インターバル

 綱渡は再び、門松書店の小説誌『小説野獣』の編集長、虎尾に電話で呼び出された。どうせ、この前書いた小説のことをなんだかんだと言われるのだろう。今回は中途半端な推理小説ばりの叙述トリックを使ってしまったからな、きっと今度こそ、お小言を食らうなと内心思っていた。何せ、途中までは、江戸川乱歩先生が言うところの『奇妙な味』の線を狙って執筆していたのだが、終盤に至って「これ、もしかすると叙述ミステリーになるぞ」と喜び勇んで、前半部分を急いで書き直し、やや強引に推理小説にしちゃったのである。ネタをバラせば「さっちゃん」なる人物は神出鬼没のキャラクターで時を超えて現れる、宇宙人か、未来人みたいに不思議な存在の、いわば謎の転校生にするはずだった。しかし、途中で出てきた、「僕」の友人を、「さっちゃん」にしたらちょっと面白いんじゃないかと考えた上に、「僕」の友人の設定をまるっきり変えてしまって、同世代の男性の予定だったのを年上の女性にするために、酒場でのセリフを男性言葉から中性的な言葉に慌てて書き直した。さらに「さっちゃん」を生徒(転校生)から異動の多い、体制側(学校側)から見れば問題のある女性教師にするために、「転校してきた」という言葉を「途中からやってきた」などに改めて、転校生「さっちゃん」の言葉づかいも僕から私に置き変えたり、転校(異動)の理由を「お父さんの仕事の都合」から単に「仕事の都合」というように書き直した。いわばご都合主義の行き当たりばったりミステリーもどきなのである。これでは素人さんは騙せても読み巧者にはすぐばれるレベルだ。商業誌に載せる価値はない。当然、編集部には「読者をなめるな」とか「中途半端な叙述トリックを使うな」など様々なクレームが来ているであろう。虎尾編集長もきっとご立腹のはずだ。まあ、この失敗で、今度こそ小説なんかともオサラバ出来るだろう。ようやく、お役御免だ。やっと生活が落ち着く。また以前のように綿密に取材して、しっかりと事実を客観的に書く、ノンフィクションの世界に戻れるだろう。そっちの方が身に合っている。ただし、心配なのは、約束した、単行本二冊の出版だ。これが虎尾編集長の逆鱗によって、おジャンになってしまったらとても困る。生計が立ち行かなくなる。それだけはなんとか避けたい。なので、仕方がないけれど、虎尾編集長の呼び出しには、とりあえず応じなければならない。本当は、行きたくないけど『小説野獣』の編集部に足を運ぶ綱渡なのだった。

『小説野獣』の編集部は相変わらず、虎尾編集長以外、誰も居ない。もしかしたら『小説プレアデス』に引き抜かれた鳥越編集長がみんな、ヘッドハンティングしてしまって、編集部には虎尾編集長しか存在しないのではないか? まさかとは思うけど、笑えないジョークだ。これは禁句だな。編集長を本気で怒らせないためにこの言葉は絶対に封印しよう。

「綱渡君、遅いぞ」

 虎尾編集長は相変わらず、苦虫を噛んだような顔をしている。怒っているのか地顔なのかは全然判別がつかない。

「遅くなりました。申し訳ございません」

 とりあえず謝る、綱渡。

「まあ、よろしい。で、前回の小説の件なんだが」

「はい」

「読者の評価はまた、可もなく不可もなしなんだが、俺は気に入っている」

「えっ、そうなんですか?」

 意外だった。

「もっと喜べよ。褒めているんだぞ。この俺が」

「わあい、嬉しいなあ」

 棒読みで喜ぶ。

「君、ひょっとして俺を馬鹿にしとるのかね」

「い、いいえ。めっそうもないことでございます」

 お代官さまと付け加えそうになる。

「まあいい。俺は思うに、君にはノンフィクションを書いているよりもフィクションを書く才能があると思うんだ」

「えっ? そうですか」

「だから、今度はじっくり二本書いてきなさい」

 虎尾編集長はかなりな無茶振りをしてきた。

「えー、嫌ですよ。前回だって『今回限りで』ってことで引き受けたんですよ。もう、ストックもありませんし、お断りします」

 きっぱりと言う、綱渡。

「へーっ、そうなんだ。ところで、実は君に話しておかなきゃいけないことがある」

「なんですか?」

「君のノンフィクションの単行本化なんだが、現在、書籍部の方でかなり渋っている。売り上げが全く期待できないとな」

「や、約束が違うじゃないですか!」

 涙目になる、綱渡。

「これは書籍部の考え方だから仕方ないな」

 冷淡に語る虎尾編集長。

「しょぼん……」

 落ち込む、綱渡。

「だがな、俺にはこの前に言ったように、書籍部には貸しがある。小説を二本書いた暁には、今度こそ書籍部に話をつけてやってもいい」

「それって、この前も言ったじゃないですか!」

「資本主義社会は等価交換。短編一つでいい気になってもらっては困る」

「はあ」

「それに実はな、伊佐坂先生はぎっくり腰から復帰したのだが、今度は深田太郎先生が『取材旅行をするから二ヶ月休載する』と言ってきたのだ。本当に困ってるのだよ、俺は」

「はあ」

「だから助けると思って頼むよ。俺に貸しを作っとくと、後々有利だぜ。今回は明日持って来いとは言わないから。来月の上旬でいいからさ。二本書いてくれよ」

「はあ」

「はあはあ、はあはあ、走り疲れたいぬみたいなこと言っとらんで、返事は?」

「単行本の件、絶対に約束ですよ」

「うぬ、任せろ」

「じゃあ、努力してみます」

「そうか! 引き受けてくれるか」

 途端に虎尾編集長は機嫌が良くなった。

「さあ、行け。ビクトリーロードを」

 と訳の分からないセリフを背に受け、綱渡は編集部を後にした。


「困っちゃったな。安請け合いしたけどまだネタはあるかな?」

 綱渡はパソコンから過去の取材データを取り出した。じっくり見る。

「これとこれはちょっとやばい。これとこれはインパクトがない」

 うーんと唸る、綱渡。

「しょうがない。とっておきのこのネタとあのネタを使うか」 

 綱渡はそう呟くと、パソコンの電源を落とし、ねこの餌やり、ねこトイレの掃除、夕飯の支度。ちなみに今日はビーフストロガノフだ。そして入浴、読書とルーティンをこなし、いつも通り、十二時に寝た。

「今回は締め切りが遅いからじっくりやろう」

 大きな寝言を言う、綱渡であった。

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