第2話 序章2
しばらく走った国道242号を抜け、横路の林道を通ると、すぐに道端に「クマ出没注意」の立て看板が目に付いた。北海道の山中であれば、さほど珍しい「光景」ではないにせよ、あまり良い気分のシロモノではない。
まして、これから多少歩く必要性もあるのだから……。未舗装の乗り心地の悪い砂利道を10分ほど走ると、森林の中にあるちょっとした広場の様なところに出る。先に軽トラックとセダン型の乗用車にミニパトカーが止まっていた。
軽トラックは、JRの文字が書かれていたので、保線区のものだろうが、乗用車はもしかすると被害者の乗ってきたモノかもしれない。ミニパトカーは言うまでもなく、丸山駐在所員のものだ。
「黒須、ナンバー控えて署に無線で連絡して照会!」
竹下は西田が言うまでもなく、先回りしてすぐに指示を出す。ひょっとすると、保線区から連絡を受けた他のJR職員のものかもしれないが、現場まで行って確認する前に、持ち主を確定させておく方が、むしろ無駄な時間を使わなくて済む。連絡対応の黒須を取り敢えず残し、西田は竹下と共に現場に急ぐ。
徒歩でもある程度の時間を要することを覚悟していたが、多少上り下りが多かったのと足場が良くない程度で、時間にして5分も掛からずに目の前が開け、保線区員らしい数人と制服の丸山が集まっている様子が視界に入ってきた。
「遅れて済みません、遠軽署の者ですが!」
距離が100mはある段階で、西田が警察手帳を掲げながら声を張り上げた。
「お待ちしておりました」
丸山が気付いて敬礼をした。
「これはこれは早朝からお疲れさんです」
古参らしき保線区員が返してくる。
「どうも遠軽署の私西田と部下の竹下です」
目の前に来ると改めて名を名乗り挨拶する。
「こっちは、保線区長の村田というもんです。こいつは吉田、大谷、里見、井上……」
全体で7人いる部下を、1人ずつ古参区長が紹介するも、西田の目は既に横に見えた遺体の方を見やっていた。
そんな西田達と保線区員の挨拶が終わると、すぐに丸山は、
「遺体が所持していた財布の中から、免許証が見つかりまして、北見市内の吉見忠幸(よしみただゆき)さんという人のようです。昭和25年の5月産まれですから……、今は45歳でしょうか。顔写真と遺体の顔も一致してますので、まず間違いないでしょう」
と、免許を西田と竹下に見せながら言った。そして、
「一応、私も簡単に事情聴取はしましたが、後から刑事課の方達が来るので、二度手間になるとJRの人達にも迷惑かけますから、余り細かいことは聞いていません。西田係長や竹下さんが、細かい点については直接お聞き下さい。必要があれば私も答えます。また、現場を荒らさないように、簡単な検証以外はしておりません」
と続けて言った。
村田区長はそれを受けて、西田が質問する前に勝手に経緯の説明を始めた。
「3時半ぐらいだったかな……。保線作業しようとトラックで乗り付けて、ここまで歩いて来たら、何かマネキンみたいなモンが、線路の近くに横たわっていて、『ああ轢かれたか……』と思って懐中電灯で照らしながら近付いてみたら、特に遺体に傷もなく、うつぶせになった死体があってね……。ひっくり返してみると、額に大きな傷があったわけですわ……」
「なるほど、ということは今仰向けになっているのは、最初うつぶせだったわけですね?」
西田は村田に質問したが、
「係長! 村田さんは、一度またうつぶせに戻したみたいですが、私が確認のために仰向けにしました」
と、丸山がそれに割って入った。
「わかった。で、遺体の場所自体は動かしましたか?」
と西田は言った。
「それは動かしてないですわ。ただその場でひっくり返しただけだから」
「丸山も動かしてないよね?」
「勿論です、係長!」
丸山が
既に遺体と周りを調べはじめていた竹下が、
「これですね……。この感じですと、即死かそれほど時間を置かずに、あの世逝きですかね……」
と、近くにあった地面に埋まっている、赤い染みのついた大きな石を指した。
「ええ、その
丸山も言った。
「こっちも素人だけどすぐにわかったよ」
村田もそう付け加えた。
「だったら、そう最初から連絡してくれればねえ。こりゃ事故か」
と西田は内心思ったが、すぐに竹下の発言で覆された。
「係長! 周辺に、おそらくマルガイ(被害者、ガイシャとも言う)以外の、1人分の下足痕(ゲソコン=靴跡)がかなり見受けられますね。保線区員の人達の履いている長靴タイプとは違う靴のようです。丸山のとも違う? よね。つい最近付いたモノのでしょう。サイズは27(cm)前後ですかねえ……。おそらく男かな、サイズ考えると」
「私が来た時に、既に目に付きましたので、保線区員の人達のものとも違うと、チェック済みです」
丸山は、さすがにそこら辺にはぬかりがなかった。先に言わなかったのは、遠慮したからなのか、刑事達を試すためだったのかわからないが、そこまで性格が悪い若者とは思えず、刑事達に遠慮したのだろうと、西田は勝手に結論づけた。
