超人の恩人
……オレ、小学校一年生の時、肥満児っていうかデブだったんです。勉強も運動も苦手で、みんなから陰で“チャーシュー”って呼ばれてたんです。家が貧乏で兄のお下がりの薄汚れたシャツとズボンしか着られなくて、チャーシューってそんな色でしょ。だからそう言って笑われてたんです。それでね、ある冬の日、雪がたくさん積もった日があって……ああ、オレの通ってた小学校、丘の上にあったんですけど……坂の途中で何度も滑って、オレ、学校まで上れなかったんです。体のバランスが悪かったんですよ。上半身ばっかり肉がついて、下半身が細かったんだ。運動してないから当たり前ですよね。だから上れなかった。見るに見かねたふもとの文房具屋のおじちゃんがオレの背中を押して上ってくれたんで、行きはなんとか学校に行けたんです。でも、問題は帰りだった。生徒に踏まれた雪が凍ってシャーベット状になってて、行きより滑りやすくなってた。オレ、三歩歩くたびに滑って転んでしまって、みんな、ゲラゲラ笑いましたよ。でっかくて太ってるオレが、雪ごときでまともに歩けないんです。笑って当然といえば当然です。だけど悔しかった。でも歩けない。そのうち、トイレにも行きたくなって、最低な気持ちです。あんたには分からないでしょ。この気持ち。それでね、やけになって、滑り落ちようかと思ったんです。ランドセルを下に敷いて。だからランドセルを肩から外そうと思って立ち上がったらまた滑っちゃった。そしたら、誰かがオレを支えてくれたんです。初めは、文房具屋のおじちゃんかと思ったんです。でも違った。その時間、おじちゃんは店番しているからね。振り向いたら、クラスのさっちゃんが居た。そう、一週間前にどっかよそからやってきた、さっちゃんが支えてくれたんです。さっちゃんは小さな体で大きなオレを支えてくれていました。すごい力持ちなんだと思いました。さっちゃんは「一緒に帰ろう」って言ってくれました。そしてツルツル滑るオレを必死に支えてくれました。オレの家は丘のふもとです。さっちゃんのおかげで家に無事帰れましたし、おしっこを漏らさずにすみました。さっちゃんはオレが家に入るのを見届けたらすぐに行っちゃったみたいでした。トイレがすんで外に出たら、さっちゃんはもういませんでした。雪で滑る道をスイスイって行っちゃったみたいでした。そして次の日です。さっちゃんがオレに近づいて来ました。オレは「昨日はありがとう」って言いました。他人に感謝するなんて生まれて初めてでした。するとさっちゃんは「君は上半身に比べて、下半身が弱すぎる。だからバランスを崩すんだ。これからは毎日四股を百回踏むんだ。いいね」と難しい言葉を口にしました。オレは「四股ってなに?」と聞きました。さっちゃんは「君は相撲を見ないのかい? 力士が片足を交互に上げるのが四股さ。今日、帰ったらNHKを見るといい。相撲をやっているよ」と教えてくれました。その日、家に帰ったオレは『水戸黄門』を見てたバアちゃんからチャンネルを奪って、NHKを見ました。そして、力士というものを初めて知りました。画面に映る力士を見て、四股を踏むということを覚えました。それから毎朝、一時間早く起きて、四股を百回踏みました。みるみるうちに太ももがパンパンに膨れて、半ズボンが入らなくなりました。仕方がないので、兄ちゃんのお下がりを履きました。ウチは貧乏で子沢山だったから、新しい洋服は買えなかったんです。その一年後に、また雪が降りました。オレは滑ることなく、自力で坂を登り切ることが出来ました。これも全て、さっちゃんのおかげです。でもさっちゃんはあの日の一ヶ月後にまたどこかへ行ってしてしまいました。「仕事の都合で」ということでした。さっちゃん、本名は忘れました。だって学校にいたのは一ヶ月だけだったから。その後、オレはメキメキ体が大きくなって、小学校六年生の時には東京の国技館で行われた『わんぱく大相撲』で優勝しました。中学校には相撲部がなかったので柔道をやりました。中三の時に武道館で開かれた、全国大会で優勝しました。中学卒業の時には、柔道が強くて有名な高校と、ここの部屋の親方がスカウトに来ました。オレはウチが貧乏だったから大相撲を選びました。こうして大関になれたのも、全てはさっちゃんのおかげです。もし、この雑誌を見たら名乗り上げてもらいたいです。感謝したいからです。記者さん、このこと絶対記事にしてくださいね……
