第241話 名実150 (355~357 佐田宅で確認した推理の当否)
玄関に出迎えに出てきて、久し振りに見た明子だったが、相変わらず品の良さは健在とは言え、さすがに7年という歳月を感じさせた。やや足腰に弱さが出ている印象を受けたのだ。とは言え、露骨に弱っていると言う感じでもなく、年齢の割には若い見た目ではあった。
居間では、息子の
「あら、可愛いな。女の子かな?」
性別がはっきりしない乳児の場合、「女の子」と取り敢えず言っておくのが「セオリー」で、それに従った吉村だったが、実由は、
「男の子です。1年と2ヶ月です」
と答えた。
「お名前は?」
「ノギヘンに念じるで
実由の口から出た言葉に、西田は思わず、
「3世代に渡って、末尾が『る』の1文字ですか……。旦那さんも理解がありますね」
と感慨深げに言った。それを聞いていた翔は、
「私にも4歳の息子が居るんですが、『交渉する』の『渉』で『わたる』って名前なんですよ」
と笑った。
佐田実は犯罪被害者であったが、根本は善人だったとしても、同時に恐喝(未遂)犯という犯罪者でもあった。しかし、その点は全くと言ってよい程報道されることも無かった。2人の子どもには実害が及ばず、人並みに結婚することが出来たのは、この家族にとっては不幸中の幸いと言えただろう。犯罪は被害者は勿論、加害者周辺にも多大な影響を及ぼす。特に報道されて、周知される様な大事件の場合にはそれは顕著だ。
「それにしても、あれから7年、事件発生から15年も掛かってしまいまして、こちらの力不足で大変ご迷惑お掛けしました。ただ、時効前に何とかギリギリで解決の目処が立ちまして、この度晴れて、ちゃんと報告させていただける様になったのが、ある意味救いです」
紅茶とケーキが運ばれた直後、西田はそう口にした。
「いやいや、そんなことはないですよ。こんなことを言っては、かえって失礼かとも思いますが、まさか時効前に、真犯人を逮捕していただけるとは思ってもいませんでしたから……。正直なところ感謝の気持ちで一杯なんです。父も喜んでくれていると思います。折角ですから、ご迷惑でなければ仏前に挨拶していってください。父も喜ぶと思います」
翔がそう返した。
7年前はゴタゴタしていて、遠軽からの出張の際には、民法上の死亡宣告が既になされていたとは言え、おそらく仏壇も無かったはずだった。そもそも、2人が事情聴取に訪問した際には、遺骨も返還されていなかった。更に、竹下も引き連れて訪れた、大阪から戻った際の訪問時には、もしかしたら既に仏壇はあったのかも知れないが、その際も証文の偽造の件などでかなりゴタゴタしていて、それを確認しているどころでは無かったという現実があった。
「ええ、喜んでそうさせていただきます」
吉村が伝えた直後、明子が
「ただ、まさかあの大島海路が関わっていたとは、思いもしませんでした」
と、やりきれないという感情を隠さずに本音を漏らした。
それに対し西田は、
「こう言っては何ですが、こちらに7年前に伺った時点で、伊坂と関係が深い大島が、実さんの捜査に圧力を掛けたことはわかっておりまして……。ただ、当時としては、まだ安易に口外出来なかったことと、まさか犯行そのものに関わっているとは、我々も全く想定しておらず……。とにかく今は真相がわかって、何とか無事に解決出来そうで良かったです。大島はきちんと供述していますから、その点もご安心下さい。しかし、残念ながら関与した人間の多くが既に鬼籍に入っていて、彼らに責任を取らせられなかったのは不本意であり、重ね重ね申し訳なく思います。後、葵一家の瀧川については、供述は期待出来ませんが、立件は可能だと思います」
と、成果とお詫びをそれぞれ述べた。
その後は、事件についての、本来ならば公判前で秘匿しておくべきレベルの話もそこそこ含めて遺族に説明し、この7年間を5人、赤ん坊も入れれば正確には6人で振り返っていた。その中で明子が、
