第23話 明暗2 (11~20 現場再捜索 重)

 刑事全員が切り株の周りに集まると、松沢が拾った木の枝で年輪を指した。

「ほら、やっぱり太くなってる。米田が埋まってた側の方がより成長してる。日当たりが良いところの木の年輪が南側が太くなるのと同様、栄養分が高い方がより成長するんですよ」

松沢の解説を聞きながら、直属の部下の三浦が、勉強のための資料にするのか、写真をカシャカシャとせわしなく撮っていた。

「確かにかなり年輪が太くなってるな」

沢井以下強行犯係の面々と丸山もしげしげと覗きこんでいたが、松沢はそれ以降言葉を発することもなく、切り株の根本にしゃがみこんで年輪を入念にチェックし始めた。それを不思議そうに黙って見ていた刑事達にも、その行動の理由を察するのにそうは時間が掛からなかった。


「あれ、米田が埋められたのは3年前の夏ですよね?」

吉村がまず第一声を上げた。

「ああ。だからこそおかしい……」

松沢はゆっくりと立ち上がると、

「全く同じ部分の年輪が、今数えたら、7年前の春から秋に掛けての成長期からかなり太くなってる。はっきりわからないけれども、米田が埋まってたのと同じ方向の位置、いやほぼ同じ場所に、栄養分が7年前の春には既にあったということになるな……。そして4年前ぐらいから3年前ぐらいに掛けては、一度成長が弱まってる。栄養分がそれ以前よりは少なくなった、つまり腐敗が進んで遺体が白骨化していたってことでしょう」

と言った。

「だろうな、見た感じ3年以上前から太くなってるように見えたもんな」

沢井課長も同意した。


「ちょっと待って! 7年前の春って言ったけど、それって8年前の秋まで遡れないかな? 冬場は光合成出来ないから、栄養分があっても、ほとんど成長できないでしょ?」

竹下は急にまくしたてた。

「う……うーん。言う通りその可能性は十分にあるぞ……。そう言われてみれば、8年前から7年前の冬に掛けての年輪の濃い部分は、その前のよりは多少太いように見える」

勢いに圧されたかのように松沢は一瞬どもったようになったが、竹下の考えに理解を示した。それを聞いていた西田だったが、

「そうか! 竹下の言いたいことは、この米田以前にあった栄養分の供給が、佐田の遺体からされていたんじゃないか? そういうことだろ?」

と、竹下の発言の意味に気が付いた。

「ええ、そうです! そして、もしそうだとすれば、自分が考えていた話により説得力が出るんですよ! この木の成長の仕方がそれを裏付けてくれます。佐田の遺体の分解が進んで、土中に供給されるまでに数ヶ月ぐらい掛かるとすると、本格的に木の成長に関わってくるのは、翌年春、7年前の春の成長期からとなるんじゃないかと」

「竹下の推理に客観的証拠が出て来たわけだ」

「課長! そう思います。篠田が佐田を……おそらく8年前に殺して埋めていたこの場所を、3年前の8月に掘り返していた、いや掘り返し終わってた時かもしれない。その時に鉄道写真の撮影に来ていた米田がたまたまそれに出くわした。見られたらマズイものを見られた篠田は、ツルハシで米田を殺害。そのまま同じ場所に米田を埋めたって言う流れであれば、この年輪の成長の説明が付きます。4年前に成長が鈍ったのは、佐田の遺体の分解が進んで、かなり白骨化したことによる養分供給の低下と考えられます」

竹下らしい理路整然とした説明だった。


「ちょっと待てよ。そうなると佐田の遺体はまだ埋まってるってことになるのか? 当然米田が埋まっていた場所より深いということになるな、場所はほとんど一緒だと見ていいんだろ?」

「課長、そこは正直疑問ですね。この前米田を発掘した時もその後それより一応深く掘ってみましたからね。まあ50センチ程でしたが、可能性は相当低いんじゃないですか? 根の位置も米田が埋まっていた位置より更に深いという程でもなかったように思います」

松沢は懐疑的だった。

「ふむ。でも、やはりもう一度深く掘ってみて確認した方がいいんじゃないか?」

「念入りにやることは、勿論悪いわけじゃないんで」

松沢もそれ以上は異を唱えなかった。

「じゃあ早速掘り返すぞ! スコップ持ってこい!

課長の号令で、澤田、大場、黒須、丸山巡査部長がスコップを取りに車へと戻った。


 戻ってきた、若手の小村、吉村、澤田、大場、黒須、丸山の5人がスコップ片手に米田が埋まっていた場所をもう一度掘る。遺体のあった深さを越え、更に前回より深く1メートル程より掘ったところで松沢が、

「もう明らかに無駄だ。課長やめましょう」

と口を出した。


「まず白樺が異常な成長をした最初の要因が、佐田の遺体を遺棄されていたことだとすればですよ。さっきも言いましたが、米田の遺体を発掘した時点での根の深さから考えて、殺害されてから篠田が確認しに来るまでの間、佐田が埋まっていた位置は、それより深かったとは思えないんですよ、沢井課長」

松沢が順を追って話し始めた。

「ああ、そういうことだな」

沢井も西田も松沢の話に頷いた。


「ちょっと話を整理しましょう。篠田が遺体と共に米田に目撃された後、口封じのため米田を殺害し、佐田を埋めていたのと同じ場所に米田の遺体を埋めたというのが、今回有力な説となったわけですよね? ただその場合、佐田の遺体についても同じ場所に埋められたのか、いや、この説は、佐田の遺体が8年前に埋められたままで、その後一切動かされなかった可能性も含みますけど……。それとも全く別の場所に移動させたのかという2つの『分かれ道』があるはずです。更に同じ場所に埋められたとすれば、米田の上なのか下なのか……。当たり前ですが、上だとすれば佐田の遺体は見つかっているはずですから、下しかありえない」

松沢の説明は更に続く。皆真剣に松沢の意見に耳を傾けていた。


「下に埋められたとすれば、また2つの可能性があるでしょう。佐田が当初埋まっていた位置より更に深く掘って佐田を埋めたケース。或いは穴の深さは変えないまま佐田の遺体の上にそのまま米田を埋めたケース。後者は、さっき言ったように、佐田の遺体を当初埋められていた状態のままで、一切動かさなかった場合も含まれます。しかし穴の深さを変えなかったとすれば、佐田の遺体と米田の遺体の深さの差は、身体の厚み分の差程度としか考えられない。何故ならば、わざわざ佐田の遺体の上に土をかけて埋め、その上に更に米田の遺体を埋めたとすれば、米田の遺体はより地表に近くなってしまうわけだから。地表に近い位置にするぐらいなら、直接佐田の遺体の上に埋める方が見つかる可能性は低いはず。そうなると、穴の深さを変えていなければ、米田の遺体のすぐ下に佐田の遺体もあるはず。しかし発見出来なかった。よって穴の深さをそのままで埋めたということはあり得ないと見て良いはず」

「そりゃ当然そうだな」

課長が合いの手を入れた。


「となるとですよ。佐田の遺体が同じ場所に埋まっていて、まだ見つかっていないとすれば、掘り返す前に課長が言ったように、更に深く掘って、ほぼ白骨化していただろう佐田を埋め直したということしかない。今調べたのがまさに対応する捜査でしょう。ただ、そうだとしても、これ以上深く掘るメリットが篠田にあったかは、自分としては全くわからないですね。最初の佐田が埋まっていた深さでも、犯行は全く発覚しなかったんですから……。米田の遺体を加えて埋めるためには、地表から米田の遺体までの深さを維持するために、佐田の遺体の厚み分ほど更に掘るだけで十分ですよね? そもそもわざわざ同じ穴に放り込んだってことは、それだけ時間か労力を無駄にしたくなかったってことでもあるはずでしょう? 正直さっきもそうは思ったけど、今さらに1メートルも掘って何も出なかったのを見て、やっぱり前回の50センチ更に掘っただけでも十分だったかなと」