僕はレコーダーを止めると、パソコンに記事を打ち込んだ。僕はフリーのライターだ。現在は、スポーツ誌や男性ファッション誌、音楽誌、ビジネス誌にモーター誌と幅広くこなしている。薄利多売だ。薄利だがパクリや嘘は書いていない。良心的なライター、それが僕の矜持だ。今、やっているのは、スポーツ雑誌『ナンダー』の新鋭レポートで、今月は大相撲で新大関になった総大将関へのインタビューである。僕は手慣れたキー捌きで原稿をサクサクと書き、すぐに編集部に届けた。問題なければ来月号に載るだろう。まず、問題なんて起こるはずないけど。
その電話があったのは二日後のことだった。
——『ナンダー』編集部の桜木ですけど。
編集長だ。なんだろう。
「はい、僕です」
——この前の総大将関のインタビュー、今月号の東京キングの武田選手へのインタビュー内容がかぶっているぞ。
「えっ? どこがですか」
——この学生時代に知人から自分の弱点を指摘される件だ。その名前までかぶっている。「さっちゃん」てな。
僕は慌てて『ナンダー』今月号を見た。
……僕が野球を始めたのは小学校一年の時に地元のリトルリーグに入団したことがきっかけです。同期というかライバルには今、メジャーリーグでプレーしている真田投手がいました。僕は背が高い方だったので、三年生くらいから投手をやっていました。今思うとおかしいのですが、真田くんはキャッチャーでした。変な感じでしょ。リトルリーグには六年までいましたが、監督とソリが合わないので辞めて、中学では軟式野球部に入りました。そこでもピッチャーをやっていましたが、三年の時、肩を痛めてしまい、あまりの痛さに、投手を断念せざるをえなくなりました。それからはグレましたねえ。毎日、学校をサボってゲーセン通い。こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど、酒や煙草、パチンコなんかにも手を出したこともあります。もちろん遊び程度ですけどね。ああ、大丈夫かな。“東京キングは紳士たれ”って言うじゃないですか? そうですか、誰でも一度は通る道なんですか。それならいいけど。
それはともかくとして、グレててもやっぱり野球のことは忘れられませんでした。放課後、みんなが練習している姿を校庭の隅でこっそり眺める日々が続きました。そんなある日です。僕の肩をポンと叩く人がいます。ふり返るとそこには期の途中からやって来た、さっちゃんがいました……
「ここかあ」
僕は叫びました。
——ここかあ、じゃないよ。
「すみません」
——優秀な君のことだ。ちょっとしたケアレスミスだろう。君、ちょっと疲れているんじゃないの?
「いえ、大丈夫ですよ。早速手直しして、至急お届けします」
——頼むよ。
電話は切れた。
「おかしいなあ」
僕は頭をひねりつつ、総大将関のインタビュー記事を、文章のテイストを変えて書き直した。インタビューはレコーダーに入っているから大関が、「さっちゃん」と言ったのは事実だし。武田選手が同じく「さっちゃん」言ったのも事実だ。「偶然ってものあるもんだなあ」、そう思った僕は、念のため、武田選手へのインタビューの続きを読んだ。
……さっちゃんはたぶん一週間くらい前にやってきました。自己紹介の時、「私のことはさっちゃんと呼んでください」と言いました。変な奴だな、と思いましたが、妙に愛嬌があるのでクラスにすぐ溶け込みました。そんなさっちゃんがリンゴを片手に持って僕の後ろに立っていました。
「なんだよ」
グレていた僕は、こっそりと野球部の練習を見ていたのがバレたので内心ドキッとして、厳しい口調で話しました。
「ねえ君」
そんな脅しにも臆さず、さっちゃんは言いました。
「このリンゴを私に全力でぶつけてみなよ」
さっちゃんは無理を言いました。
「俺、肩を壊しているから投げられねえ」
僕はふて腐れて言いました。
「いいじゃない。どうせ野球部じゃないんだから。肩が再起不能になっても関係ないさ。それに一球くらい投げたって症状は変わらないよ」
そう言いながら、さっちゃんは僕にリンゴを渡します。
「なめんなよ」
僕も意地になって、全力でリンゴを投げることにしました。素人が受けたなら突き指、下手すれば骨折です。でも、そんなこと構っては入られません。男の意地です。僕は思いっきりリンゴを投げました。その瞬間、