「先日のお電話では、主人の本の件で確認したいことがあるとか、仰ってましたが?」
と言い出した。西田としても、そろそろ札幌まで来た別の目的の話題に入りたいと思っていたので、渡りに船のタイミングだった。
「うっかり話に夢中になって忘れてました。我ながら面目ない」
頭を軽く自分ではたいて、白々しい演技をした西田は、急に真顔になると、
「奥さんに確認した時、当時の実さんの蔵書はそのまま保存してあるということでしたが」
と確認した。
「そうです。確か、7年前に西田さん達がこちらに訪ねて来られた頃に、主人の書斎を改造して、私のアトリエにしたんですが、本はそのままアトリエの本棚に入れました。やっぱりなかなか捨てられなくて」
明子は苦笑しながら答えたが、翔と実由は、母親の心中を思ったか、複雑な表情を浮かべていた。
「ちょっと、どうしても確認しておきたい本があるので、拝見させていただいてもよろしいでしょうか?」
「勿論です。そういう話でしたので、普段は絵の具なんかが散らかってるんですが、ちょっと掃除しておきました。どうぞ」
明子はそう言うと、ちょっと身体が重そうだったが、西田達を案内する為にソファから腰を上げた。
※※※※※※※伏線後述
https://kakuyomu.jp/works/4852201425154922648/episodes/4852201425154990011
(最後の方)
以下なろう版のため当小説とは無関係
修正版・明暗9
https://ncode.syosetu.com/n5921df/30/(ほぼ最後の方)
※※※※※※※
以前は、実の書斎だったはずの2階の部屋は、実の死が確定した後、割とすぐにリフォームされていたことは、当時の西田達も知っていた。捉え様によっては、亡くなった夫に対する「冷たい態度」とも取れるが、行方不明だった87年から95年までの間の8年、おそらくどうしようか悩んでいた後、実の死がいよいよ確定したので、一気に踏ん切りが付いたとすれば、別におかしな話でもなかったろう。
そもそも、新しい心境になる為にする、思い切った振る舞いというものは、人生において往々にして必要なことを、人は30歳を越せば否が応でもよく理解出来る様になってくるものだ。言うなれば、人生の機微を、様々な経験を通してよく
階段をゆっくりと登りながら先導する明子に、
「確か実さんは、姓名判断とか、人に名前を付ける時にアドバイスしたり、初対面の人と打ち解けるのに、名前の話題を利用したりすることがあったとか、以前伺った時に聞いた記憶があるんですが、間違いないですよね?」
と、西田は確認した。
「ええ。そうです! よく憶えてらっしゃっいましたね、そんな細かいことを!」
軽く後ろを振り返りながら、明子は社交辞令ではなく、割と本気で驚いた様子だったが、2階のフロアまで登り切ると、
「私と主人の初めての出会いも、あの人から名前を聞かれて……」
と、改めて懐かしそうに言い出した。
「憶えてます、そのエピソードは自分も」
吉村も笑顔で言った。
「そうでしたか……。あの頃、そこまでお二人に話してましたか……。ちょっと気恥ずかしいですね」
明子は口元を軽く押さえながら笑うと、ドアを開けて、2人をアトリエの中へと迎え入れた。
アトリエは十分綺麗に整頓されており、キャンバスには花を描いている途中の油絵が飾ってあった。わざわざアトリエを作るぐらいのことはあり、素人目に見てもかなりの出来だった。
「さすがにアトリエを作るだけある。相当お上手ですね!」
西田は、社交辞令ではなく思わず感嘆の声をあげたが、吉村も、
「ホント美しい絵ですよ。正直、我々2人共芸術的センスは皆無なんで、偉そうなことは言えないんですけど」
