セカンドライフ

 これは僕の取材メモから採ったお話である……


 業界の最大手の大企業だってひとたび業績が悪化すれば、財政再建のために、大掛かりなリストラをする、たいへんに厳しい時代だ。ましてや風間の勤務する内外電機などは吹けば飛ぶような中堅企業で、特に最近の業績は最悪の一線を超えてしまっている。今まで、リストラ策がとられなかったこと自体がおかしなことなのであり、ある意味では奇跡と言ってよかった。。前の社長で、現在会長の内村氏がたいへんな人情家で、家族のある社員の首をなるべく切りたくないと思っていたからである。とてもありがたい話だ。だがしかし、ついに不況の荒波は内外電機の壊れかけた社屋の上に巨大な台風のように猛烈に襲いかかり、企業存続の危機をもたらし、会長一人の思惑ではもうどうにもならず、今日という日を迎えてしまったのである。この朝、事務所に部長がやって来て、みんなを集合させるようにとマネージャーに命令した。男ばかりの部員、風間も含めて総勢二十八人である。部長はとても申し訳なさそうに風間たち全員に頭を深々と下げて、このように通告した。「今朝の役員会議において、今年いっぱいをもってこの部を廃止することに決まった。残念ながら、君たちは全員解雇となる。詳しいことは後ほど、書面にしてみんなに配布するが、これだけは言っておかなければならない。もう君達はこの会社には残れるチャンスは全くない。これは本社の上層部の決定事項だから動かせようもない。もちろん退職金は、きちんと規定の倍払うことになるはずだ。これから働く場所のアテのないものには『株式会社セカンドライフ・コミュニティ』という人材派遣会社と我が社は契約したので今後はその会社が親身になって相談に乗ってくれる。その会社に任せておけば、君たちに適した、最善の就職先をきっと斡旋してくれるだろう。もちろん、それに頼らずに、就職先を自分で探すのも、それは自由だ。自分の好きなようにやってくれたまえ。昨日までのライバル企業に就職してもらっても全然構わない。全くもってなんにも遠慮はいらないのだ。君たちは自由だ。我が社はもう君たちを雇うことは出来ないが、もともと実力のある君たちのことだ、きっと良い就職先が待っているだろう」と。風間の周りからはどっと、どよめきが起こった。激しい動揺の音だ。「なんでなんだ!」「今になって急に言われても困る」「会社は我々を見捨てるのか」と怒って、騒ぎ立てる者もいる。けれど、風間はその通告を一人、冷静に受け止めていた。今の会社のこの業績では騒いだところでリストラはある程度、仕方があるまいだろう。今、俺たちには新たな道を探るしか方法はない。そう思って、ふと横を見ると、同期の岩渕が男のくせに泣いていた。そういえば、岩渕は先月、二人目の子供が出来たばかりだった。その状況でのこのリストラはとても痛い。妻子を路頭に迷わせかねない事態だ。風間は同情はしたが、彼にしてやれることなど何もないと思い、かわいそうだが、特に声などは掛けなかった。岩渕はせいぜい『株式会社セカンドライフ・コミュニティ』なる、風間自身は一度も聞いたこともないような人材派遣会社に、親身になって相談に乗ってもらうしかないのだろう。岩渕は残念ながら、他の企業から声をかけられて、ヘッドハンティングしてもらえるほどのスキルは持っていない。悔しいが、それが厳しい現実なんだ。かくゆう風間は、言ってみれば、その道のプロだっであった。数々の表彰状やトロフィー、それに社長賞や協会賞を何度も貰っている。性格も人と軋轢を生むような狷介な人間では決してなかった。リーダーシップもとれる男だ。実際この部では部門リーダーをしていた。その経験は大きい。果報は寝て待てというけれど、しばらく静かに暮らしていれば、どこからか声がかかるだろうと、風間はタカをくくっていた。だが、他の企業からの声はなかなか掛からなかった。ギャランティの問題であろうか。風間は少し焦った。自分も『株式会社セカンドライフ・コミュニティ』のお世話にならなければいけないのか。不安が心をよぎった。しかし十月に入って、思ってもみなかった大企業から声をかけられることになる。今はまだその企業名を言うことは出来ないが、業界最大手の企業だ。すぐにでも行きたかった。しかしその業界のルールで、それは出来なかった。冬はこの業界の閑散期だ。向こうさんからは「入寮と、オリエンテーションは一月。二月には環境に慣れ、グループの一員になるための一ヶ月合宿。三月には試用期間を終えて、本格的に稼働するのは三月の終わりだから、それまでは体調管理に気をつけていてくれさえすれば良い」と言われた。一月までは何をしていたらいいと聞いたら「仕事の仲間は七十人以上いる。その顔と名前をしっかり一致させておいてくれ。それが大事である。コミュニケーションこそ我が社躍進の鍵である」と言って、分厚いメンバー名簿を渡された。風間は言われた通りにして分厚いメンバー名簿を一ページ一ページずつ眺めながら一月の入寮とオリエンテーションを待った。

