

 娘は必死にもがき、逃げ出そうとした。そんな姿を眺めて光太郎はニヤリと笑う。

 光太郎は娘に近付き、優しく頭を撫でる。

「!!!」

 娘は反射的に頭を大きく振った。

 ガッ

「うっ!!」

 娘の頭は光太郎の顎にクリーンヒットし、大打撃を与えた。

「いっつぅ……」

 光太郎は余りの痛さに顔を歪めてしゃがみ込む。

「てんっめー!!!」

 ガッ

「ああ!!」

 光太郎は怒りに任せて娘を殴り、蹴り、暴行を加えた。

「女の分際で生意気なんだよ!!」

 ドガッ

「女は俺の言うことだけ聞いてればいいんだよ!!」

 ゲシッ

「何で、どいつもこいつも……」

 ガッ

 ぐったりと頭を垂れる娘を見て、光太郎は娘の下半身に手を伸ばした。

「っ!!!!!?」

 娘は最後の力を振り絞り暴れた。

「いやぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

「暴れんじゃねぇ!!!」

 暴れる娘を抑え付けようと頭を掴んだ瞬間、

 ゴギッ

「え?」

 太い何かが折れたような低く鈍い音が部屋に響いたのと同時に娘は大人しくなった。

 光太郎は何が起きたのか理解出来ず、娘の頭から手を離した。

「嘘……だろ?はっ。じょ、冗談だろ?おい」

 光太郎は娘の肩を軽く突いた。しかし、まるで人形の様に無反応だった。

「そ、そんな……じょ、冗談は止せって……。暴れるから黙らせようと思ったけど……それだけで……」

(違う……違うんだ。いつもみたいに、少し懲らしめて、地下に閉じ込めて……。今までも殴ったりしたけど、殺すつもりなんてなくて……)

「うああああああああああああああ!!!」

 光太郎は今まで味わったことのない恐怖に押し潰され、正気を失ってしまった。



「俺、子供の頃、親に虐待受けてたんだ。凄く辛くて……いつか絶対仕返ししてやるって思ってた。そんな時、海外で地下王国を作ろうとしていた犯罪者のことを知って、俺も地下王国を作ればそこで親に仕返し出来るんじゃないかって思った。で、仕返しは出来たんだけど……親を痛めつけるだけじゃ気は晴れなくて……。気付けば女を痛めつけることに快感を覚えていた」

 ――だから、女を監禁して痛めつけていた。

 そう言う光太郎にローラが困った顔で告げた。

「何か……私と似てる」

「え?」

 光太郎の視線はローラに向いた。

「あ。だからって別に誰かを痛めつけたりしてたわけじゃないんだけど……。私も子供の頃に親から虐待を受けていたの」



 虐待を受けていたローラは親元を離れ、施設に居た。

 本来、16歳になれば施設を出て行かなくてはいけない。しかし、ローラは施設に住み、自ら働いて稼いだお金を施設運営の足しにしていた。だから、施設長にも追い出されることはなく暮らしていた。

 だが、無理して働いていたローラは倒れた。

 コンコンッ

 寝込んでいるローラの部屋にノックの音が響く。

「ローラ?私だけど……」

 扉の向こうに居るのは施設長のようだ。

「あ。どうぞ」

 部屋に入った施設長はベッドの近くにあった椅子に座る。

 しばらく沈黙が続き、施設長は重い口を開いた。

「ローラ、私考えたのだけど……。やっぱり施設を出なさい」

「…………え?」

 ローラは施設長の言葉を理解出来ず、反応が遅れた。

「今のあなたの仕事、とても良いお給料なのは分かっているわ。けど、無理して他にも色々働いているのでしょう?」

 確かにいくつもの仕事を掛け持ちしていた。

「此処を出て1人で暮らしなさい。あなた1人の生活費だけなら、そこまで無理しなくて良いわけなのだから……。ローラが頑張って働いてくれるのはとても嬉しいことだし、とても助かるのだけど……あなたが倒れてしまうのなら……」

「……ここに居たい。施設ここを出るなんて嫌!」

 その言葉に施設長は悲しい顔で俯く。

「そう言って貰えるのはとても嬉しいわ。皆ローラのこと大好きだし……。正直、あなたの稼ぎがなければ此処は潰れてしまうかもしれないわ」

「だったら尚更ここに居たい!」

 ローラは必死に縋り付いた。しかし、

「でも、あなたが倒れてしまっては意味がないのよ!」

 今にも泣きそうな施設長の言葉にローラは何も言えなかった。

「私だって辛いのよ。でも、あなたの為なの。分かって……」

 ――施設長は私の幸せを願ってる。

 そう思ったら、ここを出るのが1番良い選択な気がした。

「分かりました……」



 体調がすっかり良くなったローラは施設を出て1人暮らしを始めた。

 今まで稼いだお金は全て施設に渡していた為、貯金はなく、とても古いアパートに入居するのがやっとだった。

 ローラは仕事から帰宅し、古いアパートに入った。閉て付けの悪い窓からは月明かりが漏れている。

「なんでだろう……。月明かりで明るいはずなのに……とても暗く冷たい……」

 ローラはしゃがみ込み、震えた。

(こんなにも独りが怖いなんて思わなかった……)

 ローラは独りなのを誤魔化すように、魔法で炎を出す。

 ぼうっ

 すると、何だか笑みが零れた。

「炎の使い手で良かった。これで水とか風とかだったら……」

 独りで笑う声は空しく響いた。



 そんな夜が毎晩続いた。

 日を追うごとに炎の大きさは増す。だが、恐怖感も比例して増している。

 この灯りがあれば怖くないはずだが、どんどん恐怖は大きくなり、自分ではどうにも出来なくなっていた。



「あ」

 ある日の帰り道、街にはホームレスが焚き火をして灯りを手に入れていた。

(そっか……何かを燃やせば大きくなるんだ)

 そう思いながら歩いていると、いつの間にか自分のアパートの前まで来ていた。

(何か……)

 ――燃やすもの。

(あ!)