「あれっ?」
と思いました。肩が痛くない。
「ねっ、痛くないでしょ」
さっちゃんは片手で軽くリンゴを取ると、僕に投げ返してきました。すごいスピードでした。僕はやっとの思いでリンゴを受け取りました。
「君の肩痛は寝違えみたいなものだよ。一時的なものさ。それを深刻に受け止め過ぎて大好きな野球を辞めるなんて損だよ。もったいない」
さっちゃんは言いました。僕は、
「そ、そうだね」
と返すしかありませんでした。
「先生に謝って、野球部に復帰しなよ。一人で謝るのが辛かったら一緒について行ってあげるよ」
さっちゃんは僕を諭し、
「ああ君、君の投げる球は中学では通用してもその先は無理だな。軽すぎるよ。でも私の球を受け止められる反応の良さ。それは買うな。君はどちらかと言えば内野手向きだね」
と僕の球の軽さと、守備力の高さを教えてくれました。それから僕は一人で、先生に謝罪し、幸い許してもらえたので、野球部に復帰しました。守備位置はショートです。前任のショートには悪いことをしました。でも僕の方がうまかったから仕方ないね。とにかく、僕が今、こうやって野球ができるのはさっちゃんのおかげです。とても感謝しています。そのさっちゃんですが、夏休みの間にまた別のところに行ってしまいました。仕事の都合だそうです。僕はとってもさみしい気分になりました……
「同じだ」
僕はそう思った。やっぱり二人は同じあだ名の「さっちゃん」なる人物に助言を受けて今に至っているのだ。本当に、偶然ってあるんだなあ。その時の僕はその程度にしか考えていなかった。
しかし、それが偶然ではないということが分かった。次号に乗せるためのインタビューをとるため、僕は明星コロシアムに日本期待のテニスプレイヤー、氷柱計選手に面会した。
「初めまして、私は文藝夏冬のスポーツ雑誌『ナンダー』依託のライターです。氷柱選手の最近の大活躍、応援しています。日本中がそうなんじゃないでしょうか?」
「ありがとうございます」
「で、取材の意図なんですが、今をときめくアスリートに、その道を選んだ理由、そして挫折しそうになったこと。そこから脱出出来た理由などをお聞きしたいと思います」
「そうですか。うーん、そうだなあ」
少し考えながら氷柱選手は語り始める。
……僕がテニスを始めたのは両親がプレーしていたからですね。もちろん、アマチュアの選手ですけれど。だから僕も小さい時からコートに連れて行かれて、大きなラケットを持て余しながらちょこちょことボールを打っていました。本格的な練習は小学校中学年から始めました。実家近くのテニススクールです。そこの先生は元日本ランキング上位に名を連ねた、名選手で、その教え方はとても優しかったです。僕ら生徒にテニスは楽しいものと教えてくれました。僕はテニスが楽しくてしょうがなかった。学校の授業が午後になると、そわそわして、よく先生に叱られました。そんな生活が一変したのは小学五年生の時です。僕らのテニススクールに、あの、松風秋霜さんがやってきたのです。先生の大学の先輩だったそうです。松風さんは僕らの練習を見て一言、
「ぬるい!」
と言いました。そして僕たちに自らラケットを持って、指導してくれました。その練習は猛烈を超えて地獄のような練習でした。みんなクタクタになってコートに倒れこみます。それを見て松風さんは「コートは聖地だ。そこに横になるなんて失礼極まる」と言って、容赦なく、ボールを叩きつけます。松風さんはおそらく、僕らの緩い練習を見て、根性を叩き込もうとしてくれたのでしょう。でも、大半が「楽しくテニスをしよう」としている、子供でした。みんな泣き出し、逃げ出しました。僕ですか? 僕はその頃からプロテニスプレーヤーになるつもりでしたから、必死について行きました。そうした理由があるでしょう。松風さんは僕を自分のテニススクール、“秋霜チャレンジ”に来るように言いました。僕は喜んで、両親に言い、東京の高校に転校しました。ちょうどその頃、僕と一緒に学校にやって来た奴がいました。二人はなぜか同じクラスになりました。
