インターバル
僕が門松書店の文芸誌『小説野獣』編集部を訪れると、
「君の本名は朝倉譲というのか?」
と編集長の虎尾が聞いてきた。
「何言ってんですか、違いますよ」
僕が言うと、
「バンドの小説、あれは内部の人間でないと書けない。君が朝倉譲だ。自分勝手な奴だな。それに仲間が二人死んでいる。ひどい。悪魔だな」
とさらに絡んできた。
「本当に僕は朝倉譲なんかじゃありません。それにこの話は小説です。フィクションですよ。フィクション」
僕は必死に弁明した。
「それにしたって、K駅って菊名駅だろ。横浜線も通ってると書いてあるからな。あのへんの記述も詳しすぎて怪しい」
まだ疑っているようだ。
「まあ昔、あのへんに住んでましたし、最近も所用で行きましたから」
「へえ」
「僕は編集長のために、慣れないフィクションを頑張って書いているんですよ。それなのに僕を疑うなら、原稿、『小説プレアデス』に持って行きますよ」
僕は少し怒った。
「残念でした。『小説プレアデス』は持ち込み投稿は受け付けません。それに長編しか受け付けられません。君のはみんな短編だからね。門前払い」
虎尾編集長は憎々しげに言った。あったま来るなあ。
「それは、そうとして綱渡通って本名なの、ペンネームなの?」
虎尾が余計なことを聞いて来る。
「すいません、それは秘密です」
僕が言うと、
「なにぃ、源泉徴収票見ちゃうぞ」
恐ろしい個人情報違反を虎尾は堂々と言ってきた。
「やめてくださいよ」
「やるわけないじゃん。からかってみただけだよ」
「それにしても、編集長、今日は荒んでますね」
「わかる?」
虎尾は言うと、
「深田太郎先生は取材旅行から帰ってこないし、西林葉先生は死んじゃうし、小島与志雄先生は失踪しちゃうし、連載陣が壊滅状態なんだよ」
「そりゃあ、お気の毒ですね」
「ねえ、綱渡君、きみノッてきているでしょ?」
「へっ? なんのことですか」
「小説書くのにノッて来たでしょと言っているんだよ」
「そ、そんなことありませんよ」
「嘘ついてもすぐにわかるんだ。三十枚でいいって言ってんのに二作目に五十枚の小説書いてきやがって」
「纒めきれずにすみません」
「いいんだ、多い分には」
「そうですか」
「ここでどうだろ、この前も言ったけれど、本格的に小説を書いてみないか? 小説家、綱渡通先生の誕生だ。それともペンネーム変えるか? 朝倉譲とか」
「冗談じゃない。僕は小説家にはなりませんよ。それにそんな話してると、誰かに笑われますよ」
「誰にじゃ?」
「チッチキチーの人みたいな言い方しないでくださいよ。世間一般ですよ」
「そうか」
「世間には小説家になりたい人がたくさんいるんですから、その人たちから優先的に選んでください」
「そうは言ってもさ、なかなかいないんだよね、逸材が」
「じゃあ、やっぱりライトノベルスの人を一般文芸に持って来ればいいです」
「それしか手はないかねえ」
「そうですよ」
「じゃあそうするか、君、帰っていいよ」
「はあい」
僕は小説を書く約束なしに帰宅することが出来た。
一ヶ月後、虎尾編集長から怒りの電話があった。
——綱渡君!
「なんですか?」
——君の言った通り、あっちの人間を一般文芸に持って来たら大変なことになってしまったぞ。どうしてくれるんだ!
「どうしたんですか? 何があったんですか?」
——みんな、やっぱり心配した通り、剣と魔法とお姫様とスーパー女子高生とちょっとひねくれイケメン男子が出してきちゃったから仕方なく『現代ファンタジーへようこそ』ってタイトルで今月号を出したら、クレームがナイアガラ瀑布のように降ってきて、俺はハガキとメールの滝つぼで溺れている。もう直ぐ死ぬだろう。すべては君のせいだ。君がああ言ったからだ。
「そんなこと言われても」
——なあ、助けると思って来月号になんか書いてくれよ。頼むよう。君の作品ならば、可もなく不可もなしで、僕は静かな湖をスイスイって泳げるんだよ。
「そうは言われても、もう持ちネタがありません」
——そこは君、取材だろ。得意だろ? 取材。
「取材はノンフィクションを書くためのものです。小説にいちいち取材なんてしません」
——なにぃ、そんなこと言うとあの大先生に怒られるぞ。作家の先生はみんな綿密に取材してるんだぞ。そうでなければ警察の裏側とか医療現場の過酷さなんて書けないだろう?
「そうですか、すみません」
——わかればよろしい。
「でも僕、今ちょっと家を空けられないんです」
——どうして。
「飼っているねこの調子が悪くて、看病しているんです」
——なら、そのねこの話を書けよ。
「ああ、それいいアイデアですね」
——書く気になったか?
「ええ、なんとなく構成が出来上がってきました」
——早いな。
「でも、うまくいくかな。僕、武器とか兵器とかよく分からないし」
——なんで、ねこの話に武器とか兵器とか出てくる。わざとライトノベル風に書いて俺を苦しめる気か?
「やあ、そういうつもりはないんですけど、構成の必要上……」
——頼むからファンタジーはやめてね。
「はい。でもこれ、一種のファンタジーかな?」
——やめて〜
悲鳴とともに電話は切れた。多分溺れちゃったんだ、クレームの大瀑布に。
僕はミケの心配をしながら、ねこの小説を書くことにし、構想を再び練り直すことにした。執筆は午前三時である。
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