第263話 終章3 (19単独)

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 それ以前の日本では、高松政権が発足して割と早い段階から、「いざなみ景気」と呼ばれる非常に長い好景気状態(但し成長率は低いので、これを好景気と呼ぶかについては議論があった http://kezai.net/jpn/izanami)を保っていた。


 その要因としては、ITなどの新産業の興隆による、アメリカを中心とした景気の良い海外の需要(外需)に輸出産業が引っ張られたことがまず挙げられる。更に景気浮揚目的で金利を諸外国より低く設定(日銀によるいわゆる「ゼロ金利政策」)していた為、日本で借金し、借りた円を外貨に替えて、利率の高い海外で投資運用することで儲ける手法(いわゆる円キャリー取引)の活発化により、売られた円が為替相場で円安を招き、その通貨安によって、価格競争面や為替差益で輸出がより有利になるという構図まで出来上がっていた。


 一方で2001年から2006年まで、市場にある日本国債を日銀が買う(いわゆる買いオペ)ことで市場の通貨供給量(マネーサプライ)を増加させる量的金融緩和を行っていたが、こちらは規模がそれ程でもなかったことと、資金需要が当時余りなかったこともあり、効果としてはかなり薄かったと言われている(作者注・金融緩和目的で政策金利が極端に低い場合には、量的緩和しても効果を持たないと言う、いわゆる「流動性の罠」の為とも言われるが、長期間に大規模な緩和を行えば効果はあるという反論もあり、実際日米でその後成功した)。


 しかしながら「実感なき景気回復」と呼ばれた様に、平均成長率は2%割れというのが現実だった。また、氷河期より雇用は活発になったものの、派遣労働者の増加など賃金などにはほとんど反映されなかった上、下請けをはじめとした中小企業の業績も、外需絡み以外は好景気とまでは言えなかった。結局はあくまで(輸出系)大企業中心とした業績の好調に留まり、内需への波及効果がその長期間の好景気の割に余りなかったとも評される。


 大不況下における企業業績を改善させるのに、労働者の賃金や待遇が犠牲になったのは、ある意味「緊急避難」として仕方なかったとしても、その後の回復から表向きの好況時においてすら、「痛みに耐えた」労働者への報いはなかったというのが実相だったのだろう。


 そしてこの長期間に渡る外的な好要因にも、急激に異変が生じ始めることとなる。2007年末あたりから、アメリカ版の不動産バブルに依存していた住宅向けのサブプライムローンが、不動産価格下落などに伴い不良債権化したことで、海外金融機関の経営に問題が生じ始めたのだ。


 サブプライム危機は、2007年の後半から2008年初頭までで一時は収まったかと思われたが、サブプライムローンを大量に金融商品に組み込んでいた、国際的大手証券会社であるリーマン・ブラザーズが2008年夏に破綻したことで、再燃どころか被害が世界に拡大。いわゆる「リーマンショック」が世界経済をどん底に突き落として行った。株価も世界的に短期間で大暴落した。


 実はこの時、日本の銀行等の金融セクター(部門)は、バブル崩壊の「経験」から、危ない商品には余り手を出しておらず、世界的に見ればもっとも健全な状態だった。日本政府もその認識だったが、それ自体は全く間違いではなかったと言えよう。


 だが、90年頃から本格化したバブル崩壊後も、97年の本格的金融不況を迎えるまで、日本は数年間という長期のタイムラグがあったのと対照的に、何故かリーマンショック直後(2008年10~12月期)、震源地のアメリカどころか先進国ではもっともGDPが下がる(年率で実質GDP10.3%、前期比3.2%減 季節調整あり)という異常事態を迎えていた。


 この状況は翌期の2009年1~3月期に更に悪化(年率で13.7%、前期比4.2%減)して戦後最悪となっている。(作者注・速報値と確報値などしっかりと一元化したデータがネット上では見つからず、明確な値としては怪しい数値ですが、概ね傾向としては合っていることは間違いないのでご了承ください。一応確報値で提示している「つもり」です。それにしても、公的組織同士のサイトですら確報値が一致しないので困りました。日本ぐらい、確定するまで何度もGDPを修正する国はないそうです)


 この理由としては、まず金融セクターが健全だったことで、世界の資産や資金が日本へと「逃避」或いは「還流」し、経済状況以上に急激な円高になったこと。また、アメリカが自国の産業を有利にする目的でドル安政策を実行したこと。更にその円高進行や利率の差が減少したことで、円キャリー取引の解消(つまり借金を返す為に返済額を外貨から円に替える)による「逆流現象」が起き(こちらも還流とも言えるが)、円高に拍車を掛けることとなったこと等が挙げられる。急激な円高は、ただですら激減した外需からの収益を、為替面で格段に悪化させることをもたらしていた。