“秋霜チャレンジ”は予想以上の厳しさでした。松風さんは普段はとても優しいのに、コートに入るとそれこそ鬼になりました。フォアはひたすら強く打ち込む、バックは野球のバットを振るように両手でこれも強く打ち込む。日本人が外国人に劣る体格差を補うには強烈なボールを打ち込むに限る。それが松風さんの理想であり信念でした。それに対して僕はちょっと違うなと思いました。僕は緩くてもいい。相手が手に届かないところに正確に打つ。これが僕の理想でしたが、でも怖くてそんなこと松風さんには言えませんでした。
ある学校授業のある日の休み時間、僕と一緒にやって来た奴が突然、僕のところにやってきました。そして、開口一番、
「松風秋霜のテニススクールに行っているんだって?」
と聞いてきました。
「そうだよ」
僕は訝しげに答えました。奴が一体何を言いたいかが分からなかったからです。すると、
「あそこはダメだよ。根性論と、強く打ち込むの一本やりだからね」
僕の思っていることをズバリ言いました。
「君はアメリカに留学したほうがいい。そこで、科学的理論に基づいたトレーニングをするべきだ」
奴はそこまで言いました。
「そうだよね」
僕は思わず立ち上がりました。そして授業をサボって、松風さんのところに行き、退校する意思を伝えました。
「計、何言ってるんだ。俺と一緒に四大大会を狙おう」
松風さんはそう言ってくれましたが、僕の意志が強いと知ると、アメリカの友人に連絡を取り、アメリカテニス界最高のスクール、“ジミー・マッケンローテニス・アカデミー”を紹介してくれました。
「だがな、計。あそこは厳しいぞ。ウチ以上だ。毎年、世界各国から何百人の生徒が集まり、厳しさについて行けずにその大半が辞めていく。そうなったら世界ランカーなど夢のまた夢だ。お前にその覚悟はあるか?」
松風さんは問いました。僕は、
「あります」
と答えました。すると、松風さんは僕の頭をくしゃくしゃに撫で、
「その根性だ。俺が教えたかったのは」
と涙ながらに叫びました。
一ヶ月後、すべての準備を終えた僕はアメリカに旅立つことに、なりました。すると、学校の同級生たちが見送りに来てくれました。僕は真っ先に奴を探しました。しかし、いませんでした。
「あいつはどうした?」
僕が聞くと、
「ああ、さっちゃんなら、また出てったぜ。仕事の関係だとさ」
「ええっ?」
僕はとても残念に思いました。僕にアメリカ留学を決めさせた、さっちゃん。もう一度逢ってお礼を言いたかった。でもそれは叶わなかった。
さっちゃんは今、どこで何をしているのか、時々考えます。僕の活躍を見ていてくれたなら幸せです……
「氷柱選手。そのアドバイスをしてくれた人は、さっちゃんと言うのですね」
「そうです」
「さっちゃん……」
ここに至って、僕は考えを改めた。総大将関、武田選手、氷柱選手。三人が三人ともさっちゃんなる人物に、自分の弱点を教えられ、長所を伸ばす方策を伝授されている。これは偶然なんかじゃない。人の長所を伸ばす能力を持った人物がこの世に存在する。これは一種の才能だ。いや、超能力だ。そう考えた僕は、その人物を探し出してやろうと心に決めた。
「さっちゃん」探しを決意した僕だが、従来の仕事もこなさなくてはならない。現在、直近の仕事はロックオン社の音楽雑誌『ロック・フェス』のアーティストインタビューだった。今回は人気バンド、“レアメタル”のリードギター、フレディー斎藤氏を取材する。“レアメタル”はリードボーカルのプリンス東堂が率いる超人気バンドだ。武道館を満杯にしたこともある。その中でも、フレディー斎藤のギターテクニックは日本一とも言われている。(諸説あり)ライブでの豪快な暴れっぷりも有名で、大型スピーカーをぶち壊すのは序の口、絶好調の時は灯油を口に含んで、口から火を吐くパフォーマンスをして観客を驚かす。場外乱闘もお手のものだ。僕はちょっと怯えながら取材場所である東京港区のスタジオに向かった。
フレディーは先にスタジオで待っていた。僕が少し、遅刻をしてしまったのだ。(やばいな、怒って取材中止になんてならないかな)と思っていると、
「ああ、取材の方ですか。フレディー斎藤こと斎藤真先です。今日はよろしくお願いします」
フレディーは深々と頭を下げた。なんという低姿勢。僕がちょっと戸惑って、「こちらこそ、遅れてすみません。どうぞよろしくお願いいたします」と挨拶すると、
「飲み物は何がいいですか。そこの自販機のものですけど」
と、本当に愛想がいい。僕は正直に、
「フレディーさん、なんかイメージと違いますね」
と尋ねる。フレディー斎藤は、