 ローラは無意識に掌から炎を出していた。

 小さかった炎は徐々に大きくなり、アパートを包み込んだ。

(なんて温かいの。とても温かい)

 そう思いながら燃えているアパートを見ると不思議と恐怖を感じなかった。



「ねえねえ、聞いた?連続放火魔の逮捕に警察が躍起になってるって話」

「え?」

 昼休み、同僚が話し掛けてきた。

「何でも、水属性の魔法でも消せないらしくて、とても強力な火属性の使い手が犯人とかで……。火属性の使い手なら誰かれ構わず連行してるらしいよ」

「う、うん……」

「あんた、火属性でしょ?だから気を付けなよ?」

「うん……」

 ローラは捕まった時のことを考えた。すると、どうしても虐待されていた頃と重なってしまう。

(痛いのは嫌!!……当分は我慢しよう)



 1週間我慢した。

 毎晩暗闇と必死に格闘していたが、もう耐えられなかった。

「灯り……灯り……」

 夢遊病患者のようにローラは暗闇に包み込まれている街を徘徊していた。すると、目の前には良く燃えそうな木造の建物があった。

 無意識にその建物に炎を放っていた。徐々に大きくなっていく炎。しかし、ローラの心は満たされる事はなかった。

(何で……)

 風で火の粉がローラに掛かる。すると、毛先が一瞬燃えた。

「あ」

 それを見たローラは何かに気付いた。

(そうか……)

 ローラは恐れることなく、燃えている建物の中へと入って行った。

 何かに導かれるかのように1つの部屋に入った。そして、漸く気付いた。

「ここ……私の部屋」

 ローラが放火した建物は少し前までお世話になっていた施設だった。

 一瞬「なんてことをしてしまったのだ」と思ったが、直ぐにその気持ちも消えた。己が赤く光っている事に快楽を得ていたから。

「なんて綺麗なの」

 真っ赤な光はどんどん大きくなり、ローラを包んでいく。

「もっと。もっと大きくなって。私を包んで」

 ――そして、私をあなたと同じにして。

 自分自身が光になれば闇を恐れることはないのだから。



 ローラが語り終わっても、その場は静まり返ったまま止まっていた。

 そんな静寂を最初に破ったのはキリアだった。

「どうして虐待なんか……」

 ローラが放火魔だったことよりも、キリアにはそっちの方が気になって仕方なかった。

「世の中には子供が欲しくても出来ない人だっているのに……。私みたいに……」



 キリアは昔遭った事故により、子供が産めない身体になっていた。

 そんな彼女でも愛してくれる男がいた。彼はそれを知った上で、キリアと結婚した。

「ねえ、最近帰りが遅いけど……仕事、忙しいの?」

「ああ」

「休日出勤までする程?」

「ああ。でも、今の仕事が終われば纏まった休みが取れそうなんだ。そうしたら2人で旅行にでも行こう。な?」

「ええ」

 キリアは優しすぎるくらい優しい夫が浮気しているのではないかと、一瞬でも疑った自分を恥じた。

(そうよ。浮気なんて、している訳ない。この人はこんなにも優しい瞳で見つめてくれるもの)

 それに、もうすぐ夫の誕生日でもあった。今年は違う形で驚かせようと秘かに計画を立てていた。



 そして、ついに夫の誕生日が来た。

「今日も遅いの?」

「ああ」

「そっか……。あの……ね?」

「ん?どうした?」

「今日、友達に温泉行かないかって誘われていたのだけど……一泊二日で……」

 夫の機嫌を窺うように見つめ、

「そ、そうよね。あなたは必死に働いているのに、私だけ、そんな旅行だなんて……」

「今日、何の日か知ってるか?」

「え?……えーっと……ご、ごめんなさい。何かあったかしら……」

「ううん。いや、何でもない。それより、お前の方こそ毎日家事ばっかりで無理してないか?折角誘ってくれたんだし、偶には楽しんで来いよ」

「え……でも……」

「俺は大丈夫だから。寧ろ、お前が温泉でゆっくりリラックスしてると思うと、安心して仕事に集中出来る」

 夫はこう言う人だ。いつも私を大切に想ってくれている。

「そう?じゃあ……行って来よう……かな?」

「おう。行って来い!じゃあ、俺は仕事に行って来る。気を付けて行くんだぞ」

「ええ、行ってらっしゃい。あなたも気を付けて」

 夫は仕事に向かった。

 毎年、誕生日は2人きりで祝っていたから今年もそうだと思っていたはず。それが今年は1人で……と、見せかけて驚かすの。典型的だけど、多分夫は私が旅行に行くと信じているに違いない。今まで嘘なんてついたことないから。

 こんな嘘であれば許してくれるよね。

 そう計画を振返っていると、夫の驚く顔が浮かび、キリアは自然と笑顔になる。

「さてと、早く準備に取り掛からなくちゃ」

 独り言を漏らし、買い出しに出掛けた。



 キリアは買い物リストを眺めて思わず笑ってしまった。

(ハンバーグにエビフライ。あの人ったら子供が好きそうなものが好物なのよね)

 そう思いながら歩いていたら、肉屋を通り過ぎる所だった。

「危ない、危ない」

 キリアは店員さんに挽肉を注文し、お金を出そうとした。すると、遠くの方に見覚えのある姿を見つけた。

(あの子……)

「奥さん?」

「あ!はい、お金」

 挽肉を購入したキリアはその人物の元へ向かった。その人物はキリアの妹で、誰かと待ち合わせしているようだ。

「……っ!?」

 声を掛けようとした瞬間、信じられない光景を目の当たりにし、キリアは思わず店の影に隠れた。

(……え?なんで……?)

 そこには仕事に行ったはずの夫が現れ、妹と親しそうに話している。

 一瞬、2人の関係を疑ったが、「きっと違う」と、その疑いを振り払った。

 2人は早速何処かへ移動した。キリアは「尾行なんてダメ」と思いつつも、身体が勝手に2人の後を追ってしまった。



 パタンッ

 2人が向かった先はキリアの家だった。

(だ、大丈夫。きっと何か悩みの相談とかそう言う類の話があるだけで……浮気なんて……。そうよ、私の妹は彼にとっても妹なのだから)

 キリアは必死に疑いの念を払い、夫を信じた。

 2人が家に入って暫く経ってからキリアも静かに家に入って行った。

「本当に大丈夫なの?」

 妹の声が2階から聞こえた。

「ああ、大丈夫だって」

(何で……2階?)

 2階には寝室しかないのに、どうして2人が2階に居るのかが信じられなかった。

(相談事なら1階の居間で話せばいいのに……)

 キリアは玄関に立ち尽くしたまま動けなかった。そんなキリアが居る事も知らず、2人の声は狭い家の中に響き渡る。

「でも、今日は貴方の誕生日じゃない。もしかしたら帰ってくるかもよ?」

「それも大丈夫だって。今日が何の日か訊いたら、完璧に忘れてるみたいだったから。今夜は帰って来ないって」

「んー……まあ、お姉ちゃんに限って嘘は吐かないだろうけど……」

「なんだよ、まだ心配してんのか?」

「だって、お姉ちゃんにバレたら!!」

「大丈夫だって。キリアは俺のこと信じてるから」

「すっごい自信」

「ああ、だってキリアは俺のことを愛してるからな」

「ハッキリ言うのね」

「そりゃ、俺だってキリアを愛してるから」

「え?じゃあ……私は?」

「お前だって愛してるよ」

「それ……意味わかんない!お姉ちゃんを愛してるのに、私も愛してるって」

「だから、“愛”にも色々意味があるんだよ。キリアのことは確かに愛してるけど……抱く対象じゃないってこと」

 その言葉にキリアの身体は尚更硬直した。

(何……言っているの?どうして、妹とそんな話をしているの?)