 そして何より、バブル崩壊による金融不況後、日本経済が労働者への所得再分配を長期に渡り怠っており、賃金抑制のシステムへと完全に移行していたこと(派遣労働の拡大や雇用自体が縮小した氷河期の出現)が挙げられよう。このことは、日本のバブル崩壊から数年を経た本格的な金融不況までの流れと、リーマンショック直後の大不況の流れが、対照的な過程を経ていたことにも表れている。


 前者は、金融セクターの経営失敗による巨大な不良債権と金融不安に、それをしばらくは補った(補ってしまった)、外需から得た利益の高率での労働者への再分配によって構築された、高度経済成長以降積み重ねてきた分厚い内需という構図(逆効果としては、不良債権処理を先延ばしに出来、かえって傷を深くした要因でもある)だった。


 それに対し後者は、金融セクターが至って健全だったにも拘わらず、外需に極端に左右されやすい経済構造移行と肝心の外需低迷に加え、外的不況に対して全くクッション機能を果たさなくなってしまった、ペラペラの薄い内需の組み合わせという構図だったのだ。


 しかも日本のバブルは、プラザ合意からの初期の円高による一時的な不況と、その後の景気浮揚対策に伴う金利安による活発な国内投資に伴い発生したが、リーマンショックはむしろ、リスクマネーが回帰したことで生み出された円高が、そのまま国内経済を蝕み続けるだけだったというのも対照的であった。既に金利が、ゼロ金利政策解除済みだったとは言え、バブル当時とは比較にならない程低い状態(バブル時には公定歩合は2.5%だが、リーマン・ショック前には0.5%)だったことも、政策金利上では打つ手がほとんどないことに繋がっていた。


 また、外需好調期に正社員ではなく、不安定な派遣雇用などの非正規雇用として増えた労働者が、外需崩壊で一気に首を切られたことそのもの(いわゆる派遣切り)が、この一連の流れの象徴的出来事だったとも言える。そしてその不安は更に内需を縮小させた。(作者注・後述1)


 リーマンショック以降の景気低迷やマスコミによる過度の批判により、民友党の麻丘内閣は2009年の7月に衆議院解散に追い込まれ、8月末の選挙で政権交代。9月には、民政党主導の鶴山連立内閣が誕生した。


 しかしながら、公約に「埋蔵金」などの夢物語を盛り込んだことで、有権者の期待を膨らませ過ぎたのが仇となる。その後の沖縄米軍基地移転問題などの政権運営ミスや鶴山本人の脱税スキャンダルもあって、1年足らずで次の菅野内閣へと変わらざるを得なくなってしまう。


 悪いことは続く。菅野は首相交代直後に、民政党政権支持率回復に気を良くしたのか、財務省主導の「消費税増税論」をぶち上げたことで、直後の参院選で敗退(敗退の根本には、鶴山内閣の右往左往に対する不信感があったと見られる)し、衆参の多数派が異なるねじれ現象を起こしてしまった。これにより、いわゆるレームダック(死に体)化した上、中国漁船の尖閣沖侵入への対処ミス(作者注・後述2)で国民の支持を失う。


 そして運命の2011年3月11日を迎える。この日菅野は、朝から国会の質疑で、新聞報道された在日韓国人からの外国人献金疑惑で追及されていたが、午後3時前、マグニチュード9.0という、世界史上でも有数の大規模地震が宮城県沖で発生(作者注・正確に言えば、最初の地震に伴い連続して発生した3つの地震の合計 http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103130302.html)した。歴史上の多くの津波被害にあってきた三陸は勿論のこと、東日本の太平洋岸一体を大津波が遅い、2万人近い死者・行方不明者を出す大惨事となった。


 更に、地震により福島県にある関東電力双葉発電所の外部電源が喪失した上、そこに大津波が押し寄せ、非常用電源として発電していたディーゼル発電機が停止し、冷却機能が完全に失われたことで、チェルノブイリ原発事故以来のレベル7のメルトダウンがその直後発生した。


