第3話 死者の口から語られる証言 -A Testimony of the Dead-

「そんな……!」美咲が押し殺した声で言う。「だって、そんなこと!」

「しかし、他に考えられません」

「そうね」

 頷いたのは彩乃だった。彼女はまっすぐに詠の方を見つめていて、ほとんど睨んでいるようだった。

「誰がやったのか、考えなくちゃいけない」

 話が穏やかでない方向に進みつつあった。真崎は少し不安になった。

「そういうのは、警察が来たら任せれば良いでしょう? それが仕事なのですから」

 加藤が重々しく口を開いた。

「そうですよ」同意したのは吾郎だった。「やっぱり、専門家にお任せした方が」

「でも、来るのに時間がかかるのでしょう?」

 彩乃が美咲の方を向く。彼女は青白い顔で頷いた。

「警察が来る前に犯人が逃げてしまうかもしれないし、証拠を隠滅するかも」

「え?」美咲が目を見開いた。「だって、とっくに犯人は逃げているでしょう?」

 彩乃と美咲は見つめ合った。

「なぜそう思うの?」

 真崎がこの別荘に来てから初めて、彩乃が美咲の目を見て言葉を発した。

 美咲は不思議そうに言った。

「だって、書斎の中には誰も居なかったのよ。とっくに山の中に逃げ込んでいるでしょう」

「ここにいる人以外が犯人ならそうでしょうね」

 彩乃は冷徹な声で返した。

「ここにいる人って……」

 美咲は一瞬、言葉を失った。それから大声を出した。

「彩乃! なんてことを言うの! そんな、ここにいる皆様を疑うなんて!」

 女性が出したとは思えないほどの大声だった。普段の声より三十デシベルは大きかっただろう。美咲が運動部に入っていたと言っていたことを、真崎は思い出した。

「本当にすみません。彩乃が失礼なことを……」

 美咲はそれから、部屋の真ん中に向かって深々と頭を下げた。

「いえ……」しかし詠は首を振った。「私は、彩乃さんの意見に賛成です」

「え?」

 呆けたような表情を美咲は浮かべた。

「ここにいる人以外……、つまり外部犯とは限りません。詳しく状況を確かめないと確実なことは言えませんが、可能性は否定出来ません。もちろん、この中に犯人がいると確信しているわけではありませんが」

 詠はそう言って、彩乃に笑いかけた。彩乃は片頬を上げて応えた。真崎は心中で頭を抱えた。二人の少女が結託すると、不定方程式のようにやっかいになるという予感があった。

「まあ、ともかく、状況を整理しましょうか……」

 真崎は溜息混じりに提案した。詠や彩乃に舵を取らせるよりは、自分がリードした方がまだマシだと判断したのだ。

「ええと、発見したときの状況はさっき聞きましたけど」

「はい」

「ううん……」

 真崎は少し考えた。洋酒の瓶を手元に引き寄せ、紅茶のカップに少しだけ注ぐ。一口だけ口をつける間に、考えを纏める。

「とりあえず、いつ亡くなったのかから絞り込みましょうか。皆さん、最後に隆さんに会ったのは何時ですか?」

 真崎はそう言って、一同を見渡した。

「私は夕食のときです。食べ終えて部屋に戻ったときが最後です」

 まず口を開いたのは彩乃だった。

「私もです。私はダイニングに残っていましたが、隆さんが書斎に入っていくのを見ました」

 美咲もそう言った。食事の席には真崎たちもいたが、その後は会っていないことになる。

「米山さんも、そうですよね?」

 美咲が問いかける。米山は青白い顔で頷いた。先ほどまで酷くショックを受けていたようだったが、少し落ち着いてきたようだ。

「は、はい。食器の片づけをしている間に、旦那様は書斎に戻られました」

「食事が終わったのは何時頃でしたっけ?」

「たしか……」美咲は時計を見ながら首を捻った。「七時過ぎに始まったので、食べ終えたのは八時頃じゃなかったかしら」

 まあ、そんなものだったろう、と真崎は思った。話が盛り上がらなかったため、食事はすぐに終わってしまったのだ。食後も、彩乃がさっさと部屋を出て行った記憶がある。

「私たちは、それより前だわ」

 小百合が言った。吾郎が隣で頷いている。

「夕方に、この別荘に着いて。その時に兄さんに挨拶したわ。でも、その後は顔を合わせていない」

「そうですか……」

 真崎は頷いた。小百合たち二人はたしかに招かれざる客だったようだ。隆が忌々しげに語っていたのを思い出す。

「私はもっと前です」

 小松がおどおどと言った。

「お昼過ぎです。真崎様たちを迎えに行く前。その、お二人との待ち合わせについての詳細を伺ったときが最後です」

「なるほど」真崎は頷いた。「なら、僕たちが最後ですね。食事の後に、書斎で少しお話しました。隆さんと僕と詠の三人です。時間は、そうですね……、食事が終わったのが八時だとすると、八時半くらいには出てきたと思います」