 今の状況を理解出来ず、キリアは2人の会話をただ聞くことしか出来なかった。

「え?じゃあ、私は対象ってこと?」

「ああ」

「あはっ!嬉しい!!」

 布の擦れる音と2人の楽しそうな声が部屋に響き渡る中、キリアはその状況に耐えられず、家を出た。



 気が付けば、キリアは実家に帰って来ていた。

 両親はキリアの様子が可笑しいことに気付いていたが、キリアが自分の部屋に籠って出ようとしなかった為、声を掛けられず、そっとしておくことしか出来なかった。

 キリアの実家は鍛冶屋で、幼い頃から武具と共に過ごしてきた為にキリア自身も武具には興味があった。その中でも特に刀に興味があり、キリアの18歳の誕生日に父からプレゼントされた刀が部屋の中に立派に飾られている。その刀を眺め、昔に想いを馳せていた。

 20歳の時、お嫁に行く時にこの刀を持っていくか悩んだが、此処に置いて行くことにした。お嫁に行っても、此処は私の家。いつでも戻って来られるようにと……。

(そんな意味で置いて行ったわけじゃないのに……。本当に、もう戻って来ないといけないのかな……)

 ――こんなことなら結婚しないで父の手伝いをしていれば良かった。

 そう後悔することしか出来ず、涙が溢れる。

 ガシッ

 キリアは刀に手を掛け、握り締めた。

 ――もう戻れない。



 いつもなら夫が帰ってくるはずの時間にキリアは自宅へ戻った。

「キ、キリア?!」

 そこには驚きを隠せない夫と妹が居た。2人はそのまま外に出る事が出来ないくらいの薄着で居る。

「キ、キリア、これはだな……」

 夫は妹を庇いながら後退る。

「お姉ちゃん、勘違いしないで!!私、別に……」

 妹も慌てて言い訳するが、キリアの耳には何も届かない。

 キリアは手に持っていた刀を握り直し、鞘から出す。そして2人を冷たく見る。その瞳からは涙が淡々と流れていたが、2人の視線は刀に集中していて気付かれなかった。

「ちょっと待て!!何する気だ?!!」

 ヒュンッ

 キリアが刀を振り下ろすと、2人は二手に別れて逃げ出した。しかし、キリアは家から出すまいと、先ず妹を刺した。

「うっ……おねぇ……ちゃ……」

 妹はその場に倒れた。まだ意識があるものの、血はどんどん流れ出ていき、動く気力はない。

 その姿を見た夫は恐怖で動けず、その場に座り込んでいた。

 自分に近付いてくるキリアに対し、夫は漸く声を絞り出すことに成功した。

「ま、待て!!俺が悪かった!!でも、何でそこまです――」

 夫が全てを言い終わる前に、キリアは刀を振り下ろした。

 夫は力なく倒れ、先に流れ出ていた妹の血と混ざって床は赤く染まっていく。

「どうして……どうしてよ。2人共……信じていたのに……」

 キリアは赤い2人を見下ろしていた。

「私の何処がいけなかったの?そんなに魅力のない女だったの?」

 ――愛している。たとえ子供が産めなくても。お前への“愛”は変わらない。

「あの言葉は嘘だったの?」

 そう問いかけても、勿論返事がくるはずはない。そんな空しさからキリアは自分の首に刀を当てた。

 ――それでも私は愛してる。



「これが実際に使った刀よ」

 キリアが出したのは力の解放の時に受け取った刀だった。そして、鞘から取り出す。

「!!」

 その刀を見た5人は驚いた。刃は黒く錆び、今にも朽ちてしまいそうだったのだ。

「きっと、夫と妹を殺してしまった縛めね」

 ――冥界ではその人に合った姿になる。

 だからキリアの刀もそれに合った姿になっていた。

「でも、此れでいいと思うわ。此れのお陰で私は2人を忘れずにずっと居られる気がするのよ」

 そう言って錆びた刀を鞘に納める。

「あ、あの。次、私の番ですか?」

 ミントが言うと、5人の視線はミントに集中した。ミントは頬を赤らめ語り出した。



 此処は国で一番のエリート魔法学園。ミントの両親が此処の卒業生ということもあり、ミントもこの学園に通っていた。

 ミントの両親はとても優秀な成績で卒業しており、ミントも優秀な成績を修めると周囲から期待の眼差しで見られていた。しかし、実際に入学してみると学園一の落ちこぼれだった。

 魔力は両親譲りで強いが、強いが故にコントロールが難しく、ミントには扱えなかった。結果的に、実技試験は毎回ビリだった。

 それでも退学させられなかったのは、魔法の知識が豊富だったからだ。実技試験で駄目な分、筆記試験はとても優秀な成績を修めていたから在学することは許されていた。それでも流石に進級は出来なかった。

「学年違くなっちゃったね……」

 ミントが落ち込んでいると、隣に居た友人――フェルが言葉を掛けてくれた。

「でも、友達なのは変わらないよ」

 フェルはミントより1つ年下で本来なら後輩あたるが、一昨年ミントが留年した際に同じクラスになり、初めて仲良くなれた友人だ。

 フェルとは2年間同じクラスだったが、ミントがまた留年することになり、クラスどころか学年まで違くなってしまったのだ。

「じゃあ……私、あっちだから……」

「うん……」

 ミントが淋しい気持ちを必死に隠しながら手を振ると、友人は振返り、

「お昼は一緒に食べようね!」

 そう言った。すると、みるみるうちにミントの顔が満開のお花みたいになった。

「うん!!」



 友人と離れ自分のクラスへ行ったミントはそこから地獄の様な半日を過ごした。

「ねえねえ、あの人が噂の……?」

「しっ!聞こえるって」

「何で、留年するような人がこの学園に居るの?」

「親のコネだろ?」

「ああ、確かあの超エリートで有名な?」

「そうそれ。しかも、多額の寄付もしてるって話だから、そう簡単に退学に出来ないんだって」

「てかさ、そもそも、この学園に“留年”ってシステムあったなんて初めて知ったんだけど」

「確かに。あはは」

「…………」

 ミントはただ黙って時間が過ぎていくのを待つしかなかった。



 4時限目が終わり、ミントは外へ飛び出した。いつも昼食を摂っている場所へ向かうと既にフェルが来ていた。

「フェルちゃーん!」

 手を振る友の元へ、ミントは駈けた。

 ミントにとってこの時間だけはとても幸せだった。この時間の為だけに、ミントは周囲からの罵倒に耐え続けた。

 そんな日が続いたある日、掃除当番を押し付けられたミントは1人淋しく静まり返った廊下を歩いていた。

「きゃあっ」

 ドンッ

「!?」

 ミントは声の聞こえた教室をそっと覗いた。

「痛い……っ」

(フェルちゃん!?)

