ライオンに育てられた男

 これは僕の秘密のメモである……


 東京生物大学の影丸優教授(42)は日本における動物学の第一人者であった。教授は動物を愛し、自然をこよなく愛する博愛の人である。当然周りからの人望が厚く、学生からの人気もあった。教授の信念は「動物は自然の中で生きるものである」ということで、動物園、サファリパークなどは動物を閉じ込め、ないがしろにするものだとして強く反発していた。さらに教授が嫌ったのは「サーカス」である。サーカスは動物を調教し使役する。それは虐待であるとして、『サーカスから動物を解放する運動』の先頭に立っていた。同調者、支持者は数多く集まった。教授は数千人の署名を集めて、日本でのサーカス最大手、『森林大サーカス』に乗り込んだ。『森林大サーカス』側は「われわれは法律に則って動物を飼育しているし、動物を虐待していることもない」と猛反発したが、教授は「動物にはサーカスで働くという自主的な意思はない。無理矢理連れて来られ、無理矢理調教させられる。これが虐待でなくて、何を虐待というのだ」と理路整然と問いただした。「サーカスで働くという確固たる意思を持った人間だけで興行しても充分利益は出るし、観客も喜ぶはずだ」教授の言動は動物愛護団体や環境保護団体の後押しを受けて強気なってきた。そして世論も過熱気味になり「サーカスから動物を解放しろ」という声がだんだんと大きくなった。世論の圧力に耐えかねた『森林大サーカス』は「動物を手放し、元の自然環境に戻す」と声明を出した。教授は喜び勇んで寄付を募り、『森林大サーカス』にいたライオンのつがい、キリン、ゾウなどをアフリカ、タンザニカ共和国のサバンナに帰す計画を立て、実行した。世論は教授を英雄視し、その行動力を褒めた。さらに運動は「動物園を廃止しろ」という方向に進み、ある教授の狂信者は動物園を襲撃して動物を街へ逃すという、愚挙を行った。この動物の逃走劇は市民を恐怖に陥れ、警察や自衛隊が出動する非常事態となった。ここに至って、教授に反対する勢力が盛り返して来て「教授はテロリスト」だとか「博愛主義を自称する偽善者」などの声が上がりだした。ついには教授やその家族に対する殺害予告まで送られるという事件が起こり、教授は一時的に非難から避難するため、「前に送り帰した、動物たちの生態を調査する」という名目で、アフリカのタンザニカ共和国に渡航することになった。

 教授は四人家族である。妻(38)と長男(3)、それに生後三ヶ月の男の赤ちゃんがその構成である。タンザニカのサバンナへの過酷な旅。教授は長男をそれに同行させるのは危険だと判断し、実家の母へ託すことにした。場所は鳥取である。「もしかすると過激な連中が息子を襲うかもしれない」教授は母に不安を漏らした。すると母は気丈に「なあに、この田舎に変な奴が現れたら、すぐに村中に知れ渡る。隣の五平さんや、斜向かいの権太さんがやっつけてくれるわ」と言って教授を安心させた。生まれて間も無い次男はまだ乳が必要なのでやむなく連れて行くことにした。こうして不穏な空気の中、教授一家は長男を残してタンザニカ共和国へと旅立ったのである。


 タンザニカ共和国の首都、ドラマは先進国のそれと同じように近代化が進み、巨大なビルが立ち並んでいた。そこからジープで五時間行くと、辺りは別世界、ここがタンザニカ国立公園である。首都から近いという利便さから日本人の観光客も多いという。国立公園の面積は広大で、日本の四国ほどの大きさを持つ、動物たちの楽園であった。通訳兼ドライバーのルンバはこう説明した。

「あなたたちが救出した動物たちには発信器がついています。それによると、彼らの多くはここから北西に行った公園の端、キルモンジョロ山の麓にいます。そこにはヘリコプターで行きます。安心してください。ヘリコプターも私が操縦します」

「そうですか」

 教授は答えた。

「さあ、食事にしましょう。教授はベジタリアンでしたね。最高の野菜料理を用意しましょう。安心してください。料理も私が作ります」

 ルンバは胸を張った。

 翌日の昼過ぎ、ルンバの操縦するヘリコプターで影丸教授一家はキルモンジョロ山に向かって、飛び出した。すぐにキルモンジョロ山が見えてくる。すると、ルンバはなぜか操縦桿を上げた。ヘリコプターは勢いよく、上空に舞い上がる。初めは見えていた動物たちもやがて、豆粒大になり、すぐに見えなくなってしまった。

「ルンバ、あまりに高度が高いのじゃないか?」

 教授が尋ねると、ルンバは

「いいのです。これくらいの高さがないと確実に殺せませんから」

 とおかしなことを言った。

「どういうことだ!」

 と教授が問い詰めると、

「私たち、象牙を密輸して生計を立てていた。それをあなた方の運動のせいで出来なくなった。あなた私たちの敵。私、自分の命と引き換えに、あなた方を殺すのね」

 ルンバはそう言うと操縦桿を思いっきり下げた。

「わあ、よせ!」

 教授は叫んだが、あまりのGの強さで身動きが取れない。それに教授はヘリコプターを操縦で出来ないから手の施しようがない。絶望的な状態だ。

「あなた!」

 妻が叫ぶ。

「残念だ」

 教授は唇を噛み締めた。ヘリコプターは五分後に墜落した。


『AM通信外電 現地時間○日、午後二時ごろ、タンザニカ共和国国立公園内、キルモンジョロ山近くで、ペリコプターが墜落、炎上した。機内からは三人の成人の焼死体が発見された。ヘリポートに残された記録によると、搭乗者は操縦者のルンバさん、東京生物大学教授の影丸優さん、妻の麻子さんとなっており、現地警察はDNA鑑定などで本人かどうか調査する予定である。なお同乗していたとみられる影丸さん夫妻の次男守ちゃんの遺体が発見されておらず、警察は「燃えてしまったのではないか」と推測をしつつ、遺体の発見に全力を尽くすとしている』


 事故現場からほど近いサバンナを二頭のつがいのライオンが三頭の赤ちゃんライオンを連れて歩いている。ライオンは一頭のオスがハーレムを作って暮らすのが一般的だから、つがいとは珍しい。やがて二頭は小さな白い物体を派遣した。