「そのくらいですね」美咲が頷いた。「お二人が出てきたのを覚えていますから……」

「ええ。お茶のご用意をいたしました」

 米山も同意した。

「なら、亡くなったのは八時半から十一時の間ですね」

 詠が時計を見ながら言った。それから紅茶のカップに口をつける。

「二時間半ですか。じゃあ、その間になにをしていたのか、全員話してください」

 詠はそう言った。なぜだか、妙に上から目線の言い方だった。しかし、その物言いに気分を害した者はいなかったようだ。

「私は食事の後、一度部屋に戻りました」

 また、口火を切ったのは彩乃だった。

「でも退屈だったのですぐに遊戯室に行ったんです。この別荘、私のスマホは電波が入らないから、することがなくて……。しばらく一人で暇を潰していたんですけど、後から真崎さんが来たのでお話ししました。九時前くらいだったかな」

 彩乃が首を傾けて真崎の方を窺うように見た。真崎は無言で頷いた。

「それから一緒に部屋を出て。多分、九時半か、もうちょっと後くらい。十時にはなってなかったと思います。階段のところで加藤さんが困っていたので、一緒に二階に上がりました。吾郎叔父さんと小松さんもいましたね。それから部屋に戻りました。それで、美咲さんの声を聞いて出てきたんです」

「部屋に戻ったのは九時五十分くらいだね」加藤が落ち着いた声で言った。「私が下りたのが、そのくらいの時間だったから」

「なるほど」

 真崎は大きく頷いた。書斎に入るためには、ダイニングを通る必要があるが、彩乃は八時以降、ダイニングに近づいてすらいないようだ。

「私は……」美咲が口を開いた。「食事の後はダイニングにしばらくいました。お茶を飲んでいたんです。そうしたら書斎から真崎さんと詠さんが出てきたので、お話ししました。真崎さんは途中でふらりといなくなってしまって。一度戻っていらっしゃいましたが、またすぐにどこかに行ってしまいました」

 美咲は天井を見上げながら話している。そこに自分の行動が書いてあるようだった。

「その後、吾郎さんと小松さんがダイニングに見えられました。それで、その……」

 美咲は少し言い淀んだ。

「もう少し詠さんと二人でお話ししたかったので、二階の私の部屋まで移動しました。九時くらいだったかしら」

「はい」

 詠が頷いた。美咲も頷き返して、話を続けた。

「それでお話をしていたんですけど、十時前くらいに、父の声が聞こえたので廊下に出ました。三人がちょうど階段から上がってきたところでした。そのときに詠さんと別れて、一人で部屋に戻りました」

「ええ」

 詠が頷く。それまで、ずっと詠と一緒だったようだ。すると、慌てたように美咲が手を振った。

「あ、まだあります。それから部屋で本を読んでいたんですけど、小百合さんがいらっしゃいました。時間は……」

「十時半です」小百合がきっぱりと言った。「その時、時計を見ましたから」

「はい。その、何か食べるものの用意をして欲しいとのことだったんです。でも、家なら兎も角、この別荘のことを私はあまり知らないので、申し訳ないんですけど、米山さんにお願いすることにしました。彼女の部屋まで行って事情を説明して、一度キッチンまで下りました。私と小百合さんと米山さんの三人で、です。そうしたらダイニングで吾郎さんと小松さんがお酒を召し上がっていて、小百合さんもそこに合流することになりました。なので、米山さんに後のことをお願いして、また部屋に戻りました」