 そこには数人の生徒と、髪を引っ張られ振り回されているフェルが居た。

「なんでアイツと仲良くしてんだよ。お前の所為で一向に辞めねぇんだよ!」

「あんた達こそ止めれば?そろそろ気付いた方がいいと思うよ。イジメとか馬鹿がすることだって」

「っ!!……てめぇ!!」

 ガッ

 フェルは男子生徒に殴られ床に倒れ込んだ。

「フェルちゃん!!」

 ミントは思わず飛び出し、フェルを殴った生徒に突進した。

 ドンッ

 ミントに突進された男子生徒はバランスを崩し転んでしまった。

「てんめぇッ!!」

 男子生徒はミントの首を掴み、壁に押しあてた。

「力がないくせして、よくもやってくれたな」

 男子生徒の顔は見覚えのある顔で、去年同じクラスに居た人だった。

「なんで……フェルちゃんを殴るの」

 首を絞められながらも必死に声を出した。

「はあ?『なんで』って?」

 男子生徒は一度大きく笑うと、真顔で言い放った。

「お前の所為だよ」

「っ!!」

「お前がさっさと自主退学していれば、こんなことにはならなかった。知ってるか?お前の所為で学園の評判悪くなってんだよ」

 ミントは思い出した。この男子生徒が学園長の息子だということを。

 男子生徒の手に力がどんどん加わる。

「うぐ……」

「やめて!ミィちゃん死んじゃうよ!」

「うるせぇ!!」

 ガッ

(フェルちゃん!)

 フェルは別の生徒に殴られ、数人に取り押さえられた。

(私の所為……?私に力がないから……?力があれば、フェルちゃんを守れる……?力が欲しい……力が……)

 ミントは片手を伸ばし、男子生徒の顔を掴む様に覆った。

「何だよ!俺に盾突こうってのか?力のないお前が勝てるわけねぇのによぉ。分かったのなら、さっさと手を退けろ!」

「…………っ!」

 バァァァァァァン

 辺りは急に砂埃に包まれ、視野が悪くなった。

「ゲホゲホ。な、何が起きたの……?」

 フェルを始めとするその場に居た者は状況を理解出来ず、身構えていた。

 暫くすると、砂埃は薄まり徐々に周囲が見えてくる。

「……え?」

 今まで虚勢を張っていた男子生徒が赤黒い床に倒れ込んでいた。そして、ミントは先程までと同じポーズのまま止まっている。唯一違うのは、ミントが着ているの黄色い服や黄緑の髪、白い肌が赤く染まっていた。

「何がどうなって……」

 フェルは視線をまた男子生徒に向けると、ある異変に気付いた。

「ない……」

 その言葉に周囲も異変に気付いた。

「嘘……だろ?!!」

「どうして……っ?!!」

「頭が……」

「……ない」

 床に倒れている男子生徒は首から上が無かった。

「うそ……まさか……ミィちゃんが?!!」

 その場に居た者は恐怖で身体が動かず、次々と腰が抜けて座り込んでしまう。

「なんで……」

 フェルの言葉にミントはフェルを見た。

「フェルちゃん、私……」

「ひぃっ」

 フェルの瞳は恐怖で震えていた。

「なんでそんな目で見るの?私、やっと魔法が使えるようになったんだよ?」

 そう言いながら一歩近付くと、フェルも少し退く。

「違う……」

「……?何が?」

「違う……」

「もう守られてばかりじゃない。今度は私が守るから」

「違う……」

 ミントは近付きながら両手を広げると、フェルは壁を支えに立ち上がり、

「違う!!こんなのミィちゃんじゃない!!」

 壁伝いに出口へとゆっくり移動し始めた。

「ミィちゃんはこんなことしない!!虫ですら殺せない優しい子だった!!」

「フェルちゃん……」

 ミントはフェルの元へ手を伸ばした。

「こんなの違う!!今のミィちゃんはイヤ!!」

「!!!?」

 そう言い残してフェルは教室から出ようと走り出した。

「フェルちゃん……いや……嫌いにならないで……いや……いや……いや……」

 出口まで数センチの時、ミントが叫んだ。

「行っちゃいやあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

「ぐはぁっ!!」

 フェルは急に立ち止り、崩れ落ちた。

「え?」

 ミントは何が起きたか理解できず、ただただ倒れているフェルを見つめた。

 フェルを中心に床が赤く染まっていく。ミントはまさかと思い、視線を自分の足元に向けた。そこには出した覚えのない魔法陣が浮き出ている。

 誰かに助けを求めようと視線を上げた。

「!!!」

 ミントの周囲にはいくつもの魔法陣と共に、数えきれない弾が浮かんでいた。今にも何かを貫こうと獲物を待ち構えているかのように光っている。

「なに……これ……」

 よくわからない状況に、ミントは一番近くに居た生徒に助けを求めた。

「ねぇ……」

 一歩足を踏み出すと、その生徒の瞳は震えた。ミントが近付けば近付く程、大きく震える。それはまるで、恐ろしい化け物にでも遭遇しているかのような瞳だ。

「なんで……そんな目で見るの?」

 ミントは最後に見たフェルの瞳を思い出していた。

(ただ守りたかっただけなのに……)

 フェルも同じく化け物を見るような瞳で見ていた。

(なんで……なんで……なんで……なんで……)

 無限に問いかけ続けた。微かに悲鳴が聞こえたが気にも留めず、答えを求め続ける。

「やめ……な……さ……」

「!?」

 担任の声がミントを我に戻した。

 そこはいつもの教室だが、何かが違っていた。“赤の間”と名付けたくなる程、赤以外の色が見当たらない。そして、足元には赤い担任が自分の足を掴んで倒れていた。

 その状況は恐怖以外の何物でもなく、ミントは叫びながら担任の手を振り払い、教室の隅で小さくなって震えた。

(どうしてこんなことに?!!)

 ミントは更なる異変に気付いた。

(やだ!!なにこれ?!!)

 教室から見える廊下も赤く、その先の中庭も、そのまた先の廊下も、全てが赤く染まっていた。

 何処も彼処も赤い世界に恐怖以外感じられず、無意識に視野を狭くしようと俯いた。すると不意に足元に居た生徒と目が合ってしまった。

「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 ミントは近くにあった椅子をその生徒に向かって投げた。椅子はその生徒に当たり、その後も数人の生徒に当たり止まった。

(なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ……)

 呪文でも唱えるかのように何度も繰り返した。

(なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれ……?)