『なんだろう?』

 オスのライオンがライオンの言葉で話した。

『行ってみましょう』

 メスのライオンもライオン語で喋る。

 二頭は白い物体の近くに寄る。

『なんでしょう?』

『人間じゃあないか?』

『それにしては小さくて弱々しいですわ』

『もしかして、これは人間の赤ちゃんではないか』

『人間の赤ちゃん!』

『それにこの赤ちゃん、どこかで嗅いだことのある匂いがする』

『そうですね。どこで嗅いだのでしょう?』

『ううん……そうだ、僕らをサーカスから助け出してくれた人の匂いだ』

『うん、そうね』

『影丸教授の匂いだ!』

『じゃあ、影丸教授の赤ちゃんなのね』

『そうだな。そうなると』

『絶対に助けてあげなくちゃならないわね』

『ああ、恩返しだ』

 そう言うとオスのライオンは白い物体、いや影丸教授の赤ちゃんを優しく加えると、キルモンジョロ山の方に向かって歩き出した。赤ちゃんライオンたちが興味深そうに影丸教授の赤ちゃんを見ている。二頭のライオンの耳には発信器が取り付けられていた。


 七年後、タンザニカ共和国国立公園で動物の観測をしていた担当官は、不思議な光景を見た。シマウマをライオンの群れが襲っているのだが、そのライオンの先頭に猿のような生き物が立っていて、まるで群れを指揮しているように飛び回っているのだ。担当官はジープをよせて双眼鏡で良く見てみた。すると髪はボサボサで伸ばし放題、そして素っ裸の人間の子供のような生き物がガツガツとシマウマを食べている。「なんだ、この生き物は?」担当官が不思議に思ってもっと近づくと、それに気づいたライオンの集団は逃げてしまった。その不思議な動物も一緒に。すごい足の速さだ。担当官は幻を見たと思い、上司に報告しなかった。

 そのうち、国立公園近くで、酪農を営んでいる村の民家が、次々、ライオンの集団に襲われて牛や豚を根こそぎやられてしまう事態が起こった。目撃者の話によると、髪を足元まで垂らし素っ裸の人間のような生き物が先頭に立っていたという。その話を聞いて、先ほどの担当官は自分も見た、と報告をした。担当官は上司に報告の遅れを叱責された。

「また来るかもしれない」

 襲われた村は、厳戒態勢を引いたが、ライオンの集団は、それをあざ笑うように別の村を襲った。ただ、襲うのは牛や豚だけで、人間は襲わなかった。


「これは由々しき問題である」

 国立公園安全部の隊長は言った。

「このライオンの集団は若くて、しかも頭がいい」

「きっと、例の“人間もどき”の仕業ですよ」

 隊員たちが口を揃える。

「断定は出来ないがな。その可能性はある」

 隊長は頷くと、

「この件に関してアドバイザーを呼んである。日本から来た羽柴先生だ」

 アドバイザーを紹介した。

「日本の東京生物大学で動物生態学を研究しています、羽柴です」

 羽柴が挨拶をした。

「先生はこの不思議な生き物をなんだと思いますか?」

 隊長が尋ねる。

「写真や実物を見ていないのでなんとも言えませんが、かなり高等な頭脳を持っている。なおかつ、ライオンと意思の疎通が行える」

「すなわち」

「自らも猛獣にしてなおかつ猛獣使いかと」

 おーという声が上がる。

「猿ですか? 類人猿? それとも未知の生物?」

 隊員が質問した。

「まずは実物を見ないことには」

「だが、神出鬼没で」

「ですが、奴は一度襲ったところは二度と襲わないようです。そこで」

「そこで?」

「我々で新しい村を作りましょう。それこそ奴を捕まえる檻です」

 またしても歓声。

「なるほど、大胆な戦略だ」

「さすが、日本の先生」

 隊員たちが口々におだてる。

「いやあ、どうも」

 羽柴は照れた。


『新しい村作戦』は迅速に行われた。土木作業員を総動員してチームを作り、パーツごとに作成する。最後は現地でいっぺんに作るのだ。

「一番早かったチームには賞金をあげるよ」

 羽柴は土木作業員を鼓舞した。

「ところで『新しい村』はどこに作りましょう?」

 隊長が聞いた。

「そうですね、今までに襲われた村より公園から遠いところに作りましょう。手前だと、『こんな村なかったよな』と疑われますから。彼らは頭がいい」

「なるほど」

「あと、牛と豚の調達をお願いします。エサがなければ敵は檻に入りません」

「それはお任せを、近隣の村々が協力してくれるでしょう」

 隊長は自信満々といった表情を見せた。

 十日後、村は完成した。隊員たちが村人に扮して敵を待つ。ライフルは頭のいい敵に気付かれる恐れがあるので携行しなかった。その代わりに猛獣撃退スプレーを各自所持した。敵に襲われそうになったらシューっとスプレーをかければ、唐辛子の百倍の辛味成分を敵に噴射することが出来る。野生動物を傷つけずに撃退できる道具なのである。

 村を開設して三日目の夜。村の周りを緑に光るものが取り囲んだ。敵の来襲である。赤外線モニターでそれを監視していた隊員たちは猛獣撃退スプレーと大ピンチに陥った時に使う、麻酔銃の確認を行っていた。

「来るぞ」

 隊長が静かに言う。

 村の柵をあの“人間もどき”が手を使って器用に外し、ライオンたちが中に忍び込む。

「今だ、ライオンは撃退、“人間もどき”は捕獲せよ!」

 隊長が命令し、隊員たちが外に飛び出す。突然の人間の登場に、慌てるライオンたち。しかし、唸り声をあげて、隊員たちに襲いかかった。猛獣撃退スプレーが発射される。「ガー、ガー」と“人間もどき”は撤収を指示しているようだ。そこに隊長が麻酔銃を打ち込む。“人間もどき”は地に倒れた。

「捕獲!」

 隊員たちが“人間もどき”を檻に入れる。

「ライオンの体格に合わせた麻酔銃を撃ってしまった。こいつは死ぬかもしれないな」

 同行していた羽柴は嘆いた。

「こんな奴、死んでもいいでしょう」

 隊員の一人が言うと、

「こいつは、人間だ」

 羽柴は冷静になって硬い表情で言った。


「こんな奴の存在が表に出るとひと騒動起こる。センセーショナルだ。密かに始末するべきです」

 隊長は叫んだ。

「いや、研究目的のためにも生かした方がいいです。彼は人間です。人間を殺せば罪になる。ここは私に預からしてください」

 羽柴は訴える。

「うーん、先生にはいろいろお世話になったしな。気をつけて管理してくださいよ」

 隊長は渋々了解した。

“人間もどき”の話題は村の住民から新聞記者に伝えられインターネットで世界に配信された。しかし、雪男などのUMAと同じ扱いをされ、どこでも話題にはならなかった。

 羽柴は麻酔銃で眠らされた“人間もどき”を、大きくて頑丈な檻に入れた。外見は人間でも中身は猛獣だ。念には念を入れなくてはならない。しかし、強烈な麻酔銃を打たれてしまったから死んでしまうかもしれない。その時はじっくり解剖しようと思っていた。特に脳を調べたほうがいいだろう。何歳の時からライオンの群れにいたのだろう。どうして食べられたり、殺されずに生きていけたのだろう。なぜ、ライオンの群れのリーダー格として存在したのだろう。謎は深まるばかりである。

