第34話 明暗13 (明暗80~86 西田東京聴取編2)

 それは佐田徹の書いたものとは違い、鉛筆で、しかも漢字もおぼつかず稚拙な字で書かれたものだったが、文体そのものはそれほど稚拙というわけでもなかった。尋常小学校しか出ていないはずだが、そういう印象は与えなかった。


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 正治へ

 直接話もしたが、細かいことは忘れてしまうだろうから、手紙にして残しておく。


 知っての通り、オレは昭和十六年頃、生田原で仙崎というじいさんの元で砂金をほる人夫をしていた。そのじいさんが死んで、オレと、くわ野きんや、伊坂太助、そして名前がわからないが、仙崎のじいさんと同じ頃に死んだ、免出という奴の、恋人に産ませたという息子の四人で、そのじいさんのかくした砂金を分けることになった。証人は佐田とおるという、生田原の北ノ王金こう山で働いていた奴だ。ただ、ある事じょうによって、オレたちは急いで生田原を去る必ようができたので、砂金は分けられないままで置いてきてしまった。それに砂金のある場所も佐田しか知らない。


 オレたちは、それぞれの暮らしが落ちついてから、砂金を分けようという話の上で別れたのだが、俺は落ちつく前に赤紙が来たので、万が一にそなえてお前にこの話をしておいた。もしオレが死ぬようなことがあったら、お前がその砂金を受け取ることにしてくれ。


 佐田がもし生田原の北ノ王こう山から居なくなっていたら、「小たる」に佐田の実家と実家がやっている「佐田水産」という会社があるので、そこに行けば佐田とおるがどこに居るかはわかるということを聞いているから、そっちに行ってみてくれ。


 どちらにしても、渡したしょう文を持っていくのを忘れるな。それから佐田は信用できるので、金があれば、ちゃんと出て来た金を四人に同じ分だけ分けてくれるはずだ。もちろん、おれが戻る前に勝手なことはしないように。生きて帰ってこれたら、どちらにせよお前と俺で金を分けて、何か始めよう。


 後、もしオレのかわりにお前が金を受け取ることになって、その上で、くわ野に会うことがあれば、先を見通すことが出来るので色々聞いてみることだ。くわ野は、いっしょに働いていた時、戦争がひどくなって、俺達のような者でも戦地にかり出されるようになると言っていて、その通りになってしまった。そういうわけで、たよりにもなるし、頭も良い男だから、きっとお前にとっても助けになるようなことを言ってくれるにちがいない。もし会えなくても、佐田にどこに居るか聞けばわかるかもしれないから、聞いておくように。


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 ほぼ佐田徹の書いた手紙と内容は同じだったが、免出の遺児が男児だったという新たな情報が入った。そして徹同様、桑野欣也という人物が、北条正人からもかなり信用されていたのだと言うこともわかった。当時の世界情勢についてもある程度わかっていた節が窺えた。


 そして重要なことがもう一つ判明した。手紙の端々に、汚れた手で触ったためと思われる手の指の痕跡がかなり残っていたことだ。すかさず西田は正治に、

「お兄さんの大切な遺品ということなんですが、この証文に押してある血判の指紋と、この手紙の正人さんの指紋が一致しているか確かめたいんです。この手紙についている指の痕は、お兄さんのものだと思いますか?」

と聞いてみた。

「もしかしたら俺のも混じってるかもしれないが、渡された時点で汚れていたから、兄貴のものも付いているだろうよ」

「やっぱり! そうなら、正治さんの指紋を今もらって、それを除外したものとこの証文の正人さんの部分の指紋と一致するか調べたいんです。手紙を板橋署に持ちこんで調べさせてもらえますか?」

西田は相手がどう答えるか予測は出来なかったが頼んでみると、正治は案外すんなり受け入れた。

「ああ。伊坂って奴の悪行を明らかに出来るんなら、いくらでも協力させてもらうよ。最終的に手紙は返してもらえるんだろ?」

「それは勿論」

西田は力強く言った。


「わかった。じゃあ俺の指紋も採ってくれ。あと指紋を確認したら、返す時に俺が居なかったら、手紙は封筒か何かに入れて、新聞受けから放り込んどいてくれ」

正治がそう言うと、気が変わらない内に、吉村がすぐに常に携帯している指紋を採取するためのシートを出して、正治はそれに吉村の指示通りに、右手親指から一本ずつ指の腹を軽く回すように付け始めた。


 その作業を見ながら、西田は単なる世間話を正治に振ってみようとした。少々聞きづらい内容だったが、敢えてストレートに聞いてみた。

「北条さんが勤めていた秋田の水産加工会社が立ち行かなくなってからこちらに?」

北条は黙ったまま指紋をつけていたが、ポツリと一言、

「いや、それは違う」

と言った。なんとなく「聞いてくれるな」という殺気を感じたので、西田はそれ以上は触れないようにしようと思ったが、正治が不意に話を続けた。

「いやな……。秋田で所帯を持ったまでは良かったんだが、一人娘が出来た後、女房が他の男と駆け落ちして出て行ってしまってな……。俺もまた昔みたいに酒に溺れてしまったんだ……。結局娘は施設に預けることにして、俺は一念発起して、昭和30年代の半ばには、東京こっちに出て働くことになった。丁度オリンピック景気もあったからな。だから熊澤水産が潰れたってのは、後から風の便りで聞いただけだ。その頃には世話になった社長は亡くなって代替わりしていたかもしれないが、ああいう形で出て行ったのは申し訳なかったな……。東京に出て来てからは、工員や清掃員をしながらなんとか暮らしていた。娘には会わす顔もないから、金だけは送っていたが、成人するまでは会わなかったよ……。今の警備会社に落ち着いてからは、娘も結婚したんで、たまに会うようにはなったが、どっかで恨んでんだろうなあ……。まあそう思われても仕方ねえ。俺が親が早く死んで苦労したから、娘にはそういう苦労はさせなかったはずだよ、俺がまともだったらな……」