 ミントは腹部に何か温かいものを感じた。

(これは……?)

 腹部は赤く染まっていた。しかし、元から赤く染まっていた所為で自分の血なのか分からない。ただ、温かった。

「撃て、撃て、撃てー!!」

「!!?」

 ミントは漸く周囲が騒がしいことに気付いた。

(ああ、そうか……)

 自分が先程出した光る弾と同じような弾が次々に自分の身体を貫いていく。

(ただ守りたかっただけなのに。いつも守られてばかりで……その所為でフェルちゃんも虐められてたって、本当は知ってた。けど、そんな素振りは見せなくて……。いつかは私が守りたいって思っただけ……。親友だって思ってたから……)

 ミントの身体を貫く攻撃は収まり、武装した大人達が教室に入ってきた。

「容疑者確保。まだ生きておりますが抵抗は出来ないと思われます」

「よし。では、そのまま連れて行け」

「はっ」

「にしても……これは酷い……此処まで来る間も酷い有様だったが……此処まで形が残っていないとは……」

 男は嘗て人の形をしていたものに対して手を合わせると、踵を返した。



 某月某日。

 国内一と言われている学園にて殺害事件が起きた。容疑者は最近名を上げてきていた会社の社長令嬢。生存者は容疑者を含め、ゼロ。学園内に居た者は全て容疑者の力によって殺害されていた。偶々出張で学園に居なかった学園長によると、容疑者はとても真面目な生徒だったが、己の魔力が強すぎてか魔法が使えなかったとの事。この言葉から、おそらく容疑者は何かをきっかけに魔法を使えるようになったがコントロール出来ず暴走したと見られる。しかし、その『きっかけ』が何なのか、未だ謎である。



 ――私は何百人もの人を殺した。

 ミントの口から紡がれた話に残りの5人は黙り込んだ。ミントが人を殺していたなんて思えなかったから。しかも、死んだのは12歳の時と言っていた。そんな子供がそんな多くの人を殺せるとは思ってもみなかった。

 静まり返る空気に気まずくなったのか、ミントは自ら口を開く。

「虐めとか、そんなのただの“きっかけ”でしかないんです。私が力をコントロール出来なかった。それが一番いけなかったんです」

 苦笑いするミントを見ていると、思わず抱きしめたくなる衝動に駆られる者が居た。

 ガバッ

「!!?」

 その者は勢いよくミントの頭に手を回し、自分の胸へと押しつけた。ミントはいきなりのことで一拍遅れて声を掛けた。

「キ、キリアさん?!どどどどうしたんですか?!!」

 キリアはミントを抱きしめたまま答える。

「私に子供は居なかったけれど、きっとこの気持ちはミントのお母さんの気持ちと同じだと思うのよ」

「…………」

「『守ってあげられなくてごめんね』って……」

「!!!」

 キリアの言葉にミントは一瞬震えた。

「ミントはわざとあやめたわけじゃないのに、警備兵に殺されてしまったわけでしょ?もし、こちらに非があったとしても、子供を殺されて黙ってる親なんて居ない。他の生徒の親御さんもだけれど、ミントの御両親も例外ではないわ」

「……そう……なんでしょうか……」

 ミントが呟くと、キリアは再び腕に力を込めた。すると、ミントも躊躇いがちに腕をキリアの背中に回す。

 まるで本当の親子のような2人を見ていると、温かい気持ちになれた。

 暫く温かい静寂に包まれていたが、ふと何かを思い出したのかローラが声を発した。

「そう言えば、話を切り出したべりぃはどうなのよ?ずーっと黙ってるけど?」

 べりぃは身体をミントとキリアに向けたまま、視線だけをローラに向けた。

「ん?ああ!そっか。私、まだ話してなかったね」

 そう言うと、一度姿勢を正す為に座り直し、咳払いを1つした後、語り出した。

「私が居た世界はれいんと同じ世界なんだけど、れいんの住んでた村とは違って翼の色とか関係ない感じで……純血の白を持つ者は居ないんじゃないかって感じ。私もお父さんは黒い翼だったし、兄妹にも黒は居た」

 それが極々普通の事である街にべりぃは住んでいた。



 べりぃには黒い翼を持った幼馴染が2人居た。1人は本当に幼い頃から、もう1人は初等科から。3人はいつも一緒で本当に仲が良かった。それ故に己の気持ちに気付かず、気付いた時には既に2人は結婚していた。

「急にごめんな」

 親友のりんが久しぶりにべりぃを訪ねてきた。

「ううん、大丈夫だよ。ほら、入って入って」

 べりぃはりんを快く家の中へ招き入れた。

 親友のりんとぴあすが結婚し、その後何度か3人で会っていたものの、ここ最近はなかなか会えず、漸くの機会にべりぃは喜びを隠せなかった。

 キッチンから茶菓子を持ってきたべりぃはリビングのソファに座っているりんの前にそれを置いた。

「で、どうしたの?急に」

 たまたま非番だったべりぃの元に「相談に乗って欲しい事がある」と電話が掛かってきたのは30分程前のことで、べりぃは嫌な予感がした。

 りんは中々切り出す勇気が出ない様子。べりぃも何も言えず、ただりんを見つめるだけだ。

 そんな沈黙が延々と続き、漸くりんは口を開いた。

「……ぴあすが……浮気してた……」

 ゆっくりと紡がれる言葉にべりぃは固まった。

 嫌な予感はしていたが、まさかもう1人の親友であるぴあすの名前が出てくるとは思っていなかった。ましてや『浮気』なんて言葉が出るとは。

 彼らは結婚して未だ1年も経っておらず、もう倦怠期に入っていることが信じられなかった。

「……えっと……それって、確実にそうなの?」

「ああ」

 りんの話によると、浮気がバレたぴあすは逆ギレし喧嘩した挙句、りんは家を出て来たのだと言う。

 夫が浮気し、妻が家を出ると言う話はよく耳にするが、これはその逆だなと、若干ズレたことを考えていたべりぃの耳に信じられない言葉が届いた。


 ――コロシテシマウカモシレナイ。


 なに……それ……。

 りんの言葉の意味が理解出来ず、また固まってしまった。

「ぴあすに浮気されて怒ってる。それと同時に、別の男に目が行ってしまったのは俺がぴあすを満足させられなかったからって自責の念に駆られてる」

 りんは両手を組み、その上に額を乗せて苦しそうに言う。

「自分では精一杯やってるつもりでも、ぴあすは満足してない」

 容姿端麗で学生時代は学校のマドンナ的存在だったぴあすに対してりんは引け目を感じているようだ。

「ぴあすから告ってきたから、きっと心の何処かで安心してたんだと思う。ずっと俺だけを見てくれてるって……。俺なんかより格好良い奴なんて世の中にゴロゴロ居んのに……」