 戦前に既に一度経験していた、「歴史上」の不動産及び土地神話の崩壊は、90年代のバブル崩壊時に再びリアルタイムの「経験」として現世代の目の前に出現した。だが、その経験を当時の経験者から直接伝承されていた静岡銀行の現役経営陣は、自らの血や肉となっていた伝聞情報から、惑わされずに適切な対応を取ることが出来た。


 また、釜石市内の小中学生のほぼ全員が、大津波被害の中でも生存出来たのは、過去の津波被害の経験を、子どもの教育に積極的に取り入れていたことが大きかったとも言われる(作者注・いわゆる「釜石の奇跡」

https://www.sankei.com/life/news/140310/lif1403100041-n1.html)


 一方で、日本における原発安全神話の崩壊は、「日本」の歴史上初めて、そして同時にリアルタイムで初体験として現世代へと襲いかかって来たのである。もっとも、2004年の中越地震における関東電力狩場原発事故をどう評価するかによっては、既に「崩壊」を経験していたと見ることも可能かもしれない。更に、その経験があったからこそ、双葉発電所には、大地震時にも原発運営に対応可能な「免震重要棟」が建設されたのであり、それが実際に原発事故対応で大きな効果を発揮した以上、あくまで部分的には活かせていたとも言えるだろう。


(作者注・作品上の狩場原発のモデルである、刈羽原発事故については、http://www.shippai.org/fkd/cf/CZ0200804.html )


 津波による大被害に原発事故のダブルの危機という、原爆を短期間に2発落とされた上、ソ連が不可侵条約を破って侵攻して来た敗戦末期1945年8月以来の国家存亡の危機に、政治経済は3月中混乱を極めるが、運の良さもありギリギリのラインで踏みとどまった(4号機の燃料プールでの奇跡が無ければ、場合によっては関東地方でも人が住めなくなる危険性すらあった

http://judiciary.asahi.com/articles/2012030800001.html )。


 しかし、原発事故を中心として震災対応を批判され、菅野内閣は夏過ぎに退陣することとなる(作者注・後述3)。


 その後を受けた野口内閣も、リーマンショックから立ち直れない日本経済と低迷する外需に、東日本大震災の後遺症という「内憂外患」に翻弄された。


 特に、リーマンショック以降元々円高傾向にあった為替相場が、阪神大震災でも経験した「大災害後の円高現象」で、日銀の為替介入にも拘わらず、対ドル80円前後を行ったり来たりする状況が続いたことが痛かった。このことで、直接の地震被害とは別の悪影響という形での、経済的な痛手を負ったのだった(作者注・後述4)。


 更に、衆参のねじれ構造の中でも、野口内閣の政権運営は困難を極めることとなった。そして一か八か、2012年の11月に消費税増税を前提に衆議院解散総選挙に打って出るも惨敗し、民政党内閣は、2012年末を以て終止符を打つことになる。


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 西田は311当時、函館方面本部の捜査一課長補佐として庁舎内に居たが、地震発生を受けてテレビを付けて見た直後に、地震の大きさから警報を待たずして、「三陸に津波が来る」ことを確信した。しかし、その確信以上の大津波が、三陸どころか東日本一帯を覆い尽くした惨状までは予期することは出来なかった(作者注・遠く離れた三重県のリアス式海岸である英虞あご湾辺りでも、数mの津波となり、養殖イカダなどに被害が発生

https://iseshima.keizai.biz/headline/1096/ )


 大津波が、三陸地方各自治体における、津波からの守護神たる高い防潮堤を易々と乗り越え、人や車どころか街ごと押し流していく様は、まさに風呂の水が風呂桶から溢れるが如き様相であり、自然の驚異をまざまざと見せつけるものであった。それは2004年に発生したスマトラ沖地震での津波映像などとは比較にならない程のパワーを感じさせた。


 西田と吉村が、02年に訪れて登った田老の世界一の防潮堤も、巨大津波の前に勢いを弱めたとは言え、大きく破壊されたと後に知った。そして東北の太平洋沿岸に勤務していた多くの警察官なかまが、避難誘導や信号停電での交通整理などの業務中に、津波に飲み込まれ殉職していた。


 道内でも、釧路など太平洋沿岸は数mの津波に襲われ、函館では身体の不自由な人がアパートの1階で逃げられず水死(道内唯一の犠牲者)するという悲劇も見られた。


 ただ、津波により亡くなった多くの人達への悼みと同時に、津波によりその後の人生を大きく狂わされたであろう更に多くの生存者に対し、西田は、桑野欣也と大島海路こと小野寺道利の従兄弟2人の人生を重ねずには居られなかったのだった。


