第248話 名実157 (372~374 遠軽へ舞い戻った西田と吉村を待ち受けていたのは)

「何だよ? その自己否定って?」

西田は一度視線をフロントガラスの方に切り替えて尋ねたが、内心吉村の言いたいことは予想出来ていた。

「俺達はこれまで、(警察が)大島の圧力を理由にして、捜査を真剣に行ってこなかったことと、右往左往しつつも闘いながらここまで来たはずですよね……。本来取るべき行動を取らず、内輪の論理で誤魔化してきたことに反抗して、やっとここまで辿り着いたはずです。当然、自首をさせると言うこと自体も、言わば『身内』の大将の罪を軽くする為の、決して褒められた行為ではないし、内輪の論理と言えるかもしれません。ただそれでも、数日なら何とか許される範囲だと、課長補佐も俺も苦渋の決断の末に出した結論でしょう? しかし最後のあの大将の言動を見る限り、明らかに舐められているとしか思えない! そこまで気を遣ってやる必要もないし、それこそ、典型的な内輪の論理のど真ん中にどっぷり浸かることになってしまうでしょ? 大将にハッキリと『待って2日』と伝えるべきです。そしてそれでも自首しなかったら、俺達ではなく遠軽署に逮捕状を取って逮捕してもらうと!」


 やはり西田の読み通り、吉村は大将への先程の西田の煮え切らない態度が我慢ならなかった様だ。西田もあの時「そんなに待てるか!」と、大将を怒鳴り散らかしたい気持ちはあったが、あの時吉村から告げられたことに対する大将の気持ちを考えると、本当に反省しているのか疑問符が付く様な言動ですら、叱責する気さえ失せていたのだ。


 それは当然吉村も、自身で大将に「叩き付けた」とは言え、同様の考えはあったろう。ただそれでも、帰り際に西田の決断に納得行かなかったことは明らかで、その不満を今ぶつけて来たわけだ。被害者の伊坂が北見居住者である以上、西田達にも捜査権限があるが、被疑者である大将の居る遠軽にも捜査権があり、わざわざ「外部」に逮捕させるという提案は、吉村なりの大将への「厳罰」なのか、それとも大将にとっては制裁であると同時に、自分達の手は汚したくないという思いなのか、それは西田にもわからなかった。ただ、仮に後者の意図があったにしても、吉村は大将により重い形で責任を取らせる意思があることは明白だった。


「うーん……」

唸りながら目を閉じた西田に、

「俺だって大将にそんなことは言いたくないんです! でも、それこそ今流れた「人生劇場」の歌詞じゃないが、『義理がすたれば この世は闇だ』って歌詞の通り、やっぱり最低限の筋は通さないと……。俺達は何と言っても警察官なんですから!」

と言ったままで言葉を止めた。


 その発言を脳内で「反芻」していた西田は目を開くと、

「筋を通すか……。うむ、わかった。戻ろう!」

それ程時間を置かず、そう吉村の方に向き直り早口で指示した。それは、それまでの心境との決別を意識した故だった。

「わかりました」

吉村もまた余計なことは言わず、遠軽へと戻るために、反対車線側の店の駐車場に車を突っ込ませてから逆方向へと進路を変えた。


※※※※※※※


 20分程で大将の家まで戻って、カギのかかっていない玄関に入り、

「大将! ちょっとさっきの話の続きがあるんだが!」

と、西田が大きな声を掛けたものの、大将は出て来る気配は全く来なかった。吉村は店の方に居るかもしれないと、湧泉の方へと確認しに行った。


 玄関の中で西田は待っていたが、吉村が戻ってくるなり、

「店の方にも居ませんね。店のカギも開いてました」

と報告を入れた。

「食材を買い出しにでも行ったかな……」

そう呟いた西田に、

「まさか……、逃げたんじゃないでしょうね?」

と吉村は目を剥いて言ってきた。

「いや、まさかそれはないだろ……」

半笑いで応じた西田だったが、突然嫌な予感が頭をぎった。


 これまでの一連の捜査において、北見共立病院の理事長だった浜名が、知らない内に松島元道議の殺害計画に加担させられたことを苦に95年に自殺し、大島海路の秘書の中川が今夏に自殺未遂をしていた。その何れにおいても、警察側にはほぼ一切の過失や悪意はなく、あくまで悲劇的な出来事であった。特に浜名の自死は、結果的に捜査を混迷に陥れることに繋がったものの、それらは「相手の責任」と突っぱねることは普通に可能だった。