と、自虐を交えて称賛した。
「おいおい! お前はともかく、勝手に俺も入れるなよ!」
西田は定石のツッコミを軽く入れたが、既に視線は本棚へと向けられていた。
「こちらですね。えっと、アイヌ語の辞書でしたっけ? それにしても、直接見ないと気が済まないと、来る前に仰ってましたが……」
明子としては、まだ納得は行っていなかった様だが、
「ええ。ご迷惑お掛けしてなんですが、実際その通りなんです。自分の目で確認したかったんですよ……。勿論、事件の全容がほぼ解決したんで、それを直接ご遺族に説明したいということは、札幌まで出て来た大きな理由ではあったんですが……」
西田はそう正直に告げた。一方でそう言いながらも、7年前吉村がトイレに行く際に、リフォームの為に階下に降ろしてあって、吉村が誤って廊下で散らかした書籍群の中に含まれていた「新解・アイヌ語辞典」を手に取っていた。吉村も先程までとは違い、やや緊張した面持ちで西田の動きを見守っていた。女の勘という奴だろうか、一変した空気の違いを察したのか、それまで2人の近くに居た明子は、さっと離れて窓辺の方へと黙って近付いて行った。
西田は軽く深呼吸すると、ゆっくりとだがパラパラと辞書をめくり始めた。ただ、アイヌ語の辞書の引き方というものを西田は知らないので、どう該当する言葉を探して良いのかは確信が持てなかったが、日本語の辞書同様、50音順で調べていくことにした。
そして、目的の言葉に近付いていると思ってページをめくった時、そこには何やら白い紙が挟んであった。西田はそれを手にとって凝視すると、やはりレシートだった。87年の8月20日に、この辞書を購入していたことを示す印字がされていた。
通常、レシートなどの印字は、経年劣化で薄くなって、そのうち全くわからなくなるものだが、これはしっかりと挟んであり、光や酸化の影響を受けず、十分読み取れるレベルだったのだ。西田も内容をしっかり確認すると、当時の記憶が呼び起こされていた。
「7年前に、トイレに行く時に積まれていた本をひっくり返して、これが出て来たんでしたね……。しかし、あの時はまさかアイヌ語の辞書に、こんな隠された意味があったとは、全く思いもしませんでしたよ。そして、この辞書を、購入した日付に、大きな意味があったんですね」
一言一言噛み締める様に、横から覗いていた吉村は、彼にしてはかなり区切りながら言った。
佐田実と大将が湧泉で初めて会ったと思われる、1987年の8月16日の夜から、この辞書を購入したのは、数日経った後のことだった模様だ。それを遠目に聞いていた明子は、
「私は、リフォームが済んでから、本を本棚に入れた後はほとんど動かしてないと思いますよ。特にアイヌ語の辞書は触ってないと思います。勿論、入れる前とかに、落ちて入れ直したとか、そういうことがあったかもしれませんけど」
と、再び2人の方へと近付いてきて、この間の状況について説明した。
「仮にそういうことがあったとして、何か不都合があるとかそういうことじゃないんで、全く問題ないです」
西田は明子に気にしない様にと伝え、再びレシートを辞書に挟もうとした。
だが、再び辞書本体に目をやった瞬間、
「……否、やっぱり95年当時のまま……。もっと言えば、おそらく87年と同じ場所に挟んであったんでしょう」
と、やけに落ち着いた口調で2人に伝えた。正確に言えば、叫びたい気持ちがあったが、それを無理に抑えようとしたが為、異様に冷静な口調になっていただけだった。そして、西田は吉村に辞書を開いたまま、何も言わず見せた。それを見た吉村もまた、柄にもなく、
「やっぱり当たってましたね、課長補佐の推理が」
と無表情のまま喋った。
