辺境の墓標
メガスターダム
序章 事件は忌まわしいトンネル付近の不審死体の発見から始まった
第1話 序章1
「辺境」=中央地域・都会から遠く離れた地域。国境
※※※※※※※
「係長! 最近、
先に昼飯を食べ終わった吉村が唐突にボソッと言う。
「ジョーモン? トンネル? なんだそりゃ、どっかのトンネルの名前でいいのか?」
西田はチャーハンをかきこみながら、気のない返事をした。
「ええっ? マジっすか? 常紋トンネルの話知らないんですか!?」
昼飯時で混んでいる定食屋であることに、彼なりに周りに気を使いながらも最大限の驚きを口にした吉村だったが、すぐさま理解したかのように静かに話を継いだ。
「ああ、係長は札幌出身ですからねぇ。知らなくても別におかしくはないか……。いやいや、俺も札幌出身ですよ! そんなのは言い訳にすらなってないや!」
自分1人で勝手に突っ込むと、
「ただ結構有名な心霊スポットですよ、北海道の中じゃ! ……いやいや、全国的にも結構有名みたいですよ、常紋トンネルは!」
と続けざまに力みながら語り掛けてきた。
子供の頃から、特別心霊やら超常現象に興味のない西田としてみれば、そう言われたところで何処吹く風であったが、部下が折角し始めた話の腰を折るわけにもいかず、多少興味のある体を装う。
「心霊スポット? ってことは出るのはあれか?」
「ええ、まさにその幽霊ですよ幽霊!」
「で、そのトンネルはどこにあるんだ?」
「隣の
「あそこら辺はたまに車で通るが、トンネルなんかあったか?」
西田は思い当たらず、怪訝な表情になった。
「いや、道路じゃなくて鉄道! JRですよJR!」
西田の質問が終わる前に、吉村が話を遮った。
言われてみれば、JRに乗った時に、生田原と留辺蘂の間で、トンネルを通ることがあったのを思い出す西田。
「ああ、あそこか……。確かにちょっとしたトンネルがあったな。そこに出るのか?」
※※※※※※※
常紋トンネルは、北見から名寄に抜ける鉄道路線敷設(オホーツク環状線構想)に伴い、明治45(1912)年3月(大正元号はこの年の7月30日より)からおよそ3年間掛けて建設され、大正3(1914)年完成した、長さ500m超のトンネルである。
鉄路敷設構想の初期時点で、網走方面からオホーツク海側を、湧別方面に抜ける海岸回りルートと、一度内陸に向け、留辺蘂、
当然のことながら、路線がくれば地元の利益になる、両予定沿線の住民、政治家による誘致合戦が激化。そのため鉄道院・後藤総裁(国鉄時代の国鉄総裁にあたる)は、比較調査をする必要性にせまられることになる。
結果、1909(明治42)年に調査のため技師を派遣するも、
しかし、もはや政治問題としての性格を帯び、山回りルート周辺住民による、政治家への圧力が功を奏したためか、中央政府も山回りルートを採用せざるをえなくなった。そしてその決定が、後に大きな悲劇を生むことになる。
こうして始まった山回りルートの敷設工事の中でも、その困難さで群を抜いていたのが、常紋トンネル付近の工事であった。資材を運ぶのにも苦労する密林、ヒグマの出没(現在でもヒグマの生息地域である)……。
そしてトンネル内は雪が積もらないので、過酷な冬場も作業を続けた(当時冬場に作業することなど、トンネル工事でなければ到底無理であったろう。ましてかなり積雪の多い地域だ)。当然のことながら、まともな人間ならば、逃げ出すような環境下においての工事である。つまり作業には、多数の「騙されて」連れてこられた「タコ部屋労働者」が当てられることになった。
食事は栄養の他ないもので、朝は夜明け、夜は日没までの作業。担いだモッコ(ムシロなど平面の布状のモノの四隅に、吊り綱を2本付けた形状の運搬用具のこと)により肩口は擦り切れ、その傷口にウジが湧くというような症例も普通に見られたようだ。また作業効率が悪かったり、言う事を聞かないと、ムチやスコップで殴られ蹴られの虐待を受けた。
当然のことながら、栄養不足から
そのため、犠牲者は100人を超えるのはほぼ確実、中には「400人近くでたのではないか」という証言をする当時の工事関係者もいる。また、留辺蘂側(北見方面の出口)よりも生田原側(遠軽方面の出口)で死者が多く出たとの証言もある。
