Ⅹ.2004/08/07

 ようやく、待ちに待ったお祭りの日が来た。

 私はお祭りまでまだ時間があるというのに待ち切れず、家に着いてすぐ、浴衣に着替える事にした。

「お嬢様の着付け、やりたいのは山々なのですが……浜中様の着付けを……」

「え?俺?!浴衣持ってないですよ?」

「その辺は大丈夫です。私が事前に用意しておきましたから」

「そう……。うん。私なら大丈夫。1人で着られるから」

「では……」

 そう言って、勝平と直は勝平の部屋、私は自分の部屋にそれぞれ入った。

 今夜……このお祭りが最後。大丈夫。後悔してないから……。



 着付け……なんだよな?今、俺の部屋で直美さんと2人きりで……。直美さんは30代らしいけど、見た目は26歳くらいで、綺麗なお姉さんで……なんか緊張してしまう……。

「…………」

「?」

 直美さんはさっきから俯いて黙ったまま動かない。

「あ、あの……っ?!」

 な、泣いてる?!!

 直美さんの頬には一筋の涙が流れてる。

 ……なんて声を掛ければいいんだ?

「浜中様……」

「な、なんでしょうか?!」

 緊張のあまり、声が裏返ってしまった……。

「本当は……こんな事、言いたくないのですが……」

 直美さんはゆっくりと話し出した。

「お願いです……お嬢様を止めて下さい……」

 ……は?

「私……必死に止めたんです。でも……私の声じゃ……届かなかった……」

「あ、あの。言ってる意味がイマイチ理解出来ないんですけど……」

 そう言うと、直美さんは俺の腕を掴み、力を込めて言い放った。

「お嬢様は死ぬ覚悟でいらっしゃいます!!」

「……え?……な……に……言って……?」

 ……『死ぬ覚悟』?

 その言葉の意味を受け止めるのにかなり時間が掛った。

「私じゃ止められない……私じゃ……。あとは浜中様だけなんです!!」

 俺の腕を掴む力が弱まり、直美さんはその場に座り込んで泣きながら訴える。

「悔しいけど、私じゃ駄目なんです……。お嬢様が幼い頃から傍にいたから、もしかしたら止められるかもって思った……けど、離れていた時間も長かった……。お嬢様の心は……もう、私と共にはないんです……」

 香澄と直美さんの関係は特別なものだと思ってた。ずっと昔からの知り合いで、香澄がどれだけ直美さんに心を開いてるのかも……。なんとなく、ただの主従の関係なんかじゃないって気付いてた。そんな直美さんの言葉が届かなかったのに、俺の言葉が届くはずない……。

「俺じゃ……無理ですよ……」

「っ!?」

「俺と香澄の関係よりも、直美さんと香澄の関係の方が深くて強いのに……。そんな直美さんの言葉が届かなかったのに、俺の言葉が届くはずないです……」

「浜中様はお嬢様が死んでもいいと言うのですか!?」

「別にそんな意味じゃ……」

「……本当は私が助けたいんです!!でも、私じゃ駄目だから……」

 だから、直美さんが駄目なら俺なんかじゃ絶対……止められないんだよ……。

「浜中様は知らないんです……」

 ……は?

「お嬢様の浜中様に対する態度は特別だった……。お嬢様にとって、このお別荘はお嬢様の心の様なもの。そう簡単に他人は入れないんです」

 その言葉に、あの無駄に多い鍵の数を思い出した。

 あれは、ただ単に防犯の為じゃなかったんだ……。あれは、自分の心に誰かが土足で踏み込んで来ない様にする為に……

「それなのに、浜中様はお嬢様と知り合って間もないのに、もう中に……。正直、嫉妬しました。私は長年かけて築いてきたのに、浜中様は数日で築いて。それに、あの意地を張る態度……私にしか見せてくれなかったはずなのに……」