指紋を採る作業をしながらだったが、吉村は、少なくとも4月に西田が赴任して以来、ほとんど見たこともないような暗く厳しい顔になっていた。西田も聞かなければ良かったとは思ったが、今更後の祭りと言ったところだった。そんな気配を察知したか、正治は、

「いや、そんな顔しないでくれよ! まあ今では孫の顔が見れるだけ、若くして、ロクに良いこともなく死んで行った兄貴に比べりゃ幸せなんだからさあ」

とシワの深い顔で笑った。否、ひょっとしたら作り笑いだったかもしれないが……。ただ、そうだとしても、その言葉は刑事2人にとってはせめてもの救いになったのは間違いない。


 指紋を採取し終え、手紙を預かると、丁度北条の勤務先へと出かける時間となったので、北条と共にアパートを出て、東武東上線大山駅まで一緒に歩いた。アパートの近くでタクシーを拾って板橋署へ向かっても良かったのだが、何故かそうしたかった。


 佐田との道中の世間話では、バブル景気の時の東京は、警備員をしていた北条にとってもかなり影響したようで、当時警備員として派遣されていた証券会社では、ボーナス時期になると親しい証券マンから、中元や歳暮として数万程度包まれることもあり、総額で1週間に40万近くの臨時収入を得たこともあったらしい。西田達には想像も付かない世界だが、そんな状況はさすがに長続きはしなかったとも語った。そして、しばらくぶりに北海道の人間と話したことで、つらい思い出が多い故郷だが、もう一度死ぬ前に訪ねてみたいと少し思うようになったとも語った。


 大山駅前で、電車で勤務先に向かう北条とは分かれることになったが、借りた手紙は出来るだけ早い段階で返すと約束し、西田と吉村それぞれが正治と固く握手すると、正治は手を振って2人の前から駅舎の中へと姿を消した。その後ろ姿が見えなくなるまで刑事2人はしばらく立ち尽くしたまま見送った。


 大山駅から板橋署まで徒歩で向かいながら、両名は北条正治の境遇を思い、暗澹あんたんたる気持ちになっていた。もし正治の言う通りに、砂金が伊坂と桑野に完全に持ち去られていたとすれば、その後の伊坂大吉の人生と北条正治のツキのない人生は、その伊坂と桑野の裏切りによってもたらされたと言っても過言ではなかったからだ。そして同様に、大吉の息子である政光と正治が同じ東京の陽の下で、一時は対照的な暮らしをしていたのも皮肉だった。


「それにしても、桑野って奴は、ことごとく人の信頼を裏切る糞野郎ですね……」

信号待ちをしながら吉村は小さく毒づいた。

「伊坂と桑野で砂金を全部持ち去ったとすれば、まさにそういうことになるな」

西田もゆっくりと過ぎ行く雑多な街並みを見ながら、正治の人生を思うと心にざわめきを感じていた。

「しかし、どうしてそんなに佐田徹と北条は桑野を信頼しきっていたんでしょうか。学があったとしてもちょっとわからない。全くその後の行動と整合性がとれないですよ」

憤懣ふんまんやる方ない吉村の愚痴は、歩いている間ひっきりなしに続いたが、それほど長い時間も掛からず署に到着。地域課の千賀を呼び出して事情を説明した。すると鑑識係の元へ2人は案内された。


 鑑識の田原という職員を千賀に紹介され、証文と正人が書いた手紙を見せると、

「確かに手紙の方にも指紋があるけど、それが重なってたりするから、結構難しいことは難しい。ただ、なんとかなるとは思うよ」

と言われた。

「こっちの北条正人の血判の指紋は、右手の親指のものらしいです」

吉村が佐田徹の手紙から得ていた情報を補足した。

「なるほど。そうなると、持った時の位置関係と指の向きで、ある程度左右のどちらの指かはわかるから、多少絞りやすくはなるかな。他の仕事の兼ね合いもあるけど、明日の午後までにはなんとか出来ると思うよ」

田原はその情報を歓迎した。


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「思ったより(時間が)掛からなそうで良かったです」

板橋署から、東上線の大山駅ではなく埼京線の板橋駅まで向かう途中、少しは機嫌の直った吉村が満足そうに言った。多少時間は掛かったが、板橋駅まで着くと、そのまま新宿駅まで戻った。列車から降り、ホームで時計を確認すると午後5時になろうかとしていた。