 幸いにというか、あいにくというか“人間もどき”は目を覚ました。ガタガタと檻にぶつかって破壊しようとしたがそれは出来ず、諦めると眠ってしまった。ライオンは猫と同じように一日の大半を寝て過ごす。“人間もどき”もその習慣がついているのだろう。眠っている“人間もどき”を観察し、羽柴は「こいつはやっぱり人間だ」と断定した。色は白い。ここの原住民ではない。欧米人やひょっとしたら日本人かもしれない。DNA鑑定をすればはっきりするが、それが“人間もどき”にとって幸せなことなのかと羽柴は疑問に思い、二の足を踏んだ。夕刻になり、“人間もどき”は目覚めた。いつまでも“人間もどき”では呼び難い。羽柴は“人間もどき”をレオと名付けた。ベタだがいい名だろうと羽柴は自画自賛した。夕食には牛肉の塊をやった。レオは嬉しそうに食いついた。人間である以上、ビタミンや糖質も与えなければならないが、今は生き抜いて人間社会に少しでも慣れさせなければならない。羽柴は自分をリーダーと認めさせるために、エサを、いや食事を与えることから始めた。長い旅になりそうだ。ところでレオはいくつなんだろう。体格からして十歳はうわまらないだろう。肉食だから標準よりも体は大きいかもしれない。そうすると六、七歳ということになる。羽柴は間をとって八歳とした。

 一ヶ月もすると、レオは羽柴に慣れてきた。そこで羽柴はレオに野菜と米を与え、肉は少しにしてみた。最初、野菜や米をレオは食物とは思わなかった。無視する。そしてもっと肉をくれと吠えた。でも羽柴は肉を与えなかった。やがて、レオは野菜や米を口にするようになった。次にレオに水を与えるとき平皿ではなくコップに注いで置いた。そして目の前で水をコップで飲んで見せた。するとレオは初めこそ戸惑ったものの、羽柴の姿を観察して、それを真似した。格段の進歩である。続いて、生肉ではなく、焼いた肉を中心とした人間の料理を箸を使って食べさせるという、かなりハードな練習をした。レオは最初、箸の存在など全く注意を払わなかった。しかし、檻の前で箸を使って食事をする羽柴を見て、何か感じたらしい。箸を持つと料理を突ついて食べた。(この子は賢い。もしかしたら人間の世界に戻れるかもしれない)羽柴はそう思った。こうして、レオの人間に戻るトレーニングは何年も続いた。


 僕はフリーライターだ。今はスポーツ雑誌『ナンダー』の仕事をしている。一度はクビになりかけたこの仕事だが、空前のスクープをものにして復帰した。今日は鳥取に来ている。夏の全国高校野球、鳥取予選にもの凄い速球投手が現れたのだ。その名は影丸陣君。私立鳥取英才高校の三年生だ。私立鳥取英才高校は県内に名を轟かす名門校で、東大合格率、山陰地方一番の学校だ。去年までは一回戦で必ず負ける弱小野球部だったが、今年影丸君が彗星の如く現れ、決勝にまで駒を進めた。僕はまず、鳥取英才高校を取材した。校長先生が相手をしてくれた。初めての決勝進出で興奮しているようだ。

「校長、まず影丸君のことを詳しく教えてくれますか?」

「ええ、影丸君は文武両道。学校の成績も優秀ですだ。特に理系の教科が得意で、物理、化学、生物、地学は満点の成績ですわ。おっと、文系教科も怠りなくやっておりますわ」

「彼を擁しながら、なぜ、去年までは初戦敗退だってんですか?」

「ええ、彼の所属は、本当は生物部なんですわ。それでね、体力強化のために週に三回だけ野球部で基礎体力のトレーニングをしていたのですわ。だが今年の六月にエースの米子君が足を骨折して試合に出れなくなってしまったんですわ。そいで、監督の服部君が、影丸君に代わりを頼んだんですわ。ええ、渋りましたよ影丸君は。受験を控えた大事な夏だからね。でも彼は男気がある。『今日までお世話に成った野球部を見捨てることは出来ない』そう言って予選大会に出てくれたのですわ。そしたらこの大進撃。ええ、驚くやらうれいいやらで」

 校長は口角泡を飛ばして話してくれた。

 次に僕は影丸君のお家にお邪魔した。影丸君が不在なのは承知の上。ご家族の話が聞きたかったのだ。家にはお祖母様がいた。

「陣君のことでお伺いしたいのですが?」

「ああ陣はな、三つの時に両親に死に別れ、わしが育てた。父に似て気持ちの優しい子で、捨てねこが居るとすぐ拾ってきてしまう。今じゃあ、七匹もねこがおるじゃあ。その一匹、一匹にブラシをかけてやってのう。可愛がることひとしおじゃ」

「ご両親を亡くされたと?」

「ああ、思い出したくもない出来事じゃ。アフリカの奥でヘリコプターが墜落してなあ。あの子の両親と生まれたばかりの弟が死んだ。死体は焼け焦げ、赤子は姿形もなくなってしまった」

 お祖母様は涙を流した。

「でも陣は泣かなかった。芯の強い子じゃ。『僕はお父さんみたいな動物学者になる』と言って小学校の頃から勉強をしての。それから『フィールドワークには体力も必要』ってな、ランニングを欠かしたことはない。良く出来た孫じゃ」