 一月に入ってすぐ、正月気分も抜けぬ四日の日に、風間はようやく、会社の寮に入ることが出来た。待ちに待った時である。この寮、家賃は無料で、食堂があって栄養士の監修のもとに作られた美味しい食事を三食ともにありつくことが出来る。腹を空かせる心配がない。個室は空調も完備された快適空間だった。ベッドもふかふかである。今まで住んでいた、安アパートに比べたら、もう雲泥の差である。風間はとても喜んだ。「ここは極楽だ」と風呂に浸かりながら風間は思った。

 風間と一緒に寮に入った同僚は五人、イガグリ頭の高校生もいれば、大学生や風間と同じ社会人経験者もいた。もっとも、そいつらは当然、リストラされて来たわけではなく、新卒採用だったり、その技量と手腕を買われて、引き抜きにあったりして入社してきたのだ。みんな、顔に自信がみなぎっている。その中の一人、最も自信ありげな顔をしている男は案山子という変な名前だった。風間と同じサラリーマン、他の企業から来た男だ。そいつは妙に気取っていて、カッコつけている。風間の嫌いなタイプだ。しかし幸運なことに、そいつの専門分野は風間とは違っていた。風間はこんな自信過剰なやつと部門が同じでなくてよかったと思った。しょっちゅう顔を突き合わしていたらたまらない。しかし、春になったら嫌がうえにもそいつと深く関わらなくてはならなくなることに風間は気付いていなかった。高校出のイガグリ頭はとても緊張していた。食事も喉を通らないようだ。冷や汗をかき、手が震えている。田舎出の純情少年なんだ。自分の新人時代を思い出させる。だがその一方で、おいおい、そんなことでろくに仕事なんか出来るのかいと風間は思った。案の定、修行し直しの研修所に出向になってしまったが、それから二年後にはたくましく成長し、我が会社のエースになった。でも、それはまだ先の話だ。大学生の新卒二人はごっつい体をしていた。体育会系のノリで「風間さん、チワース」と言ってくる。可愛い奴らだった。こなた、風間はといえば、淡々と仕事に向けての準備をしていた。道具を一つ一つ綺麗に磨き上げる。風間は大きな仕事が出来るタイプではない。小さいことをコツコツやるタイプである。ただし、スピードには自信がある。このスピードがあったからこそ、この会社に呼んでもらえたのだと思っている。

 ある朝、みんなで準備運動をしていると、オリエンテーション十日目にして新しく現場監督になるという男が風間達を視察に来た。まだ若い。四十だという。来るなり、現場監督が風間の元へやって来て言った。「君に挑戦してもらうポジションは、候補生はたくさんいるのだけど、みんな今ひとつ物足りないところがあるのです。ここはひとつ君が起爆剤にあって皆を盛り上げてください。みんなで一年間、その場を守れるようにしてもらいたいです」と。(俺一人に任せてください)と風間は思ったが口にはしなかった。現場監督の一言は、日頃クールな風間のハートに少し火を点けた。俺一人でこの部門は守ると。そのあと現場監督はイガグリと案山子と新卒二人の元に行って何か話している。風間に言ったことと同じようなものだと思う。

 二月の合宿で風間はイガグリと大学新卒の二人にお別れすることになった。イガグリと新卒二人は、まだまだ研修が必要だということだ。メイン候補に選ばれた三十人は沖縄、基本から修業し直す研修所に入る四十人は宮崎に行くことになっていた。イガグリは悔し涙を流していた。でもそれが二年後に活きてくるんだなあ。とのちに風間は思うのである。大学新卒の二人も同様である。でもその時は一抹のさみしさとがんばれよという激励の言葉しか思い浮かばなかった。もちろんそれを口に出して言ったりはしないけれど。それがプロの厳しさだ。