「ちょっと待て! 発覚しなかったかどうかは微妙じゃないか? 篠田はわざわざ伊坂から連絡を受けて佐田の遺体を確認しにきたということになるわけだろ、竹下の説じゃ? 今までのことを総合的に考えれば。それは何かバレたと思ったから確認しに来たのかもしれないんだぞ?」

西田は問題点を指摘した。それに対し竹下が反応した。

「確かにその可能性はないとは言いませんが、そうだとすれば、米田の遺体を同じ場所に埋めるとは思えないんですよ。仮に佐田の殺害がバレたって前提の場合、佐田の殺害だけがバレたのか、遺体のある場所も含めてバレたのかにもよりますが……」

「なるほど。だとすれば、バレたとしてもあくまで殺害の事実のみが限界とみるべきか」

西田は納得せざるを得なかった。

「じゃあ、そういうわけで、少なくとも遺体の在処ありかはバレていなかったという前提で考えていこうか」

課長は話を一度まとめた。とにかく松沢の考えと竹下の考えから、これ以上深く掘り返す理由は見当たらなかったので、これ以上の作業は止めることにした。


「結論としては、佐田の遺体はここにはないということなんだな……」

「課長、そう言い切っていいと思います」

「松沢、だよな……。さて、そうなると佐田の遺体はどこに行ったのか……」

沢井の考え込む様子をよそに、吉村が

「それにしても、佐田の遺体をどこかに移す必要ってあったんですかね? 見られた米田を殺したとすれば、それまでも発覚してなかったんだから、そのまま同じ場所で問題なかったでしょ? 遺体の場所もバレてないってのが、どうも前提となっているようだし。深さも米田が埋まっていた深さ程度なら2人分の深さは十分足りるし。それこそさっさと人目につかないようにしたいのなら、尚更ですよ。やりたいことがよくわからん」

と言った。

「そこなんだよそこ! 本当にそれだ」

西田は吉村の背中を軽く叩きながら同意した。


 一方、竹下は頭を下げたまま目を閉じ沈黙を守っていたが、不意に顔を上げると話を切り出した。

「沢井課長が篠田の立場だったら、佐田と米田、どっちの遺体が見つかったら困りますかね? 勿論、この場所が簡単に見つからないのは確かでしょうし、だからこそ米田はここに埋めたんでしょうが」

突然の脈絡のない質問に課長は、

「あ?」

とあからさまに意味がわからないという意思表示をしたが、竹下は気にしなかった。

「つまり、どっちが篠田にとって、万が一発見されるとヤバイ遺体ですかね?」

課長は竹下の意図を掴めたのか、先程の口調を改め、

「そりゃ佐田のだろ?」

と答えた。

「そうですよね。私が篠田だったとしても、おそらくそう考えます」

「俺にはさっぱり理由がわからないんですが……」

竹下が課長に同意した直後、大場が申し訳無さそうに割り込んだ。

「簡単に説明してやるとだな……。どっちが篠田達との関係が浮かび上がりやすい遺体かどうかだな」

2人の会話の意味を理解していた西田がヒントを与えた。

「篠田と佐田も、篠田と米田も、どちらも直接的な関係性はないと思いますが……」

「ああ、言い方が悪かったか……。ええっとな、佐田の遺体が見つかった場合、警察はどう動く?」

「……そうか! なるほど ! 今わかりました、スイマセン!」

大場は西田のヒントですぐに納得が行ったのか、申し訳無さそうな顔をした。


 佐田の遺体が見つかった場合、当然警察がマークしていた伊坂大吉との関係が問題になってくる。伊坂から何か頼まれて佐田の失踪……、おそらく殺しだろうが、それに関与していたとすれば、その後伊坂大吉が警察にマークされた情報も、喜多川や篠田の耳にも自然と入ってくるだろう。それに対して、米田とは篠田含め一切伊坂組には接点がないのだから、米田の遺体が見つかったところで、篠田達に捜査の手が伸びてくる可能性は格段に低い、いや、そこに何か物証でもない限りほぼゼロということになる。そしてその物証としての喜多川の名入りの時計が、取り違えていた篠田によって現場付近で紛失していた可能性を喜多川が恐れ、幽霊騒ぎになったはずだった。


「そういうことだから、篠田はこの場所よりはるかに安全な場所に、佐田の遺体を埋めたか隠したか、或いは消去する方法を見つけ出したということになるんじゃないですかね? ここも3年前の夏まで、遺体を埋めてから5年という期間は完全に安全だったんでしょうから。米田はここに埋めておけば良いと判断し、そして佐田の遺体はここより相当自信が持てる場所に移動、或いは方法で隠蔽したんでしょう。ということは、篠田は遺体の在処はバレていなかったと確信したと同時に、それ以上に安心な場所に隠しておきたいとも思ったという、何とも微妙な状況にあったってことになりますか……。佐田の遺体をすぐに確認する必要があるほど焦らされる一方、遺体の在りありかはバレていないと確信出来るようなことが伊坂と篠田に起きていた……。なかなか難しい」

竹下にしては珍しく頭を抱えるような状態に陥ってるようだった。


「そうなると、さっき2人で話していた、他の白樺の根本とかそんな次元じゃないな。そんなんじゃこれと違いがない」

課長はきっぱりと断言した。

「でも意外と思い浮かばないな、ここより安全な隠し場所は……。主任もさっきチラッと言いましたが、隠し場所の移動ではなく、消し去ったのかもしれない。例えば硫酸とか」

黒須は消去説に言及した。

「だけどこの場で硫酸はありえないだろ? 結局遺体はどこかに動かさないといけない。硫酸自体すぐ用意できるもんでもないし」

西田は反論した。

「しかし、遺体を別のどこかに更に安全な場所に隠すために動かすのも、ある意味1つのリスクじゃないですかね? 何しろわざわざ土の中にあった遺体を表に出すわけですから。ここに置いておく方が結局安心じゃないですか?」

大場の言っていることは根本的な問題だった。これには西田も黒須も明確な反論を持ち得なかった。

「やっぱり色々と厳しいモノがあるなあ」

竹下もその点には弱気の虫が出て来たようだった。

「なかなか難しいな……。ここでああだこうだ言っても仕方ない。時間が無駄に過ぎていくだけだ。どうだ? 思い切って今日はこのまま引き上げて、次の方法を署で考えた方がいいんじゃないか? この場でいい考えが浮かぶとは思えないぞ」


 沢井課長の提案はもっともだった。確かに松野住職と寺川、横山、内田を待たせたままというわけにもいかず、かと言ってこれから何かやるにせよ手探りでは効率が悪い。

「課長そうしましょうか? 事前には何もわからなくても色々やるべきだと考えてましたが、まさか米田の遺体のあった場所に、佐田がそれ以前埋まっていたなんて展開は全く考えていませんでしたからね。自分も一度頭冷やして色々考えた方がいいと思います。今日はここで止めましょう」

西田は課長に賛同した。

「西田もそう言ってることだし、今日はここで一旦切り上げて署に戻ろう。住職と寺川さん、横山さん、内田さんも帰宅してもらって」


 一同は部外者4人の元に戻ると課長が事情を説明した。早く帰宅できることは彼らにとっては当然悪いことではなく、すぐに了承してくれた。課長と西田は警察を代表して4人に厚く感謝の言葉を述べた。時効案件とは言え、昭和52年の事件も一部謎が解け、佐田の失踪にも大きな進展があったのは、彼らのおかげとしか言いようが無い。「駐車スペース」から先に4人と丸山が生田原に戻るのを見送ると、ほどなく強行犯係も遠軽への帰途に着いた。