 お祖母様は笑顔になって答えた。

 僕は影丸陣君を凄いと思った。ぜひ決勝で優勝してもらいたいと心から感じた。

 決勝戦はあいにくの小雨の中、行われた。対戦相手は鳥取海洋学園。強豪校だ。雨の中、影丸君はスピードガンで151キロのスピードボールと時速80キロのチェンジアップを駆使して三振の山を気付いた。対する鳥取海洋学園のエース、舟守君も140キロ台の速球と山なりのカーブを用いて、鳥取英才高校打線を打ち取っていく。好ゲームだ。試合は九回まで来た。九回の表、鳥取海洋学園は三つのエラーで満塁のチャンスを作った。アウトカウントは2アウト。バッターは四番、砂丘君。影丸君第一球、早い! スピードガンの表示は160キロ! しかーし、あまりの早さにキャッチャーがボールを取れず、パスボール。三塁ランナー還り、鳥取海洋学園先制! その裏、鳥取英才高校は下位打線が三者三振に打ち取られ、ゲームセット。優勝は鳥取海洋学園となった。泣きじゃくる英才高校ナイン。その中で、影丸君だけが笑顔でナインを慰めていた。負けてあっぱれ、影丸陣。

 その秋のプロ野球ドラフト会議で影丸は指名されなかった。なぜなら「学業に専念したい」とプロ志望届けを提出しなかったからである。


 影丸陣は東京大学に入学した。そして当然のこととして野球部に入部した。あくまで、本人は体力をつけるためのつもりであった。しかし、東京大学野球部にはまともな投手がいなかった。そして、監督の森永が出した戦術は「全試合、影丸先発」であった。その策はズバリ当たった。その年の春季リーグで東京大学が優勝してしまうのである。それどころか影丸の居た四年間、春季、秋季大会ともすべて東京大学が優勝した。これぞ、奇跡である。その間、影丸は肩を壊すでもなく、体調を崩すでもなく、平然と投げ続け、授業も怠りなく出席し、首席で卒業した。まさに超人である。当然、プロ野球から誘いが来るが、影丸は「大学院に残りたい」として、プロ入りを拒否した。しかし、プロもそう黙ってはいない。東京キングや東京メトロサブウェイズ、横浜マリンズなどは「大学院と掛け持ちでいいから」と入団を請うた。これにはさすがの影丸も悩んだ。そこに、大ニュースが飛び込んで来る。『プロ野球十六球団制』である。


『プロ野球十六球団制』構想はその前年から政府主導で提唱されていた。「地域活性化」が主眼である。だが、プロ野球機構側は難色を示していた。ところが球界で最も権力のある東京キングのW氏が賛成に回ってから話は混乱してきた。この年の春には希望地方自治体からの届け出が文科省スポーツ庁の『プロ野球十六球団制』推進委員会に提出され、十五地方自治体からの届け出があった。夏には各地方自治体へのヒアリングが行われ、秋には発表という運びになった。しかしその間、プロ野球機構は全くの蚊帳の外で「最後に我々が反対すればそれで終わり」とか「プロ野球の自主性を政府に取られてたまるか」という意見が多く、計画は泡と消えるかと思われた。しかし、権力者の意地は凄まじい。「地域活性化」を形にしたい政府首脳は各球団のオーナーのうち、与党寄りの四球団をまず取り込み、次に通信、インターネット関連の球団のオーナーにエサを与え、これを釣り上げた。あと一球団で過半数である。残るは人材派遣、自動車、食品二球団、新聞、電鉄である。政府首脳は自動車をターゲットにし、「大気汚染問題。クリーンエンジン部門で優遇するから」と丸め込んでしまった。で、昨日行われた十二球団オーナー会議にて採決七対五で『プロ野球十六球団制』を即決してしまった。反対していた球団は口をあんぐりするしかなかった。

 そして今日、新規四球団が発表される。会場はなんと首相官邸である。

 午後一時、首相官邸においてジャパン・プロ野球新規参加チームの発表が行われた。それに先立ち、首相が会見を行う。

「私どもは、地方経済の充実を目標としてまいりました。その点において、プロ野球は集客を生み、都市を活性化させる起爆剤となりうるコンテンツであります。今日新たに誕生します四球団は地方経済発展の礎になるとも言って良いでしょう。四球団の船出に幸あれ!」

 この新球団誕生が現政権の人気取りであることを報道陣は知っていたので、首相のご機嫌な会見にも白けたムードが漂う。

 続いて、ようやく新球団の詳細がプロ野球コミッショナー事務局の樫木部長から発表される。

「まずは南九州ブロック、鹿児島チェスト!」

 南九州は熊本モッコスを抑えて、鹿児島チェストが参加することになった。オーナー企業は桜島酒造である。

「続いて、山陰ブロック、鳥取モンスターズ!」

 人口減に悩む山陰地方は鳥取が選ばれた。オーナー企業は大手トイレットメーカーのヨクデルである。

「東に移って、甲信越地方から、長野アルプス!」

 雪深い印象のウィンタースポーツの聖地、長野が選ばれた。長野アルペンスタジアムという器があることが選定での強みであろう。山梨の甲府ワイナリーズは一歩及ばなかった。オーナー企業はアルペンスポーツだ。

「そして最後は北東北ブロック、山形ワイルズ!」

 夏暑く、冬は厳しい山形に新球団誕生! オーナー企業は新鋭のインターネット関連企業、IBCである。

 この発表を聞いて影丸陣の心は揺れた。(鳥取には大いにお世話になった。ばあちゃんもいる。鳥取に貢献することが恩返しじゃないか。でも父さんの意思を継いで動物学者にもなりたい)影丸は悩んだ。それに助け舟を出したのは、鳥取大学だ。「影丸君が望むなら我が校の大学院に推薦で受け入れる」と。このことがきっかけで影丸の心は決まった。会見を開き、

「鳥取モンスターズになら入団する。他の球団に指名されたなら東京大学の大学院に残る」

 と宣言した。鳥取県民は大喜びした。おらが町のヒーローが帰ってくる。地味で有名な鳥取県民が大はしゃぎした。

 次の日、コミッショナー事務局から四球団への優遇措置が発表された。

一、 今回のドラフト会議で、四球団はドラフト一位を二名選択出来る。

二、 エクスパンションドラフトを行い、既存の他球団から最高十人の選手を獲得できる。

三、 地元の選手に限り、ドラフト外の選手を入団させることができる。

 かなり、四球団には有利な措置であった。


 新球団、山形ワイルズのオーナーIBCの社長兼最高経営責任者、花笠山治は三十八歳の若さだった。彼は「二年後にはジャパン・シリーズを制覇する最強チームを作る」と豪語していた。そして、「この世界には隠れた逸材が数多く眠っているはずだ。インターネットでそれを探せ」と部下たちに命じていた。しかし、見つからない。彼は短気だ。怒りに震えていた。「やはり、スカウトに足で探させるのが一番なのか?」しかし、新生球団に良いスカウトは集まらない。花笠は忸怩たる思いで日々を過ごしていた。