「ああ、ライブだと頭の回線が切れちゃって、暴れますけど。普段はこんなもんですよ。学生時代は優等生でした」
と言って笑った。そんなものか。ミュージシャンにもオンとオフがあるのだなと思った。僕は無糖のコーヒーを頼み、フレディー斎藤が買って来てくれた。フレディー斎藤はミネラルウォーターである。健康志向もあるのかな。
「ではフレディーさん、取材をお願いします。フレディーさんがエレキギターをやるきっかけはどういうことだったんでしょう?」
僕が聞き始めると、彼は凶暴極悪、フレディー斎藤になって、話し始めた。
……俺は子供の頃、そうだな、高校に入るまで音楽になんかちっとも興味がなかった。中学の時は美術部にいた。毎日絵を描いていたんだ。信じられないだろ? でも必死にデッサンをしていたんだ。そして絵画コンクールにもたくさん応募した。でも結果は散々だった。その状況を見て美術部の顧問も、「君の絵には特徴がない。人の心を惹きつける斬新さがないんだ」と辛辣に批評したんだ。さすがに頭に来たぜ。でもその頃の俺はおとなしい優等生だったから、黙って屈辱に耐えていた。「いつかきっと、てっぺんに立ってやる。一番になってやる。そうして周りの奴を見返してやる」と心で思いながらな。高校に入っても、やっぱり俺は美術部に入ろうと思っていた。だから、美術部が優秀で有名な私立高校に、親に無理を言って入れさせてもらった。ところがその美術部、入部するにはテストに合格しなければならなかったんだ。俺は頑張って、課題に取り組んださ。でも、不合格だった。俺は荒れたね。心の中にくすぶっていた炎が燃え上がるように、俺は教室の机や、椅子を蹴り上げ、叩きつけた。そんな俺の姿を一人の人物が見ていた。そして冷静さを取り戻した俺に、そいつはこう言った。「君、リズム感があるね。暴れ方の中にダイナミックな音楽を感じたよ。君、美術部の入部テストに落ちたんだろ。それは才能がないってことだよ。それよりも音楽をやりなよ。音楽で、君の心の中の炎を燃焼させたらいい」そう言うとそいつはどこかに行ってしまった。俺は悩んだね。相当悩んだ。音楽なんて授業の時間に仕方なくやっていただけだったから。でもそいつが言ったように美術の才能がないことは自分でも分かってしまった。他に自分自身を表現する方法を探さなきゃいけない。それなら音楽をやってやろうと思った。学校には合唱部、吹奏楽部、軽音楽部があった。俺はシャウトしたいと思った。だから軽音楽部に入ることにした。最初、俺はボーカルをやるつもりだった。なぜなら俺は楽器なんか弾けないからだ。でもボーカルは既に居た。「じゃあ、何なら空いているんだ?」と聞いたら、「エレキギターが居なくて困っている」と言う。じゃあ、「エレキギターをやってやる」って俺は叫んだ。驚いたか? 俺は仕方なくてエレキギターを始めたんだ。だが、俺はギターの弾き方を全く知らない。最初は教則本を買って、一人で覚えようと思ったさ。でもコードの一つも上手く出来ない。仕方ないから誰かに教わろうと思った。でも誰に教えてもらえばいいんだ。そしたら、あいつがまた出てきた。「ねえ君。ギターの弾き方なら私が教えてあげるよ。君は指が繊細だから、すぐに弾けるようになるよ」とそいつは言った。それから二人して血の滲むような特訓をしたね。ああ、血が滲んでいるのは俺だけだけどね。あいつは素晴らしいプレイヤーだった。それを真似してるうちに俺のテクニックも上達して来た。その年の秋の文化祭で俺は最高のギグをした。それを見ていたプリンスが俺をスカウトしに来た。そして今があるんだ。えっ? あいつとかそいつとか言った奴のことかい? 気がついたら学校を辞めていたよ。俺に黙ってね。寂しかったよ。恩人だからな。名前? 知らないな。でもみんな、さっちゃんて呼んでいたなあ……
「さっちゃんですか?」
僕はのけぞった。また出てきた。
「そう、さっちゃん」
フレディー斎藤は素に戻っていた。ここで僕はひらめいた。
「フレディーさん、さっちゃんの似顔絵書けませんか?」
「いやあ、それが顔を思い出せないんですよ。指先はよく覚えてるんだけど」
「そうですか」
残念なことだった。
その晩、僕は年上の友人と酒を飲んでいた。自然と「さっちゃん」の話題が出る。