 しかし、今回もし大将が自ら死を選択すればそうはいかない。本来であれば「逮捕事案」であるところを、自首を促し身柄確保をしなかったのだから、これは完全に警察側の失態、否、責任ある立場の西田本人の失態である。


 無論、「証拠隠滅」や「逃亡」の恐れがなければ、本来逮捕する必要はないとは言え、現実問題として、一定以上の罪を認めていながら警察に出頭しない人物を放置するという選択肢を取った時点で、西田に大いに責任があることは否定出来るはずもない。勿論、最後に見せた大将の不遜な態度を考えれば、常識的には自死を選ぶことはないのかもしれないが、西田にはあの態度が妙に違和感として残っていたのも事実だった。


「おい吉村! (中に)入るぞ!」

西田がやけに真剣な顔で告げた時点で、吉村は

「え? まさかねえ……」

と意味を感じ取った上でおどけた表情で返したが、数秒ですぐに真顔になると、靴を乱暴に脱ぎ捨て、西田より先に室内へドカドカと入っていった。


 2人で手分けして室内を「物色」し始めて1分も経たない内に、吉村の「あっ! おい大将! 大将! しっかりしてくれ! 西田さん風呂! 風呂!」

と叫ぶ声が西田の耳に入った。西田は家の構造を把握している訳ではないので、一瞬手間取ったものの、すぐに風呂場に辿り着いた。


 すると視界の中に、朱色がかった水の張った風呂桶と、風呂桶にもたれかかってぐったりしている大将を強く揺すっている吉村が入ってきた。床には包丁が落ちていた。


 同時に西田は、北村が病院で銃撃されて死亡したと、沢井課長から伝えられた時以来の絶望感に襲われ、目の前が真っ暗になることと、血の気が引くという両方の表現にふさわしい状態に陥りかけた。だが、さすがに機能停止するより先に、

「これで止血しろ!」

と、自分のハンカチを背広のポケットから取り出して吉村に渡した。そして、

「息は? 鼓動は?」

と立て続けに確認した。その言葉に吉村も我を取り戻し、止血しながらチェックすると、

「まだ息も脈も何とかあります!」

と答えた。


「そうか! 望みはあるな……。よし! 救急車呼ぶよりこのまま車で厚生病院に担ぎ込もう!」

と指示すると共に、ハンカチでの止血では足りないと認識し、近くにあったハンドタオルを手に取って吉村に渡して止血させた。吉村から返されたハンカチは、完全に鮮血に染まっており、出血量の多さを風呂桶の水の色と共に語っていた。


 新たな止血をすると、2人で大将の両肩と両脚を前後にそれぞれ持ち、車の後部座席まで運んだ。そして吉村の運転で遠軽厚生病院(作者注・架空名)へとサイレンを鳴らしながら、慣れ親しんだ遠軽の街中を疾走する。


 この間、西田は大将のあの去り際の態度を改めて思い返していた。あれは開き直ったのではなく、西田達に「反省していない」と勘違いさせる為の演技だったのだと確信していた。おそらく、西田達に自首以上の処分をさせようと瞬時に考えたのだろう。そして、それが受け入れられなかったことで、自ら法が定める以上の最も重い処断を下した。そういうことだったはずだ。もし吉村の説得がなかったら、自分達は北見まで戻り、あのまま大将の生命は尽きていたに違いない。


 そんなことを考えている内、数分で病院まで着き、救急車が直接乗り入れる急患の入り口まで突っ込んだ。


 救急車のモノとは違うが、サイレンの音に「何事か」と女性看護師(作者注・2002年より、看護婦・看護士は看護師呼称に統一)が2名程外に出てきたが、覆面パトカーの姿を確認すると、何やら話し合っている様子だった。