※※※※※※※


 署に戻り、課長は槇田署長に捜査状況を説明したが、さすがに署長もこういう展開は予想しておらず、何度も、

「本当か?」

と念を押した。槇田署長自身、今回の捜索で実際に何かがわかるとは思っていなかったらしい。しかし、捜査している刑事の側もまた、半信半疑だったのだから当然のことだろう。


 課長が戻ってから全員揃っての捜査会議が開かれた。早い段階で捜査が切り上げられたので、捜査会議は午後5時前には始めることが出来た。シャワーを浴びて着替えも済ませた西田達は、大した疲労もなく、それなりの成果もあったせいか、新たな展開の割にリラックスした雰囲気に包まれていた。


「今日の捜査において、かなり高い確率で竹下の主張していた筋書きが裏付けられたと思う。3年前の8月10日に、篠田は佐田の遺体、おそらくそれは篠田達が遺棄したというだけではなく、殺害にも関与したのだと推測しているが、それを、伊坂大吉から連絡を受け、何らかの理由で掘り返していた。ところがその場面を米田に目撃された。おそらくその場で米田を口封じのため殺害し、佐田の遺体が埋まっていたのと同じ場所に埋めた。佐田の遺体は最終的にどうしたかはわからないが、どこかに移動したのは間違いないだろう。そういうわけで大雑把に振り返ってみたが、竹下、最初から詳細に整理してくれ!」

そう課長に指示されると、

「わかりました。取り敢えず、『まず何故篠田が生田原の現場に行ったか』という点から、幾つか可能性を考えてみようと思います。既におおよそわかってることも、復習を兼ねてそのまま書きます」

そう言って、ホワイトボードの前に立ち、板書を始めた。


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1)佐田を殺害したのが、具体的にバレたという情報が、8月10日、伊坂大吉から湧別の橋工事の現場に居た篠田に入った。その場合、佐田の遺体自体が現実に発見されてしまえば万事休すなので、先に遺体をどこかに移動する必要があった。勿論、場所がバレてはいないとして、遺体を動かさない選択もあり得たが、その場合、焦って現場に行く理由がわからない。遺体そのものの存在がバレて、それが殺害の根拠となっている場合には、2と3に吸収されるので、そちらで考慮する。


2)佐田の遺体が何者かによって発見されたという情報が伊坂大吉から篠田に入った


3)佐田の遺体が埋められている場所が、何者かにバレたという情報が伊坂大吉から篠田に入った(但し2と並立する場合もあり得る)


4)殺害したはずの佐田が生きていたという情報が伊坂大吉から篠田に入った


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以上の4点を書き終えると、皆の方に振り返り説明を開始した。


「さっき、現場で色々考えたこともありますが、更に細かく考察したいと思います。まず1ですが、単純に殺した殺さない程度の話であれば、大島の援助等もあって警察の捜査を8年前に既に切り抜けているわけですから、それだけなら無視出来るか、少なくとも伊坂も篠田も共に電話の会話で狼狽するほどにはならないでしょう。だから何か具体的な「佐田殺害を立証されかねない」ことがあったと見ます。ただ、だとしても疑問が残る。まずその場合には、電話での2人の会話の時点で、遺体を『確認する』という言い方よりも、『移します』とかそういう言い方になるような気がするんです。勿論、確認するのが遺体だという前提の話ではありますが。それにそういう情報が出て来たとすれば、犯行に関与した人物の間で内輪揉めがあったか、殺害に加担した人物が誰かに漏らしたかというパターンでしょうが、その後は、8月10日に富岡に盗まれて失くした時計のことを中心にして篠田が行動してるように思える。もっと佐田実の事件そのものがバレそうだということに忙殺されてもおかしくないかと。積極的にはこれを推せない感じはします。この点については、佐田が殺害されたことがバレているという前提の2と3にも該当します」


「そうだな。篠田が失くした喜多川の時計も、米田の殺害現場にあったらマズイのは確かだが、佐田殺害の件そのものが、既に誰かからバレそうになっている方が、余程差し迫った問題だったはずだ、1の状況だったとすれば……。あくまで『疑われかねない』段階までしか行かない時計探しに、没頭し過ぎているな篠田は。仮に佐田の遺体を8月10日の時点で再隠蔽し終えていたとしても、佐田殺害の情報が表沙汰になれば、それなりに大変な状況に巻き込まれていくことには変わりはないはずだから」

沢井が同調した。


「じゃあその点は置いておいて、次に2を見てみましょう。殺害から5年後にこんな情報が出てくるとすれば、掘り返されていたとしても、それは『3年前の時点で最近』の出来事と見るのが筋でしょう。こんな話を1年以上待ってから、伊坂に誰かが伝えてくるとは、常識的には思えませんから。とすると、掘り返された痕跡があれば、我々が喜多川が掘り返していた跡をすぐに発見したように、篠田からも見てすぐわかるはずです。だから、もし実際に掘り返されている様子があればですよ……。仮にまだ佐田の遺体があろうが、既に取られて無かろうが、そんな場所に、いくら関係が見えてこないから、遺体が発見されても犯行がバレにくいとは言え、米田の遺体を埋めるとは思えません。一度暴かれた可能性がある場所に、別人の死体をまた埋め直すなんて自殺行為です。だからこれはかなりの確率であり得ないと断定していいでしょう」

竹下はホワイトボードをマーカーで2、3度叩いて見せた。


「一方、掘り返された痕跡がなかった場合は、遺体が発見されていたことはない、ハッタリだと、篠田は考えて不思議はありません。ただ、念のため篠田も掘り返してみて、そこに遺体があることを確認した上で、更に安全を期して実際に遺体を移動したんでしょうね、あくまで2が事実だったとすればですが……。痕跡が無かった場合で、更に遺体も無かったと言う事態は、白樺の成長具合を見る限りはないと思います。8年前から腐敗が進んだ4年前ぐらいまで順調に養分が供給されていたのは証明されているので、篠田が現場に訪れた『3年前の当時』から見て、そう遠くない時期まで遺体がそこに埋まっていたと見て良いからです。遺体を取り出したのは、1年以内となり、掘り出した痕跡は経年数から、残ってしまいますからね。そういうわけで、佐田の遺体がなかったとすれば、掘り返された痕跡が当時は見て取れた可能性が高く、後者は論理的に見て、無いと言って良いと思います」

「つまり主任の中では、2があり得るとすれば、当時掘り返された痕跡がなかった場合で、しかも佐田の遺体はちゃんと埋めた場所に存在していた事例に限るということですか?」

小村が尋ねたので、竹下は、

「3との絡みもあるので、それを説明してからにしたいが、先走ればそうなる」

と返した。


「じゃあ3について。これは『遺体が発見された情報が入った』という話とセットにもなり得るが、単独にしろ2とセットにしろ、場所が現実に特定されていたとすれば、さっきも言ったように、米田の遺体を同じ場所に埋めることは心理的にどう考えても避けられるはず。勿論伊坂からきちんと、『遺体の所在が実際に特定されたと思える情報』が篠田に伝わっていなければ、ハッタリとして最初から相手にしないはずでしょう。だから3は絶対にないと考えて良いと思います。まあそもそも、ちゃんと特定されていたら、ああいう懐疑的な会話にはなってないと思いますが……」

続けて言及されたことについては、捜査陣は皆納得するものだった。


「最後に4ですが……」

竹下はそう前置いた上で、軽く咳払いをし、

「正直とても怪しい説と思われるかもしれませんが、どうも自分はこれが一番しっくり来るんですよ。勿論、それがハッタリだった場合を含めての話です」

と言い出した。

「いやいや、ちょっと待て!」

西田はすぐに手を挙げて制した。

「殺した奴が生きていたってのは、これこそ一笑に付すレベルの話じゃないの? 篠田や伊坂大吉からすれば」

「それはそうなんですが、2人の電話での狼狽ぶりからして、こういう『あり得ない』ことが起きたと考えると、案外理に適っているんじゃないかなと思うわけですよ。で、死んでいるはずだから、遺体を確認しに行ったと。何らかの生きていると思わせるだけのことがあれば、あり得ないと思いつつも、確認せずにはいられないことはあり得ます」