「どうだ、これからちょっと飲むか?」

西田は吉村を飲みに誘った。何となく飲みたい気分だった。

「丁度俺もそういう気分でした。飲みましょう」

吉村はいつものように喜ぶわけでもなく、発言の字面よりも冷めた同意を示した。吉村はその理由は何も言わなかったが、そういう気分になったのは、西田同様、北条正治の不遇に理不尽さを感じたからだったに違いない。


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 新宿ということで、文壇バーやらで有名な、歌舞伎町1丁目の新宿ゴールデン街に繰り出すことにしてみたが、想像以上にゴミゴミしていて、「選択ミス」も頭をよぎった。ただ、思い切って入った外装がうす汚い「シャルマン」というバーは、マスターと思しき渋い中年のバーテンダーがカウンターに1人だけのこじんまりとした佇まいであった。外観からのイメージとは違い、程よく落ち着いた空間だった。


 2人はカウンターに陣取るとウイスキーの水割りを頼んだ。飲みながら、支障のない程度に捜査の話や北条と伊坂の人生についてなど語り合っていると、バーテンが話し掛けてきた。

「お客さん、さっきから話聞いてると、遠軽って地名が出て来てるけど北海道の方?」

「わかる? まあそうなんだけどさ」

西田がそう答えると、

「懐かしいなあ。僕はガキの時分に、紋別の鴻之舞に住んでいてね。知ってるでしょ鴻之舞? 金鉱のあったところ」

と言った。

「鴻之舞は勿論知ってるよ。ってことはマスターのオヤジさんの仕事が金鉱関係で?」

「いや、父親は教師でね。鴻之舞にあった中学に勤務してたんですよ。昭和39年の東京五輪から42年ぐらいまで住んでて。教師だから、道内各地を子供の頃から回ったけど、鴻之舞はその中でも印象に残ってますよ、あの頃は活気があったなあ。遠軽にも結構行ってましたよ、丸瀬布から抜けて行って……。あれ以来あの周辺あたりには全く行ってないけど、今は廃鉱になって、荒れ果ててるみたいですね」

西田と会話していると、、マスターは同郷の人間に会えたということもあったか、店に入った時に感じた渋さより人懐っこい笑顔になっていた。


「この夏にちょっと寄ることがあって行ってきたけど、確かに荒れてはいたけど、街の面影みたいのはまだ残ってたけどね。全盛期は凄かったんでしょ?」

「まさに僕が住んでいた頃が、鴻之舞の全盛期のちょっと後ぐらいだったかと思うけど、最盛期で1万近い住民が居たって話ですよ。映画館なんかもあって栄えてた。あそこが丸ごと荒れ地になったっていうんだから、信じられない気持ちで一杯」

西田の話にそう答えると、思い出したようにバーテンはシェイカーを振って、別の客に頼まれていたカクテルを提供した。


「お客さんは何やってる人? 横から盗み聞きして悪かったけど、何か警察関係っぽいけど?」

バーテンは他の客の注文も終わり、暇になったか再び2人に話しかけてきた。

「あら、バレちゃいましたね」

軽く酔いが回った吉村が照れ隠しで言うと、

「刑事失格だな」

と西田も頭を掻いた。

「ここは結構「訳有り」の人が多いからね。刑事みたいな人は滅多に来ないけど、ジャーナリストとか多いから、一般のニュースじゃ知り得ないようなかなりディープな話とか自然と耳に入ってきますよ。さっきの話ぐらいじゃ気にしても仕方ないレベル」

マスターはタバコを吸いながら手を顔の前で振ってみせた。


「文壇バーみたいのが多くて、作家とか映画監督とか来るとは聞いてたけど、マスコミ関係とかも多いんだ?」

「ああ、多いねえ。学生運動とかの時代からこの街に馴染みがあって、そのまま来てる感じだね。ただ、ウチについてはその手の人はそんなには来ないかな。常連がほぼそっち系のバーなんかもありますよ」

吉村の質問にそう答えると、ボトルから2人のグラスにウイスキーを注ぎ、

「これ僕からのおごり」

と一言言った。西田と吉村は軽く頭を下げ、グラスをバーテンに向けて乾杯の仕草をしてみせた。バーテンはそれを見届けると再び口を開いた。

「ウチに来る数少ないその手の人って言ったら、高垣真一たかがきしんいちって人がいるんだけど、聞いたことあります?」

「高垣真一……? 知らないなあ。聞いたことがあるような気はするけど」

西田と吉村は顔を見合わせたが、お互い名前はどこかで聞いたことがあるような、ないようなレベルだった。

「そうか。結構有名な人だよ業界じゃ。最近出した本だと、『永田町VS霞ヶ関 情報操作』ってのがあるんだけど、聞いたことないかなあ」

「ああ、それなら聞いたことあるわ! 結構ベストセラーか何かになった奴でしょ?」

西田は著作を言われてやっと気が付いた。

「でしょ? 討論番組なんかにもよく出てるからね。最近も北海道に取材に行っていて、僕が道産子だって知ってるから、『何か欲しいものはないか?』って言われたんで、『きびだんご(作者・注 北海道の日常的なお菓子。きびだんごと言っても餅と飴の中間のような食感)』買ってきてもらいましたよ。それこそ遠軽にも近い、北見や網走の方に取材に行ってたらしい。何でも、議員の大島海路の地元で内紛があったとかなんとか。それの取材だったみたいですね」