 美咲の話に、米山は大きく二度頷いた。

「その後、部屋でシャワーを浴びて。出てきて髪を乾かして……、そろそろ寝ようと思ったんです。でも隆さんが戻っていらっしゃらないので、書斎に行ったら……」

「解りました」

 真崎は美咲の言葉を遮った。その先を言わせるのは忍びなかった。美咲は一度、大きく洟を啜った。

「次は私かしら」

 小百合が不機嫌そうに言った。詠が律儀に応じる。

「お願いします」

「私は簡単よ。ずっと部屋にいたの。長旅で疲れてしまって、二階の客室で寝ていたわ。目を覚ましたら十時半になっていて、お腹が空いていたの。だから何か頂こうと思って、美咲さんにお願いしたの。後はさっき聞いたとおり。ダイニングに下りて、米山さんが作った夜食を頂いて。それからちょっとお酒を飲んでいたら、美咲さんが下りてきて、書斎のドアを開けた」

 小百合は変わらぬ調子でそう説明した。吾郎もおどおどと話し始める。

「私も似たようなものです。しばらく部屋にいました。女房と違って起きていましたけどね。七時前に米山さんが持ってきてくれた食事を食べて……。それから晩酌でもしようと思って。でも一人で飲んでもつまらないし、女房は寝ているので、小松さんを誘ったんです。九時くらいかな。ダイニングに行ったら、美咲さんとそこのお嬢さん、詠さんでしたか、二人がいて。でもすぐにどこかに行ってしまいました。それからは小松さんとずっとダイニングで飲んでいました。途中で女房が来ましたけどね」

 吾郎の言葉に、小松も大きく頷いた。

「私もほとんど同じです。部屋で食事を食べて、吾郎様とダイニングに下りてお酒をいただきました」

「では、九時まではお一人だったわけですね?」

「え、ええ……」

 詠の言葉に、小松は驚いたようだった。

「ずっと部屋にいましたから。誰とも会っていません」

「それなら、私も似たようなものです。女房はずっと寝ていましたし」

 吾郎もそう言う。寝ていたと主張する小百合も、状況的には似たようなものだろう。

 はて、と真崎は首を捻った。今までの話を吟味していると、彩乃と目が合った。彼女も、真崎の方を見ながら首を傾げた。

「米山さんはいかがです?」

「わ、私は……」米山はテーブルに視線を落とした。「食事の後は、キッチンで後片付けをしていました。奥様や真崎さんたちにお茶をお出しして……。途中で真崎さんが煙草を吸いに見えられたので、少しお話ししました。その後もキッチンにいたんですけど、吾郎様と小松さんが来たので、お酒をお出ししました。しばらくして小松さんが、後は大丈夫だからと言って下さったので、二階の部屋に戻りました。その後、部屋でシャワーを浴びたりしていたんですけど、奥様と小百合様が見えられて、一緒にキッチンに行きました。小百合様に夜食をお出しして、その後もキッチンにいました」

「なるほど」

 詠が満足げに頷いた。

「では、加藤さんは?」

「私は、食事の後は基本的に二階の客室にいました。で、十時前に水を取りにキッチンまで行きました。下りは一人で大丈夫だったのですが、上りは真崎さんのお世話になってしまいました。その後は部屋でもう寝てしまって。騒がしいのに気がついて目を覚ましました」

「ええと」真崎は首を傾げた。「食事の後、二階に上るときはどうされたんです?」

「ああ、そのときは米山さんに手伝ってもらいました」

「あ、はい」米山は慌てたように頷いた。「そのことを忘れていました。お茶の準備をする前に、加藤さんを送りました。階段の上までですけど」

「判りました。ありがとうございます」

 真崎は小さく頷いた。それから自分の行動を話し始めた。

「僕は八時半くらいに詠と一緒に書斎から出てきて、しばらくダイニングで美咲さんと三人で話していました。それから煙草を吸いにキッチンに行って、米山さんと会いました。そこで遊戯室のことを聞いたので、行ってみたら彩乃さんがいました。また少し話して、部屋に戻ることにしました。階段のところで加藤さんを手伝って。その後は部屋でまた詠といました」

 思い返してみると、真崎はずっと誰かと一緒にいたことになる。けれど詠と二人でいる時間については、端から見た場合、説得力に乏しいだろう。

「では私も。書斎から出た後、美咲さんとお話していたのは燈馬と同じです。途中で燈馬はいなくなりましたが、その後も美咲さんと話を続けて、途中で美咲さんの部屋にお邪魔しました。その後、加藤さんが部屋に戻ってきたタイミングで燈馬の部屋に移りました」

