Ⅸ.2004/08/06

 なんだかよく分からないけど、温泉に行く事になった。

「直美さん、車の免許持っていたんですね」

「はい。これでも、お嬢様の送り迎いもしていたんですよ。まあ、本当に小さい頃の話ですが」

「『小さい頃』って……直美さん、今、歳いくつなんですか?」

「ふふ。女性に歳を訊くなんて、なかなかの度胸ですねwそうですね……いくつに見えます?」

「んー……26歳くらい?」

「ふふ。そうね、まあそれくらいかしらねw」

 なんて、一昨日の事がまるで無かったかの様に、旅館へ向かう車の中は他愛もない話で盛り上がっていた。それもそのはず。昨日、あの後、直が……。


 『明日は笑顔でいる事を約束して下さい。昨日の事は、明日だけはどこかに置いて行って下さい。分かりましたね?』


 なんて、先生みたいな事を言って……。あの時はただ呆然と立ち尽くしていたけど、今思えば……結構面白い事言っていたかも。

「直は、今年でさんじゅ……」

「きゃあーーー!!おじょーおさまあーーー!!!」

「う、うわぁ直美さん!!ハンドル!!ハンドル持って!!!」

「前見てよー!!!」

「お嬢様!それは言わない約束ですよー!!」

「わ、分かったから!前、見て!!前ぇ!!!」

 盛り上がると思ったから直の年齢バラそうとしたけど、とんだ計算違いだった……。

「そ、そっか……直美さん、30代なんだ……」

「こ、こら!憶えなくていいですからね。お嬢様も少年の夢を壊す様な事を言わないで下さい!」



「よいしょっと。ふう」

 旅館に着いた私達は、とりあえず休もうとした。が、

「あ!休んでいる暇はないですよ。これから川に行くんですから」

「ええ?!少し休もうよ~」

「ゆっくり休むのは夜にして下さいね。早く行かないと陽が傾いてしまいますよ」

 直は30代とは思えない様な元気さで、私と勝平を旅館から連れ出した。



 バシャバシャッ

「きゃあ!冷たーい!」

 我ながら子供っぽい事をしていると思う。

 川に着いた私達はバーベキューの準備をして、その後は川に足を浸けたりして遊んでいる。直は食材の下拵えをしているけど。

「お嬢様……お茶目なところが可愛らしいです~」

「き、危険な芳りが……」

「2人も来なよ~!気持ちいいよ~♪」

 直は笑顔で、勝平は最初『しょうがねぇーな』って顔していたけど、笑顔で川に入った。

「うわっ!冷たっ!」

「でしょ?気温高いし、日差しも強いから温いかとおもったけど、意外と冷たいよね」

「あぁ。お嬢様、気を付けて下さい。そちらは藻がすごいですよ」

「え?ああ、大丈夫、大丈夫~♪」

 3人でこうやって騒ぐのが楽しくて、足元の注意が疎かになってしまった。

 ツルッ

「きゃ!」

「お嬢様!」「香澄!」

 ガシッ

 直は右手、勝平は左手をそれぞれ掴んでくれたお陰でなんとか転ばずに済んだ。

「ふぅ、危なかった……。ありがとあぁ!!」

 バシャンッ

 助かったと思ったのも束の間、2人も順に足を滑らせ、結局3人共川の中へ……。

「もう……ビショビショ……」

「お嬢様、お怪我はありませんか?」

「うん。大丈夫」

「浜中様は?」

「俺もなんとか……。それより……ぷっ」

 なっ!?

「あははは」

 勝平は私の事を指して大笑い……サイテー!

「髪が滅茶苦茶うねってるー!あはは」

「ゔ……人の事馬鹿にして……仕方ないでしょ!!癖っ毛なんだから!!」

 とりあえず手櫛で真直ぐにしてみる。ちょっとはマシになったかな?

「2人共、いくら夏だからと言ってもずっと浸かっていては風邪を引きますよ」

 うっわぁ……本当にビショ濡れ……中まで濡れてる……。夏で良かった。まあ、冬に川遊びなんかしないけど。



 陽はすっかり落ちて、旅館に戻ってきた私達は、濡れて冷えた身体を温める為に、さっそく温泉に入った。

「そう言えば……一緒にお風呂に入るのって、いつ以来だっけ?」

「えーっと……もう、6・7年くらい前になりますかね」

「そっか……ママがいた時だもんね……」

「あ、あの。お嬢様?」

「ん?何?」

「お嬢様の髪、私に洗わせて頂けませんか?」

「?……うん。いいよ」

「はい!」

 こうやって洗ってもらうのも久しぶり。よくママも洗ってくれて……。すごく気持ち良くて、眠っちゃった事もあったな……。それで、お湯で流す時に、ビックリして起きたりして……懐かしいなぁ。


 ママ、もうすぐ香澄もそちらに行きます。


 きっと、ママは怒るだろうな……。でも、それはそれで幸せかな……。

 バシャー

「髪はよしっと。お嬢様、お身体は……」

「身体は自分で洗うよ。ウエストとか触られたら、くすぐったいから」

「そ、そうですよね……はあ……」

「ん?」

 直……。

「ねえ、直の髪、私が洗ってもいい?」

「……え?!おおおお嬢様が、わわわ私の髪をですか?!!」

「なによ。その反応。嫌なら別にいいけど……」

「そそそそそそんな事、滅相もございません!お嬢様に洗って頂けるなんて、身に余る光栄です!!今、死んでも悔いが残らない程にです!!」

「……直は死んじゃ駄目だよ」

 私は誰にも聞こえないくらい小さい声で言った。

「お嬢様?何か仰いましたか?」

「ううん。なんでもない。それより、直の髪はストレートで綺麗だね。羨ましい」

「そんな……お嬢様の方が綺麗ですよ♪」

「ありがとう」



 ザパー

「ふぅー。さすがに疲れましたねぇ」

「本当に、自分の歳考えなよ。もう、さんじゅう……」

「わあぁぁぁー!!もう、声に出さないで下さい!私、これでも気にしているんですよ!」

「ふふ。知ってるw」

「もう!意地悪しないで下さい!」

 こうやって騒ぐのも最後。

 直。私、本当に直の事大好きなんだよ。小さい頃からずっとお世話してくれて感謝してる。言葉にして伝えたいけど……そんな事したら、勘付いちゃうと思うから……だから、言葉に出来ないし、伝えられないけど……。

「お嬢様……」

「ん?何?」

「お嬢様は独りじゃないですから」

 ビクンッ

「奥様が生きていらした頃に比べたら一緒に居られる時間は減ってしまいましたが……心は……心はずっとお傍に居たつもりです。ですが……寂しい思いをさせてしまったのも事実です……。私はお嬢様を愛しています!だから……その……」

「ありがとう……」

 私が呟く様に言うと、直は少し寂しそうに、

「……それだけは忘れないで下さい。私はお嬢様を愛しています……」

「ありがとう……」

 何度も、何度も、『ありがとう』と言った。

 きっと、直はもう気付いちゃったのかもね……。でも、もう戻れない。もう決めたの。

 直はもういい歳なんだから、私の事は忘れて自分の幸せを優先してほしいの。結婚して、子供を産んで……。普通に温かい家庭を築いて……。ね?

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