「どうなんだろうなあ。1つの仮説としてはあり得ても、2の中の『掘り返された跡がなかった』場合に比較すると、可能性としては弱いんじゃないか?」

課長もかなり懐疑的な言い方をした。他の捜査員も、にわかには同調出来ない雰囲気を醸し出していた。


「まあみんなの意見はわかった上で、説明させてくださいよ。まず、殺して埋めたはずの人間が生きて這い出て来たとすれば、ある意味掘り返したのと同様の状況にはなるものの、どう考えても、5年後の最近よりは、埋めた直後に生き返って出て来る方があり得るでしょう。そうなれば、その痕跡はもう無くなっていてもおかしくはない。だから、こういうことがあったとすれば、この点については痕跡があろうがなかろうが……、むしろ論理的には痕跡がない方が常識的ですらあるわけですから、確認しに行った以上は、どんな状況であれ篠田は掘り返してみるでしょう」

竹下はそこまで言うと、捜査員達が理解しているかどうか確認するように、一拍置いてから、更に話を続ける。


「そこで、まず痕跡があった上に、遺体が無くなっていたとしましょう。これはもう、佐田が自分で這い出したか、まあこれは養分になっている以上あり得ませんが……。或いは別人が遺体を掘り出したとすれば、これは実際の状況的には既に2のケースになってしまいますが、そこの場所は誰かには確実に知られていると見て良い以上、米田の遺体をそこに埋める事はありえない。一方、痕跡があって、更に遺体がそのままあったとしても、これまた、おそらく誰かが確認した形跡と見るべきで、結局米田の遺体についても同じことが言えます。その次に痕跡が無かった上に、遺体も無くなっていたとすれば、『3年前の当時』よりはるか前に、誰かが遺体をどっかにやったことになります。これについてはさっきも言及したように、後者の場合には、そんなに経ってから、改めて伊坂達にそれを伝える理由がわからないので、佐田が生き返って這い出したという方向に行きそうですが、まあこれは現実的に100%あり得ないのは何度も言ったとおりです。まあ、それでも一応考えれば、これまた場所は、掘り出した誰かにはバレているわけで、米田はそこには埋めないはずです。痕跡が無くて遺体はあった場合には、初めて篠田はかなり安心出来たんじゃないでしょうか? 佐田が生きているという情報は、適当なハッタリだったという可能性が高まったわけですからね。そして米田の遺体をそこに埋めることもあり得るんじゃないでしょうか」


 ここまで聞いて、吉村が突然

「うああ、色々あって考えたくねええ!」

と叫んだ。それを見て皆笑い出したが、実際この場合分けの面倒臭さには耐え難いものを感じていたので、バカにするというよりは同意の感情が先に出ていた。

「言ってる俺も俺でかなり混乱してんだ! 正直何か抜けていてもおかしくはない」

竹下も苦笑いし、吉村に対して珍しく軽く悪態を吐いたが、

「こうしてみると、可能性としては、実は4が最も高く、2の中の『掘り返した痕跡が無く、且つ遺体があった場合』、それに1が続く感じかな……。ただ、1と2は、その後の篠田の行動から見ると違和感があるんですよ」

と結論らしきものを述べた。


「竹下の説が正しいとして、佐田が生きていると感じさせるだけの話ってのは何なんだろうな。殺害に関与しただろう篠田が、文句を言いつつ確認しに行ったんだから、完全に荒唐無稽のデタラメな話でもないはずだ」

西田はそう言いながら首を捻った。


「取り敢えず、篠田が現場に行って、遺体を掘り返し、米田を殺害して埋めたまでの、1つの流れの可能性は、こういうことがあり得るということで……。次の問題は、佐田の遺体をいつどこに隠したか、或いはどのように処理したかということです。当日なのか、後日なのか」

空気が重くなったことを察したか、竹下は話題を転換した。それに対し黒須が発言の許可を求めた。


「もし当日に遺体を移動させたとすれば、昼に出て行って、夕方に戻ってきたわけですよね? 掘り返して、埋め直す作業は、他にも誰か居た可能性は置いておいて、取り敢えずは篠田1人だとすれば、まあ2時間ぐらい掛かるかな……。湧別の工事現場から生田原の現場の往復に、最低でも2時間半は見る必要があるとすれば、せいぜい1時間半ぐらいでしょうか、余計に取れる時間は……。全く無駄の無い動きをしてもです。そうなると、そんなに、湧別から生田原のルートを外れて隠したとか言うことは、まずありえないでしょう」

「そう。当日となるとかなり忙しい。となると8月12日まで、湧別の現場に来ながら、更に何処かへと行っていたようだから、取り敢えず8月10当日は、佐田の遺体も米田と一緒に埋めておいて、もっと後に移動や処理をした可能性も十分高いし、数日間に分けて作業した可能性もあるかもしれない」

竹下はそう言ったが、吉村が反論した。

「数日に分けることはちょっと考えにくいんように思えるんですが? だって、わざわざ安心出来る場所から、もっと見つからないようなところに移動させるか処理したかですよね? ちょっとずつ、埋めたところを掘ったり埋めたりしながらだと、どうも見つかるリスクを増やすだけじゃないですか、幾ら現場が人が来にくい場所とは言え……。何だかんだ言っても、周辺は鉄道写真の撮影のメッカですし。実際に米田も何かの拍子にあそこまで入り込んで殺されたとすれば、篠田も考えると思うんですが」

「うーん、確かに吉村の考えは筋が通ってるか……」

竹下も思案顔になった。


「じゃあ、移動や処理に複数の日数を掛けたことはなく、8月10日の当日もしくはその後で、一気に何かやったと考えようか。ただ、確率的には8月10日当日は厳しいと」

課長がひとまずまとめたが、全員が仕方ないなという感じで頷いた。


「いや、ちょっと待って下さい! あくまで方法論を思い付くだけなら、やっぱり8月10日当日も可能性としては十分過ぎる程あり得ると思いますんで、そこは区別しましょう」

竹下は注釈を入れることを要求し、

「特に1のような場合には、遺体をどうにかすることが前提で現場に向かっているわけですし、さっきも言ったように、他のケースでも、何しろ、あり得ない状況が起きたのだから、遺体は絶対そこにあると思いつつも、どこか疑心暗鬼な心理状態で現場に向かっていたかもしれない。更に確認した後もっと安心な場所に隠しておきたいと言う心理は発生してもおかしくないんじゃないかな。勿論、米田を殺した後に思い付いたこともあり得なくはないわけで」

と説明した。


「ただ、俺もさっき言い忘れたが、4の場合には、それこそ竹下が最初に言ったように、遺体の場所はバレていることと結びつかないわけで、それはどうなんだろう。佐田の遺体もそのまま埋めておいて良かったんじゃないだろうか?」

西田としては、今度の竹下の意見にはまだ納得出来ていなかった。

「係長の言う通り、整合性から見るとちょっと弱いのは事実です、残念ながら。ただ、人間心理からして、殺したはずの男が生きているという情報が入ってきたら、それはそれで気味が悪いですからね。絶対見つからない場所があったり、処理方法があるなら、それをしておこうという心理が働いても、そんなにおかしくはないような気がするんですが……」

理路整然として、自分の考えには常に自信を持っている男ではあったが、そこまでの確信はなかったようだ。しかし、人間である以上は、そういう心理状態はあってもおかしいとまでは言えないと、西田は竹下の説明を聞いて何となく思い直してはいた。


「ということは、佐田実の遺体の移動や処理については、8月10日以降なら何時思い付いても不思議ではなく、何時実行しても不思議ではなかった。ただ、8月10日当日は、時間的にも準備的にも、実行そのものはかなり厳しいんじゃないか? こんなところでいいですかね?」