 詠もずっと誰かと一緒にいたようだ。決して彼女を疑っていたわけではないが、真崎は少し安心した。

「なるほど」

 彩乃がすぐに頷いた。

「そうすると、このダイニングには、常に誰か二人以上がいたことになりますね。九時頃までは美咲さんと詠さん。その後は入れ違いで吾郎叔父さんと小松さん。さらに小百合叔母さんも十時頃から」

 恐らく、途中で彼女は気がついていたのだろう。全員の話が終わるまで切り出すのを待っていただけだ。迷いのない口調からそれが窺えた。

「書斎にダイニング以外からは……」

「入れません。入り口はこの扉だけです」

 美咲が首を振った。

「と、なると

 詠が顔をしかめた。

「誰にも気づかれずに書斎に入るのは不可能ですね」




     *




「やはり、知らない人が犯人なのではないかしら」

 美咲が妙に明るい口調で言った。

「だって、誰も書斎には入れないのでしょう?」

「それは外部犯であっても、状況は同じです」

 彩乃が冷たい声でばっさりと否定した。美咲はしゅんとなって口を噤んだ。

「えっと、この扉から入らなければ良いのですよね?」

 口を開いたのは小松だった。

「窓とかからなら出入り出来るんじゃないでしょうか?」

「窓? ありましたっけ?」

 真崎は首を捻った。記憶に窓が存在しない。すると米山が答えた。その頬には涙の痕が残っている。メイクが崩れ、目元が酷いことになっていた。

「天井に近いところに、小さい窓が一つだけあります」

「じゃあ、そこから入ったんだわ」美咲はそう言って手を合わせた。「それから同じように出て行った。これなら不思議はないでしょう」

「そんなに大きな窓だった?」

 彩乃は首を傾げた。詠がすっくと立ち上がる。

「ちょっと、見てみましょう」

「お、おい……」

 詠はすたすたと歩いて、書斎への扉を開けた。真崎は慌てて後を追った。彩乃と加藤もついてくる。しかし四人以外は椅子から立ち上がらなかった。

 加藤が隆の死体を確認する。死に顔はひどく強ばっている。加藤は目を伏せて、手を合わせた。

「あれですね」

 彩乃が指さす。扉から見て正面の壁に小さな窓があった。かなり高い位置だ。床から窓枠まで三メートルはあるだろうか。窓の大きさは目算で四十センチ四方くらい。無理をすれば通れないサイズではない。

「あれはちょっと難しいんじゃないかな」

 真崎はそう言った。ジャンプをしても窓枠に手が届くか微妙なところだ。そこから身体を引き上げて、小さな窓を通り抜けるとなると、かなりアクロバティックな所行だ。大体、通り抜けられたとしても、向こう側に頭から落ちてしまいそうだ。

 念のため、真崎は室内をもう一度見渡した。特に目を惹くような物は何も無かった。遺書のようなものも見当たらない。出来れば手掛かりを探したいところだが、警察が来る前に部屋を荒らすわけにもいかないだろう。