 風間の活躍が期待されるポジションには二人の若手と、二人のベテランが候補としていた。その動きを見ていると、新しい現場監督が言ったように帯に短し襷に長しである。どんぐりの背比べともいう。風間の技術は初めから、彼らのそれを上回っていた。管理職のものは「風間は、使えますよ」と現場監督に告げた。風間は気を引き締めた。こういう時が危ない。怪我をしたり風邪をひいたり、必ず悪いことが起きる。そして不安は的中し、事件が実際起きてしまった。なんと食中毒である。腹が痛くてもんどりを打つ。下痢を何度もし、気分が悪くて、トイレに駆け込む。体力を消耗し、今までの努力が無駄になる。しかし、風間にとって幸運だったのは病気なったのが風間だけではなかったことである。例のライバル四人を含む二十人が食中毒になった。昼飯に出たうどんが腐っていたらしい。合宿は三日間中止になった。腹が立つのは、あの案山子が全然平気だったことである。案山子のやつは昼に死ぬほどうどんを食べていたのに平気なのである。よっぽど丈夫な胃をしていやがるんだなと風間は思った。ちょっと悔しい。いや、かなり悔しい。腹痛に耐えながら、捲土重来を誓った。

 食中毒事件は、不幸ということでは済まされない事件だった。そして上層部の異動を引き起こした。鍋島管理部長というのが左遷された。風間には全く関係ないことだけど。組織において、不祥事の責任は誰かが取らなくてはならないのだ。それはどこの世界でも同じだった。

 食中毒から復帰した風間はせっかく登り詰めていた調子が悪くなってしまった。でも他の四人も同様なので、風間有利なのには変わりなかった。無理をせず大事に行こうと風間は思った。無理は禁物である。心の中で繰り返した。

 二月も中盤になると風間の実力が認められて、必要なしとされた、若手一人とベテラン一人が修業し直しを命じられ、宮崎行きとなった。この場所の仕事は風間がメインに行うことにほぼ決まり、あとの二人は風間のサポートに回ることになった。

 三月からは各事業所を回りながら試用期間を過ごすことになる。最後のふるい落としをする場だ。現場監督に実力を見せられなければ、研修所に送還される。ここでも風間はその高いポテンシャルを見せつけた。現場監督への格好のアピールになった。

 本格的に仕事が始まるのは月の終わりからである。風間たちの仕事は一ヶ所にとどまってやるものではない。北は北海道、南は九州までドサ廻りのように巡って仕事をする。東京の寮にいられるのは月のだいたい半分くらいだった。あとは地方で働く。この間の移動が体に堪える。大抵が新幹線や飛行機での移動なのだが、それが腰にとても負担が掛かる。しかし、腰を痛めると、仕事に支障をきたす。この仕事は腰が決め手なのだ。だから風間は米国の寝具メーカー特製のクッションを特別に発注し、持参した。仲間は、「風間さん、プロ意識、高いですね」と言った。当たり前のことである。体をケアしなければ、この仕事は務まらない。風間にはのん気なその仲間が馬鹿に見えた。いつか、俺がリーダーになったら、こういうやつを厳しく教育しようと考えた。でも今は一兵卒、余計な一言は上司批判にもなりかねない。ここは黙っているのが得策だ。そう考えて風間は何も言わなかった。

 そうこうしているうちに本格稼働の日がきた。風間は当然のごとく、メイン担当者に指名された。嬉しかった。自分の持っている力を精一杯、出し切ろうと思った。自分の大好きな、あの場所で。

「さあ、勝負の始まりだ!」

 風間は気合を入れた。


 「三月二十六日。待ちに待ったプロ野球の開幕です。今夜は東京、キングダムドームで行われる。東京キング対横浜マリンズ戦をお送りいたします。解説は河東構造さん、実況は私、下重聡でお送りします。河東さんよろしくお願いいたします」