 そして直後に起きた原発事故では、それが高垣真一が東西新聞を退社する直接の切っ掛けとなった、まさに双葉発電所の事故だっただけに、自分が経験した一連の事件の捜査と、311で起きた2つの大きな事象の密接な繋がりに、運命の皮肉を感じていた。


 それにしても、電気を生み出すはずの発電所の維持管理に、外部(しかも電力供給元は関東電力ではなく、東北地方を管轄するみちのく電力)からの電気が必要だとは、原発安全神話以前の問題として全く予備知識になく、この程度の知識で物事の是非を判断していたのかと、西田は己を恥じたのだった。


※※※※※※※作者注・後述1


 実質経済成長率で見ると、悪名高きバブル崩壊後ですら減少率が年度(つまり4月から翌3月)別ではマイナス1%を越えたことがなかったにも拘わらず、リーマンショック以降は2%を越えた減少率が2年続けて出されており、如何に異常な不景気だったかがわかります。

http://honkawa2.sakura.ne.jp/4400.html


因みに、作者注・後述4でも触れますが、阪神大震災後から為替は急激に円高に振れており、東日本大震災同様80円台前半を行ったり来たりした時期がありながらも、95年(年平均では94円)は十分に高い成長率をしていることが判るはずです。

http://ecodb.net/exchange/usd_jpy.html (ドル円為替「年次」推移に注目)


 これを見ても、外需が一定で内需構造がしっかりしていれば、為替を必要以上に円安にする必要はないということが判ります。勿論それは「日本の輸出企業の競争力」が価格競争面以上にあった時代だからこそと言えるのも事実でしょう。逆に言えば、今の外需産業は、為替の助けを借りないとどうにもならない、国際競争力の低下を含んでいるのかもしれません。


 いずれにせよ、バブル崩壊が日本経済に与えた影響という意味では、経済そのものへの影響というよりは、むしろ企業の雇用観や労働体系、更には利益の社会的分配に対する意識転換を促してしまったという分析の方が正確かもしれません。以下のサイトの画像に出てくるグラフを見ても一目瞭然です。これでは「デフレ」するのも当然ですね。いざなみ景気といわれた期間でも、額面たる名目ですら下がり気味なのですから。一応この期間は、大企業はバブル以上に儲けていたはずなんですが……。

http://saigaijyouhou.com/blog-entry-19489.html


 また完全失業率については、97年のバブル崩壊後の本格的金融不況以降、いわゆる氷河期世代を生み出し、2003年の1月の5.5%をピーク(年次でいうと2002年の5.4%)に、いざなみ景気で減少に転じました。しかしリーマンショックで再び上昇し、2009年7月の5.6%という戦後最悪の数値を叩き出し、年次では2009年と2010と共に5.1%の数値になっていました。


http://honkawa2.sakura.ne.jp/3080.html


※※※※※※※作者注・後述2


 海保船舶に激突し破損させて逮捕・勾留された中国漁船の船長は、後に表向き検察の判断、実質政治的な判断により釈放されますが、船長逮捕の直後、中国政府側の要請で中国国内を訪れていたゼネコン「フジタ」の社員がスパイ容疑で(不当)逮捕されたり、レアアース禁輸(結果的に中国産レアアース離れを招き、中国側は長期的視点でみれば、大きな利益を喪失)などの中国側の報復が、その判断の背景にありました。特にフジタ社員の拘束が大きかったと思われます。


 中国側としては、民主党政権とアメリカ側で起きた米軍基地問題に端を発したいざこざを利用して、日本側に揺さぶりを掛けて来たという動きの1つと見て良いでしょう。この点は、2018年の12月にファーウェイの女社長が、アメリカの要請でカナダで捕まった後の中国政府のやり口と全く同じです。いわゆる「人質交換」ですね。勿論、アメリカも強引な外交政策をやっていますが、中国はそれを超えることが普通にあります。

 

 尚、海保の衝突時撮影ビデオが、後に海保職員により流出して大騒ぎになったものの、元々国会議員(の一部)には既に見せられており、機密情報の内部告発による流出というのはややオーバーでしょう。実際海保内でも情報管理はされず誰でも見られていた状態でした。


 因みに小泉政権下でも、中国側の活動家が尖閣諸島に上陸後、沖縄県警に逮捕された直後に勾留せず国外退去処分(直接的な被害がなかった為)されていますが、結局この手の話は日本側が常に譲歩しているというのが現実でした。