何故か吉村が勝手にまとめていたが、仕事を取られた課長も、

「うむ、そういうことになるかな」

と満足そうだった。しかし突然、

「いやいや、大事なことを忘れとるぞ! そもそも伊坂が電話を掛けてきた原因は、一体誰の仕業かってことはどうなる?」

と吠えるように言った。


「その件なら少なくとも自分は全くわかりません。西田係長から、『篠田が伊坂から電話連絡を受けて言い争いをした後、どこかへ行った』という報告を聞いてから、色々可能性を考えてきました。更に今日の捜索の結果から、ある程度推理してはみましたが……。その上で、一体誰から、伊坂や篠田が驚き、遺体を確認せざるを得なくなった情報を得たか。そしてその情報提供の目的は何なのか、皆目検討が付かないというのが本音です。他の共犯の裏切りなどもあり得るんでしょうが、何しろ共犯が喜多川以外にはわからんのですから。それに、これが事件から時間を置かない時期であれば、脅迫などの理由がわからなくもないんですが、佐田の失踪から5年後ですからね……。愉快犯にしても、佐田の失踪と伊坂大吉が密接な関係があったと知っている人間である必要があります。まあこちらも5年のブランクを説明しきれない点で同じですが……」

「竹下もよくわからんのか……。しかし、失踪事件と伊坂の関係を知っているのは、かなり限定されそうだな」

西田は腕組みしながら呻いた。

「警察、伊坂の周辺、捜査情報が明かされているのなら遺族……」

黒須が呟くも、

「どれもあり得ないとは言わないが、決め手に欠けるし5年のタイムラグの問題は、納得行くまでは説明しきれないな」

沢井は唇を噛んだ上、

「色々考えれば考える程、想定しておく事項が増えるな」

と、課長は顔をしかめながら、うんざりした様子を隠さなかった。


「ところでさっきの薬物のことだけど、確かにクリアすべき問題点はあるんだが、遺体を完全に消去出来るメリットも実際大きいのは否定できない。ある意味埋め直すよりはやる意味もあるだろう」

西田は敢えて、現場で一度自分で否定した薬物処理説を再びピックアップした。


「薬物ですか。幾ら遺体の腐敗によりほとんど白骨状況とは言え、完全に溶かすとなると相当量の劇薬指定の薬物とそれなりの時間が必要になるでしょうねえ。硫酸や水酸化カリウムですか……。劇物は購入時に色々必要になってきますから、正面から購入しようとすると足が付く可能性があります」

「小村の言う通りだ。勿論そういうことがないとは言えないから調べる必要はあるが、裏ルートで手に入れたことも考えないと」

「課長、それもありますが、そういうプールというか、遺体を薬物で一杯にするプールも必要になるはずです。そうなると設備というか、道具というか、そっちの用意も必要ですね。係長が言ったように協力者の存在も考慮するべきかも」

竹下がボードに書き込みながら言及した。


「結構ハードルが高いな、完全に消し去るとなると……。一応調べるべきではあるでしょうが、用意する日数があったとしても簡単じゃない。イマイチ釈然としないところがある。何か他にあるんじゃないかと思うが、それがわからない……。他の場所に埋めたとして、動かすリスクを犯してまで、埋め直すべき場所があるのか、あったとしてもそこがどこか検討が付かない」

西田は悔しさを滲ませた。

「一難去ってまた一難。事件は進展はしているが、それが新たな謎を呼ぶってのが今回だ。おまけに解決したところで、被疑者志望につき検挙と結びつかないとしたら、ただの苦行だな」

課長は苦笑した。一同からも冷めた笑い声が漏れた。


「ところで、もう生田原の現場の方は捜索しないんでいいんでしょうか?」

大場が悪いムードを変えようとしたのか、空気が読めないのか、いきなり話題を変えた。

「佐田の遺体がどうも米田と同じところに埋まっていたらしいことがさっき判明し、更にどっかに移動したとなると、どこにあるかわからない状況にあった捜索前より、むしろそれをやる必要性がなくなったと俺は思う。近場で佐田の遺体を埋め直す意味は全然ないだろ? 少なくとも今は放置していいと考えている。やるとなると、どうしても徹底してローラー作戦みたいになるだろうし、ここまで来たら逆に明確な理由が必要だろう」

課長はそう答えた。

「佐田の遺体が今どこにあるかわからないことは、捜索前と同じ状況だが、過去どこにあったかがおそらくわかっただけで、対応が180度違ってくるというのは、今回の面白いところだ」

西田は課長の発言を受けて、横の吉村にそっと小声で話しかけた。

「は、はい。そう思います」

吉村は不意を突かれたか、ありきたりな返答で済ませた。

「本当にわかってんのか?」

ニヤニヤしながら脇腹を肘で押すと、

「勿論ですよ!」

と語尾を強めた。


「おい、どうした吉村何か言いたいことがあるのか?」

「課長、いや何もありません。スイマセン……」

バツが悪そうに謝った吉村だったが、横の西田が素知らぬ振りをしながらも下を向いて笑いを押し殺していたのに気付いたか、肘を押し返した。

「おい、西田、おまえは何かあるか?」

2人の様子に勘付いたか、課長は低い声で西田に意見を求めた。一瞬慌て気味になったが、

「そうですねえ……。佐田の遺体が埋められていたのがあの現場だろうというのは、今日の捜索でかなり確証が得られたと言っていいと思いますが、一体何処で殺害されたかという疑問は残りますね」

と答えた。

「勿論それはそうだが……」

課長はそう言うと、5秒ほど目を閉じてから、

「佐田は8年前の9月26日に、北見のセントラルホテルをチェックアウトして、特急『おおとり』で北見駅から札幌に戻る直前から行方不明なのだから、おそらくホテルから駅までの間に拉致されたか、騙されて連れて行かれ殺されたという筋書きが考えられるだろう。その後埋める場所を決める際に、国鉄保線区勤務時代の土地勘がある生田原の現場が、おそらく実行犯、最低でも死体遺棄に関わっただろう篠田、喜多川から見て『最適』の場所だと考えられたんだろう。それに殺害場所と遺棄場所は同じである必要はない。勿論同じであってもおかしくはないがな。そもそもそこは現時点では問題じゃないんじゃないか? 佐田が殺害されたと言う現実の物証が出てからでいいんだよ、そんな話は。状況証拠から見て俺たちは佐田が埋まっていたと確信しているが、あくまで状況からの推測でしかない。俺たちの目の前の課題は佐田の死体を見つけるか、万が一既に失くなってるとするなら、諦めて殺害の証拠を挙げることだ」

と続け、西田の発言を最終的にはある意味否定してみせた。

「それはそうですね。そこは後回しで問題ないということで納得しました」

「よし! 西田に異論がないとすれば、後は行動あるのみ! 直近の課題として、薬物による処分の方を潰してみることにするかな。ああだこうだ言っても仕方ない。じっくりやるだけの時間はある。取り敢えずそこから手を付けてみよう!」

課長は力強くはあったが、ある意味自分に言い聞かせるようにゆっくりと言葉にしながら新たな方針を決定した。西田達も、いや、おそらく課長でさえも、他に何かあるのではないかという気はしていたが、さりとて具体的にそれ以上の提案をする事を出来るわけでもなかった。


※※※※※※※


 翌日の8月15日から、強行犯係は硫酸や水酸化カリウムなどの劇物を、3年前の8月10日以降から9月末までの間に大量に入手した人物がいないか捜査し始めた。道内は勿論、本州の化学薬品関係の卸売業者だけでなく、クリーニング業界や、パイプなどの詰まりを処理する業者などにまで当たった。だが1週間程調べてみても、篠田本人が直接入手した形跡は勿論、篠田に結びつくような人物にも該当者が見当たらなかった。