 四人はすぐにダイニングに戻った。それぞれ元の席に座る。

「不可能では無さそうですが、かなり難しそうです。相当な運動能力が無いと、まず無理でしょう」

 詠がテーブルの真ん中に向かって言った。気まずい雰囲気が部屋を支配する。

「そんなことより、もっと簡単な方法があるわよ」

 小百合が先程までと変わらない口調で言った。

「え?」

「だって、さっきの話が全部嘘じゃないなんて限らないもの」

「まあ、それは」

 小百合は真崎の方を睨み付けた。

「貴方たち二人が、最後に書斎に入ったのでしょう。そのときに兄さんを殺して出てきたなら、話は簡単だわ。だって、その後生きている兄さんを見た人がいないのだもの」

「……なるほど」

 頷いたのは詠だった。慌てて真崎は言った。

「えっと、僕らが出てきたときに、美咲さんはダイニングにいましたよね?」

「え、ええ」

「そのときに、隆さんの姿を見たり、声を聞いたりと言うことは……」

 真崎は美咲の方をじっと見つめた。彼女は顎に指を当てて少し考えていたが、やがて一つ頷いた。

「声を聞いたように思います。姿は見ていませんが……」

「声だけ?」小百合が剣呑な声で言った。「それじゃあ、何かの勘違いかもしれないじゃない。何かに録音して聞かせたのかもしれないし」

「そんなことは……」

 美咲が反論しようとする。しかしその言葉を遮って小百合は言った。

「何? 絶対の自信を持って言えるの?」

「そこまでは言いませんが……」

 美咲は小声で言った。真崎と小百合のことを交互に見つめている。

「ほら」小百合が勝ち誇ったように言った。「貴方たちなら簡単にできるわ」

 部屋中の視線が、一斉に真崎たち兄妹の方を向いた。一様に疑わしげだった。

「ちょ、ちょっと待って下さい」真崎は慌てて言った。「もし僕らが犯人だったら、とっくに逃げ出していますよ。のんびりお茶飲んだり、おしゃべりをしたりなんかしないで」

「……まあ、それはそうですね」彩乃が少し考えてから頷いた。「私には、真崎さんたちが犯人だとは思えません」

「でも、彼らには簡単にできるのよ?」

「可能であることと、実際にやったかどうかは別問題でしょう」

 加藤が穏やかな声で言った。

「警察が来れば、きちんと捜査して貰えるでしょう。私たちが今、考えるべき問題ではない」

「それはそうですけど……」

 小百合は不満げに言った。真崎を見る目はまだかなり厳しかった。

「もし、貴女が言う通り、彼らが犯人だったとしても、それは警察が捕まえるべきものです。ちゃんと捜査すればすぐ判りますよ」

「……ええ」

「とにかく、警察が来るまでは軽率な行動は慎みましょう。一応、身の回りには気をつけた方が良いとは思いますが……」

 加藤はそう言って、話をまとめた。全員、特に異論は無いようだった。

 時刻は、もう深夜二時を回っていた。




    *




「さて、困ったことになったわね」

 真崎の部屋だった。ダイニングでの話が終わって、客室に引き上げてきたところだった。

 詠は一度自分の部屋に戻って、黒いドレスからクリーム色のネグリジェに着替えていた。こちらも薄手の素材で布の面積もあまり大きくない。しかし彼女が着ていると、セクシィさよりは、お人形のような愛らしさの方が強調されていた。

「まったくね。こんなことになるとは……」

 真崎は溜息を吐いた。

「それで? どうするの?」

 詠は先ほどと同じように、ベッドに腰掛けている。

「どうしようもないと思うけどね」真崎は詠の隣に座った。「一応、組織には連絡したんだけどね。会社名は言っても良いけど、仕事の中身については絶対に誰にも明かすな、とのことだよ。普段通りだね、こんな状況でも」

「誰が聞くの? そんなこと……」

「警察じゃない? 取り調べがあるだろうから……。ここまで来た目的とか、色々、根掘り葉掘り」

「……ああ」

 詠は小さく頷いた。着替えたときに纏めたのだろう、二本の緩い三つ編みがふらふらと揺れた。

「相当しつこくなる気がするよ。僕ら以外は、被害者の家族と親類。それともう十年以上も働いている人だけだ。誰がどう見たって、ゲストが一番怪しい。小百合さんも、僕らが犯人だと主張しそうだしね」

「そうね。それは……、とても面倒そう」

 詠は溜息を吐いた。

「何て言ったら良い? 口裏を合わせておかないとまずいわよね」

「うん。そうなんだけど、弱ったな」

 真崎は頭を巡らせた。

「仕事だというと、会社と業務内容を聞かれてしまう。旧知の仲だと言いたいけど、初対面だというのは米山さんたちに知られている。知り合いの知り合いって言うと、誰からの紹介か、と突っ込まれるだろうから……」