 そんなある日、アフリカ支社にいる一人の部下が面白い記事を見つけて来た。『アフリカのタンザニカ共和国に、七歳までライオンに育てられた子供がいる。彼は成長し、人間界に適応したが、時に猛獣の心を取り戻して暴れてしまう時もある。その力は常人をはるかに超えている』というものだった。部下は「多分インチキでしょう」と言った。しかし花笠は「超人的な力、それを野球に生かせれば」そう考え、通訳を一人つけて、タンザニカ共和国に飛んだ。問題の彼はタンザニカ共和国国立公園に住んで居るという。花笠はジープの運転手を雇い、通訳とともに国立公園に足を踏み入れた。地元で得た噂によれば問題も男は日本人獣医師の元で暮らしているという。その医師は羽柴というらしい。曖昧な情報を頼りに、なれぬ土ボコリの道を歩く。村人に聞けば、羽柴とその男は、その村から数キロ離れたところにいるという。光が見えた。花笠はジープを出発させた。その道は思った以上に荒れていて、ジープはガタガタと激しく揺れた。通訳の男は完全に車酔いし、途中何度も嘔吐した。さらにいくら行っても村は見つからず、花笠は不安になった。その時、一人の男が車の前に立ちはだかった。荒れた道を走っているとはいえ時速四十キロは出ている。「危ない!」花笠は叫んだが、男は平然と車の前方を掴むと、渾身の力で車を停車させた。そして流暢な日本語でこう言った。「この道を行くと崖に転落しますよ」花笠はこの男が求めていたライオンに育てられた男だと直感した。「すまないが村まで道案内を頼む」と花笠が言うと、「いいけど、何もありませんよ」と男は答えた。

 男の道案内で花笠たちは村に着いた。花笠は早速、羽柴先生に面会を求める。羽柴は暇だったらしく、すぐに面会に応じた。

「早速ですが、先ほどの男が『ライオンに育てられた男』ですか?」

 花笠は尋ねた。

「そうですよ」

 羽柴は簡単に答える。

「とてもそのようには見えない。礼儀正しい男に見えましたが?」

「何年もかけて、私がそのように教育したのです。彼はクレバーな男です。今ではどんな紳士にも負けない、教養を身につけています」

「ところで、怪力や足の速さは野生時代を彷彿させると聞きましたが?」

「ええ、その辺では野生の血がたぎるようです」

「私は彼にプロ野球選手になってもらいたくて、ここにきたのですが」

「プロ野球! どこのチームですか? 東京キングですか」

「いえ、山形ワイルズという、新生球団です」

「聞いたことありませんなあ」

「ごもっともなことです。今年設立されたばかりのチームですから」

「そうなんだ。でもあいつは野球を知りませんよ」

「わかっています。これから教えます。私も高校時代は野球をやっていました。簡単な指導はお任せください」

「楽しみだなあ。あいつが野球をするのか」

 羽柴は嬉しそうに話した。そして、

「次元の違う野球が観られるかもしれません」

 と言った。


 その男に野球を教えるため、花笠はバットとボール、グローブを見せた。

「このバットはこうして振るんだ」

 花笠は素振りをして見せた。

「さあ、やってみろ」

 男は見よう見まねでバットを振った。「ズバッ、ズバッ」とものすごい音がした。

「今度は俺がこのボールをお前めがけて投げるから、売ってみろ」

 男は左打席に入った。花笠はボールを投げた。百三十キロは出ていただろう。男はボールを睨みつけた。野獣の目だ。花笠が恐怖を感じると、

『ガキーン!』

 今まで聞いたことのないような快音を残して、打球はキルモンジョロ山の彼方に消えた。

「やった、本物だ!」

 花笠は小躍りした。次は守備だ。だが、右利き用のグローブしかもてこなかった。男は左利きのようだ。花笠が困っていると、

「そんなものいらない」

 と素手で守備位置に着いた。

「ならこれはどうだ」

 花笠が強烈なゴロを打つと、男は事もなげに左手でボールを握ると、花笠に言われた通り、通訳に投げ返した。そのスピードは目にも止まらぬものだった。

「い、痛い」

 通訳はうずくまった。

 先ほどから黙って見ていた羽柴が出てきて通訳の手を診察し、

「これは骨が折れていますね」

 と言った。

「全く、とんでも無い、パワーとスピードだ」

 花笠は天を仰いだ。

 早速、契約をと息巻く花笠に対し、羽柴は、

「彼は私の養子になっています。だから日本人です。ドラフトにかけなくてはならないんじゃ無いでしょうか」

 と口を挟んだ。

「ならばお二人で日本に戻ってきてください。まず、他球団は目をつけてないと思いますから。我々でお二人を隠します」

 花笠が言う。

「いや、私にはここでの仕事が残っています。あいつを一人で連れ帰ってください。途中、飛行機で暴れるといけませんので、知り合いの医師に睡眠薬を処方してもらいます」

「暴れるんですか?」

「可能性の問題です。あいつには野生の心が残っていますから。それがいつ爆発するか分かりません」

 飛行機で暴れるライオン。考えただけでも恐怖であった。それでも、この打棒と強肩は捨てがたい。ヒーローになれる。花笠はこの男、レオを日本に連れて帰ることにした。


 十六球団で迎える初めてのドラフト会議が、グランドプリンセスホテル新高輪で行われた。今回、新球団は一位指名を二人出来るという優遇措置を取られている。もちろん競合すればくじ引きである。指名は新球団から行われた。

「第一回希望選択選手。鹿児島、西郷酒盛 二十二歳 外野手 桜島大学。

同じく第一回希望選択選手。 大久保寄道 二十二歳 投手 鹿児島実業大学」

 鹿児島チェストは地元志向で来た。次に注目が集まる。

「第一回希望選択選手。鳥取、影丸陣 二十二歳 投手 東京大学」

 オーという歓声が上がる。このまま他球団が指名しなければ、影丸は地元、鳥取モンスターズの一員になるのだ。彼の頑なな性格を知っている、他球団はおそらく手を出すまい。

「同じく第一回希望選択選手。 砂丘太郎 二十二歳 内野手 鳥取海洋大学」

 かつての影丸のライバル、強打の砂丘を指名する、鳥取モンスターズ。こちらも地元志向だ。

 長野アルプスも地元の選手を一位指名した。残るは山形ワイルズだけである。

「第一回希望選択選手。山形、羽柴レオ 十九歳 無職」

 どどっと会場がどよめいた。聞いたこともない名前だったからだ。それに無職。一体どういうことだ。騒然となる報道陣。


 フリーライターの僕は会場を抜け出し、早速取材に入った。人となりを知るには本人に直接会うのが一番だ。僕は山形ワイルズの広報に電話を掛けて、羽柴レオに会わせてくれるよう頼んだ。すると「いいですよ、山形さ、きてください。じっくり話さ聞いてください」とあっさりと許可をもらった。山形新幹線で約三時間。山形駅に着くと、東京より少し寒かった。タクシーで球団事務所に着くと、先ほど電話に出た広報の黄桃さんが対応に出てきた。「レオは二軍練習場にいます。車で二十分ほどです。行きましょう」と車で連れ出された。二軍練習場のクラブハウスでレオは待っていた。その後ろになぜかごっついガードマンが二人待機している。異様な風景だ。しかし羽柴レオは穏やかに、そして堂々としていた。僕のインタビューに怯える様子は全くない。僕は彼に王者の風格を見た。