 『ツンデレ』……。あれは、心を開いてるからこそ出てくるものらしい。

「浜中様が思っている以上に、お嬢様の心には浜中様が居ます!だから……お願いします!」



 着替え終わった私はリビングで待っていた。

 遅いなぁ。お祭りまではまだ時間があるんだけど、やっぱり早く行きたいから……気持ちが先走る。

「お嬢様、お待たせ致しました」

「お待たせー」

「あ……」

 そこには浴衣姿の勝平が居て……。昨日、旅館で見た浴衣姿とはまた違って……その……格好良いと思う……。素直に言えたらどんなに楽なんだろう……。

「ま、まあ、いいんじゃない?よく分かんないけど……その……」

「ありがとな。香澄も似合ってるぞ」

 そう言って優しく私の頭を撫でる。

 ガシャガシャッ、バンッ

「!!?」

 玄関からすごい音が聞こえた。

 ドタドタ

「お、お父さん?!」

 中に入ってきたのはお父さんだった。その後ろにお母さんも居る。その他に数人の付き人も。

「香澄……そいつが……」

 勝平を見ている。

 私は思わず勝平の前に立ち、お父さんを睨み威嚇する。

「香澄、帰るぞ」

 威嚇の姿勢は緩めない。

「少年、君のせいで香澄はこんな聞き分けのない子になってしまった。香澄は少年とは違うのだよ。香澄はこの先、数百万人と言う人々を抱えなくてはいけない。その為に、今は学ばなくてはいけないんだ。1秒たりとも無駄に出来ないのだよ」

 何よ……勝手な事言って……。

「さあ、帰るぞ。香澄、帰るんだ」

「……嫌」

「聞き分けのない事を言うんじゃない」

「会社の事なんて知らない。私は元から聞き分けのない我儘な子なの。そんな子なんか放っておいて、そこの女に新しい子供を産ませればいいじゃない。私なんか捨てて、新しい子供に希望を託せばいいじゃない」

 私は淡々と言う。

「香澄!なんて事を言うんだ!」

 もう何もいらない。怖くない。どうせ、もう何もないのだから……。

「私はママと一緒に暮らすの!もう、放っておいて!」

 ダッ

 私は駈け出した。

 裏口から外に出て、森の中をただただ駈ける。

 本当は勝平を未来に送った後にママのところへ行こうと思っていた。けど……少し早くママのところに行く事になった。

 勝平、約束守れなくてごめんね。

「香澄!!」

 ガシッ

 腕を掴まれ、足が止まる。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 息が上がる程、走っていたみたい。無我夢中で走っていたから気付かなかった。

「放して」

「放したら、お前、自殺するだろ」

「…………」

 何も言えなかった……。辛くて、辛くて、死んでしまいたい。けど、こうやって勝平に追いかけてもらえて、引き止めてくれて、すごく嬉しいって思っている……。

 ああ、きっとこの気持ちは“好き”ってものなんだろうなぁ。なんて、他人事の様に思った。

「香澄んちの事情はまだ分かってないところが多い。けど、香澄が辛くて苦しく思ってんのは分かる」

 分からないで!

「俺、ずっと傍にいるから。それで辛くて苦しい気持ちが少しでも和らぐなら……」

 お願い止めて!

「って、これは自意識過剰すぎか。香澄はどうしてほしい?」

 なんで、そんな事訊くのよ!

「私は……」

 駄目!

「わた……し……はっ!」

 ガバッ

 余計な事を言わない様に、私は口を押さえ、しゃがみ込み伏せた。

「か、香澄?!」

「う……ぐ……んっ……」

「気持ち悪いのか?!」

 違う!!勝平に迷惑かけたくないだけ!!

「大丈夫か?」

 もうヤダ!!

「お願いだから優しくしないでぇぇぇぇ!!」

 勢いよく起き上がり、叫んだ。

「……ぷっ」

「え?」

「あはは」

「なっ!?わ、笑わないでよ!!」

「ご、ごめん。今、笑うような場面じゃないよな。けど……ぷっ」

「!!!!!!」

 声にならない叫びを上げた。

「あはは……は……ふう……。なんか、元に戻ったみたいだな」

「は?」

「少し前までは、こうやって笑い合ってただろ?」

「…………」

 私は勝平から離れようと一歩足を退いた。

 ガシッ

「!!」

 すると、勝平は私の手を握り放さない。

「俺さ、本当は妹が居たんだ」

 え?

「でも、もうすぐ産まれるって時期に、いきなり出てきた車に轢かれそうになった俺を母さんが庇って……。母さんは助かったけど、赤ちゃんは……」

 …………。

「もし、あの時助かってたら、こんな感じなのかな?って。だから、お前は妹みたいな感じで……」

 『妹』……。

「もう……亡くしたくないんだ……。大切なものが突然消えちゃう辛さ、お前も分かんだろ?」

 ママ……。

「だから、死のうとか思うなよ。お前には俺だけじゃなくて、直美さんもいるわけだし」

 直……。

 私、自分が思っている程、独りじゃなかったのかも。今は勝平と直が居て……。でも……もう、勝平、帰っちゃうんだよね……。

 自然と手に力が籠もる。

 ポンッ

 私の頭を優しく撫でる。

「お前は独りじゃないから」

 …………。

 もう我慢出来なかった……。

「行かないで……」

「ん?」

「行かないでよ!!」

 溢れた想いは止まらなくて……。

「妹でも何でもいいから、行っちゃ嫌!私を……置いて行かないで……」

 勝平は言ったよね。『大切なものが突然消えちゃう辛さ、お前も分かんだろ』って。分かるよ!痛いほど分かる。私が死んで消えちゃうのが辛いって勝平が思うのと同じ様に、私だって勝平が未来に帰っちゃうのが辛いのよ!“好き”だから……。