「何せ、その道で成功している人。ああ、僕がインタビューした人だけなんですが。みんな『さっちゃん』に励まされ、アドバイスを受けて成功への架け橋を渡っているんですよ」
「へえ」
「これは偶然ではないと思うんです」
「そうだね。何か共通点はあるの?」
「共通点ねえ。まず、フレディーを除いて、みんな途中から来たと言っています。それから、全員、途中でいなくなってしまったと言っています」
「『仕事の関係で』というのが複数出てきたね」
「うん。そう頻繁に転勤がある仕事ってなんでしょう? 外交官……違うか。あっ!」
僕はひらめいた。
「サーカスの子供ですよ。サーカスなら一ヶ月、二ヶ月単位で地方をめぐりますから」
「君、時系列を考えてみなよ」
「時系列?」
「アスリートたちが『さっちゃん』と出会った年と今の年齢だよ」
「ああ」
総大将 (二十四) 小学校一年の途中。
武田 隼人 (二十六) 中学三年の途中。
氷柱 計 (二十六) 高校一年の途中。
フレディー斎藤(三十八) 高校一年の初め。
「全然、時系列が合わない」
「そうですね、じゃあ『さっちゃん』は複数人いるってことになりますね」
「さあ、どうだろうね」
「なんか合理的に解釈する方法はないですかね」
「それが出来るなら、君はライターを辞めて、名探偵にでもなるがいい」
「皮肉ですね」
「謎は謎で取っておいた方が楽しいんじゃない?」
「いやあ、僕のライターとしての魂が真実を求めてやまないのです」
僕は胸を張った。
一夜明け、電話が鳴った。
——『ナンダー』の桜木です。
「おはようございます」
——ああ、早速だが悲しいお知らせだ。『新鋭レポート』は打ち切りにするよ。
「ええっ?」
——残念だけど、こう同じような内容ではマンネリ化して、読者が離れる。君も疲れているのだろう。リフレッシュしてまた新しい企画を考えてくれ。ガシャッ。
一つ仕事を失ってしまった。まあ、本当のこととはいえ、同じ「さっちゃん」に助けられ、その道に導かれたという内容では読者も離れるだろう。生活のためだ、新たな企画を考えようと思った時、ある考えが心に浮かんだ。
(フレディー斎藤と「さっちゃん」は入学が一緒だ。入学式の集合写真があるのではないか?)
僕は早速フレディー斎藤に連絡を取り、その母校に向かった。
フレディー斎藤の高校は私立高校だ。公立高校と違って、教職員の定期異動はない。もしかすると、「さっちゃん」のことを覚えている人がいるかもしれない。僕は淡い期待を胸に秘めて、私立日本芸術高校の門をくぐった。事前にフレディー斎藤が連絡をしてくれたらしく、教頭の桂という先生が対応してくれた。
「斎藤さんには卒業後もいろいろと我が校のことを思ってもらって、ありがたい限りです。この前も新しい我が校の校歌を作曲してくれました。それも無償でです」
「そうなんですか。さすがですね」
なんていい奴なんだ。フレディー斎藤。
「ところでお尋ねの件なんですがね。やあ、二十年以上前のことですからねえ。その当時のことを覚えている教職員はいませんでした」
「そうですか」
これは見込み違いだ。困った。
「ところで、その年の入学式の集合写真は残っていますか?」
「ええ、ありますよ」
「見せてもらいますか?」
「まあ、斎藤さんのお知り合いとなれば特別にお見せしますがね。持ち出したり、複写するのはご遠慮願いますよ」
「はい」
僕は桂教頭に連れられ、校史資料室というところに入った。
「ええと、○○年度の入学写真はと……」
桂が書棚を探る。
「これだ。えーと、何ページかな。ここか! はい、どうぞご覧ください」
この中に「さっちゃん」がいる。興奮を抑えてアルバムを見る。しかし、生徒名が記入されていない。本当にただの集合写真だ。これでは誰が「さっちゃん」か分からない。
「先生、どれが『さっちゃん』か分かりますか?」
ダメ元で聞いてみるが、
「最前から申しておりますように、私はこの時、ここに居ませんでしたので分かりません」
とつれない返事をもらった。
「ですよね」
せめてコピーして、フレディー斎藤に見せたら、もしかして思い出すかもしれないが、コピーは禁止だ。ルールは守ろう。などと考えていると、
「掃除してもいいかね、教頭」
と年配の用務員らしき人物が入室して来た。
「今、相客中ですから。あっ!」
桂教頭がうめいた。
「梅さん。貴方、開校当時からここにいますね」
「ああ、そうだ」
生き字引がここにいた!