「八方塞がりね」詠は軽く言った。「もう良いじゃない。仕事のこと話してしまえば」

「信じて貰えると思う?」

「まあ、難しいでしょうけど。実演すれば何とでも」

「警察には納得して貰っても、二ヶ月後には東京湾に身元不明の遺体が打ち上げられそうだな、二体ほど」

 真崎は溜息混じりに言った。正直、かなり危険な橋だと思われた。出来れば組織や仕事のことは明かしたくない。

「じゃあ、どうするのよ」

「そうだねえ。一番簡単で説得力があるのは、詠を娼婦に仕立て上げることだね」

「……は?」

「詠の身体を売り物にする。隆さんはお金持ちだし、詠の外見なら、説得力があるだろう? 他の人に素性を明かさなかったこともそれで説明できるし……」

「……最低」詠は吐き捨てるように言った。「その案は却下。もう、考えられない。どうやったらそんなこと思いつくのよ!」

 真崎は肩をすくめた。しかし詠は止まらなかった。

「大体、犯罪じゃない。私が警察に捕まっちゃったらどうするのよ?」

「等身大着せ替え人形くらいにしておく?」真崎は粘り強く交渉した。「少し説得力が落ちるけど、それでもなんとか……」 

「絶対嫌。警察で、嫌らしい目でじろじろと眺め回されるなんて、とても耐えられない……!」

「解ったよ」真崎は両手を挙げた。「この案は却下ね。了解」

 しかしすぐには代案が思いつかなかった。また、二人して首を捻る。

 真崎は煙草に火をつけた。真崎から離れた位置に、詠が座り直す。いつものことなので、別にショックではない。

「ねえ」詠が口を開いた。「要するに、警察から根掘り葉掘り訊かれるからまずいのよね」

「まあ、そうだね」

 真崎は三分の二くらい頷いた。すると詠は、ぽん、と手を合わせた。

「じゃあ、先に解決しましょう」

「何?」

「警察が来た時点で、既に犯人が判っていて解決していれば、取り調べなんてすぐに終わるはず」

「まあ、それは……そうかな?」

「なので、警察が来る前に犯人を見つけ出せば万事解決。この人が犯人です、って引き渡せば良いだけだもの」

 詠は真空管のように明るい笑顔でそう言った。真崎はコンデンサのように脱力した。煙を一吸いしてから答えた。

「まあ、一理あるけどさ。そんなに上手くいくかな?」

「簡単よ」詠は左目だけを閉じた。「被害者に訊けば、誰が犯人かなんて、すぐに判る」

「……なるほど」

 真崎は頷いた。

 詠は、隆の幽霊を呼び出して犯人を訊こうと言っているのだ。たしかに理に適った提案だった。被害者なら間違いなく、誰が犯人か知っている。

「ね、名案でしょ? どうして世の警察や探偵はこの方法を使わないのかしら」

「昔の偉い作家に禁止されたからだと思うよ……」

 真崎は投げ遣りに言った。そもそも、殺人事件を推理する職業探偵なんて、今の世の中にいるのだろうか。少し見てみたいような気もするが、世界中探したって見つかるまい。鉱石ラジオよりもレアだろう。酔拳の使い手と同レベルくらいだろうか。

「ね、良いでしょ?」

「どうぞ」

 真崎が煙草を持った手を振ると、詠は嬉しそうに頷いた。

 詠が立ち上がる。

 小声で何か呟きながら、右手を空中に走らせる。

 濃密な気配。

 総毛立つような緊張感。

 空気が動いているような感覚。

 詠が右手を空中に差し伸べる。

 ぼんやりと光が集まり、

 人を形取った。

 現れたのは、半透明の隆だった。

「隆さん」

「あ、ああ……」

 詠が呼びかける。しかし隆の幽霊はぼんやりとしているようだった。目の焦点が合っていない。口も半開きだった。

「大丈夫ですか?」

「ああ」

 幽霊に大丈夫も何もあるまい、と真崎は思った。しかし、段々と意識がはっきりしてきたようだ。目に光が宿る。心なしか、身体の輪郭もはっきりとしてきたような気がする。

「隆さん」詠が無表情に問いかける。「状況を理解していますか? 貴方は……」

「ああ」隆が頷いた。「殺されてしまったんだな」

「……はい」

 詠は小さく頷いた。

「その、ショックだとは思いますが、いくつかお聞きしたいことがありましてお呼びしました」

「うん」

 隆は空中で大きく息を吐いた。しかし、幽霊は空気にすら影響を与えられない。ただ、そう見えたというだけのことだ。

 彼は詠のことを、目を細めて見下ろしている。

「その、殺されたときの状況を教えて下さい」

「ああ。えっと……」

 隆は少し考えた。

「あの後、私は書斎のソファでうたた寝をしてしまったんだ」

 真崎は隆の横顔をじっと見つめた。彼は詠の方を厳しい目で見つめている。

「はい」

「それで……、気がついたら刺されていた」

「……はい?」

 詠は目を丸くした。盛んに瞬きしている。

「どういうことです?」

「刺されて目が覚めたんだ。胸にナイフが刺さっていて、とても痛かった。いや、痛みとは少し違ったかな。胸の刺された場所が熱いような、でも全身はそこはかとなく冷たくて、まるで酷い風邪を引いたときのような……」