 この間の8月18日、北見方面本部の鑑識主任柴田から、ツルハシと米田の頭蓋骨の創傷が完全に一致したという電話連絡があり、その後報告書面も送付されてきた。多少時間が掛かったが、やはり連続女性殺しが難航している影響が出ていたようだ。未だに犯人に結びつく情報がなく、かなりストレスの掛かる捜査本部の雰囲気を感じていると柴田は吐露した。捜査本部に張り付いていない鑑識ですらそういう認識ということは、現場の刑事の精神的状況は言うまでもなく酷いものだと西田は推測出来た。このまま「お宮入り」することは許されないだろうが、同時にこの手の性犯罪がこのままフェードアウトするとも思えず、新たな犠牲者が出た場合には、更に殺伐とした状態になることは容易に想像し得た。


 ただ、遠軽署だけの視点で見れば、ひとまず状況証拠では篠田の米田殺害はほぼ確定したと言えたので、捜査上一区切りついたと言えたかもしれない。一方で、佐田の件はやはり五里霧中のままだったのだ。


※※※※※※※


「うーん……。どうもこの線は薄いかな……」

聞き込みのためにわざわざ福岡の薬品メーカーに電話を掛けていた小村が、受話器を置くと呻いた。その様子を見ていた西田は、

「ダメか?」

と聞くと、小村は小さく頷いた。室内の日めくりカレンダーは8月23日を示していた。確かにここまで手応えが全くない以上、劇物による完全消去説はかなり厳しい状況となっていたのは否定できなかった。


 ただ、問題はそれだけでなく、捜査の過程において、劇物の代理入手のことも考え、篠田の交友関係を更に洗おうとした際、篠田の妻も伊坂組の関係者の態度も以前よりかなり「よそ行き」に感じたことがあった。そろそろ警察への協力関係も怪しくなってきていたのだ。これは逆に言えば、篠田への警察の捜査が及び始めたことを毛嫌いする人物が出て来たという証拠とも言えた。


 課長は「伊坂 大吉」の息子であり、伊坂組・二代目社長である、「伊坂 政光」がそれに関わっているのではないかという見立てをしていた。つまり、政光は父親の犯罪について何か知っていて、それがバレないように警察に協力しないよう、関係者に要請しているのではないかという推理であった。西田も竹下も、ここまで来るとその考えはかなり正しいのではないかと思っていた。ただ、あくまでそれが推理という頭の中での問題に留まっていることが現実であり、具体的な根拠を得ているわけではなかったことが歯痒かった。


 西田は一息付くために1階の自販機にジュースを買いに下りた。普段なら刑事課にあるインスタントコーヒーで済ますのだが、どうもストレスからか甘いものを摂りたくなったのだ。


 ガランコンと落ちてきたジュースの缶を、取り出し口から取ろうと腰をかがめていると、後ろを10人弱の集団が通り過ぎるのが見えた。その中に僧衣の2人が居るのを西田は認識した。一人は弘安寺の松野住職であることは間違いなかったが、もう一人はおそらく弘恩寺の岡田住職に見えた。岡田にも話を聞きたいと松野に話を聞いた時に考えていたので、これをチャンスとばかりにさっとジュースを取り出すと声を掛けた。


「あ、先日はどうもお世話になりました。今日は協議会の集まりですか?」

「これは西田さん。こちらこそ先日はお世話になりました。ええ、それで来ました。終わって丁度帰るところです」

松野住職は静かに頭を下げた。

「じゃあ、私達はお先に。また来月」

僧衣の2人を置いて、他の恰幅の良い協議会員の高齢の男女の集団は玄関先に向かった


「そちらは弘恩寺の岡田住職で?」

西田はきちんと対峙した時点で、当然相手が誰かわかっていたが、敢えてそのような聞き方をした。

「2人は面識がありましたか?」

松野は2人にそれぞれ聞いた形になったが、警察協議会員である以上、相手は西田を認識していなくても、西田は当然知っていた。

「いえ、私は初めてお目にかかります」

岡田は不思議そうな顔をして答えた。

「岡田住職は私を知らなくても当然かと思いますが、住職が協議会員である以上、私は職務上知っているのですよ。申し遅れました、私、刑事課の西田と申します」

笑顔でそう言った西田に、岡田は、

「なるほど。そうでしたか」

と愛想笑いを浮かべた。


「松野住職とは先日、生田原の常紋トンネル付近で発生した事件の捜査関係で同行していただきまして」

「ああ、その時に」

岡田も松野から大体の事情は聞いていたような言い方だった。

「あの、ちょっと申し訳ないんですが、お二人、今お時間取れますか?」

刑事からの不意の申し出に、若干戸惑った様子を見せたが、

「ええ、私は特にありませんが、岡田さんは?」

松野は岡田に確認を求めた。

「ええ、お盆も過ぎましたし、今は暇ですね正直言って」

岡田も西田の申し出を受け入れた。

「そうですか。それはありがたいです。実は松野住職とご一緒させていただいた時も聞いたのですが、昭和52年9月25日に、国鉄主催で行われたタコ部屋労働者の慰霊式のお話を詳しく伺いたいと思いまして。と言っても、20分もあれば十分に終わることだとは思いますが」、

「そういうことが確かにあったように思います。当時のことは印象に残っていますから、それなりにお答え出来ると思いますよ。松野住職から先日の捜査に刑事さん達がご一緒した時の話は既に聞いておりまして、いつかお聞きになられに来るとは思っていましたので、丁度いいですね」

岡田はむしろ好都合とまで言ってくれたのは助かった。

「それじゃあここじゃなんなんで、上の刑事課の応接室で。さあ、どうぞ」

2人の速度に合わせてゆっくりと西田は先導した。


 大場にお茶を出させた上で、西田は捜査資料を自分の机から応接セットのテーブルの上に置いた。それには、例の3体の遺体が出た事件の資料も含まれていた。


「さっそくですが。質問させてもらいます」

「どうぞ」

湯呑みにもほとんど手を付けていなかった岡田住職は、ソファーであっても背をきちんと伸ばしたまま西田に正対した。


「まず、この慰霊式について我々警察が関心を持っているのは、とある事件の重要参考人と思われる複数の人物がこれに参加していたようでしてね。まあとある事件と言いましても、住職もご存知でしょうから、隠しても仕方ない。6月に遠軽で発見されました、3年前の行方不明になっていた青年の殺人事件です。それで、その遺体が発見された場所、まあ殺害されたのも同じところだと考えておりますが、それと慰霊式の開催場所がほぼ同じというのも気になっているところなんですよ。はっきりとは言えないのですが、ひょっとすると式典で何かカギになることがあったのではないか? あくまで刑事の勘という奴ですがね……」

西田は言葉を選びながら喋った。ただ、佐田の件については、まだはっきりしなかったこともあり、話には出さなかった。


「うーん、何かあったのかと言われましてもねえ……。昔の話ということもありますが、特に何か問題があったような記憶はないですよ」

岡田は袈裟の上端を指でつまみながら、懸命に思い出そうとしている様子が見て取れた。

「そうですか。ちょっと抽象的過ぎる聞き方ですね。じゃあ申し訳ないですが、式典がどのように始まりどのように終わったか、一部始終について大まかで結構ですので説明いただけたらと思います。式次第については、この冊子にも載っていますから、お話の参考になるかと思います」

西田はそう言うと、冊子の向きを逆にして岡田の前に出した。


 岡田はしばらくそれを手に取って眺めていたが、静かに机に置き、

「正直これに書いてあるままの通りですよ。まずは当時の生田原町長の堂岡さん、これが生田原の駅長だった人でもあるんですが、彼の挨拶から始まり、国鉄の旭川鉄道管理局の局長の挨拶。そして、それまでに集められた、荼毘に付された遺骨が納められた幾つもの骨壷が並べられましてね。それを町長達が石棺に納骨し、我々が読経を上げました。そして国鉄職員を中心とした出席者が焼香という形ですね。最後は生田原町議会の三好さんが挨拶で締めました。時間的には2時間程だったと記憶しています」