そして、西田はすぐ顔を地面に近づけて調べると、確かに、長靴とも丸山ともガイシャの靴とも違う態様の下足痕が1種類見受けられた。
「これはどういうことでしょうね……。地面に埋まってるところから見ても、石で殴られたというより、頭を自分でぶつけたと考えるのが妥当でしょうけど」
竹下が困ったように西田に耳打ちする。
「確かに事故の可能性はあるが、もしマルガイ以外の誰かが居たとなると、マルガイが誰かに地面に頭をぶつけられてってのは可能性があるからな。この下足痕の人物が、当時どういう行動を取ったのかはっきりしないと何とも言えん」
西田も首を捻りながら言った。
その時、
「係長、主任! 車の持ち主がわかりました!」
森の向こうから、黒須が大声を上げて走ってきた。
「吉見忠幸という奴です!」
西田は竹下と目を合わせるとすぐに、
「黒須、それは今免許で確認出来たんだ! 悪いが、署に鑑識派遣要請してくれ。ちょっと詳しく調べたい!」
と叫んだ。
100m弱は離れていただろうが、黒須のややがっかりした表情は見受けられた。「あの」距離を、もう一度急ぎで往復する必要が出来たからなのは言うまでもない。ただ、あの時点で免許で確認出来るどうかは未知数だったから、この結末は仕方ないことも事実だった。
※※※※※※※
黒須が連絡してから1時間強経った後、鑑識の松沢主任と三浦が到着した。2人共、勤務日とは言え、緊急に早朝の出勤のせいか、無精髭が少々目立つ顔つきだ。保線区員は、彼らの本来の仕事があるので、鉄道の安全の必要性も考慮し、必要事項を聴取した後、また何かあれば後から事情を聴くことにさせてもらった。
それから、専門職の2人と西田ら4人の協力で、現場近辺をくまなく調べ上げた結果、マルガイは1m50cmほど離れた木の根もとに足を引っかけて、石に頭をぶつけた公算が強くなった。靴先に木の皮らしき繊維が不着していたのと、木の根の部分に擦った後が見受けられたからだ。詳しくは後で繊維を分析してみないとわからないが、おそらく間違いはないと思われた。
死亡推定時刻は、硬直具合により午前2時辺りとわかった。網走発札幌行きの上り夜行特急オホーツク10号が通過した後のようだ。それより後に通過した、札幌発の下りオホーツク9号の運転士は多少線路から離れていたので気付かなかったらしい。
この間貨物も通過しておらず、保線区員に発見されるまで、放置されていたことになる。こうなると事故の可能性が通常は高まるのだが、至る所に痕跡のある、「ゲソコン」の人物に追いかけられて躓いたという可能性もあり得るので、死亡原因について全く事件性がないかは、この時点では断定しきれなかった。
他にも「事件性」を推察させることがあった。遺体の位置から20mほど離れたところにあった、被害者・吉見のものらしき「遺品」には、時刻表とカメラの三脚や弁当などが残っており、おそらく夜間に鉄道写真(常紋トンネル付近は生田原側、留辺蘂側ともに鉄道写真撮影のメッカである)を撮影しに来ていたのだろうが、肝心のカメラだけが無くなっていた。
ズボンに残っていた車のキーを使って、吉見の車を調査しても、カメラは発見できなかった。また、財布や車内には荒らされた様子はなかったので、車のキーや財布には気付かなかったのかもしれないが、ここまでの「足」を考慮すると、その程度のことは当然「思い付く」はずで、最初から興味がなかったと考えるのが妥当であろう。そうなると、カメラにだけ興味を示した、ある意味「同趣味」の人物の犯行の可能性すら浮上する。
結論としては、少なくともカメラについては、どうも「ゲソコン」の持ち主が、吉見の死後か息絶える前に持ち去ったという公算が高まった。且つ、車は結局盗まれていなかったところを見ると、車自体に興味がなかったというより、場所柄を考えると「奴」は車でここまで来ていたのだろう。このカメラの件については、同僚の盗犯係に任せるしかない。
やはり、一番の問題は吉見の死に、この謎の人物が関わっているかどうかだ。確率的には高くはないが、謎の人物の行動が直接的に吉見の転倒死に影響している場合、傷害致死、場合によっては殺人罪の適用も考え得る。
また、仮にただの転倒事故だったとしても、謎の人物が吉見が倒れこんだ場所の周囲で動き回った時点での、吉見の生死を問わず、軽犯罪法1条18号(自己の占有する場所内に、老幼、不具若しくは傷病のため扶助を必要とする者又は人の死体若しくは死胎のあることを知りながら、速やかにこれを公務員に申し出なかつた者)に該当する可能性はかなり高い。
最後に、「広場」の他のタイヤ痕も採取し、3時間程度の捜索調査を終えて、遺体と車を収容し署に帰還することになった。吉見の家族へは、既に署より連絡をしてくれているはずだ。丸山の車とは生田原市街で分かれて、一行は国道を一路遠軽に向かった。
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