「羽柴選手はどこの出身なんですか?」

 僕はインタビューを始めた。

「アフリカのタンザニカ共和国です。父の仕事の関係でそこで生まれました」

「野球と出会ったのは?」

「つい、この間です」

「えっ?」

「僕は足が速いんです。その身体能力に目を付けた、ここのオーナーさんがアフリカまでスカウトに来てくれました。代走っていうんですか。そういう役目に僕を使いたいそうです」

「ということは、最近まで野球を知らなかったと」

「ええ、オーナーさんに大体のことは聞きましたが、詳しいルールはまだ勉強中です」

「そんな状況で、ドラフト一位指名されましたが、どう思います?」

「どうと言われても、オーナーさんが決めたことだから僕にはよく分かりません」

「そうですか」

 僕は羽柴レオに何か不思議なものを感じた。それが何だかは分からない。しかし、こう言っては語弊があるが、「普通の人間じゃない」という思いが浮かんでくる。これはよく調べなきゃいけないぞ。

 続いて僕は花笠オーナーに面会することが出来た。オーナーは開口一番、

「レオは俊足ですよ。盗涙王も夢じゃない」

 とレオの足を褒めた。レオの発言と異なるところはない。

「オーナー、なぜアフリカに居る彼を見出したのですか?」

「ああ、ウチの会社IBCはアフリカを次のマーケットに考えている。何せ未開の地がたくさんあるからね。ここでタンザニカに出張させた我が社の社員がオリンピック級の俊足がいるって噂を聞いたんだよ。僕はそれに興味を持ってね、出張にかこつけて、見に行ったわけさ。だから野球がダメだったらウチの陸上部に入れるよ」

「走力以外はどうなんですか?」

「どうなんだろうね? 彼の努力次第なんじゃないかな。でもレオは野生的な勘を持っているからね」

「野生的な勘ですか」

「アフリカの大地に育ったからね、レオは」

 フフフと花笠オーナーは笑った。

 花笠オーナーの話が嘘っぱちだと分かったのはシーズン開幕の後だった。

 僕はアフリカ、タンザニカ共和国に渡航したいと思った。しかし『ナンダー』編集部はケチで渡航費用を出してくれなかった。仕方がないのでインターネットで調べようとしたが、タンザニカ語で書かれたページが出てきてしまい、僕は慌ててパソコンを閉じた。タンザニカ語なんて読めるわけない。


 翌年、二月一日。プロ野球は一斉にキャンプインした。注目一番は、鳥取モンスターズの影丸陣投手である。百六十キロの豪速球に鋭く曲がる変化球。東京大学を出て、鳥取大学大学院に籍を置くクレバーさ。早くも新人王、いや最多勝も狙えると大評判である。そんな彼を三日ほど見て、僕は山形ワイルズがキャンプを張る沖縄県N市に飛んだ。羽柴レオを見るためである。しかし、レオの姿はどこにもなかった。監督の最上に聞くと、

「あいつさあ、風邪ひいちまったんだよ。二軍の高知へやったよ」

との返事。早速高知A市へ行く。するとレオはひたすら外野のモーニングゾーンを走っていた。

「風邪の具合はどうだい?」

 と聞くと、

「日本は寒いですね」

 レオは答えた。

 次の日も次の日もまた次の日もレオは走り続けた。全く疲れを知らない。風邪の治りかけだというのに、どういう体力をしているんだと僕は思った。そのうち、沖縄のC市から「影丸投手が紅白戦に出るぞ」とこ声が聞こえ、僕は沖縄に戻った。

 紅白戦に登板した影丸はなんと、めった打ちを食らった。それでも五回を投げきった。十五安打七失点である。しかし、その顔に焦りはなかった。ぺろっと舌を出して苦笑いをするだけだった。キャッチャーの倉吉に聞くと「あいつ、わざと打者の打ちやすいところに投げたんです。『味方に僕を打ったことで自信がつけばいいです』って言ってました」との答え。影丸はクレバーでチーム思いのピッチャーなのである。

 キャンプも後半になり、再び高知県A市に戻ると、さすがにレオは走っていなかった。バッテイングケージに居た。いよいよ彼の打撃センスが見られると思った。しかし、レオはひたすらバントの練習をしていた。上手に転がしている。さて、いつになったら打つのであろうかと見続けると、バッテイング時間は終わってしまった。あとはひたすら外野でノックを受けている。さすが俊足。際どい球もスイスイとキャッチしている。

「ううん、彼は代走と守備のスペシャリストなのかなあ。そんな選手、あえてドラフト一位で獲る余裕はワイルズにはないのにな」

 と僕は思った。

 オープン戦が始まった。影丸陣投手は同一リーグのア・リーグを避け、ナ・リーグのチーム相手に登板した。

 二月二十六日 対札幌ベアーズ 五回零封。

 三月三日   対舞浜ランボーズ 七回零封。

 三月九日   対仙台インパルス 九回完封。

 三月十五日  対福岡ドンタック 九回二失点。

 と、ほぼ完璧な内容でオープン戦を終えた。開幕投手の呼び声も高い。一方、羽柴レオは高知に残留していた。だが僕はもう、レオに興味を失っていた。しかし、高知県営球場の室内練習場で、レオはひたすらバッテイング練習をしていたのだ。全ては花笠オーナーと最上監督の秘策だった。「レオを開幕までの秘密兵器とする」という。