 運転席の吉村が、エンジンを止めてサイドブレーキを引くとすぐに外に飛び出し、「出血多量の急患だからすぐ輸血してくれ!」と警察手帳を提示しながら叫んだ。すると、さすがにただ事ではないと察したか、扉の中へと一度入った後でストレッチャーを出して来た。西田と吉村が抱え込む様に大将の身体を車から出し、ベテラン看護師2名の助けも借りてストレッチャーに乗せ、病院内へと運び込む。


 すぐに処置室に入り、別の部屋で休んでいたのか、連絡を受けたのだろうベテラン風情の医師が白衣に袖を通しながらやって来た。


「何があったのか教えてください」

如何にも慣れた感じの落ち着いた口調で西田と吉村に尋ねる。

「手首切って自殺図りまして。かなり出血してる様です。どれぐらい経ったかはわかりませんが、発見してからは7分は経ってないと。止血は一応発見してすぐにしました」

西田が早口で返しながら警察手帳を見せた。


 とは言え、既に看護師は輸血の準備のため、大将の血液型をチェックし終えており、医師の判断を待つまでもなく、輸血の算段は整っていた。

「とにかく今から処置しますので、お二人は取り敢えず外で待っていて下さい。警察の方ですから、一々こちらから事情を聞く必要もなさそうですし」

医師はそう2人に告げると、改めてバイタル確認など看護師に指示を出し始めた。


 西田と吉村は外の廊下に出たが、

「家族の連絡先は知らんよな?」

と、西田は落ち着かない中でまず確認した。

「旭川に息子が居て、滝上たきのうえ町に娘が嫁いでいるんですが、連絡先はわからないですね」

吉村が消え入りそうな声で申し訳なさそうに言ったが、

「わかった。近所の人に聞いて回るしかなさそうだな……。それに家を開けっ放しで出てきたし、留守番も頼まんといかんだろう。今から俺1人で戻ってやっておくから、お前はここに残っててくれ」

と指示し、キーを受け取ると、1人で車へと戻って大将の家へと戻った。


 隣家の高橋家の奥さんらしき中年女性に、「大将が急病で病院へ担ぎ込まれたので留守を頼む」と依頼すると快く引き受けてくれた上、2人の子供の内、大将の娘である「美代」の連絡先を教えてもらった。息子の居る旭川より滝上の方が明らかに近く、おそらく仕事中の息子より、すぐに駆け付けられる可能性が格段に高いと踏んだからだ。


 電話を掛ける前に西田は、大将の「病状」の説明についてどうするか迷ったが、経緯については正直に話すべきと覚悟を決めた。当然、娘にとっても寝耳に水のことだろうが、西田達も「失態」を白状することでもあり、どちらにとっても辛い選択だった。ただ今更取り繕っても仕方ないだろうという考えでもあった。直前に携帯で吉村から「処置で一命はとりとめた」との連絡を受けていたので、その点だけは大いなる救いではあったが……。


 案の定、美代と名乗る娘は話を聞いて驚くと共に、最後の方は絶句していたが、役場勤務だという夫に連絡が付いた段階で、こちらに車で向かうと約束してくれたので、西田は再び留守番を頼んだ女性に礼を言ってから病院へと戻った。


※※※※※※※


「どうだ状況は? 何か変わったか?」

病院へと戻り、処置室の前の廊下の長椅子で、前屈まえかがみの状態で座っていた吉村が視界に入った瞬間に遠目から声を掛けた。

生命いのちは問題ないですが、この後意識障害とかの後遺症が残る可能性も否定出来ないって話です……」

吉村はちょっと顔を上げただけで力なく答えた。

「つまり意識は戻ってないんだな?」

「ええ」

「娘に連絡したが来てないのか?」

西田は立て続けに言いながら時計を確認したが、まだ午後5時前で、あの電話からまだ30分も経っていないのだから来ている訳がない。

「来てません」

吉村がそう言う前に、未だに冷静さを欠いていることに半ば自嘲していた。


 それから30分程待っても意識は戻らなかったが、丁度娘の美代がやって来たので、西田達は取り敢えず自己紹介して、すぐに大将の状況を改めて伝えた後、今回の経緯について詳しく説明し直し謝罪した。