 当時の小泉首相の判断については、この政治判断が中国側の過剰反応を防いだという考えと、民主党政権下での「弱腰」未満だという考えの2通りの評価があり得ますが、いずれにせよ菅内閣では、海保船舶の破損があった以上、「逮捕後勾留せず」という判断は、まず無理だったというのが現実ではないかと思います。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%96%E9%96%A3%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%BC%81%E8%88%B9%E8%A1%9D%E7%AA%81%E4%BA%8B%E4%BB%B6


https://www.news-postseven.com/archives/20120914_142610.html


※※※※※※※作者注・後述3


 一般的に福島第一原発事故においては、「原発は地震には耐えたが、想定外の津波にやられた」ということが言われるものの、実態としては不正確な表現というのが正確でしょう。


 何故ならば、当時福一近辺の震度(双葉町・楢葉町)は震度6強で、地震発生と共にスクラム(原子炉内部の炉心に制御棒を挿入し、核分裂反応を抑えて緊急停止させること。但し熱が発生しなくなる訳ではない)には成功したものの、冷却システムの配管の一部と、外部電源の受電設備や供給設備が地震自体により破損しており、もしそちらが地震でも無事(特に外部電源)なら、仮に津波が襲ってもほぼ問題なく冷却出来ていた可能性が高いからです。


 「原発は地震には耐えた」は、「原子炉が地震には耐えた」が正解であって、原発全体のシステムとしては、地震そのものにかなりやられていたというのが、本来あるべき表現と断言して良いと思います。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80%E4%BA%8B%E6%95%85


http://www.asahi.com/special/10005/TKY201105240733.html


 また、「津波が想定外だった」という言い訳について言えば、吉田所長自身(当時は所長ではない)が津波が10mを越えるという学者の意見を採用しなかった東電中枢の会議に居たという事実があり、事故後は孤軍奮闘したとは言え、言葉は悪いものの、ある種の自業自得という面もあるでしょう。そして科学面の「可能性」と言うより、「歴史」上既にこの付近での大地震(貞観地震)による大津波が東日本を襲っていたという「事実」、つまり、科学的検証も踏まえた史実が存在していたことを無視した重みを認識する必要があります。


http://www.scj.go.jp/ja/event/pdf2/170801-1.pdf

https://unit.aist.go.jp/ievg/report/jishin/tohoku/06_08_03.pdf 

http://www.shippai.org/images/html/news848/article1.pdf

https://www.kahoku.co.jp/special/spe1090/20180830_02.html

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/44293?page=3


 更に、福一の現場自体が地震と津波による混乱で、初期対応(具体的には、非常用復水器が作動していると誤認して対応をミスし、それがその後のメルトダウンを早めた)に失敗しています。

http://genpatsu.tokyo-np.co.jp/page/detail/11


 ベントも電源を失った時点で手動による方法すら当初わからず、最後にはなんとか高放射線量の中でも外部からベントする方法を見つけますが、それまでの間に相当の時間を費やしました。尚、後でも触れますが、この間に当時の菅首相が福一を視察し、現場作業を邪魔したと「問題」となりましたが、吉田所長本人が「余計な訪問だった」と文句を吉田調書で証言している一方で、「ベント出来るなら、首相が来ようがやった」と、菅首相の訪問とベントの遅れには因果関係は全く無いと証言してもいます。


https://www.sankei.com/affairs/news/140822/afr1408220003-n2.html (このサイトの次のページ3も参照)


 そもそも、原子炉内の圧力の関係で、あれだけ必死に注水作業したにも拘わらず、ほとんど水が入っていなかったというその後の検証結果が出ており、初期対応に失敗した時点で、「詰んでいた」というのが現実だったと見るべきでしょう。


●1号機の事故過程 

http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/outline/2_3-j.html

http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/outline/2_4-j.html


●2号機の事故過程

http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/outline/2_5-j.html

http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/outline/2_6-j.html


●3号機の事故過程

http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/outline/2_7-j.html

http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/outline/2_8-j.html


●4号機の事故過程

http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/outline/2_9-j.html

http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/outline/2_10-j.html


●全体の流れ

http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/outline/2_11-j.html


●福島第1原発と違い福島第2原発が過酷事故を免れた理由

http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/outline/2_12-j.html


●最新の検証(NHKスペシャル)