 三月二十六日、金曜日。ジャパン・プロ野球は新たな一歩である開幕戦を迎えていた。鳥取モンスターズは東京キングダムドームで対東京キング戦、山形ワイルズは横浜ベイサイドスタジアムで対横浜マリンズ戦であった。その三日前、僕はコミッショナー事務局の発表を見て驚いた。山形ワイルズの出場選手登録に、羽柴レオの名前があったからだ。僕は驚いたけれど考え直した。「どうせ、代走か守備固め要因だろう」と。その考えが間違っていると知ったのは、試合開始直後だった。

 なんと羽柴レオは一番センターでスターティングメンバーに名を連ねていた。これには他の報道陣も驚きの声をあげていた。僕以外にレオに興味を持っていた記者は少ない。「誰か怪我人でも出たのかなあ」「まさか当て馬?」「マリンズの先発は横須賀大介って昨日発表されているんだから、それはないだろう」様々な憶測が生まれる。

 午後六時半。開幕セレモニーが終わり、開幕戦の幕が切って落とされる。横浜マリンズの先発はご存知、エース横須賀大介だ。バッターボックスに羽柴レオが左打席に入る。背番号は44。大きな番号だ。プレイボールの声がかかる。横須賀第一球。

『カキーン』

 乾いた音を残して、打球は横浜の海に消えた。新人開幕戦第一打席初球場外ホームランだ。スタンドは騒然となる。レオは落ち着いた表情でグランドを一周する。その顔に興奮はない。でも僕は聴いた。レオがバットを振りぬく瞬間、「ガオーッ」と吠えたのを。

 その後は羽柴レオの一人舞台だった。なんと彼は四打席連続場外ホームランを放ったのだ。だが試合は5対4でマリンズが勝った。羽柴レオのホームランは全てソロホームランだった。ワイルズ投手陣はこのリードを守れず、悔しい敗戦を喫した。しかし今日のヒーローは勝ち越し打を放ったマリンズの元町選手ではなく、四ホーマーを打った、羽柴レオであった。しかし、レオは「チームが負けたから話すことはありません」とだけ言って静かに引き上げた。

 一方、キングダムドームでもざわめきが起こっていた。影丸陣が八回までキング打線を完全に抑え込んでいるのだ。九回裏は下位打線、キングの日本橋監督は代打攻勢をかけた。七番、新田に代わって楠木。しかしあえなく三振。八番、上杉に代わって毛利。カウント1−2からショートゴロ。ショート湖山ガチガチになりながらファーストへ。ツーアウト。「あと一人、あと一人」まだ、数の少ないモンスターズファンが大声援をおくる。一方、キングファンは沈黙していた。バッター九番のピッチャー北条に変わり、大森。初球、超スローボールのカーブ。大森見送り、ストライク1。第二球、百六十キロの速球が大森の胸をえぐる1−1。三球目ど真ん中にストレート。大森がスイングするとまさかのフォークボールで空振り。1−2。第四球、影丸渾身のストレート。出た! 百六十二キロ。『バシッ』大森のバットが折れる。しかしボールはキャッチャー倉吉のミットへ。完全試合達成! 新人開幕戦初登板初先発初完投初完封初ノーヒットノーラン初完全試合。大記録の達成だ。球場は興奮の坩堝となり、モンスターズファンはもちろん、キングファンも脱帽し、この驚異の新人にあたたかい拍手を送る。ヒーローインタビューで影丸は「ラッキーでした」「鳥取のばあちゃんが喜んでくれたら嬉しいです」「明日は大学院の勉強です」と冷静に話した。

 翌日の新聞は一面に『影丸新人初の開幕完全試合』と書き裏一面に『レオ吠える、四打席連続ホーマー』とした。


 交流戦までに影丸は八勝一敗の成績だった。この一敗は味方の連続エラーによるものだった。しかし、影丸は怒りも動揺もしない。ただ笑顔で左胸を叩くのであった。ドンマイと。一方羽柴レオは打率.638、ホームランは三十二本と超人的なペースで成績を伸ばしていた。花笠オーナーの目論見通りである。僕はこの成績を見て、(レオはやっぱり尋常でない)と思い、タンザニカ語を読める人を探して、インターネットの記事を翻訳してもらった。すると、

『ドクター羽柴はその“人間もどき”を育てることにした』

 という一文を発見した。さらに古い文献を探してもらう。

『“人間もどき”に率いられたライオンたちは効率よく家畜を襲った』

 こんな記事が現れた。この“人間もどき”とは一体なんなのだ。続きを読んでもらう。

『タンザニカ国立公園にほど近い村々が家畜をライオンに襲われている。そのライオンの集団のトップは猿のようにも人間の子供のようにも見える。長い髪の毛を足まで垂らして、裸で、ライオンたちの指揮を執る。国立公園安全部と警察はこの“人間もどき”を捕らえることが必要だという見解を述べた』

 僕は翻訳してくれている、呉羽さんに尋ねた。

「これいつの記事ですか?」

「十年前ね」

 十年前子供なら、今十五、六からハタチ前後か。ここで僕は“ドクター羽柴”というキーワードを思い出した。確かレオはお父さんの仕事の関係でタンザニカに居たと言った。“ドクター羽柴”のことであろう。その“ドクター羽柴”が“人間もどき”を育てることにしたと記事にはある。“ドクター羽柴”のことを調査してみよう。僕は思った。


 交流戦が開催された。今日の注目は鳥取モンスターズ対山形ワイルズである。あの影丸陣と羽柴レオが初の直接対決をするのだ。鳥取スタジアムは大勢の観客で賑わった。満員札止めである。

 練習の間、両者の接触はなかった。各リーグの新人王やタイトルを狙う二人。だが羽柴レオは帰国子女のため、学生時代からの交流がない。それに二人とも人見知りがあり、新たな親交を求めることは少ない。だが立ち位置こそ違え、ライバルであるという認識は恐らくあったと思われる。お互いがお互いを気にしている。そんな感じである。

『試合開始。先頭バッターは羽柴レオです。影丸初球。ああ、珍しく棒球。羽柴これを打つ……いや見送った。ストライク1。第二球、ああ、フォークボールを地面に叩きつけてしまった。1−1。三球目、これも外れる。2−1。次を影丸投げる。打ちごろの球だ。ああ、空振り。五球目、危ない! 頭部への死球だ。危険球退場。おっと、羽柴も立ち上がれない、担架で運ばれます。駄目です。代走が出されました』