 娘としては、父親の犯した罪や経緯よりも、まず大将の身体についての心配をしていたので、それ以上の会話は広がる状況ではなかった。3名は廊下で落ち着かない心境のまま、担当医が出て来るのを待っていたが、午後6時過ぎにやっと出て来た。


「何とか意識回復されました。正直、こちらに来た状況では、失血量が多くてそれなりに危ない状況でしたが、輸血と傷口の処置で何とか……。今のところご自分のこともわかっている様ですし、はっきりしたことは言えませんが、障害はあらわれてはいません。取り敢えず短時間ですが面会可能です」

と、担当医は3名に報告と説明を行った。


 話が終るや否や、まず娘が急いで処置室へと入って行ったが、西田と吉村はある意味自殺未遂に追いやった側だけに、どうすべきか迷っていた。ただ経緯を考えれば、顔を見ないままという訳にもいかず、入室した上で、どんな顔をしていいかもわからないまま、そっとベッドの傍まで寄った。


 美代は既に半泣きの状態で父親と二言三言喋っていたが、「何馬鹿なことやってんのよ父ちゃん」という言葉だけはハッキリと聞き取れた。大将はそれに弱々しく「生きててすまねえな……」と返した様だったが、酸素マスクを装着していたので、正確に聞き取れたかどうかは西田にも自信はなかった。


 一方の大将は、そのまま西田と吉村が視界に入ったのを確認すると、

「2人が 連れ込んで くれた らしいな……。あのままで 良かったのによ」

とおそらく喋った。吉村はそれに対し、

「自首してくれとは言ったが、死んでくれとは一言も言ってないからな……」

と小さく言いながら、布団で隠れた大将の膝辺りにそっと手を置いていた。


 西田も続けて、

「俺達のことはどうでもいいけど、娘さんに心配掛けるようなことは一切止めてくれよ……。もう(美代に)事情も全部話したから、大将は何も言う必要もない。取り敢えず体調を戻すことが先決だから……」

と伝えると、吉村に一度外に出る様に促した。


「俺は先に北見に戻らんといかんが、吉村はこっちにもうちょっと残ってろ。JRで帰るから車は置いて行くんで、それに乗って戻ってくれ」

廊下でそう西田から指示されると、

「いいんですか?」

と、吉村は覗き込む様に確認してきたので、西田は黙って頷いた。


「わかりました。じゃあ取り敢えずそうさせてもらいます。……しかし、俺が感情に任せて大将を責め過ぎたせいでこんなことに……」

吉村は目を瞬かせながら、如何にも悔いている表情をした。

「確かに大将にとって、吉村がバラしたことはキツイ話だったのは間違いないと思う。ただ、あくまで事実を伝えただけだし、お前がどうしてあんなことを言ったのか大将はわかったからこそ、こういう自分自身への厳罰を下したんだろう……。どう受け止めるかは大将次第で、元来人の良い大将なりの結論がこれだったというだけのことだと思うぞ」

西田はそう慰めてみた。

「しかし、大将のあの態度は、深刻に捉えていたからこそだったんですね……。自首程度では許されないと考えていたんでしょう」

吉村も大将のあの言動の意味を理解していた。


「大将が突然自首を大幅に先延ばしにすると言い出した時、それまでの吉村の告白への反応と随分違った不遜な態度だったことは、確かに今思えば、俺達に自首ではなく逮捕して欲しいと願ったからこその演技だったんだろうな……。しかし、俺はあの大将の態度を無視する様に、そのまま自首させようとした。……それは単に、知人を逮捕はしたくないという、現実には逃げの姿勢だったって話で、それが叶えられなかった大将は、敢えて最も重い処罰を自分に下そうとしたんだから、吉村より俺の責任の方がデカイんだよ」