 りんは広い意味では格好良い部類に入るかもしれない。しかし、絶世の美男とまでは言えない、並みの格好良さだ。べりぃにとっては“世界一”だが。

「他の奴の元へ行ってしまうくらいなら、いっそ消えて欲しい……」

 溜息交じりに言うりんの姿に、べりぃの今まで抑えていた感情が渦巻き出した。

 ――そこまで愛しているのか……。

 べりぃはギュッと拳を握りしめ、己の感情を抑える。

「っ!!?」

 しかし、りんの瞳から流れる一筋の光によって枷が外されていく。

「あー、ごめん。男が泣くとか駄目だよな」

 静かに涙を流すりんの姿はとても綺麗で――

「……くっ」

 必死に涙を止めようと、震える腕で目を擦る姿を見ると胸が苦しくて――

「だったら、私がぴあすちゃんを消してあげる」

「え?」

 りんの涙により、消えたはずの感情が蘇る。

「私、りん君をこんなにしたぴあすちゃんが憎い。それが例え親友でも……ううん、親友だからこそ」

「な、何言ってんだよ。べりぃにそんな事させる訳には――」

「りん君のことが好きなの!!」

 もう止められなかった。

「最初は気付かなかった。近くに居るのが当たり前だったから。けど、離れて気付いた!この気持ちは“好き”なんだって!」

 べりぃの真剣な眼差しに、りんはただ黙って聞くしかなかった。

「ぴあすちゃんの隣に居るのがりん君の幸せなんだって、そう思ったから自分の想いは消した!それに、ぴあすちゃんだって、りん君の隣に居てとても幸せそうだった!そんな2人を見ていると私も何だか幸せな気持ちになれたから、2人の幸せを願ったよ?けど、今のりん君は苦しんでる。そんなの私は望んでない!」

 弱ってる時に取り入るように攻めるなんてズルイと思う。けれど、それすら分からないくらい、自分の想いが溢れ出して止まらない。

「りん君が好きだからこそ、りん君のそんな姿見たくない!りん君の笑顔が見れるなら何でもしたい!私はぴあすちゃんよりも長い時間をりん君と過ごしてきた。だからこそ、これが本気だって分かるよね?」

 りんは黙って頷くしかなかった。

「私、本当に本気だから」

 今まで見たことがないくらい真剣なべりぃの瞳は、りんを捕らえて放さなかった。



 それから2人はぴあす殺害の計画を立てた。

 それがいけないことだと言うのも分からない程2人は子供ではない。それなりに歳も取っている。しかし、どんなに罪だと分かっていても止めることが出来なかった。それ程までに狂ってしまった。

 それはまるで、可愛い子供が悪戯を計画しているような雰囲気だった。



 そして、遂に計画実行の日が来た。

 実際にぴあすの息の根を止めるのはべりぃ。これはべりぃがどうしてもやらせて欲しいと言い、譲らなかった。

 りんとぴあすを引き逢わせたのはべりぃ。りんよりもべりぃの方がぴあすとの付き合いは長い。それ故に、べりぃの意志は固く、りんも了承するしかなかった。

 後々怪しまれるので薬は使わない。また、能力も足が付くので使えない。それ以前に、べりぃは白翼でありながらも黒翼の血と混ざり過ぎて殆どないと言ってもいい状態。辛うじてある能力も“磁力に敏感”と言う微妙なもので、磁力が強い所で気分が悪くなりやすいという厄介なものだった。

 夫婦間が不仲と言うのも疑われる為、自然を装って不仲を解消していた。近所ではいつでも熱々の新婚さんだと話題になっており、りんの心がズレたところにあるのはべりぃしか知らない。

 そして、最後に最も大切なのがアリバイ。2人はアリバイが出来るように計画を練りに練っていた。それにより、完璧と言ってもいい筋書きが出来上がった。

 深夜、人々が寝静まった頃、べりぃはぴあすの眠るベッドを見下ろしていた。りんはアリバイ確保の為、仕事で出張している。明日、出張から帰って来て殺されているのを発見する筋書きだ。勿論、べりぃのアリバイもしっかり作ってある。

 べりぃは寝室でぐっすり眠っているぴあすを見下ろしていた。

(りん君を泣かせるぴあすちゃんなんかより、私の方が相応しい。私だったらりん君を泣かせたりしない……)

 凶器を持っている手を力一杯振り下ろした。

 グサッ

 もう迷いはない。否、そんなものはとっくの昔に無くなっていた。りんの涙を見たあの時から。

 女の力では一気に殺す事は出来ず、何度も振り下ろす。ぴあすも身体に走る痛みから目を覚まし、咄嗟に逃げる。

 逃げ回るぴあすにべりぃは追い掛け腕を振り下ろすが、ぴあすも必死に抵抗して近場にあった物を投げつけてきた。予想外の展開にべりぃは一瞬怯んでしまった。その隙を見逃さなかったぴあすは容疑者の姿を目に焼き付けようとカーテンを開け、月明かりを部屋に取り込んだ。だが、期待するほどの明かりは部屋に入らなかった。

「…………べりぃ!?」

 それでも、ぴあすはべりぃだと言い当てた。

「!!?」

 名前を呼ばれたべりぃは心底驚き、思わず動きを止めてしまった。

 今、自分は覆面姿で特徴的な髪や翼は隠している。月明かりを入れたとはいえ、部屋の中は暗く、眠っていて目が慣れていたとしても、的確に誰かを判断できるような状況ではなかった。それなのに、ぴあすは言い当てた。