https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20170418/index.html


●批判の多かったヘリ放水に意味があったのか

https://president.jp/articles/-/23927?page=2

https://www.sankei.com/affairs/news/140825/afr1408250005-n2.html

https://tvtopic.goo.ne.jp/program/ex/641/645243/


 尚、最後のヘリ放水についての顛末を見ても、これにはアメリカ政府、官邸、現場の三者三様の見方があったことがわかります。

おそらく「効果としてはほぼ意味はなかった」というのが事実でしょうが、「何でもいいからやらざるを得なかった」という所でしょうか。


 アメリカ政府は「菅首相や政府の当事者意識が当初なかった」と思っていた様ですが、日本側は「菅首相が最初から東電に任せず干渉し過ぎた」という評価であり、見方によってこうも違うのかと驚かされます。念の為言っておくと、「原子力災害対策特別措置法」により、内閣総理大臣は関係各位に指示する必要は法的には、一応あります。


 また、官邸側は当初アメリカからの協力要請に積極的ではなかったと見られますが、状況がアメリカの言うことを聞かざるを得なくさせたと見る事が出来るでしょう。


http://www.alter-magazine.jp/index.php?%EF%BD%9E%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%AC%AC%EF%BC%91%E5%8E%9F%E7%99%BA%E4%BA%8B%E6%95%85%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%97%A5%E7%B1%B3%E9%96%A2%E4%BF%82%EF%BD%9E

(上記ソースは「カウントダウン・メルトダウン(舟橋陽一著)を参考にしていますが、私も該当本を以前読んでいるので、中身はほぼ間違いないと思います)


 また、先述した、菅首相が3月12日早朝に現場に視察に行ったことでベントが遅れた(そもそも、その後ベント出来たと思ったら水素が逆流して建屋が爆発しているようでは……)、並びに海水注入が菅首相の命令で中断されたという点については、そもそも中断していなかったので、既に政局も含めた「デマ」だったことが確定しています。何故か「海水注入中断」デマ発生源の現・安倍首相のメールマガジンによる「名誉毀損」については、裁判で「認められなかった」ものの、海水注入中断がデマであることは裁判上の事実認定でも確定しました。

https://www.tbsradio.jp/124300

https://megalodon.jp/2013-0717-2331-11/www.s-abe.or.jp/topics/mailmagazine/2291 (メルマガ魚拓)


 そして、この判決が異常な点は、「事実関係がはっきりした後」でもデマ情報を長期間巻き散らかしていたことについて、名誉毀損が成立しなかった点です。一部の人にしか提示していないからOKというのでは、マスコミであれ、リアルタイムで誤報や捏造を提示し続けていなければ、人目に触れずに同じ様な条件ですから、下手をすればマスコミですら「誤報放置で訂正せず」が許されかねない、アホな論理としか言い様がありません。名誉毀損を成立させないが為の屁理屈ですね。


 一方で、菅首相が「再臨界の可能性について検討しろ」と感情的になったことが、官邸にいた東電の武黒フェローを勝手に忖度させて、「注入止めろ」と吉田所長に指示したというのもまた事実ではあるようです。まあそもそもその時点で、菅首相は既に海水注入が開始していたことすら知らなかったのですから、「中断指示」はあり得ないのですが。


 他にも、アメリカからの「冷却材提供を官邸が断った」と言った話(読売新聞がアメリカ側の報道を受けて当初報道)

http://www.asyura2.com/11/senkyo110/msg/341.html

も、軽水炉の冷却材=水であることから、緊急時にアメリカから提供される意味がない(ホウ酸は核分裂反応を押さえる役目はあるが、直接的冷却効果はないので、冷却材とは全く無関係)こと、並びに当時は真水が足りなくなって海水注入したものの、十分な真水の用意は現地以外でも出来ていなかった(米軍から真水が提供される状況が整ったのは、ある程度原子炉のコントロールが出来るようになった3月25日以降)ことから、震災直後の混乱時に、アメリカ政府含む何らかの混同があったものと思われ、未確認情報を元にしたか、故意によるいい加減な報道も見られました。これについては読売も未だに訂正報道していません。


 更に官邸(つまり菅首相など)がメルトダウンを隠蔽させたという情報(東電の記者会見中に官邸からのメモで「メルトダウンを使うな」ということを伝言したシーンが映り込んでいた為)がありましたが、その後の新潟県が主導(刈羽原発の運転再開との絡みで)した東電との検証で、その指示について官邸は関係ないこともわかっております。