「へえ、大島海路についてねえ……。内紛ってのは具体的には?」

西田は必要以上には態度に出さなかったが、地味に関心を示した。


「ほら、昨今公共事業とかが問題になって、更にバブルが崩壊して予算が減ってるのもあって、自分の地盤にある土建業者の中でも縄張り争いでいざこざあったみたい。昔だったらそんな『食い合い』なんてあり得なかったようだけど、そういう『地殻変動』が起きてるんで、取材に行ったって話ですよ」

「ほう、そんなことが……」

そう言った後、グラスの中の氷を口に含むと、西田はそれをバリバリとゆっくり噛み砕いた。

「ところで、マスターはここ長いの? 北海道からこっち来たんでしょ?」 

間を置かずに吉村がバーテンの身の上に話題を変えた。

「そう。函館の高校を出て、こっちの大学に入った後、演劇に目覚めちゃいまして……。いや、それがケチのつけ始めだったとも言えるか……」

そう言うと、一度後ろの棚の方に背を向けてカウンターにあったボトルを戻す動作をしたが、すぐに西田達の方へ向き直した。

「結局のところ、大学も中退するほどのめり込んだ挙句、大成しないまま20数年でこうなっちゃったってところかな……。大学時代から飲みに通っていたこのゴールデン街で、中退の後、演劇を本格的にやりながら、生活のためのバイトでバーテンやってたこの店の雇われ店長に、結局は居座っちゃったって話ですわ。だからマスターって呼ばれるのも気恥ずかしいね、所詮雇われだし」

マスターは話を続けると、いつの間にか自分もグラス片手に水割りを飲んでいた。


「そうか。マスターも元はこの街の常連客だったんだ。やっぱり居心地いいの?」

「うーん、どうだろうなあ……。まあ悪かったらこの街で生きてないよね? ただ、その居心地の良さがズルズル行っちゃう麻薬みたいなものだったかもしれないね。自堕落なだけと言われると返す言葉もない」

マスターは、カランカランと氷をグラスの中で揺らしながら視線を足元へと落とした。彼の思いを察しながら西田もしばらく黙っていたが、急に吉村が声を上げた。

「あ、今日の報告しないと係長!」

西田は未だに課長に捜査報告をしていなかったことを指摘され、急いで携帯から電話した。沢井には酒が入っていることはバレなかったが、電話が遅れたことについては少々小言を食らった。


 当日やるべきことはそれで全て完了したので、安心したのか、それから日付が変わって空が白み始めるまで西田と吉村は飲み明かし、斉藤と言う名の、同郷のマスターとも北海道の今昔の話で盛り上がった。翌日、いや既に当日の仕事のこともあり、いつかの再会を約束しつつも別れを告げると、この時間でもまだ喧騒の残る道程をホテルに戻った。


※※※※※※※


 翌10月7日、ホテルで西田は酔っ払ったまま寝ていたが、携帯電話のコールで叩き起こされた。ドアに「Don't Disturb」の札を掛けたまま寝ていたので、昼過ぎまで気付かず寝ていたのだ。おそらく吉村もまだ寝ているか起きたばかりなのだろう、もし起きていれば、朝食を一緒に摂るために起こしに来たはずだ。


「もしもし……」

寝ぼけ眼のまま出ると、板橋署・鑑識係の田原からだった。時計を確認すると11時過ぎ。ほぼ昼であった。

「昨日はどうも。結果が出たよ。両方とも指を押し付けてるんで、多少変形があるが、まず間違いなく同一人物の指紋と見て間違いないと思う」

「そうですか! いやあ助かりました。じゃあそうですねえ……、2時ぐらいにそちらに資料を引き取りに行きたいと思うんですが、構わないですか?」

西田は結果を聞いて目がシャッキっと覚めたか、歯切れよく聞いてみた。

「ああ、夕方までに来てくれれば、こっちはいつでも問題ないよ。待ってるから、じゃあ後で」

田原は一方的にそう言うと電話が切れた。西田は取り敢えずシャワーを浴び、シャツを着替えると吉村の部屋に内線を掛けた。やはり吉村はかなり眠たそうな声で電話に出た。

「おぉはようございます……ふわぁぁ」

しっかりアクビ付きだったが、西田も人のことは言えなかったので文句も言わず、

「おまえも朝飯まだなんだろ? 食べに行くぞ!」

と伝えた。そして吉村の準備が出来るまで、西田は昨夜書けなかった捜査メモを、記憶を手繰り寄せながら書き込み終えた頃、吉村がインターホンを押して呼びに来た。


 多くの人が休日である土曜日であったせいか、昼飯前とは言えかなり街は賑わっていた。微妙な時間帯ではあったが、昼までは後30分弱あったので、まだ飲食店が混むまではいかないと踏み、西田は板橋署の面々と北条へのお礼を購入することを先にした。返す返すも本来ならば北海道の土産でも先に持っていけば良かったのだが、ここまで世話になるとは当初考えていなかったので、それは今更どうしようもなかった。出掛けのビジネスホテルのフロントで、