そして、そういう凄惨な過程を経て、常紋トンネルは、大正3年にやっと完成し、大正5年には「湧別線」全線開通に至るのだ。
しかし常紋トンネルを世間一般に認知させることになるのは、むしろその「事実」以上にその後の「幽霊話」と言えよう。当時の常紋駅(現在は廃止)勤務になると、家族や職員に病人が出るということで、常紋駅(周辺)勤務は、国鉄職員からは非常に嫌がられたらしい。
もっとも、具体的に「火の玉を見た」、「信号が消えた」、「うめき声が聞こえる」という話や、「列車がトンネルを通過しようとすると、目の前に血だらけの男が立ちふさがったため、急停車して調べても誰もいない。そして出発しようとすると、また現れるの繰り返しで、いつまで経っても出発できなかった」、「駅の官舎に幽霊が出た」などの話が、常紋トンネルに関わる国鉄職員の間で広まっていたところを見ると、単に「気味が悪い」を通り越して、嫌がられるのも当然だろう。まして常紋トンネルは、まさに山の中にあって人里離れた場所だ。気持ちは十分過ぎるほどわかる。
結局、昭和34年に、当時の留辺蘂町や地元有志、
これは周辺住民、国鉄職員の不安を和らげることとともに、「ダイヤの乱れ」をなくしたいという国鉄の想いがあったようだ(公には、建立に国鉄の関与があったことにはされていないようだが、単に職員の嫌気を和らげるだけでなく、事故や列車の停止などの「現実の」影響もでていたため、国鉄としても慰霊せざるをえなかったと思われる)。
そして、現実に常紋トンネル周辺では、大正時代から現在に至るまでに、犠牲者と見られる人骨が多数発見、または掘り起こされている。幽霊話には、ある意味、明確な根拠が存在しているとすら言えよう。
また、この地蔵尊とは別に、タコ部屋労働犠牲者の慰霊碑が、金華駅からちょっと離れた旧・金華(かねはな)小学校跡地に昭和55(1980)年に建立された。
ところで、常紋トンネルに、タコ部屋労働者の「人柱」が立っているという話は、工事終了直後から既に地元では噂されていたようだ。あたかもそれを裏付けるような発見も昭和45年にされている。
崩れかけたトンネルの壁から、頭蓋骨が保線区の職員によって発見されているのである。だが、それ以上の人柱らしきものの発見の証言は、得られていないので、人柱として埋められたものかどうかについては、議論の余地があるだろう。
いずれにしても、昔から、常紋トンネル周辺で多数の人骨が発見されているという事実が、如何に犠牲者を多く出したかを物語っていることには、疑問を挟む余地はない。
北海道の鉄道や道路建設には、多数の囚人やタコ部屋労働者が関わっていることは紛れもない事実で、犠牲者も数多く出た。
常紋トンネルの他にも、囚人による過酷な強制労働で、多数の犠牲者を出しながら開通した中央道路(現在の国道333号線など含む)は、別名「北見道路」や「囚人道路」とも呼ばれ、周辺に「鎖塚」と呼ばれる、工事で死亡した囚人が、足に鎖で結び付けられたままで土をかけられて、粗末に埋葬された跡が今でも点在している(参照http://www.city.kitami.lg.jp/docs/7135/)。また、昭和40年代に廃止された旧・
そして、行政、特に警察も、そのような非人道的、あるいは触法行為を事実上「見逃してきた」、或いは「黙認してきた」という(賄賂等で、より積極的に業者側につくような警官もいたらしい)「現実」に対して目を背けることはできないだろう。
北海道の開拓史には、多くの「裏」の側面があることは否定できない。しかし、残念ながら多数の犠牲を払ってできた鉄路が廃止され、「地域」が過疎化、高齢化するに至り、そのような事実は、徐々に闇へと葬られつつある。そして今現在、我々は、それを指を咥えて見ていることしかできないのが、実際のところであろう。
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西田の食後から定食屋を後にした署までの道すがら、吉村から、常紋トンネルについての概略を教えて貰う西田であった。聞けば聞く程、なるほど確かにリアリティのある「心霊スポット」だと感じるようになってきた。基本的には、この手の話には興味がないだけでなく、胡散臭さの方を強く抱いている彼であったにせよ、現実にあった過酷さは、それを思いとどまらせるものだったということなのだろうか。