 隆は身体の状況を詳細に説明した。しかし詠は苛立たしげに言った。

「いえ、そういうことを訊きたいのではなくて」

「ああ、すまない」

 空中に浮かんでいる隆は、天井を見ながら考えた。そのときのことを思い出しているのか、時間がかかった。幽霊と人間では、時間に対する感覚が違うのかもしれない。

「でも、私は目を覚ましてすぐに絶命してしまったんだ。当然寝ていたときの記憶はないし、犯人がどうやって書斎に入ったのかは知らない。時計を見る余裕なんて無かったから時間も判らない。どうやって出て行ったのかも見ていない」

「……そうですか」

 詠は小さく頷いた。

「でも、誰が犯人かは覚えているでしょう?」

「ああ……」

 隆は、詠の方を真っ直ぐに見下ろして、しっかりした声で言った。

「私を刺し殺したのは、美咲だ」




     *




「さて」

 詠が口を開いた。真崎は何も反応できなかった。

 犯人の名を告げて、隆は消えてしまった。もう二度と呼び出すことは出来ない。これ以上、詳しい状況を知る手立ては永遠に失われた。

「意外な犯人だったわね」

「あ、ああ……」

 真崎は何とか声を絞り出した。

「とてもそんな風には見えなかったけど……」

 先ほどまでの美咲の様子を思い出しながら、真崎はそう言った。夫婦仲が悪いようには思えなかったし、遺体を見た後もとてもショックを受けているように見えた。

「彩乃さんとの関係が原因かな?」

「まあ、かなり気には病んでいたようだったけれど……」詠は首を捻った。「考えにくいような気がする。大体、それなら隆さんを狙いはしないでしょう。むしろ……」

 詠はまたベッドに腰掛けた。足を組む。短い裾が捲れて、白い膝が露出した。

「本当は、結婚自体が嫌だったんじゃないかな」

「……そんな素振りは見えなかったけど」

 真崎は首を傾げた。しかし詠は語気を強めた。

「だって、美咲さんって、まだ二十四なのよ。それなのに、自分の父親と同じくらいの年齢のおじさんと結婚したいと思う? あんなに美人でスタイルも良いんだから、男なんてよりどりみどりなのに」

 美咲の歳を聞いて、真崎は少し驚いた。若いとは思っていたが、自分より年下だとは思っていなかった。

「嫌だったら断れば良いじゃない。隆さんが美咲さんに結婚を無理強いしたわけでもないだろう? そんなことをする人だとは思えない。米山さんの話からも、そんな感じは受けなかったし」

「無理強いされていなかったとしても、求婚されたら美咲さんは断れないわよ」

 詠はそう言って、鼻から息を吐いた。

「どうして?」

「だって、事故にあって、本来なら路頭に迷うくらいの状況だったのに、親子ともども隆さんに助けて貰ったのでしょう? お父さんの職場も給料も保証して貰って、生活面でも色々気遣って支えを受けていた。それも、十年以上もずっと。その状況で結婚して欲しいと言われたら、まともな神経をしていたら断れるはず無い」

 真崎は頭を掻いた。たしかに詠の言う通りだった。本心では嫌だったとしても、とても袖には出来ないだろう。

「まあ、そうだな」真崎は渋々認めた。「動機はともかく、美咲さんが犯人だと言っているわけだけど……」

「ええ」詠はうっとりと頷いた。「これでもう解決」

「……そんなにうまくいくかな?」

 真崎は首を捻った。

「何が心配?」

「やってきた警察にいきなり、この女が犯人です、って突き出すの?」

「それの何が拙いのかしら?」

「否定されたらどうするのさ。幽霊から聞いた、なんて証言したら本末転倒だし」

 真崎は手を組んだ。

「美咲さんにも、書斎への侵入経路が無いからね。本人に明確に否定されたら、結局、きちんとした捜査が必要になる。それじゃあ意味がない」

「なるほど……」詠は腕を組んだ。「少なくとも、警察が来る前に、彼女に罪を認めさせる必要があるのね」

「そうだね」

 真崎はじっくりと頷いた。

「少なくとも、どうやって書斎に入ったのか、だけは考えなくてはいけないわね。動機なんて後で本人から聞けばいいけれど……。フィジカルな経路さえ解き明かせば、自白を引き出せるでしょう」