「東京の人間でも嬉しい東京土産なら何がいいかな? 特に中年以上の男性」

と尋ねると、

「舟和の芋ようかんでもどうですか?」

と言われていたので、それにしようと新宿のデパートの食品売場に寄って購入した。


「折角だから、遠軽への土産もこれにしましょうか?」

と吉村が言ったので、

「ああ、良いアイデアだな」

と西田はそれを受け入れた。


 正午直前に飲食店に入り、時間があったので、昼食をゆっくり食べて、デザートまで頼んだ。そしてしっかり消化が済むまでそのまま居座り、時間を見計らって西田と吉村は板橋署へ手土産を手に向かった。署に着くと、田原と千賀にそれぞれ芋ようかんを渡し、田原から指紋についての説明を受けた。


「……というわけで、ほぼ一致は確実だね。しかし、照合元のこれ、結構古いもんだねえ。一体何調べてるの? 砂金の分け前についての契約書みたいなモノのようだけど」

「戦前の、仙崎と言う男の遺産分与に関する証文です。それが今追ってる殺人事件の原因になっていると考えてるんで。それで、それに登場する人物について調べている1つの事例が、今回やってもらった照合でもあるんですよ」

「へえ。細かいことはようわからんけど、すごいねそりゃ! 昭和16年と書いてあったがそれも本当だったか。紙の質から見て古いことは確かだったけど」

田原は机の上の証文を手に取り、改めてじっくりと見直していた。

「これって拇印は血判なんだろ? それぐらい重い証文ってことか?」

「そういう意味合いがなかったとは言いませんが、急遽作成する必要があったようで、朱肉の代用という意味合いの方が大きかったんじゃないか、自分はそう考えてますよ」

西田の回答をなかなか理解できなかったか、

「こんな大層なもんを急遽?」

と問い直してきた。

「それに関わった人間が殺人事件を起こしてまして、そこからいち早く逃亡する必要があったようです」

「ふーん……。それを聞いても事件の全体像は全くわからんが、表現が悪いが、歴史を超えたロマンを感じる捜査だな……」

田原は西田と吉村の顔を見比べるようにしながら、大袈裟な表現をしてみせた。


 その後課長に一言連絡した上で、北条正人・正治兄弟の手紙をコピーして、それを遠軽にファックスさせたもらった。それほど内容に意味があるとは思わなかったが、資料として取っておくのが無難な選択だからだ。


 それから2人は、証文と北条の手紙を持って板橋署を出ると、そのまま北条のアパートへ向かった。土曜日ということで、仕事が無いかもしれないが、仮にあったとしても、時間的にも北条は在宅し起床している頃だ。ブザーを押すと、北条がドアを開けて顔を出した。

「おお、今日は何の用だ?」

聞かれたことに答える前に、

「今日は仕事休みで?」

と西田が問うと、

「いや、土曜日は基本的に仕事だ。これから行くところだよ」

と返してきた。

「そうですか。じゃあタイミングが良かった。お借りしていた手紙返しに来たんです。あとこれお礼です」

吉村がそう言いながら、手紙と正治にもデパートで買った芋ようかんを渡した。

「こいつは悪いね。それはそうと、もうこの手紙の用は足りたのか? まあ早く戻ってくる分には悪いことじゃないが……。とにかく芋ようかんは好きだからありがとよ」

「それなら良かった。こちらは一通りこっちの用事は済みましたから、明日遠軽に戻りますんで。色々世話になりました」

西田の言葉に、

「そうか。戻るか……。あっちはもう寒いだろうから風邪引かないようにな」

と、ちょっと寂しそうな顔を見せたが、いつまでも別れを惜しんでいるわけにもいかない。

「それじゃ、忙しいようだし、邪魔にならないうちに……。お元気で」

「2人もな」

西田と正治は短い挨拶を交わすと、後ろ髪を引かれる思いはあったが、2名の刑事は古びたアパートを後にした。正治の残りの人生に幸多からんと思いながら……。


※※※※※※※


 新宿に戻ると、さっき行ったデパートで、再び遠軽への土産として芋ようかんを再購入し、そのままホテルに戻った。そこで西田は明日遠軽に帰ることを課長に伝えるため、ホテルの部屋から刑事課に電話した。電話には大場が出た。随分せわしない出方だった。

「もしもし、大場か? 課長に替わってくれ」

普段のトーンで大場に話し掛けた。

「いやいや係長! それどころじゃないですよ!」

「それどころじゃない? 意味がわからない、説明しろよ」

西田は大場に冷静になるように求めた。


「今課長は道警本部ほんしゃからの電話対応で忙しいから出れません。というのも、信じられないニュースが本社から入ってきまして……。佐田実の殺害犯が判ったかもしれません」

「佐田殺害の犯人がわかった!? 一体全体どういうことだよ!」

部屋に一緒に居た吉村もその言葉に反応して驚いた顔をしていた。

「驚かないでくださいよ! 犯人の可能性があるのはあの本橋ですよ本橋!」

西田は大場の言っている意味が掴めないでいた。本橋と言うのが誰を指しているのか理解出来なかったからだ。

「だから誰なんだよ、その本橋ってのは?」

しつこく聞く西田に、多少苛ついたか大場は、

「『殺し屋』本橋ですよ! あの殺し屋と呼ばれて全国を騒がした!」

と、がなるように返した。その時点で、西田は単に佐田の犯人がわかったかもしれないという意味以上に驚いた。先月最高裁の棄却で死刑が確定し、再びニュースで騒ぎになった「本橋 幸夫」が犯人だと言うのだ。黙ったまま目を瞑ると、事態を飲もこもうと懸命になった。