 ラジオを聴きながら僕は八王子に向かう。“ドクター羽柴”こと羽柴秀友氏の実家があるからである。アポイントメントは取ってある。実家には父親がいることになっている。

「ごめんください」

 僕はチャイムを鳴らした。

「ああ、待っていましたよ」

 父親らしい男性が出てきた。僕は名刺を渡し、名前を告げる。男性はやはり羽柴秀友の父親であった。

「まあ、なんの話か知らないが。上がってください」

 父親に誘われ、僕は居間に入る。

「女房が旅行中でな。まあ、お茶でもどうぞ」

「お構いなく」

「で、秀友の何が知りたい?」

 父親は早速本題に入るきっかけをくれた。

「はい、まず伺いたいのは秀友さんはご結婚されていますか」

「いや、しとらん。研究に没頭したいからと結婚もせずにおる。それに『今は亡き影丸優教授の後を継ぐ』と言ってアフリカまで行ってしまった」

「影丸優教授?」

「知らんのか。日本の動物学の第一人者で、十年くらい前かな『サーカス、動物園不要論』を掲げて日本中にひと騒動巻き起こした方だ。アフリカのタンザニカ共和国で奥様と乳飲子と一緒にヘリコプターの墜落事故で亡くなられた。今では、あれは謀殺ではないかの意見もある。ヘリコプターが異常上昇して、すぐに急降下したんだからな」

「そうなんですか」

「赤ちゃんは可哀想に遺体も出て来なかった。燃え尽きてしまったというんだが、そんなことあるだろうか」

「不思議ですね」

「そうそう、今、鳥取モンスターズで活躍している、影丸陣は教授の忘れ形見だよ」

「えっ?」

 そうか、だからお祖母様と暮らしていたのか。

「他に聞くことはあるか?」

「羽柴レオをご存知ですか?」

「もちろんだ。私は反対したのに、勝手に養子にしおって。だが、プロ野球選手になるとは夢にも思わなかった。活躍を楽しみにしているよ。だって、義理とはいえ孫だからな」

「その羽柴レオなんですが、もともとはどういった出自なのでしょう」

「知らん。息子は一言も口を割らん」

「そうですか」

 一番肝心なことは分からなかった。

 頭部へのデットボールで病院行きとなった羽柴レオだったが、翌日には復帰し、ホームランを二本放った。影丸陣も中二日おいた札幌ベアーズ戦に先発し、見事完封勝利を収めた。危険球の影響は二人ともなかったようだ。


 僕は肝心なことを聞くのはやはり、本人の羽柴秀友でなければ駄目だと思った。だが、タンザニカまで行く金はない。そのことを呉羽さんに言うと、

「なら電話すればいいじゃない」

 と言われた。そうか、その手があったか。僕は『ナンダー』編集部におねだりをした。編集長は「電話代くらいは出してやる」と言ってくれた。僕は喜び勇んで電話を掛ける。羽柴秀友の父親に。だってそうでしょ。羽柴秀友の電話番号分からないもの。父親に聞かなくちゃ。それから、ようやく、本命の羽柴秀友に電話を掛けることが出来た。

「ハロー、ジスイズ、トウキョー、ジャパン」

 下手くそな英語で話すと、向こうから明瞭な日本語が帰ってきた。

——はい、羽柴です。

 僕は名乗り、用件を伝えた。羽柴レオは“人間もどき”なのかと。

——それにはお答え出来ません。ただ一つ言えることは、レオはホモサピエンス、つまり人間そのものであるということです。

「普通の人間だということですね。なのに、なんで超人的な活躍が出来るのですか」

——それは超人だからです。超人も人間です。

「なぜ超人になったのですか?」

——超人になった理由は言えません。しかし、人間になった理由はいえます。人間の両親から生まれ、優秀な頭脳を持ち、人間になるべき努力をしたからです。

「人間になるべき努力?」

——レオは人間として生きる術のないところで幼少期を過ごしました。そして、私のところへ来ました。その時は人間と呼べる状態にはありませんでした。それを“人間もどき”と蔑むのもいいでしょう。あなたの勝手です。でもレオは最初から人間として生まれたのは確かです。私は一つの推論を持っています。これはレオにも言っていない。彼はヘリコプター事故、いや事件で死亡した、影丸優教授夫妻の子です。

「えっ? つまりは影丸陣の弟ということですか」

——そうです。あの事故で、レオは奇跡的に助かった。その後、何が起きたのか考える余地もありませんが、とにかく彼は生きた。生き抜いたのです。ただその環境が、人間が人間として生きる環境になかったということです。その代わりに通常ではありえない能力を身につけた。それだけのことです。

「そのことを二人に知らせないのですか」

——まだこの話は推論に過ぎません。確実にするには二人のDNA鑑定をしなければなりません。しかし、そこまでする必要があるでしょうか。二人は今、それぞれに頑張っていると聞きます。それでいいのではないでしょうか。

「弟が生きていたと知れば、影丸陣は喜ぶと思いますよ」

——考えは人それぞれです。ではこれで失礼します。

 電話は切れた。僕は考える。羽柴レオは多分ライオンに育てられた。オオカミに育てられた子供だっているんだ。ライオンに育てられたって不思議じゃない。そしてライオンの集団を指揮する“人間もどき”となった。それを羽柴秀友に助けられ、育てられて、人間としての理性を持った。これは奇跡だ。そしてその体にライオンとしての野生の能力をも持ちえている。そんな彼がプロ野球で活躍している。素晴らしい話じゃないか。でも、この話を公表することは、僕には出来ない。必ず、羽柴レオをバッシングする動きが出て来るはずだ。影丸陣と羽柴レオが兄弟であることも伏せよう。静かに二人の活躍を見よう。そのうちこの事実を公表出来る日が来るかもしてない。そしたら僕はベストセラー作家だな。と一人笑っていて思い出した。さっきの国際電話代、『ナンダー』の編集長に請求できないじゃないか。だって記事に出来ないんだから。慌てる僕だった。


 その年の秋、プロ野球コンベンションで両リーグの新人王が発表された。

「ア・リーグ新人王、影丸陣 鳥取モンスターズ。ナ・リーグ新人王、羽柴レオ 山形ワイルズ」

 盛大な拍手の中、二人は壇上に上がった。そしてがっちりと握手を交わす。

「あの時の死球、すまなかった」

 影丸が言うと、

「平気平気、気にしないでください」

 とレオが言う。そして、

「影丸さんと居ると、なんかお兄さんと居るみたいな気がします」

 レオは頰を赤く染めて言った。

「なら義兄弟になろう。俺も君が弟に見えて来た」

 影丸が言った。

 二人の友情はここから始まり、生涯にわたり続いた。

(友情じゃあないよ。兄弟愛だよ)

 僕は心の中でそう叫んだ。

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