そんな話が丁度終わった頃、2人の職場である「遠軽警察署」が視界に入ってきた。交代で昼飯を待っている部下が待っているはずで、やや遅れ気味の到着を挽回するため、2人はほとんど無意識に小走りになった。
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西田らの勤務する遠軽署のある
人口は1万8千弱。名前の由来は、アイヌ語のインガルシ(眺めのよいところ)から来ている。かつては、国鉄・名寄本線と石北本線の接続駅として交通の要衝であったが、名寄本線が廃止されるに至り、石北本線のみの駅となった。
そのかつての路線形態の影響で、一本の路線上にあるにも関わらず、石北本線は遠軽駅で進行方向が一度逆向きになるという特殊な駅になった。元々は、北見から旧名寄本線に抜ける鉄路が本線だったことがその原因である。
そして件(くだん)の遠軽署は、その遠軽駅から徒歩で10分程の閑静な場所にある警察署だ。管轄地域の周辺町村含め、平和な町で警察沙汰もほとんどないが、ここに限らず、基本的に田舎、特に北海道の郡部の警察は「のんびりマイペース」なことに変わりない。
刑事事件は、せいぜい窃盗や傷害で、強盗や殺人等の凶悪犯罪はまず起こらない。最近起きた殺人事件は、この春に転勤してきた西田が聞くところによれば、今から3年前の話らしい。
故に配置されている刑事も極少数であり、大きな署であれば刑事課の中に強行犯係、盗犯係、知能犯係、火災犯係などがキッチリ分かれているのだが、強行犯係が他の事件も捜査担当する必要があった。その強行犯係の係長が西田である。その直属の上司として、刑事課長の沢井が就いている。
強行犯係は、配下に主任の竹下を筆頭に、小村、黒須、澤田、吉村、大場の6人の部下を抱える部署だ。暇な時は他の部署の手伝いをするケースさえある。つまり、およそ一般人が持つ通常のドラマで語られる刑事のイメージでは語れない部署だ。
※※※※※※※
急ぎ足で署の階段を駆け上がり、刑事課の部屋に戻ると、交代で昼食待ちの竹下と直属の上司である刑事課長の沢井が、カルト宗教団体の広報が出ている昼時のワイドショーを立ったまま凝視していた。
「弁が立つ奴にゃロクな奴が居ないよな……」
沢井課長が舌打ちしながらテレビに背を向けるのを見て、本人が意識しているかどうかはわからないが、弁が立つ上に、キレ者タイプの竹下が苦笑していた。
「おう、こっちの飯終わったから交替しようや!」
西田はタイミングを計ることもせず、部下の竹下主任と脇のソファで居眠りをしていた澤田、新聞を見ていた黒須、デスクで事務処理をしてた大場に声を掛けた。もう1人の部下の小村は本日非番であった。
「了解です」
既に西田の姿を捉えていた竹下も、間髪入れずに応答すると、澤田を黒須が軽く叩いて起こし、大場も手を止めて背広を羽織った。
「ところで、今日の日替わりはどうでした?」
最年少の大場が、西田と吉村に、本日の日替わり定食の「感触」を尋ねた。
「可もなく不可もなく」
西田に答える間も与えず、吉村が簡潔に即答した。
「わっかりましたぁ」
大場は先に出ていた先輩を追って急いで部屋から出る。それを見送った西田は、ラックから新聞を取り、先程まで澤田が居眠りしていたソファに腰を落とし、紙面を開いた。
※※※※※※※
この年、1995年は、年明けから阪神大震災が起こり、春先にはカルト教団による、地下鉄テロが起こるという、警察にとっても希に見る緊急事態に見舞われた年でもあり、所属する北海道警も、対岸の火事とは行かず、職員をかなり派遣する事態になっていた。
中でも、一連のカルト教団絡みの事件は、有毒ガスが使われたという前代未聞のテロ事件であっただけでなく、過去に起こした重大犯罪はもちろん、警察のトップが狙撃されるという、まさに警察の威信が問われる事例のオンパレードであった。
当然のことながら、それらは北海道の片田舎にある所轄署の職員達にとっても、到底無関心ではいられない事件の数々であった。もちろん、一般国民ですら相当の関心事であったのだから当たり前と言えば当たり前のことなのだが……。