「係長、聞いてますか?」

西田の沈黙に心配になったか、大場が確認してきた。横の吉村も不安げに西田を見つめていた。

「ああ、聞いてる……。しかしなんで本橋が関与したって話になってんだ?」

「それがですね……、え? あ、はい。わかりました」

答えようとした中、電話の向こうで課長の声が聞こえた。おそらく大場に何か指示したのだろう。

「何だ? 課長が何か言ってんのか?」

「ええ、道警本部とまだ電話してるんですが、係長から電話が掛かってきたのに気付いて、『後でこっちから電話すると伝えておけ』と言われました。えーっとそれはともかくですね、詳細は自分も知らんのですが、どうも収監されてる大阪拘置所で本橋が自白げろったらしいんですよ、一連の裁判沙汰になった事件と更に佐田の事件に関与したと」

「自白? 今になってか?」

「そうです。それで大阪府警から道警本部に今朝確認の連絡が来たようで。それでどうもウチが追ってる佐田の殺害事件じゃないかと言うことになったみたいです。連絡が来たのが2時間前ぐらいなんで、こっちもテンヤワンヤの騒ぎですよ! 白滝(当時・白滝村。合併により現・遠軽町)でちょっと火事があって、主任と黒須さんが検証で出かけていたところにこれですから、満島さんと北村さんが北見(方面本部)から応援に来てくれてなかったら、とんでもないことになってましたよ……」

「そうか……。なんとなくだが大体の事情はわかった。そんな様子じゃ、これ以上電話で話してるのも大変だな。よし! 課長から電話が来るまでホテルで待機してるわ。一旦切るぞ!」

「わかりました。課長にそう伝えておきます。それじゃ!」

ガチャンと、上司の電話に対する切り方とは思えない音がしたが、いちいちそんなことを気にしている事態ではないことは確かだ。西田も様子を見ていた吉村に電話の内容を伝えた。


「えええ! マジですか? あの本橋が佐田の事件に……」

吉村もそう驚いて見せた後、しばらく絶句したままだった。多少オーバーアクションするタイプの人間ではあるが、この反応は自然体のものだろう。まさか、あの日本全国を震撼させた事件の犯人が、佐田の殺害に関与していた可能性があると言うだけで、捜査関係者としても驚愕の話である。課長からの電話が何時になるかわからないため、夕食に出かけられる時間を予測することも出来ないことから、吉村にコンビニにサンドイッチを買いに行かせたが、その間も西田は落ち着きを完全には取り戻せないでいた。


※※※※※※※


 午後7時手前、西田の携帯に課長から電話が掛かってきた。西田はもっと遅くなることを予想していたが、思ったより早かった。

「俺だ! ちょっと遅れてすまんかった。色々応対に時間が掛かってな……。大体は大場から聞いていると思うが、例の『殺し屋』が、おそらく佐田と思われる殺人を、5日前に大阪拘置所の職員に自白したそうだ。そして事件を担当していた大阪府警の刑事が確認、道警に照会してきて、最終的にウチに辿り着いたってことだ」

「それは、信用できる自白なんですよね?」

西田は最も気になっていることをまず聞いた。

「本橋は10月2日に突然、否認していた今までの事件は自分がやったと自供したらしい。しかもそれに加えて、佐田という名前は一切出してないんだが、8年前の秋に、北見周辺の山の中で、年配の男を、一連の事件で使った拳銃を用いて殺したということを言っているらしいんだ。その時に2人の協力者を、殺害の依頼者に紹介されており、被害者、つまり佐田とみられる男と本橋自身もそいつらに殺害現場に連れて行かれたとも発言してるって話。これは明らかに今ウチが追ってる事件だろ? 数年前から大阪で捕まってる本橋なら、まずニュースじゃ知り得ない内容だぞ !」

課長の言っている2人とは、当然喜多川と篠田のことだろうと西田は察知した。

「その2人が誰かということは、本橋は言ってないんですか? おそらく喜多川と篠田じゃないかと思うんですが?」

「いや、それについてはさっきも言ったように、殺害相手、殺害依頼人同様はっきりしてないようだな。あくまで2人の男が協力したとしか言ってない。ただ、その可能性は高いと俺も思ってる」