「……べりぃ……でしょ?なん……で……!?」

 どうして親友が自分を殺そうとしているのか分からず、身の危険を感じて強張る口からやっと絞り出せた言葉はとても震えていた。

 怯えるぴあすの姿を見たべりぃは躊躇した。しかし、暗闇の中でテカテカと黒光りするぴあすの血を見て何かが吹っ切れた。

「ぴあすちゃん、知らないでしょ?私がりん君のこと、ずっと好きだったってこと」

 あまりにも低い声で言うべりぃに一瞬別人かとも思ったが、犯人は覆面を取り、闇の中で顔を露わにする。

「やっぱり……」

 ぴあすは思わず呟いた。

「でも、何で……?」

「りん君がぴあすちゃんの隣に居るのが幸せだと思ったから諦めたのに!ぴあすちゃんはりん君を泣かせた!!」

 そして、再びべりぃはぴあすに襲い掛かる。ぴあすは咄嗟に頭を手で庇い、そのまま殴られ床に倒れる。

 朦朧とする意識の中、ぴあすは必死に言葉を紡ぐ。

「泣かしたって……なん……のこと!?」

 全く覚えがないかのように言うぴあすに、べりぃは馬乗りになり、整ったその顔を殴る。

「りん君が居るのに他の男に尻尾振って何言ってるのよ!!」

「べりぃの言ってる……意味……分からないよ!!」

 殴られつつも必死に訴えるぴあすに気を留めることなくべりぃは腕を振るう。

「こんな綺麗な顔してるから、男には困らないってわけ!?私にはりん君しかいないのに!!そのりん君を自分のものにしておいて!!」

 べりぃの叫びは、最早、嫉妬に狂った僻みだった。

「昔はそんなんじゃなかった!!見た目とか関係ないって!!真っ直ぐな人で!!そんなぴあすちゃんが大好きで!!周りに何て言われようが笑顔を絶やさないぴあすちゃんが大好きで……っ!!」

 過去を思い出していたべりぃは何かを思い出した。

 それは、あまりにも整った顔を持ってしまった故に、ただ笑っただけで『媚を売っている』と言われていたこと。彼女を見た目だけで判断する人々の視線。唯一、べりぃにだけその思いを告げ沢山の涙を見せたこと。幼馴染だとりんを紹介し、恋をしたと秘密を明かしてくれた時、初めて見た満開の花のような笑顔。それらに偽りはない。

 殴る手を止めたべりぃは自分の下に居るぴあすを見下ろした。そこに整った顔はなく、呼吸も儘ならない姿があった。そして、ゆっくりと口が動く。

「ごめ……んね……私の想い……ばっか……押しつけ……て……」

 呼吸するのがやっとのはずなのに、ぴあすは言葉を紡ぎ続ける。

「……でも、私……だって……りんしか……ないよ……他の男……に……尻尾なん……て……振って……ない……」

「………くっ」

 次々に流れるぴあすの言葉に偽りはないと、べりぃは悟ってしまった。

 ――ただの誤解。

 そう気付いた途端、恐怖から身体が震え出し、ぴあすから離れようと退いた。

 上から重みが退いたにも関わらず、ぴあすは動かなかった。否、動けなかった。

 遠くなる意識の中、ぴあすは独り言の様にゆっくりと口を動かした。

「私……りんに……愛され……てた……のかな……最近の……りん……態……度……おかしくて……りんも……私……のこ……と……顔しか……見て……なかったの……かな……」

 りんだけでなく、ぴあすも又、自分の顔にコンプレックスを抱えていた。

「……こんな……顔……でも……愛……して……くれる…………かな……」

 そう言うと、嘗ては大きくクリクリとしていた瞳が閉じられ、上下していた胸の動きも止まった。



 翌朝早朝、べりぃは冷たくなったぴあすの前で膝を抱えて蹲っていた。

 そんな中、誰かが帰ってきた。この家に帰ってくる者と言えば、りんしか居ないのだが。

「ただいまー」

 りんはいつも通りに帰宅を告げる声を上げる。ぴあすが死んでいると知っていながらも、いつも通りの行動を取り、返事が返って来ないことにわざとらしく不審な顔を見せる。そして、ぴあすが居るであろう寝室に向かい、ゆっくりと扉を開ける。そして、

「ぴあす!!」

 わざとらしく声を荒げて倒れているぴあすに駈け寄る。すると、漸くそこに居るはずのない人物に目が行く。

「!!!……何で、未だ居るんだよ!?」

 計画では夜中の内に居なくなる手筈になっていた為、りんは驚くしかなかった。それよりも、計画が狂ったことに恐れを感じた。このままでは殺害したのがべりぃだとバレると思ったのか、今度は本当に声を荒げて言い放った。

「とにかく、早く帰れ!あとは俺が何とかするから!」

 しかし、べりぃは動かなかった。

 そんなべりぃを見かねて、りんはべりぃの腕を引いた。それでも、頑なに動こうとしない。その代わりに口が開いた。

「私が……殺した……」

 その言葉から、りんは恐怖で身体が動かないだけだと勘違いした。

「やっぱり、俺が殺ればよかったな……」

「違う!そうじゃない!」

 べりぃのハッキリとした否定の言葉にりんは驚いた。

「ぴあすちゃんは浮気なんてしてなかった!そんなことするはずないって分かってた!それなのに、私はぴあすちゃんを殺した!」

 べりぃの言葉にりんは一つ深い溜息を漏らし、べりぃを真剣な眼差しで見据えた。

「そんなの、俺だって分かってた」

「…………え?」

 りんの衝撃的な言葉にべりぃもりんを見る。

 暫く視線を合わせた後、りんはぴあすに視線を落とす。

「もし、本当に他の男に目が行ってたら、俺に他に好きな奴が出来たから別れたいってハッキリ言うだろうし」

 淡々と言うりんにべりぃは目を見開いて動けなかった。そんなべりぃを気にせず、りんは言葉を続ける。

「出逢いはべりぃの方が先かもしれないけど、一緒に居る時間はとっくに俺の方が長いんだよ。まして何度も身体を重ねた関係。多分、べりぃ以上に俺の方がぴあすを知ってる。だからこそ、浮気なんてしてないって分かってた」

