第259話 迷信7 (12~13 沢井の告白)

「そうか。さっきまでの西田の捜査の話でも、吉村はかなり役立ったみたいだし、すっかり成長したんだなあ……。しかしそうは言っても、お前も30後半なんだから、それぐらい落ち着いて当然とも言えるか……。俺が上司やってる時は、年齢の割に軽薄過ぎるんで心配してたが」

沢井は最後はわざと貶す発言をして場を和ませたが、刑事としての成長度合いなら、西田より遥かに吉村の方が上なのは事実だろう。


「なんだかんだ言いつつも、褒めてもらうのはありがたいんですが、こっちもタイミングが掴めなかったら、あのまま北見まで戻ってしまったと思いますよ。たまたま自分も課長補佐に言い出す口実というか、切っ掛けがあったからああなっただけで」

吉村が沢井の発言を受けて言った本音に、大場が反応した。

「何すか? その切っ掛けってのは?」

「たまたま、車のラジオから流れて来た、村田英雄の人生劇場の歌詞がね……」

この発言だけでは、沢井も黒須も大場も理解出来ないのは当然だったので、

「人生劇場の『義理がすたればこの世は闇だ』って歌詞が耳に入ってきて、(警察官の)知り合いだと言うだけで、それなりの犯罪に関わった人間を甘やかすのは、やはり許されないという気持ちが強くなっただけのことで……。勿論、本来なら自首を勧めること自体も、相当甘いと言えば甘いんですが。どっちにしても、大将が生きて償ってくれることが出来て良かったってのが本音です。さっき西田さんが振り返った様に、大将の親父さんの墓参りも逮捕前に出来ましたから」

と説明した。


「そうか、人生劇場か……。村田も今年の春先に亡くなったしな……」

沢井が含みのある言い方をしたので、

「そう言えば、沢井課長も人生劇場に思い入れがあったんですよね? あの北村さんが亡くなった銃撃事件の日、カラオケで歌ってたのを憶えてますよ」

と吉村は話を広げた。その話は竹下は記憶にある様だったが、黒須と大場は全く憶えていないのが表情で明らかに窺えた。西田は当日のショックでその件は全く憶えていない。


「お前もよくそんな話を憶えてたな? 俺はすっかり忘れてたぞ……」

元上司は心底驚いた様子を隠さなかったが、すぐに話を継ぐ。

「俺が警察官になって数年で、駆け出しの刑事だった頃の話だ。俺が当時所属してた署の、可愛がってくれた上司がよく歌っててな……。その関係で俺にとっても思い入れのある歌になった訳だ。まあ若い頃は、その歌をそれなりに知ってるというだけだったが、歳を重ねるごとに、段々と身に沁みる歌になって、今でも俺にとって大切な曲だ。レコードとCD、今でも両方持ってる」

そう語った上で、

「しかし、人生劇場の歌詞が吉村の胸に響くとは、お前もああいうのが理解る歳になったか? まだそれには若過ぎる気もするがな、特にお前の場合には」

相変わらず沢井は軽めの憎まれ口を叩きつつ、吉村に尋ねた。

「残念ですが、俺は演歌が好きになった訳でもないし、まだしっくり来る様になった訳でもないですよ。でもあの歌詞は、やっぱりそれなりに警察官やってりゃ、何か感じる所が出て来るというのはあるかもしれません」