「○○年度の一年七組の『さっちゃん』って子、分かりますか?」
桂が尋ねる。
「ああ、知ってるだ」
梅さんと呼ばれた用務員さんはスタスタ歩いてくると、アルバムを見て、ある一人の人物を指差した。
「ええっ?」
僕はひっくり返りそうになった。
僕はその晩も年上の友人と酒を飲むことにした。友人には、
「仕事がなくなっちゃいました。今日はやけ酒です」
と伝えてあった。友人は約束の時間より少し遅れると言って来た。仕事が忙しいらしい。羨ましいことだ。
その間、一人、酒を噛み締める。フフフ、愉快な酒だ。それなのに噛み締めているのは笑いをこらえるためである。
友人がやって来た。
「残念だったね。ドンマイ」
開口一番、友人は僕を慰めてくれた。
「君は、想像力が逞しすぎるの。だから『さっちゃん』なんて妄想にとらわれるの。もっとシンプルに仕事をしたほうがいい。それに、ノンフィクションよりも小説を書いたほうがいいかもしれない。それなら、想像力を創造力に変えられる」
「いつも、そうやって、的確なアドバイスをくれてありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして」
「あなたのアドバイスは僕だけじゃなく、多くの人のために役立っています」
「大袈裟」
「そんなことない」
「困っている人を見ると助けたくなるだけ」
「それが素晴らしい」
「今日は何? 誉め殺し?」
「いやあ、単純に褒めているだけです。殺すつもりは毛頭ございません」
「褒められたり、感謝されたりするのは嫌い」
「そうですか。じゃあ『さっちゃん』の謎解きの続きでもやりましょうか」
「進展したの?」
「進展というか、解決いたしました」
「へえ、凄いじゃない。『さっちゃん』はサーカスの子? それとも旅芸人の子? それとも未来から来た人? 複数の集団?」
友人は絡んできた。まだ酒も飲んでないのに。
「そのどれでもありません。『さっちゃん』はごく普通の人間でした」
「そう、残念。記事に出来ないね」
「僕は『さっちゃん』に助けられた一人、フレディー斎藤の母校、日本芸術高校を訪ねました」
「へえ」
「そこで、フレディー斎藤の入学式の集合写真を見ました。けれど、名前の記載がなくて、誰が『さっちゃん』かを識別することはできませんでした。学校の教職員も同様です。でも、ただ一人、識別できる人がいました」
「それは良かったね」
「用務員の梅さんこと梅鉢陽一さんです。梅鉢さんはアルバムを見てためらうことなく、『さっちゃん』を指さしました。『さっちゃん』は女性でした」
「それは、びっくり」
「さらに言うと彼女は生徒ではありませんでした。『さっちゃん』は担任の女性教師でした。梅鉢さんによると彼女はいつもこう言っていたそうです。『あたしの事は先生と呼ばないで。さっちゃんと呼んで』と」
「サプライズ!」
「つまり『さっちゃん』は異動を繰り返さざるをえないある種の『問題教師』だったのではないでしょうか。それはおそらく、生徒のために、他の教師ともめ事を起こすという、生徒思いの教師だったんだと思います。だから、道に迷い悩む生徒に、自己の持つ弱点と長所を生かすアドバイスを送っていたのだと思います。まさに教師の鑑です」
「他の教師と協力するのも仕事のうち」
「そうは言っても、今の教師は自分の仕事に追われて、生徒とのコミュニケーションを取れない人が多いっていうじゃないですか」
「そういう社会だから仕方ない」
「だから、あなたが教師を辞め、NPO法人『こども王国』を作ったのは正しい」
「虐められた子の心を癒すのを国や地方自治体には任せられないからね」
「それを取材させてもらった僕はこうしてあなたと友人になった」
「そうね」
「これからも僕が道に迷ったら、適切なアドバイスをくださいよ」
「ええ、できる限りさせてもらう」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
「本当にありがとうございます、幸子さん。いや『さっちゃん』」
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