と西田に告げた。

「その間には特に印象に残ることはない?」

「ないですね。申し訳ないが特別なことは全く思い浮かばないです」

「そうですか……。こちらも具体的なことを聞けないので、そうなると仕方ないですね……」

西田は無念さを滲ませた。伊坂、喜多川、篠田の3人の出席者と佐田、米田の事件、そして慰霊式典の行われた場所の結びつきが単なる偶然の一致なのか、それとも西田がイメージしているような、まだ浮かび上がってこない関係性があるのか……。見えない糸をたぐり寄せる作業である以上、困難な道のりであることは仕方なかった。


「じゃあ、ついでと言ってはなんですが、もう一つ、ある事件について聞きたいことがありまして。これはもう既に捜査しようがない話なんで、気軽に聞いてください」

と西田は話を変えた。

「同じ年の無縁仏の件ですね?」

「あ、どうして?」

「松野住職からその話も聞いてますから」

「そうでしたか。それなら話は早い」

西田は自分のお茶で乾いた口を潤した。


「警察と生田原町から無縁仏として供養を依頼された後、その遺骨はどうなったんでしょうか? 松野住職は知らないと先日おっしゃってましたが」

「はい」

そう言うと岡田は湯呑みに口を付け、一息入れてから口を開く。

「それこそ、慰霊式で一緒に納骨いたしました」

「え?」

西田は驚きを隠さなかった。いや隠せなかった。

「ちょっと待ってくださいよ。慰霊式はあくまでタコ部屋労働の犠牲者の慰霊式ですよね?」

「はい。勿論存じております」

「一緒に埋葬というか納骨して良かったんですか?」

「私の叔父である総信の判断でした。理由としては、タコ部屋労働の犠牲者ではないという絶対的な確信が警察の方にもなかったということがまずありました。そして次に、寺に無縁仏という形で安置しておくことよりも、慰霊式で他の皆さんにも慰霊してもらった方がいいのではないかということがあったようです」

「まあ、確かにわからんでもないですが……」

西田はそうは言ったものの、完全に納得出来ていたわけではなかった。


「私の記憶では、叔父は遠軽警察署と生田原町にそのことについて、きちんと事前に問い合わせていたと思いますよ。さすがに最終的に自分で勝手に決めて実行したということはなかったと思います」

「そうだったんですか。当時の捜査資料には弘安寺に預けたということまでしか載っていなかったものですから」

西田もさすがにそういうプロセスを経ていたと聞けば、文句をつける道理を持たなかった。


「ところで3名の遺骨も、タコ部屋労働の人達の遺骨と一緒にしちゃいました?」

西田は捜査とは直接関係ない疑問点を口にしていた。

「いえ、それはしていません。さすがに名前がわからないとは言え、はっきりと個別にわかれている遺骨を混ぜるのは仏道に反すると思いますし、叔父もそう考えたのでしょう。もしかしたら警察のアドバイスもあったのかもしれませんが、タコ部屋労働の方達のものとは分けております。警察から預かった骨壷のままで、納骨させていただきました。確か私の記憶では、その3体もどれがどのご遺体のものだったか区別が付くようになっていたはずです」

「そうですか。それなら全く問題ないです。いや、仮に問題があったとしても、今更どうにかなるような事件ではないので、意味がないと言われればそれまでですが……。それで、区別が付くようになっていたとありますが、具体的にはどのような?」

「弘安寺にある帳面に、それぞれの骨壷に甲・乙・丙と警察が記したものの他に、叔父が簡単な戒名を付けて同様に記したことが記帳されていたはずです。そういう帳面はちゃんと管理してありましたし、松野住職も几帳面な方ですから今でもあるはずですよ」

岡田は松野の方を向くと、松野も

「戻ってから調べてみないと何とも言えませんが、かなり古いものもありますから、多分大丈夫でしょう」

と話した。

「松野さんの話では、先日の捜索? の際に、どうもその内の一体については特定出来たようなので、もしこれから先、運良く遺族、と言っても、その方は結婚はしていなかったそうですから、遠い親戚となってしまうんでしょうが、そういう方が見つかった場合に引き渡せますからね。まあないでしょうがね……」

岡田は残念そうに言った。仙崎大志郎のことを前提にしているのだろう。

「寺川さんの証言が決定打になりましたね」

松野が「甲」の遺骨が仙崎の遺骨だとわかったのは、地主の寺川のおかげだと補足した。


「しかし、当時出席していた人達も、まさか無関係の可能性が高い人が納骨されていたとは思ってなかったでしょう」

「いや、私どもも騙すつもりなど、当然一切ありませんでしたよ」

西田は皮肉を言ったつもりはなかったが、岡田住職は口調こそ穏やかだが憤慨していたかもしれない。

「ああ、別に変な意味はないですから。失礼しました」

平謝りすると、

「いえいえ。何も気にしていませんよ」

と笑みを浮かべて、

「ただ、出席していた方の中には、後からですが、タコ部屋労働の犠牲者と一緒に3名が納骨されたと知った人もいましたね」

と続けた。


「それはどういうことなんですか?」

西田は聞かずにいられなかった。

「お名前は忘れましたが、何でもその無縁仏のご遺体を見つけたという国鉄職員の方が、わざわざ慰霊式からちょっと経った頃、慰霊式が9月末でしたから10月ぐらいだったかなあ、『警察から聞いてきた』ということで、わざわざ律儀にも弘安寺にお参りに訪れていただきまして。そこで、『実は』という話をすると、まさかその慰霊式の時点で、結果的に発見したご遺体にもお参りしていたとは思っていなかったようで、かなり驚いていた様子でした」

「無縁仏を見つけた国鉄職員!? そうなると3名いたはずですよ! ちょっと待って下さい。あ、こ、ここだここ! この3名の中にその人物の記憶に合致する人物は?」

それで何がわかるというわけでもなかったが、捜査資料の該当箇所をめくって提示する。西田としては内心、それが喜多川か篠田であれば、これを端緒に何か掴めるかもしれないと期待していた。


「今拝見しただけで、合致するかどうかと言われると……。顔なら憶えていますが、名前だけではちょっと……」

岡田にそう告げられた西田は、近くに居た小村に、

「小村、喜多川と篠田の捜査で集めた資料の写真あったよな? ちょっと持ってきてくれ!」

と呼びかけた。そして小村から写真を受け取ると、

「昭和52年当時の若い写真じゃないんで、判別が付くかどうかわかりませんが」

と言って岡田に呈示した。しばらく写真を眺めていた住職だったが、

「いやあ、その頃より年齢を重ねているのは確かなので、はっきりとは言えませんが、このお二人より男前というと失礼ですけれども、かなり二枚目の方だったので、今でもこういう顔にはならないのではないかと」

と口ごもった。

「そうですか……。となると残りのもう一人、種村と言う人物なのかな。ちょっと待って下さいね。今確認したい人がいますので、電話します」

西田はそう言うと、近くの机から電話を掛けた。相手は奥田だった。絶対に自宅に居るという確信はなかったが、電話に出た奥さんが奥田を呼び出してくれた。


「この前はどうもありがとうございました。ちょっとその件に関係することで電話させてもらったんですが」

西田は切り出した。

「おう。前も言ったべ?気兼ねなく何でも聞いてくれや」

「じゃあ遠慮なく。先日話を伺った、遺骨採集に際に3体の遺体を発見した話で、その発見者である、喜多川、篠田の他に種村 正敏という方が居ましたが、その人って、若い頃は結構男前でしたか?」