「どうも」

「やあ、この試合東京キングの先発はルーキー案山子、それにセカンドには同じくルーキーの風間が入りましたねえ」

「楽しみやねえ」

「そうですね。では早速、試合をご案内します」

 試合前のベンチ前では東京キング、新監督、日本橋慶喜が報道陣の質問攻めにあっていた。

「どうして、開幕戦にルーキー二人を起用したんですか?」

 それに日本橋監督は自信を持って答えた。

「彼らの調子が、チームで一番良いからです」

「他のメンバーとの軋轢を生みませんか?」

「私の采配に文句があるなら、このチームを出ていけば良い」

 日本橋監督は胸を張って言った。

「このチームは、僕のチームだ」


 開幕セレモニーに続いて、国歌斉唱が行われる。そして始球式。可愛いタレントが山なり長らノーバウンドで投球し、場内を沸かす。

「一回の表、横浜マリンズの攻撃は、一番元町からです。元町は去年の盗塁王です。そして早打ちで有名です。ストライクと見れば初球でも打ってきます。案山子初球を投げた。ストライクコースだ。元町打った。打球はセンター前に転がる。いや、転がらないセカンド風間、横っとび、捕って一塁へ送球。俊足元町一塁へ全力疾走するも、間一髪、アウト。ルーキー風間のファインプレーです」

「魅せるなあ」

 解説の河東が唸った。

「続く、二番富士は案山子の初球、フォークボールを叩いて三遊間ヒット。三番宗谷に回ります。カウントは3−2。打った。ああ、深いショートゴロだ、ダブルプレーは無理か? 武田二塁に投球、風間捕る、ツーアウト。元町、猛スライディング。風間それを簡単にかわし、一塁へ矢のような送球、ダブルプレー。スリーアウトチェンジ! ルーキー風間の好守備が二つありました」

 風間の仕事が順調に滑りだした。

「一回の裏、東京キングの攻撃は、先ほど二ついい守備を見せた、セカンド風間です。この風間選手、社会人野球内外電機に所属していましたが、不況により、野球部が廃止、監督、コーチ、選手はリストラという苦境を舐めながら、東京キングにドラフト三位で入団しました。社会人時代は“ミスター社会人”と呼ばれ、職人的な守備とバッティングで数々の賞を獲得しました。リストラがなければプロ入りはなかったと言われています。さて一方横浜マリンズの先発はおなじみのエース、ベテランの横須賀大介です。初球ボール。二球目は山なりのカーブ、ストライク。三球目は胸元に速球、ボール。カウント2−1。次の球はフォークボールのすっぽ抜け。3−1。横須賀五球目低めにズバッときた。風間手を出さない。主審伊能の判定はボール。風間、一球もバットを振らずに四球を選びました。二番は武田。その初球、風間走りました。セーフ。盗塁成功です。続く二球目、また走った風間。三塁セーフ。恐るべき俊足です。三球目、武田打った、浅いレフトフライ。これはタッチアップはどうか? いや、風間スタート。レフト台場、バックホーム。際どいぞ。セーフ! 東京キング、ノーヒットで一点先制。それにしても、風間の恐るべき俊足です」

「こらあ、とんでもない新人が現れたな」

 解説の河東さんもびっくりしている。試合はその後、案山子と横須賀の投げ合いで一点を争う好ゲームとなる。そして九回の裏。

「試合は1対1の同点で九回の裏を迎えました。東京キングの攻撃は、九番のピッチャー案山子に代わる代打、大森。大森2−1から左中間にヒット。続くバッターは一番、風間」

「ここはエンドランでもやってこないかねえ」

「今日二安打、好調のの風間です。充分期待できます。ピッチャー第一球。風間、なんと送りバントを綺麗に決めました」

 試合は風間の送りバントから、三番、坂東の勝ち越し打で東京キングの勝利に終わった。

 こうして、地味に見えるが玄人受けするプレーで観客を沸かす、風間は一躍、東京キングの人気者になった。


 オールスター休みの一日。僕は、前半戦大活躍の風間選手に独占インタビューする事が出来た。自主トレの時に一番に目をつけインタビューした僕に恩義を感じてくれたらしい。 

「活躍おめでとうございます」

 僕が言うと、

「ありがとうございます。でもまだまだです」

 と殊勝に答える風間。

「キャンプ中から二塁手のレギュラー争いは熾烈だったけれど、不安はなかった?」

 と僕が聞くと、

「全くありませんでした」

 力強く答える風間。

「すごい自信だね」 

 僕の質問に風間は言う。

「僕の職業は二塁手。二塁手のスペシャリスト、いや、職人になりたいんです。二塁ベースは誰にも渡さない。二塁手は僕の生きがい。二塁は僕の人生です」


 セカンドライフか。素晴らしい人生だ。

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