「…………じゃあ……なんで……」

 やっと動かせた口から出せた言葉に対して、りんは再びべりぃに視線を移し、苦しそうに笑顔を取り繕う。

「それでも、やっぱり不安だったから。ぴあすは美しすぎる。俺なんかと釣り合わないくらい。心も身体も全て美しすぎるんだ」

 りんはぴあすを抱き寄せ、冷たい頬を優しく撫でる。

「街を歩いてて、ぴあすの美しさに振返る奴らを見てると、ぴあすを取られる気がして、いつか俺が届かない所へ行ってしまう気がして……」

 暫くぴあすの頬を撫でていたが、りんはその手を止めて、ぴあすをベッドに優しく寝かせた。そして、べりぃに向けて和やかに言う。

「ごめんな。巻き込んで。辛いことさせて」

 べりぃは首を振ることしか出来なかった。

「ぴあすのことは好きだけど、べりぃのことも好きで……きっと、ぴあすを消した後の淋しさを紛らわす保険が欲しかったんだと思う……。本当にごめんな、利用して……」

 べりぃはそれでも首を振った。

 自分も、ぴあすが死ねば自分がその穴に入れると思っていた為、そんなことを言うりんに対しても愛おしく思う。

 ――お互いに狂ってしまう程、愛していた。

 首を振るだけで言葉を発しないべりぃの元へりんは行き、腕を掴んだ。そのまま部屋を出て行き、何処かへ向かう。

「!!!」

 その先にある扉を見た瞬間、べりぃの頭に嫌な予感がし、足を止める。だが、りんの引く力は強く、止まれなかった。

「……い……や……」

 べりぃは首を振り、その扉に近付くことを恐れ抵抗するが、それも空しく、りんは扉――玄関のドアを開け放った。

「きゃあ!」

 りんはべりぃを外へ放り出し、扉に鍵を掛ける。

 べりぃは倒れた身体を起こし、扉を強く叩き叫ぶ。

「なんで!!?りん君!!」

 まだ朝早い為、外に人は居なかったがあまりにも大きな声で叫ぶ為、近隣の民家から何事かと顔がちらほら見えた。

 それでも叫ぶべりぃに扉の向こうからりんは小さく言う。

「べりぃ、本当に悪かった。お前を巻き込むんじゃなかったって今更思っても仕方ないけど、このことは忘れて、お前は生きろ。後始末は俺がするから。お前に容疑は掛けさせない。だから早く帰れ」

「りん君!!嫌!!私がいけないの!!りん君は悪くない!!私がぁ!!」

 べりぃは泣き崩れ、扉に縋り付く。

「……本当にごめんな」

 注意して耳を澄ましていないと聞こえないくらい小さな声でりんは呟くと、玄関を後にした。

 扉の向こう側の気配が遠ざかって行くのを感じ取ったべりぃは立ち上がり、すぐさま、ぴあすが倒れている寝室がある窓へと回った。

 ぴあすと乱闘した際にカーテンが開けられた事もあり、窓から中を覗くことが出来た。べりぃは窓に貼り付くように、そこから中を覗く。

 りんはぴあすを抱き寄せ、何かを語っていた。その表情はとても穏やかで一見すると寝ている妻に愛を囁いている微笑ましい光景だが、ぴあすの顔は潰れ、赤黒く染まっていた。

 りんは何かを語り終わったのか、ぴあすに接吻くちづけた。互いの身体は密着し、りんは片手に力を集中させる。

 黒翼で能力があるのは極稀で、それを誇りに思っていると笑顔で語るりんの姿がべりぃの脳裏に浮かんだ。

 りんは黒翼でありながら、白翼の血が混ざっているお陰で能力があった。しかも、その能力は白翼であるべりぃ以上だ。

 べりぃは今からりんがしようとすることを黙って見ていることが出来るはずもなく、窓を強く叩く。

「やだ!!りん君!!駄目!!お願い!!止めて!!」

 先程から騒ぐべりぃを不審に思った近隣の住民は遂に警察に通報するが、べりぃはそんなことを気にもせず、窓から数メートル離れ思い切り突進した。

 それと同時に、りんはぴあすの背中に手を当て、互いの腹を通して己の背中までその能力で貫いた。

 突進された窓ガラスは割れ、べりぃは中へと入れた。

 ガラスで所々血を流したべりぃが顔を上げると、りんとぴあすが一緒に倒れ込むのが目に入った。それはスローモーションのようにとてもゆっくり流れて見える。

 その永遠とも思える一瞬の間、べりぃは動けず、ただ2人を見つめていた。

 2人が倒れ、暫くの間が開いて、べりぃは漸く動き出した。

 べりぃはりんの元へ歩み寄り、見下ろす。

 2人はベッド上でりんが仰向けの状態で下になり、ぴあすを抱き寄せる形で倒れている。2人共息はなく、腹を中心にベッドを赤く染めていた。

 べりぃはりんの頬に触れた。

 ――そこまで好きだったの?

 触れた場所は温かく、未だ生きているかのようだった。

 ――後を追うほど好きだったの?

 しかし、呼吸は完全に止まっている。

 ――貴方の心に私は入れないの?

 とても幸せそうにぴあすを抱き寄せるりんの姿に、べりぃは泣き崩れた。



 話し終えたべりぃは一口水を飲み、そのコップに視線を向けたまま、再び口を開いた。

「お互いに狂い歪んでしまうほど、強く想っていたんだと思う。元はと言えば私がいけないんだけど……」

 べりぃは更にトーンを下げて続ける。

「私が2人を引き合わせなければ……ううん。私がりん君と出逢わなければ……」

 その重苦しい雰囲気に誰もが黙り込んだ。

 自分達も狂った人生を送っていたが、此処まで狂ってしまっていたべりぃに何て言えばいいのか分からなかったのだ。

 しかし、それを一新する明るい声が響いた。

「さーてと、昔話も終わったことだし、次の試練も頑張ろう!」

 数秒前とは別人のように明るい笑顔を見せるべりぃに、他の5人は少し戸惑った。

「もう、そんな暗くならないでよ。って言っても、そうさせたのは私なんだろうけど……。この話題振ったの私だよ?皆にこの狂った過去を知って欲しくて振ったんだからね?あ、もしかして、まだ狂った生態を隠してるとか思ってるの?やあーだなぁ、全て曝け出したよ、私」

 見当違いのことを言って明るく振る舞うべりぃに5人も徐々に笑顔を取り戻す。

「私ね、皆ともう少し近付いた距離に居たくて話したの。私、こんなだから勘違いされそうだけど、本当はこんな面もあるんだよってのを分かって欲しくて……。私、皆ともっと近付いた付き合い出来るかな?」

 べりぃの過去はとても狂っており、逆に離れてしまったのではないかと不安に思ったが、それを振り払うように5人は笑顔を向けてくれる。

「大丈夫よ。私なんて自分で自分のこと、燃やしたんだから」

「そーだよ。俺なんて亀甲結びが趣味だし」

「それはただの変態」

 するどくローラの突っ込みが入る。

「うっせぇ!」

「私なんて実家まで泣きながら徘徊したのよ?」

「わ、私は男子の頭を粉々にしました!」

 何か間違った方向へ話が進んでいた。

 締めに、れいんが呟いた。

「俺は…………ブラコン?」

「ぶっ、あははははは」

 その場は笑い声に包まれ、先程までの暗い雰囲気は全くなかった。

 一通り笑い終えると、6人は今までにない絆で結ばれたように感じられた。

「あと1つの試練もさっさと終えて、6人全員揃ってエリシオンに行こう!」

 べりぃが言うと、5人揃って深く頷いた。



 元の八角形の部屋に戻って来た6人。

 何故かクスクス笑うべりぃに5人の視線が集中した。

「にしても、皆が皆、犯罪者だったとはね」

 笑顔で言うべりぃに、皆もクスクスと笑ってしまった。

 実際、内容は笑えるものではないが、それは6人が打ち解けたことを意味していた。

 そして、最後の試練の為、扉をくぐった。

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