 またメルトダウンと同じ意味である「炉心溶融」については、当時の枝野官房長官は記者会見でも使用しており、「メルトダウンという言葉のインパクトを薄める」目的としては成立しても、事実関係を隠蔽したというのは無理があるでしょう。

https://www.asahi.com/articles/ASKDV77DDKDVUOHB011.html



 ついでにSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)を「官邸」が隠蔽したと騒がれたことについてについても検証しておきます。このことで、浪江町に避難した人達が高濃度の放射性物質に晒されることになったと批判されました。


 まず厳密に言えば、福島県にはSPEEDIの情報は当初行っています。ところが福島県側がメールで送付されたデータを廃棄してしまいました。

https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16025c/genan13.html

ですから情報が完全に隠蔽されたというのは、「ほぼ」デマだったことになります。


 しかしながら、実は文科省の政務三役(大臣・副大臣・政務官)が後からのデータについては隠蔽したことが判明しており(http://portirland.blogspot.com/2013/07/suzuki-kan-genpatu-jiko-speedi-inpei-riyu.html )、そういう意味ではデマではなく正しかったとも言えます。


 一方で、官邸とは「総理大臣官邸」であることからして、文科省三役の独自判断だとすれば、それは官邸とは無関係(「政権」という枠組みであれば正しい)なので、この文脈で菅首相を叩くのはまた別の問題(政権の長としての監督責任は当然ある)であって、ここが混同されていたことが話をおかしくしたと言えるでしょう。問題の本質は、事前の原発事故訓練でSPEEDIを使用していたことを知らず、当時官邸にいた菅首相始めとして中枢が、SPEEDI利用を思い付かなかったことにあると見るべきです。


 そもそも、SPEEDIを隠蔽したと叩いてた側の自民党が政権に付くと、SPEEDIの情報を(国の原子力規制委員会は)避難判断には用いないなど、意味不明なことを言い出しており、ただの政局目的の批判だったと言われても仕方ありません。

https://mainichi.jp/articles/20160321/ddm/005/070/007000c


 逆に、菅首相が東電の撤退を止めたという「東電撤退阻止問題」について言えば、話は菅首相の功績だったということが完全に否定されます。


 まず、菅首相が東電の清水社長と官邸で会うまでは、撤退意思が「あった」と言う認識が官邸側にはあった模様ですが、民主党とは直接関係ない、元警察官僚で内閣危機管理監であった伊藤哲郎氏が、「あった」と証言していることから見て、そういう認識もしくは誤解が生じていたことまでは、取り敢えずは事実でしょう。


 但し、菅首相が清水社長と会った時点では、菅首相が「撤退は駄目だ!」と発言すると、清水社長は「撤退するつもりはない」と発言しており、菅首相もそれを証言しています。つまり、この時点では東電は撤退する意思はなかったのは確実です。問題は、「どの程度の人数を残すか」ということについての解釈問題だったと見るのが、現在では妥当と言った所でしょうか。当然ですが、「現場」は撤退するつもりはなく、その点については官邸側とリアルタイムで電話確認が取れており、これは東電「本店」側と官邸との問題に過ぎません。


http://iiko.hatenablog.com/entry/20120725/1343193826 


 但しこのソース元は、「官邸側が嘘を付いている」としているものの、東電と会った時点で「撤退問題はなくなっていた」という証言を菅首相自身がしていることと、それまでに官邸側が東電の話から撤退問題を認識していたことは矛盾しないので、官邸と東電に「意思疎通の誤解があったか」どうかはともかく、即時それがダイレクトに「意図的な嘘」になるかというのは、単なるソース元の個人の解釈ですね。まあこの「解釈論」については、私も含め世の中色々ありますから、フラットな意味で「モノの見方」と言ってしまえばそれまでですが。


 尚、撤退と言えば、朝日新聞が吉田調書を元にして、「福一から作業員が逃げ出した」としたいわゆる吉田調書捏造問題があります。これについては事実関係を整理しておく必要があるでしょう。


1)吉田所長が「線量が高くなったので福島第一原発構内で『退避』」を命じた所、700人の現場作業員のうち650人程が「指示を誤解して福島第二原発へ移動して『避難』した」


2)これを朝日新聞が「指示を無視して勝手に逃亡した」と報じた。


3)吉田所長はこの意思伝達の誤解を「仕方ない」と考えていた。


https://diamond.jp/articles/-/59026?page=3


 この関係で言えば、現場のモラル(正確にはモラリティ)を無理やり批判する報道と見るか、多数の作業員が危機的状況の中、現場から離れた事実を重視するかということで、判断が割れる事案ですが、どちらも成立する話であり、一方的にどちらかの肩を持つ必要はないはずです。朝日が東電批判の為事実を曲げたことと、現場が混乱で統制されておらず、更なる危機を招きかねない事実があったことは共に成立するのであり、片方に寄る、或いは相殺するのは無駄でしょう。まあソース元は私とは意見が若干違いますが。また、念の為言っておくと、この撤退問題と、官邸と東電との間であった撤退問題は完全に別物です。