 詠は妙にやる気になっているようだった。こんなに生き生きした表情を見せるのは珍しい。出来ればもっと違うことに情熱を燃やして貰えないかな、と真崎は思った。

「さっきのダイニングでの話、覚えてる?」

「うん」

 真崎は素直に頷いた。真崎も詠も記憶力は悪くない。二人ともメモを取るような習慣はなかった。それで問題が起こった試しがないからである。

「美咲さんは……」詠は一瞬、空中を見上げた。「途中までは私とずっと一緒にいたから、犯行はその後ね。十時以降ということね。もうちょっと絞り込めないかしら」

「詠といるときに、一瞬でも目を離したりはしなかったの?」

「ええ」詠は頷いた。「少なくとも、人を殺して戻ってこられるほどの時間はなかった」

 美咲の話によると、その後は自分の部屋に一人でいる。次に外に出てくるのは十時半。小百合が部屋を訪ねたときだ。

「三十分あれば殺して戻ってくるには十分ね」

「経路は? ダイニングには吾郎さんと小松さんがいただろう?」

「さあ……、それはまだ考え中だけど」

 詠は首を傾けて、顎に人さし指を当てた。

「十時半以降はまた部屋で一人。殺害して戻って、それからまた書斎に向かう。不可能ではない」

「シャワーを浴びていたって言ってなかった?」

「言っていたけど……。そうなるとむしろ後半の方が可能性が高いかな。身体についた血液とか匂いを落とすためだと考えれば」

「三十分で殺して、シャワーまで浴びられる?」

 真崎は疑問を呈した。男性ならさっと流すだけで十分だが、女性は入浴が長い。とは言え、真崎が観察したところ、個人差がかなり大きいように思われる。詠だったら三十分ではとても済まない。

「髪が長いから乾かすのにちょっと時間がかかるかな。でも、急げば何とでもなると思う。それに、実際には入っていなくても、ばれないような気がするし」

「シャンプーの匂いとかで判らない?」

 燈馬は首を傾けた。すると詠は白い目で燈馬の方を見た。

「……燈馬がそんな愉快なフェティシズムを持っていたとは知らなかったけど。美咲さんの寝室に忍び込んで、髪の匂いを嗅がせてくださいってお願いしてみる?」

「そんな珍妙な性癖は持っていないよ。それに、手遅れじゃないかな。もう三時間以上前のことだろう?」

「ええ。別に良いわよ、違う目的でも」

 詠はそう言いながら、ネグリジェの胸元を指で摘んで持ち上げた。自分の体臭を鼻を鳴らして嗅いでいる。

「これから燈馬の前に出るときは、気にしておいた方が良いかな……」

「だからね……」燈馬は顔を手で覆った。「とりあえず、話を戻そう?」

「仕方ない」

 詠は一つ頷いた。ベッドに座り直す。

「まあ、十時半より前でも後でも十分に可能ということね。ただ、どちらにせよ、ダイニングには人がいるのがネック。半より前なら吾郎さんと小松さんの二人。後ならさらに小百合さん」

 詠はそれから、真崎のことをじっと見つめた。

「他に何か補足することは?」

「さっき、ダイニングに水のペットボトルがあっただろう?」

「えっと、あったかもしれない」

 詠は首を捻った。あまりよく覚えていないようだった。

「あれがいつからあったか知ってる?」

「いいえ」詠は首を横に振った。「少なくとも、私と美咲さんがダイニングを出たときには無かった。……それがなにか?」

 真崎は首を横に振った。

「それと、鍵が気になる」

「鍵?」

 詠は小さく首を傾げたが、すぐに頷いた。

「そうね。たしか、私たちが出たときに、書斎の鍵をかけていた」

 幽霊の恵子がいる状況で、誰かに入ってこられては堪ったものではない。隆が鍵をかけたのは当然の判断だった。

「でも、問題になる? どうせ家族なんだから、ノックして中から開けて貰えば……。そうか、寝ていたところを刺されていたんだっけ」

「うん。どうにかして、鍵を開けないといけないことになるね。まあ、今のところ、鍵がどこにあるのかすら僕らは知らないわけだけど」

 真崎が溜息混じりに言うと、詠は対照的に、きらきらした笑顔を見せた。

「中々手強そうな問題ね、これは」

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