※※※※※※※
トゥルルルル トゥルルルル
6月9日、西田は突然の電話に飛び起きた。寝ぼけ眼で手に取った、寝床の横にある目覚まし時計は、午前4時半を指している。と言っても、初夏の道東の朝は早い。カーテンの隙間からは、既に朝陽が煌々と注している。
「……はい、西田です」
「係長ですか、こんな朝っぱらからすいません」
案の定電話は署からだった。割と早口な特徴から、すぐ夜勤の竹下とわかる。
「何かあったか?」
「ええ。事件性の有無はわかりませんが、線路脇に不審死体があったとの通報が、JRの保線区から生田原駐在所にありまして。で、駐在の丸山巡査部長が、事件性の可能性も考えて、刑事課に出動要請をしてきました。通報者の口ぶりでは、轢死体では少なくともないようです」
竹下は早口ではあったが、口調そのものには落ち着きが感じられた。30前半だが、北海道でもトップクラスの大規模な所轄である、札幌中央署の刑事部門での勤務歴もあり、この手の事件に対する経験度の高さも出ているのだろう。発生場所は石北本線の生田原町の外れとのことだった。
「よしわかった! 署から黒須と共に直接俺の家に迎えに来てくれ。そのまま現場に向かう!」
電話を切ると、朝食べるつもりだったパン一切れを、粗くジャムを塗りたくって口に挟みながら、早々と着替えを済ませた。
※※※※※※※
西田は、結婚9年の所帯持ちではあるが、遠軽には単身で来ている。札幌の自宅に妻と一人娘を置いて遠軽署に勤務しているのだ。娘の転校による学校環境の変化への適応という心配理由もあったが、それ以上にマンションを購入したばかりだったことの方が、単身赴任の決定理由としては大きかった。
結婚も10年近く経つと、実際問題として、自由な時間が増える単身赴任も悪くないとは思っていたが、さすがに食生活においては「不自由」を感じざるを得ない。それでも2週間に1度は帰宅できる距離であるのが幸いである(札幌と遠軽はJRで3時間半程度の距離である)。
※※※※※※※
竹下達と西田のアパートの前ですぐに合流し、早速現場に向かう。腕時計は午前5時ちょっと前を表示していたが、この時点で日差しは相当強くなりつつあり、運転席の黒須と助手席の竹下はサンシェードを下ろしていた。
「思ったより早く着けそうですね」
黒須が早朝だったこともあり、3人が黙りこくっていた中、口を開いた。
「そりゃ車はまともに走ってないし、こっちはサイレン鳴らして、ぶっ飛ばしてるんだから当然だよ」
竹下は珍しくぶっきらぼうに言った。仮眠の最中だったのを起こされて、多少機嫌が悪かったのかもしれない。確かに元々交通量もそれほどない中で、この時間帯となると、如何にも農作業絡みのたまに行き交う車が散見される程度である。
現時点で事件か事故かはよくわからないが、車中で状況をよくよく聞くと、現場は噂の常紋トンネルの生田原出口からそう遠くない山中らしい。遠軽から生田原方向に向かい、国道242号を進行方向に左折すると、ほとんど未舗装の山道を行かなくてはならないようだ。
そうこうしている内に、現場に先に着いた丸山から無線で連絡が入った。丸山は生田原に駐在しているので、遠軽署管轄とは言っても、刑事課の西田が会う機会はそうないが、何度か生田原での小さい刑事事件で彼と関わり、若手ながらなかなか優秀な警官であることは西田も認識していた。そもそも、20代後半の若手で駐在所員を任されるということは、西田が認識する以前に優秀であることは確実ではある。
駐在所は、交番たる派出所よりも独立性が強く、一種の「小さい警察署」として機能するだけに、巡査部長か巡査長以上の役職以外では勤まらないからだ。その丸山の報告では、死因はおそらく頭部の打撲による脳挫傷らしい。また、現場は最後は車が入れないので、徒歩で行く必要があるとのことだった。未舗装はともかく、さすがに最後の徒歩の話を竹下から聞いたときには、死体に朝から「お目に掛かる」ことよりも憂鬱になる西田であった。
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