「勝平が来てから、毎日が楽しくて、温かくて……。でも、帰ったらまた冷たい日々に戻っちゃう……。そんなの嫌!!」

 今、私の顔は涙でヒドイ事になっていると思う。けど、そんなのは気にしなかった。今は、ただ、自分の想いを伝える事しか出来なくて……。勝平にとっては迷惑だと分かっているけど、止められなくて……。

 ぐいっ

「……!!」

 あまりにも突然の事で勝平が私を抱きしめているのを理解するのに時間が掛った。

「大丈夫。俺、帰らないから」

 ぎゅっ

 勝平の浴衣を強く逃がすまいと握りしめた。



 今、私達は森の中で2人きりで、何をするでもなくただ時が過ぎるのを待っている。

「しっかし、裸足で外に出るもんじゃねーな;」

 『靴を履く』って事を考える余裕もなく家を飛び出して来たから……。

 私達の足は真っ黒で……私はちょっと怪我してる。それに気付いた勝平は自分の着ている浴衣を破り、包帯代りにしてくれて……。きっと、勝平は“兄”としての気持ちでやっているんだろうけど、私はそれでも嬉しかった。

「そう言えば、俺、お前に言いたい事があったんだった」

「何?」

「お前さ、俺の事、いっつも『あんた』呼ばわりで、名前で呼んでくれないだろ?実は、俺の名前忘れてんじゃないか?って思ってたんだけど、ちゃんと憶えてんなら名前で呼べよ。ほら、香澄の……お母さんが来た時……『勝平の事、悪く言わないで』って……」

 勝平は頬をぽりぽり掻きながら、少し恥ずかしそうに言う。

「その……ずっと『ありがとう』って言わなきゃって、思ってて……。あの時、庇ってくれて嬉しかった……ありがとう」

 うっ……なんか……恥ずかしいかも……。

「それで、ちゃんと名前で呼んでほしい」

 あの時は怒りに任せてて……。面と向かうと恥ずかしい……。

「しょ……勝平……」

 声が出なくて、ボソッとしか言えなかった。

「あ?聞こえないよ~」

 なっ!うぅ……

「もう!あんたは『あんた』で十分でしょ!」

 恥ずかしさのあまり、また『あんた』呼ばわりしてしまった。

「んー……。じゃあ、『お兄ちゃん』でもいいから」

 はあ?!

「だからって、別に妹萌でもないからな。そこんとこ変な解釈すんなよ」

 ……何言ってるのか、意味分かんない。

 ドーン

「何!?」

「花火だな」

 あ……。始まっちゃった……。お祭り、行きそびれちゃった……。

「あ、あっち。一応、ここからでも見えるんだな」

 でも、木が邪魔で全体は見えない。……まあ、全く見えないよりかはいいか。

 横を見ると、勝平はキョロキョロしていて……何か見つけたのか、私の腕を掴み歩き出す。

「あっち。お前、木登り出来るか?」

「はあ?!で、出来ないわよ!」

 一本の木の前で止まり、勝平はしゃがむ。

「ほら。肩車してやるから、そっから木に登れ」

 ななな何言ってんの?!!!

「早くしないと花火終わっちゃうだろ!」

 勝平が言うには木に登れば、ちゃんと見えるって……。

 私は渋々、勝平の肩に乗る。うぅ……恥ずかしい……。

「そこの枝に掴まって……そっから登れるだろ?」

 私は枝にしがみ付いて必死に登る……。

「む、無理ー!!」

 筋肉がないせいか、しがみ付くのがやっとで上に登れない。すると、

「ひぇ!?ちょ、ど、どどどどこ触って!!」

 勝平が私のお尻を押す。

「うるせぇな、早く上がれよ!!」

「んんんー!!!」

 なんとか上に乗れた。

「うわぁー♪」

 ドーン

 ちゃんと花火全体が見えた。

「よっと」

 勝平は猫みたいに身軽に登る。なんか、初めて会った時を思い出すなぁ。あの時も『猫みたい』って思ったんだよねw

 ドーン

 勝平とお祭りは行けなかったけど……2人で花火見れたから、いいかな。

 無意識に私は勝平の手を握っていた。勝平は別に嫌がる素振りを見せなかったから、そのままずっと握りしめた。

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