「そうですか、まだそこははっきりしないんですか……」

多少がっかりしたが、事件そのものが急転していることは疑いようがなかった。


「そこでだ。当然だが、大阪拘置所で直接本橋に我々が聴取する必要がある。西田と吉村はそのまま遠軽に戻らず、大阪へ行ってくれ! こっちからも竹下を応援要員として派遣する。本来なら俺も行くべきレベルだが、さすがに係長と課長共に居なくなるってのはマズイから、俺は無理だ。後、北見(方面本部)からも急遽、倉野課長と鑑識の柴田も行くことになった。札幌(の道警本部)からも、捜査共助課(作者注・都道府県をまたがる犯罪などの場合に、各都道府県警の橋渡し役となる職務)の課長の田丸ってのが派遣されるらしい。そっちは単独で千歳から大阪に向かうようだ。そいつの合流についての詳細は俺は聞かされてない。倉田課長とは勝手に話がついてるだろうがな。柴田は佐田の遺骨に付着していた銃弾に使われていた成分と、本橋が一連の犯行に使用した拳銃の銃弾の成分の分析が必要だから呼ばれたようだ。4名とお前たちは大阪で合流してくれ。それから……、細かいことは電話じゃなんなんで、ホテルにファックスあると思うから、そっちに道警から送られてきた資料のコピーを送るから、それで予習しておいてくれ。すぐにファックス番号フロントに聞いておけ!」

課長は長々と話したが、西田はその要請に従い、吉村にフロントに内線から電話を掛けさせ、ファックスの番号を聞き出すと、西田はそれを課長に教えた。


「よし、番号はわかった! じゃあすぐ送るから、フロントでもらって来てくれ! 倉野課長にもお前の携帯の番号教えてあるから、後で大阪での打ち合わせのための電話掛かってくると思う。じゃあひとまずこれで切るぞ! まだこっちも色々残務があるからな!」

沢井は早口でまくし立てると一方的に電話を切った。西田は吉村にフロントでファックスを受け取ってくるように指示した。


 10分程すると吉村はファックスされた紙を持って、息を切らしながら西田の部屋に駆け込んできた。

「来ました! 戻ってくるまでにざっと目を通しましたが、本橋がこの証言をしたとなると、かなり確度が高いと思います」

そう言いながら西田に3枚ほどの紙を手渡した。道警からの資料というが、大阪府警が本橋から聞き取った内容を道警本部にファックスしたものが、そのまま遠軽署に送られたという感じの資料だった。中身の全てが府警から送られてきた文面そのものだったからだ。


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北海道警察 刑事部 遠山部長殿


 10月2日、大阪拘置所に留置されております確定死刑囚である本橋幸夫が、否認していた、死刑確定済みの起訴された全ての事件について、自分の犯行(それらについて殺害の依頼があったことも認めたましたが、依頼人については一切供述しておりません)と認めた上で、事件化していない、本人による男性1名の殺害を自白していると、大阪拘置所より府警捜査一課に連絡が入りました。


 すぐに担当職員により聴取が行われました。それによれば、昭和62年の秋頃(これについては、本人は直接言及しておりませんが、証言内容からの推測になります)、北海道北見市の郊外において、ある人物の依頼により、老人男性を拳銃で2発撃ち射殺。同行していた依頼者の知り合いである2名がその場で埋め隠蔽したとのことです。


 北見には犯行日の数日前から鉄道で入り、依頼者による実行の指示を待っていたと証言しています。北見から出る時も鉄道で関西まで戻ったようです。これは拳銃の所持が、航空機の場合手荷物検査があるので無理なことと、宅配便等で送付した場合には、途中でばれる危険性や紛失する危険性が僅かでもあり、常に自分で所持しておきたいということから、必然的に交通機関が鉄道になったということを本人が言っているようです。


 殺害場所については、現状はっきりしないとのことです。理由は土地鑑が全く無いことにより、同行していた2名に全て任せていたことが挙げられます。ただ、近くに鉄道の線路があった山中であることは覚えていたようです。


 依頼者も協力者2名についても、名前は知らないと現時点で供述しており、会った場所は共に、北見駅の近くの喫茶店をだったとのことです。


 北海道警察においてはこの自白に基づく事件、もしくは被害者等に該当しそうな事件がございましたら、当府警にご連絡いただけるよう、よろしくお願いいたします。


 尚、ご理解いただけるかとは思いますが、既に裁判上は確定した事件とは言え、6件の事件についての本橋の自供の裏付け調査の必要があった為、道警への連絡が遅れましたこと、謹んでお詫び申し上げます。


             大阪府警 刑事部 捜査一課長 平松 孝則


※※※※※※※


 なるほど、確かに他にまだ表沙汰になっていない殺人事件があったとすれば別だが、この報告書だけでも、佐田実の殺害と結び付けられるだけの十分な情報が書かれていた。西田はテーブルに紙を置くと、

「ほぼ間違いないだろうな……。それにしても、事件がまさかこういう結末を迎えるとは……」

と呟き、ドカッとベッドに腰を下ろした。


 佐田の殺害に銃が使われたという時点で、喜多川と篠田の犯行には多少疑問符が付いていたとは言え、まさか真犯人が日本を震撼とさせた男だとは……。問題は2名の協力者が、本当に喜多川と篠田かどうかに移ったとさえ言えたかもしれない。そして依頼者とはおそらく伊坂大吉だろう。


 ひとまず課長から電話は来たので、倉野からの電話を待っていると何時になるかわからないこともあり、ちゃんとした夕食を摂る為、西田と吉村は外に出てラーメン屋でラーメンを啜っていた。味はともかく値段がやけに高いことに、不満なせいかあまり会話もせずさっさと食べ終えて店を出た。ホテルに戻る路上で竹下から電話があったので、部屋からかけ直すと告げた。急ぎ足でホテルに戻り、改めて竹下に掛けた。