突拍子もない西田の質問に、奥田は、

「ええ? 今何て言ったんだべか?」

と聞き直してきた。聞き取れていたかもしれないが、意味が通らなかったのかもしれない。同じことをもう一度繰り返すと、

「言いたいことがよく理解できないんだが、確かに種村は若い時は結構モテたと思うな。ただあいつは糞真面目だから女遊びみたいなことはしなかったな。同僚の若い奴らがいつも『おまえはおかしい』と言ってたな」

と答えた。この時点で、ほぼ間違いなく種村が弘安寺に来たのだろうと考えた。

「そうですか。それで種村さんの今の住所か勤め先わかります? ちょっと急ぎで教えてもらいたいんですよ」

と続けた。

「勤め先は、出世して今JRの稚内保線区の区長だったはずだな。電電公社……、ああ今はNTTだったか、それに聴いて電話番号聞いて、保線区にかけりゃ一発で通じると思うぞ」

「そうですか。わかりました。ちょっと今急いでるんで、これで切らせてもらいます。スイマセン」

西田は一方的に電話を切ると、NTTの電話番号案内に掛け、稚内保線区の電話番号を調べ、すぐに電話した。奥田の言う通り、「区長の種村さんをお願いします」と言うと、すぐに通じた。


「もしもし? 代わりました。私が種村ですが」

声は西田が想像していたより低い声だったが、構わず西田は話した。

「こちら遠軽警察署の西田と申します。突然で申し訳ないですが、確認したいことがありまして。あの、種村さんは、昭和52年に身元不明の遺体を発見されてますよね?」

「え……? ああ、あれですか……。そう言えば管轄が遠軽署でしたね。なるほどその件ですか……。それで今頃になって何かわかったんですか?」

「いえ、そういうわけではないんですが、その後種村さんは、その遺体が安置されているというお寺を訪ねたことは?」

「うーん、言われてみれば訪ねたような気はします。ただ、その時に聞いたら、寺ではなく、別の場所に安置されているということでしてね。詳しいことは説明しきれないんですが」

確かにこの流れを一から説明しようと思ったら、かなり難しいことは間違いないが、幸い西田はそれを完全に把握していたのだから問題ない。

「そうですか。じゃあもう一つ。お寺で『見つけた遺体が、常紋トンネルの慰霊式で既に一緒に納骨されていた』という話を、一緒に発見した喜多川さんと篠田さんに後からしました? 普通そういう流れになると思うんですが?」

「そういうことまで既にご存知だったんですか……。それなら話は早いですね。はい。したと思います」

種村は力強く言い切った。何かこれが事件に結びつくかどうかはともかく、篠田と喜多川について知っておくべき情報は全て集めておくというのが今の西田に出来ることだ。西田は満足していた。


「それで、ご迷惑ついでに1つお願いがあるんですが……」

西田は申し訳無さそうに付け加えた。

「警察さんの頼みですから、出来るだけ協力させてもらいます」

さすがに堅物だったというだけあって、突然の要求に対しての口ぶりも丁寧だった。

「それはありがとうございます。若い頃の種村さんの写真、特に種村さんがその事件に関わった昭和52年近辺の写真を遠軽署に送っていただきたいんですよ。種村さんが行った弘安寺に当時居たお坊さんに、種村さんが実際に行ったかどうか最終確認するのに、顔しか憶えてないということなんで」

「あれ? なんか私が疑われてるとかそういうことなんですか?」

「いえ、それは断じてないです。事件自体が既に明らかに時効ですし、犯罪だったところで、誰も検挙することは出来ません。あ、勿論種村さんについて何か疑っているということも当然ありません」

誤解させないように詳しく説明した。

「そうですか。それなら一安心ですね」

ちょっと笑っているような声が聞こえた後、

「私には遠軽署の住所がわからないんで、教えていただけますか」

と種村は続けた。西田はすぐに宛先を教えると、

「何時になるかわからないんですが、必ずお返しいたします。種村さんのご自宅の方に返却した方がいいと思うので、こちらにも教えて下さい」

と告げた。そして種村からも返却先を聞き出し、礼を言って電話を切った。


 西田は再びソファーに座ると、

「大変お待たせいたしました。若い頃の写真送ってもらえるということですので、届いてから、岡田住職のいらっしゃる遠軽の弘恩寺の方に写真を持って確認しに行かせていただきますんで」

と頭を掻きながら言った。

「何かそのことが西田さんの中で大きなことになってるみたいですね」

と松野が話に入った。

「うーん、微妙なところです。ただ、出来るだけあらゆる情報を集めておくことが、難航している捜査においては重要なことでして。今回の件はやはりその慰霊式が何か関わっているような気がしてならないんですよ。そして今日の話で、微妙に無縁仏の件が気になってきましてね。勿論確率は高くないんですが、確認しておくべき情報は全部調べておくのが、今自分に出来ることですから」

西田は滑らかに自説を語った。すると、お茶を飲んでいた岡田は湯呑みをゆっくりテーブルに置いて口を開いた。

「ほう。まるで修行ですね。警察の捜査も」

岡田は感心したかのような口ぶりだった。単なる社交辞令というわけでもなさそうに西田には思えた。


「いえいえ。当たり前ですが僧侶の方の修行のようには行かないです。人間の欲望渦巻く事件を調べるわけですから、刑事もまたそういうものに知らず知らずに巻き込まれている。そういうもんだと思います」

「それを認識出来ているだけでも十分です。大変なお仕事ですよ」

松野の話を聞いていた岡田も、

「そうですね」

と短く同意した。


 必要なことは取り敢えず聴き終わったこともあり、西田はそのまま2人の住職に帰宅してもらうことにした。元々帰宅前に無理に引き止めた以上、余り長い間居てもらうのも気が引けたのだ。


 玄関先で見送る西田の前から、大きな寺院の住職が乗るにはおよそ似つかわしくない、松野の軽自動車に同乗して駐車場から出て行った2人を前に、何故か清々しい気分になった。それは新たな事実を掴んだことからだけではなかっただろう。


 そしてその後課長に得られた粗方の情報を報告した。課長も何か引っかかる部分があったようだが、今回の新情報が何か捜査に影響するのかしないのかについては、まだ懐疑的な見方をしていると西田は感じていた。西田自体、それに明確に反論するだけの根拠がないことは、自認していたにせよ。


※※※※※※※


 8月25日金曜日午前中の捜査会議において、いよいよ沢井課長は、薬物による佐田の遺体の完全消去処理を洗うという捜査をひとまず止めることを決断した。これ以上やったところで時間の無駄という判断をしたのだろう。これについては西田も竹下も賢明なものだと考えていた。残念ながら、最初の矢は完全にへし折られたという結末を迎えた。


 こうなってくると次の矢をどう放つかということになるが、捜査方針を立てた際の会議でも、名案が思い浮かばなかったこともあり、捜査会議は低調な雰囲気のまま進んだ。やはりあの現場より、遺体の移動のリスクを負ってまで、はるかに見つかりづらい場所に隠すとなると、なかなか簡単には名案は出てこなかった。


 篠田が米田を殺害したと思われる8月10日当日に、遺体の移動があったとしない場合には、時間制約は緩くなるが、そうなればなったで行動範囲は一気に広がってしまう。海や河川、湖沼なども割と近隣に散らばっているので、殺害当日に限らず、そういう場所も考慮に値するとは言えたが、果たしてそれが現場より「安全」と言えるのかは、やはり大きな疑問符が付いていた。篠田が掘り返した際に米田に見つかったことは考えられたが、十分に埋まった状態では、あの常紋トンネル付近の現場でずっと見つからなかったわけだから、その「実績」を「破棄」するのは、ちょっとやそっとのメリットでは案外出来ない決断だろう。


 結論としては、行動範囲の広がりを考慮すると、篠田は佐田の遺体を8月10日当日に移動してもらっていた方が、捜査としてはありがたいぐらいの、なんとも煮え切らないものだった。刑事達のイライラしながら吐くタバコの煙が刑事課に充満し始めていた。


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