 まあ、このように当初の原発事故報道は、原発ムラと反原発派の間で色々な思惑で捻じ曲げられたという経緯があります。しかも、朝日だろうが毎日だろうが読売だろうが産経だろうが、ほとんどの原発事故報道が、混乱収束後もまともに検証されないままで放置されていますね。唯一槍玉に挙げられたのが朝日の吉田調書捏造問題ですが、これ以外もあらゆる報道がいい加減なものだったと良いぐらい酷い報道だらけでした。


 ただ、比重で言えば、政権として第一義的な事態収拾責任のあったとは言え、官邸や菅首相が不当に叩かれる率は高かったと言えるでしょうか。東電も色々と叩かれましたが、検証してみると、まあ実際に責任があったことが多い上、官邸に責任を転嫁する原発ムラの擁護もあり、気の毒な面もある一方、仕方ない部分の方が多いかとは思います。


 当然ながら、事故後まともに対処出来ない経産省と東電側への不信感から、暴走して混乱に拍車を掛けた側面のある、菅首相の「イラ菅」具合についても、大いに責任は免れないでしょう。しかし、しばらくまともな情報が官邸に全く入らず、現場のやることなすこと失敗続きで、原発の専門家(経産官僚含む)は全くアテにならないだったという状況もあった上、検証からもそれがメルトダウンや原発事故の原因とするのは明らかに無理です。これだけは明確にしておきます。


 そもそも通常時ですら1000人以上必要な原発の運営に、原発4基が危機にある非常時にそれより少ない人数で対応することなど、美談どころかむしろ悲劇としか言いようがないんですがね。「福島50」を感動物語として終わらせるのは、「小説」ならそれでいいですが、ノンフィクションとして見ればただのホラーでしょう。


 なんでも、2020年に福一の原発事故を扱った映画(門田隆将氏の原作で、ナベケンと佐藤浩市のW主演)が出来るようですが、原作同様、吉田所長英雄論に基づいた作品であるならば、明らかに問題点のある作品となることでしょう。現場の人々が、突然の事故で翻弄され苦労したという評価はあり得ても、一連の原発事故で英雄など1人もいません。何しろ「何も解決しなかった」のですから。そして何より、吉田所長は津波を過小評価した中の1人だったという最大の問題があります。



https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80%E4%BA%8B%E6%95%85


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80%E4%BA%8B%E6%95%85%E3%81%AE%E7%B5%8C%E7%B7%AF (米軍の水提供については3月25日注目)


 それにしても、福一の事故を追うと、原発安全神話に囚われ経済効率を重んじ、国と東電共にまともな事故対策を事前に取らなかったことと、現場の対応能力の圧倒的不足、そして現場が対応出来なくなったことで焦った東電本部と官邸や経産省(保安院含む)による無策と過度の介入という、あらゆる悪循環が発生していたことがわかります。


 そして、一連の経緯を見るにつけ、電力会社と経産省の原発ムラの無責任具合が酷い。当然、菅政権も含めた歴代内閣の原発行政への無責任さについては言うまでもなく、「海水注入中断」デマを撒いた安倍首相もまた、第一次政権下において、津波対策への不備を共産党の議員から問われ無視した責任は免れません(これについては、同じ質問が鳩山政権下でもなされ、当時の直嶋経産大臣も同様の答弁をしている点も当然批判するべきでしょう)。

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a165256.htm



※※※※※※※作者注・後述4


 大災害発生で通貨価値が上がるという、一見矛盾した事象は、阪神大震災後の急激な円高(100円前後の水準から80円を一時割るレベルまで)で、日本経済は既に一度「経験」していました。この理由については、

http://mituwasou.com/fxblog_beginner/free/earthquake.html

及び

https://zuuonline.com/archives/130625 (こちらは災害による円キャリー取引解消の影響大と見ている)

でも記述されていますが、それが実際にどこまで影響しているかは、残念ながら不明です。ただ、直近の阪神大震災での「経験」を活かせば、急激な円高になるという直感が働いた(機関)投資家やトレーダーは少なくなかったでしょう。

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