「待たせてスマン」

「それはどうってことないですが、とんでもないことになりましたね」

「白滝行ってたんだろ? 火事の現場検証で」

「はい。そっちはボヤみたいなもんで、駐在の応援ですからいいんですが、帰ってきたら大事になってて驚きました」

竹下の発言は誇張ない本音だろう。

「確かに。俺も一報を聞いた時心底びっくりした。あの本橋が関わってたなんて想像だにしていなかったからな」

「そりゃそうですよ! 関西のヤクザもんがわざわざ北海道まで来て殺してるとは思いもしません」

「逆に言えばそれがミソだな。全く関係が見えない相手が絡んだからこそ、発覚しにくいという意味が出てくる」

「ほんとその通りです。そして、どういうツテで、おそらく依頼したのは伊坂大吉の可能性が現時点で高いかと思いますが、殺し屋本橋と連絡をつけたのかと言う疑問も出ますね。更にこの話が本当だとすると、当初考えていた、篠田、喜多川の佐田殺害主犯説は完全に崩れちゃいますから。銃殺という時点で、ちょっとおかしいなという感じはありましたが、協力者という形で絡んだ筋になると、悔しいがスッキリ収まりが付きます」

竹下は最後はサバサバとした感じで喋った。

「そこだな。そこは本橋の自供次第だが、その可能性は高いだろうな

「ええ。残念ながら、その可能性は高いかと」

「うむ……。それはそうと、ところでおまえは明日来る時どうするんだ?」

「あ、そっちの話ですか……」

上司が急に話を変えてきたので、戸惑いを隠せなかったようで、竹下にしては珍しく言葉に詰まった。


「倉野課長と北見の柴田鑑識主任と一緒に、朝一で女満別から羽田まで行って、そこから乗り継ぎで伊丹空港まで行くということで話がついてます。既に大阪のホテルは係長達の分も含め、倉野さんが抑えたそうですよ。本部からも共助課長が来るらしいですけど、そっちについては俺は詳細を聞いてません」

「あれ? もう北見の倉野課長と話したんだ?」

西田は上司として、部下に先を越されたことに多少思う所があったが、それは竹下のせいでもない。我ながら小さいなと思い直した。

「はい。そういえば、倉野さんは、係長達とは大阪府警で会うつもりだと聞いてますけど、係長は倉野さんから話聞きました?」

「いや、うちの課長からは後から倉野さんから連絡が来るとは聞いてるが、まだ来てないわ。そうか、あっちで落ち合うのか。おれは府警は行ったこと無いがわかるかな……」

西田は少々頼りない発言をした。

「大阪で落ち合うってことは、係長と吉村は新幹線で大阪入りですか?」

「そうなるだろうな」

「じゃあタクシーで新大阪駅から乗れば、問題ないでしょ」

竹下の言うことが簡潔で明快な答えだった。

「それもそうだ。わかった。まあここでごちゃごちゃ長話しても仕方ない。明日大阪で話そう。倉野さんから電話来るかもしれないし……」

「じゃあまた明日会いましょう!」

竹下との会話が途切れ、西田が携帯を置こうとした直後、再び電話が鳴った。


「もしもし、西田?」

「はい。倉野さんですか?」

「ご名答! いやいや冗談はさておきだ、沢井課長から既に色々聞いてると思うから必要事項だけ。こっちは予定通りなら昼過ぎに伊丹空港に着くので、午後2時過ぎには府警の庁舎で西田達と合流出来ると思う。どうせ新幹線だろ?」

倉野は入りこそ砕けた話しぶりだったが、その後は一切の無駄なく本題に入った。

「そのつもりです」

「じゃあ、府警の捜査一課の方には既に俺がアポ取ってるから、受付で「道警・遠軽署の西田」と言えば通じるはずだ。こっちの到着は待たなくて良いけど、まああんまり早く行くとあっちも迷惑だろうから、大体午後1時以降にしておくように頼む。大阪のホテルは既に抑えてるからそっちは心配ない。どれくらい聴取に掛かるかわからんが、まあこの時期だから3泊以上することになっても部屋は取れるだろうと思う。沢井からも聞いてると思うが、うちの鑑識の柴田も同行する。本社からも田丸ってのが来るけど、そいつとは伊丹空港で落ち合う予定。以上だ。何か質問は?」

サクサクと筋道に沿って「業務連絡」を終える辺り、さすがに上級管理職という感じを西田は受けたが、いちいち感心している暇もないので、

「いや、全く問題無いです」

と言葉少なに返した。

「それは何より。あ、そうだ! これは言っておく必要があるな……」

そう言った後、咳払いをして妙に改まると、

「こういう事態になった以上、今までは佐田の件は道内ニュースでも微妙な扱いだった。いや道警(こっち)側の意向もあったか……。それが、今回のことで公になり次第、間違いなく全国トップニュースクラスの扱いになるだろうと思う。もう誰かに伝わるとか、そんなことを気にしている段階ではないってことだ。そして何より注目度も違うから、心して捜査に当たってくれ! 今まで以上に期待してるからな!」

と西田を叱咤激励した。

「はい、勿論わかっています!」

西田も若手のようにハキハキと倉野に返事をした。


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