しっかりと元上司を見据えた吉村は、言い回しより強い口調で回答した。


 その言葉を聞いた沢井は何度も頷き、

「それを聞くだけでも、お前の成長具合がわかる。言いたい放題言ってるが、お前の年齢の時の俺よりも、悔しいがしっかりしてるかもしれん」

と満足そうだった。黒須は黒須で、

「こりゃ出世で、まさか吉村に追い抜かれるかもな。俺も頑張らないと」

と苦笑いしていた。大場はと言えば、

「吉村さんはいい人だとは思ってても、正直、先輩刑事としてちょっとどうかと思う所も遠軽時代にはあったんですが」

と、こちらも言いたい放題だった。さすがの吉村も、

「黒須さんならともかく、大場にまで言われる筋合いはない」

とかなり不満げだったが、ユーモアの範疇の話として、お互いに捉えていることは言うまでもない。


 そんな中で、竹下が集中砲火を食らっている吉村に助け舟を出すが如く、軽く話の流れを変えようとした。

「ところで人生劇場と言えば、自分も西田さん達も、大将の『墓参り』の日に、大変不思議な経験をしたんですよ」 

その発言を聞いた西田と吉村は、

「え? あれを話すのか?」

と、困惑したまま竹下の方に視線を向けた。竹下もそれに気付き、

「まあいいじゃないですか。よく知った仲間の集まりですから……。突拍子がない事でも、そんなにキチガイ扱いされないと思いますよ」

と喋った。

「まあ、俺達だけならともかく、お前が言うなら、それなりに信憑性は高いとは思われるだろうからいいか……」

西田は迷いはあったが、竹下が言いたいなら仕方ないと、任せることにした。


「何だ何だ? また勿体ぶって。さっさと白状してくださいよ」

黒須が煽ると、竹下は、

「ちょっと信じられない話をしますが、これは間違いなく実際にあったことなんで、笑わないで聞いてくださいよ」

と前置いて、まず自分が常紋トンネルで高垣と共に経験した話をし始めた。


 竹下の話を聞き終わると、

「竹下さんとあの高垣って人が見たってんなら、そりゃ本当なんだろう。やっぱり常紋トンネルの心霊話はマジな話だったんだな……」

黒須は案外素直に受け入れていたし、沢井も大場もまた同じ反応だった。さすがにあれだけ有名な心霊スポットだけに、科学的であるかはともかく、それ程突拍子もない話だと思われなかったらしい。


「それにしても、ある意味良い話じゃないか? タコ部屋労働による犠牲者の幽霊が、竹下達に、『自分達と同じ様な犠牲者を出す社会にするんじゃない』と託したんだから。おどろおどろしい話じゃない」

沢井は総括したものの、

「それはあくまで、自分と高垣さんなりの勝手な解釈ですからね。自分達にとって都合が良すぎる部分もあります」

と、竹下はやんわりと釘を差した。


「それはその通りかもしれんが、少なくとも一切の危害や危険もなく、気付いたら竹下の車の中に居たってことは、俺から見てもそういうことなんだと思う」

西田は控えめな竹下の言葉を敢えて否定してみせた。

「それならそれでいいのは勿論ですけど、幽霊に負託されようがされまいが、自分達に課された責任であり、それが重いことに変わりはないですからね……。じゃあ、次は、例の警察OBの幽霊話を西田さんからしてくださいよ」

竹下は新聞記者としてのあるべき使命を語ったが、それ以上話を広げるでもなく、すぐに西田に水上の話をする様に促した。


「それで西田の不思議な体験ってのは?」

沢井が竹下の話を受けて水を向けて来たので、西田も渋々ということでもなく、かと言って嬉々としてということでもなく、

「じゃあ、こっちの話も今の竹下の話と似てるんですが……」

と切り出した。


 95年の慰霊碑の前での初対面から、松重による水上との関係及び水上の素性に至る述懐までを念入りに説明すると、

「警察の先輩幽霊の叱咤激励か……」

黒須が一言呟いた以外、3名の大きな反応はなかった。当然それは無関心の結果ではなく、想像を越えた話に言葉を失った故のものだった。


 しかしその中でも沢井は、話の途中までかなり真剣に聞いていたが、途中から腕組みしたまま目をつむり、微動だにしないでいた。それを見ていた吉村が思わず、

「あれ? 課長寝ちゃった?」

と軽口を叩いた。

「寝てないぞ」

沢井は少しブスッとしながら短く反論したものの、相変わらず何か物思いに耽っている姿のままだった。


 その様子に竹下が何か感じるものがあったらしく、

「沢井さん、ひょっとしてその水上って人に、何か思い当たる節があるんじゃないですか?」

と確認した。沢井はその発言を受けて目をカッと見開くと、

「さすが竹下だな……」

と唸った。

「実はな……。さっき言った、俺を可愛がってくれたって言う上司の名字が水上だったんだ。西田が話した容姿や年齢、出身が留辺蘂って話からしても、間違いなくその水上さんだと思う。俺が世話になったのは池田署で、その時副署長だった人だ」