そう付け加えた西田に、

「課長補佐の責任はともかく、あの大将の言動のおかしさに俺も気付くべきでした」

と、吉村も項垂れたままで語った。


「否、全ての責任は上司である俺にある。そもそも吉村が生田原で『戻る』ことを主張しなかったら、大将はまず間違いなく助からなかっただろう……。その時点でお前は、むしろ大将にとっての命の恩人と言えるかもしれない」

「あれはたまたま、ラジオから『人生劇場』が流れてきて、その中の『義理がすたれば この世は闇だ』って部分の歌詞が妙に心に響いただけです。あの歌詞が訴えてこなかったら、たとえ決定に不満を抱えたままでも、そのまま北見へと戻っちゃったと思いますよ」

吉村は西田に、考えを変えた理由を改めて告白した。


「そうか……。さっきもそんなこと言ってたが、村田英雄のお陰か……。あの『人生劇場』をラジカセで掛けてる爺さんと言い、人生劇場に縁があるな俺達は」

西田は力なく微笑みながら吉村の肩を叩いたが、

「ただな……。これから先どうなるかはわからないが、今俺がすぐに責任を取る必要がないのは、お前と人生劇場のお陰だってのもまた確かだ。吉村が救ったのは大将の命だけじゃない……。それじゃ先に戻るわ! お前が戻ってくるまで捜査本部ちょうばで待ってる」

西田はそう伝えると、吉村にゆっくりと背を向けて出口へと向かった。


 もし大将があのまま死んでいれば、仮に事件の経緯が表沙汰にならなかったとしても、西田は自分で責任を取り、警察を辞める決断をしていただろう。この先大将や家族の出方次第でどうなるかはわからない。しかし「即死」を免れたのは、まさに部下の英断と説得、そして村田英雄の人生劇場の助力だったことだけは否定出来ない事実だった。


※※※※※※※


 徒歩で遠軽駅に着いた西田は、時刻表を確認しないまま来たものの、札幌発網走行きのオホーツク5号が、直近に遠軽駅に到着することを知り胸をなでおろした。場合によっては、結局吉村と共に帰る選択肢も考えていたからだ。そうなると、ちょっとバツが悪いが、出来るだけ早く戻る必要があるのだから、メンツにこだわってもいられない。


 オホーツク5号の遠軽到着時間が近くなり、改札が始まってホームに出ると、西田はホームから今日初めて瞰望岩を目にしたことに気付いた。目にしたと言っても、闇夜に浮かぶ瞰望岩のうっすらとしたフォルムを、ホームの蛍光灯の下から視認する程度ではあったが……。


 今日は北見から来た時、北見へと戻る時、生田原から折り返した時、大将を病院へ運ぶ時、一度大将の家へ戻る時、そして病院へ戻る時、更に病院から駅まで来る時と、何度も瞰望岩を目にする機会があったはずだった。しかし、どの場面でも別のことを考えたり、周囲のことに気を配る余裕がなかったりで、全く瞰望岩のことなど忘れていたのだ。


 先日札幌から戻ってくる途中で、遠軽駅のホームから瞰望岩を眺めた際、大将に事情聴取するか逮捕するかの為、遠軽を再訪する時にどんな思いで瞰望岩を見ることになるかと想像していた。だが、現実にはその余裕すらこれまで無かったのだった。そして今、今日初めて闇夜に佇む瞰望岩を見て、まさかこんな心境で眺めることになっているとは、先日は想像だにしていなかったことを考えていた。


 そんな思索の中、ふと背広のポケットに手を突っ込むと、何やらジメッとした嫌な物体がある感触を覚え、引っ張り出してみた。すると最初の段階で止血に用いたハンカチが出て来た。吉村から受け取った後、そのまま無意識に、またポケットにしまっていたのだった。既に赤茶色に変色し始めていたハンカチを見ていた西田だったが、一度瞰望岩に視線をやってから、それを再びそっと仕舞った。


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