そう言い出した沢井に、全員の視線が集中した。沢井はそのまま告白を続ける。

「そしてその任を以て警察を定年退職したんだ。その水上さんは、人生劇場を大して飲めない酒を飲みながら、酔っ払ってよく口ずさんでた……。当時は今みたいにカラオケもなかったけどな……。ただ、水上さんが警察官になった理由までは、当時一切聞いたことがなかったな……」

そこまで聴き終えると、

「さっきは話さなかったですけど、常紋トンネル調査会の会長の話じゃ、確か最後は池田署の副署長だったって言ってましたよね?」

吉村が西田に慌てて念押ししてきたので、

「間違いなくそう言ってたはずです」

と沢井に向かって肯定した。


「じゃあやっぱり水上さんで間違いないな……。そうか、死んでからも人生劇場にこだわってたか……。それにしても、人生劇場が好きだった背景にそこまで重い体験があったとは、全く何も言わないままだった。亡くなったことは当時からすぐに知ってはいたが、ついぞ池田署以来会うことはなかったのが残念でならん」

沢井は何とも複雑な表情だったが、どうせなら水上の本音を生前に聞いておきたかったという思いが強かったのだろう。


「ただな。『いいか沢井。刑事であれただの巡査であれ、警察官である俺達が誰かにおもねったり、私利私欲の為に正義を追求しなかったら、真っ当な世の中にはならんべや? そのことだけは絶対忘れるんじゃないぞ』って、当時刑事になったばかりの俺に、少しの酒で酔っぱらいながら口を酸っぱくして言ってたし、わざわざ『男の魂』の部分を『刑事の魂』に替えて歌ってもいた。だから、その思いの根底に何があったかはよく知らなかったが、何らかの強い思いがあることだけは察してはいたんだ……。そして俺が今も持っている人生劇場のレコードは、水上さんが退職間際に俺にわざわざ買ってくれたものだ。それぐらい若手の俺に、自分の過ちを繰り返さないことを望んでいたんだろう、今の西田の話を聞く限りはな」

ここに至って沢井は、おそらく敢えて感情を出さない様な口調で振り返っていた。


「そういう意味じゃ、偶然とは言え沢井さんを経て、更に後輩の西田さんや吉村さんに、その思いは受け継がれていたことになるんですね」

大場の一言に、一同は黙って頷いたが、

「ひょっとすると偶然ではなく、わかっていたのかもしれませんよ」

と吉村が付け加えると、

「そうかもしれんな」

と沢井は目を瞑ったまま頷いた。


「しかし残念ながら、俺自身は水上さんの教えに背くことになってしまった。悔しいがそれが事実だ」

その直後の突然の沢井の更なる告白に、黒須は

「え? 何かあったんですか?」

と思わず問い質した。


「ああ、今でも脳裏にこびりついて離れない……。否、そもそも絶対に忘れちゃならんのだ……。あれは昭和61(1986)年の秋の話だ」

沢井の言葉は全員の耳目を集めた。

「当時の俺は、中標津なかしべつ署の刑事課で係長だったが、知り合いの町内の病院の医師から『救急で運ばれてきた若い女性患者が、手当の甲斐もなく頭部の挫傷で死んだが、どうも家族の説明と合わないし、事件性があるかもしれない』という連絡を受けた。家族、具体的には夫の説明だと「階段から落ちた」という話だったが、身体に階段から落ちたものとは違ったあざが散見されたし、実際に階段から落ちたことが本当だとしても、夫による暴行が原因の可能性があると、俺も実際に遺体を確認して、捜査に入った。今で言うドメスティック・バイオレンスって奴だ。ただ、その夫の父親が、中標津署管轄内の標津町の町長(当然、ただのフィクションです)だったこともあって、署に圧力が掛かったというお決まりのパターンでな……。結局事件化はせず、ただの事故ということで処理された。俺としても何とかしたかったが、上の判断を覆せる程の力もなければ、同時に覚悟もなかったんだな、水上さんの教えに反して……」

沢井は言い終わると、苦渋に満ちたというよりは、自らの過去の失態に鬼気迫るものを感じさせる表情を浮かべていた。

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