聞いていた明子は、これらの発言の意味がわからなくて当然だったが、ここでは一切口を挟まなかった。仮に「何があったのか」と聞かれたところで、亡き夫の「悪行」と絡んでおり、説明が非常に難しくなるだけに、むしろ2人共心情的には助かったのが実際のところだったと言えよう。それにしても、明子が空気の読める女性でなければ、色々と面倒なことになっただけに、その彼女にわざわざ案内させてまで確認したのは、よく考えれば失敗だったと、西田は今更ながら軽く反省していた。
それはともかく、2人が開かれた辞書のページで目にしたのは、「メム(ムは小さい文字)」というアイヌ語だった。そしてそこには、赤いボールペンらしきもので線が引いてあった。レシートは間違いなく栞として、15年前の87年の時点で、実がここに挟んでおいたのだろう。吉村もあの時同じ位置で挟み直し、明子もそのままにしていたという訳だ。
「お手間取らせてすいませんでした。これでスッキリして北見に戻れます」
西田はいきなりそう礼を言って、吉村もちょこんと頭を下げた。明子は相変わらずそれ以上は追及せず、
「お二人に納得してもらえるなら、私としてもそれで十分です。主人の件でご迷惑お掛けしました」
と、何か察した様な台詞を繰り出していた。
西田と吉村にとっても、この「真相解明」は、正直なところ決して喜ばしいものではなかっただけに、3人の間に妙な空気が生まれていたが、吉村が、
「じゃ、お陰様で用事も済みましたから、翔さんや実由さんが待ってる下に降りましょうか?」
と、良いタイミングで切り出し、
「じゃあそうしましょう」
と明子も応じた。
※※※※※※※
その後はちょっとした会話をして、すぐに2人は佐田宅を後にすることにした。その際、
「皆さんは、道報を取ってますか?」
と西田が確認すると、明子、翔、実由がそれぞれ頷いた。
「そうですか……。何時になるかははっきりしませんが、おそらく道報に、犯行に関わった大島海路や伊坂家などについての、全てはあり得ないにせよ、様々な事情が書かれた記事が載ることがあるかと思います。勿論、そんなものは見たくないという気持ちもお有りでしょう。ただ、もし読んでいたたければ、大島海路や伊坂親子に対する怒りの感情は、ひょっとすると多少……、あくまで多少でしょうが、和らぐことがあるかもしれません。勿論、その怒りの感情は至極正当なものですが、一方で、その怒りがいつまでも全く
西田は、竹下がそのうち書くであろう、一連の事件についての記事に言及した上で、そこまで言ってから口ごもってしまった。自分でも正直何を言っているのかわからなくなったということもあったが、殺人の被害者遺族に言うべき発言だったか、ここに来て迷いが出たせいもあった。
ただ明子は、
「勿論、主人を殺されて怒りがないとは申しません。ただ、主人にも責任はありましたし、多少なりとも月日が解決してくれた部分もあります。西田さんがそこまで仰るなら、拝見させていただきます」
と殊勝に対応してくれた。しかし、翔と実由がどんな感情でこの話を聞いていたかまでは、西田も吉村もわからなかった。
そして、新たな生命も加えた4人に見送られながら車を発車させた。その直後、助手席の吉村は、
「決定的ですね。……佐田実は、大将と87年のお盆に湧泉で出会って、大将と泉という名前について会話を交わし、手紙と証文に記載されていた免出重吉が実在したことを確信した。同時にあの証文と手紙の内容が真実だと悟り、わざわざ常紋トンネルの傍の、手紙に書かれた砂金の隠し場所などが実在するか、確認する必要がなくなったんでしょう。何時だったかはわかりませんが、おそらく大将もある程度佐田から話を聞いて、佐田が伊坂大吉を脅す意志があることや、免出、つまり実父の分の砂金を、自らが相続すべきだったことについて知ったんでしょうね。そして大将と出会った翌日、札幌へと戻った佐田は、アイヌ語の辞書を購入して、メムの意味を確認もした。課長補佐の推理通りなら、大将の『泉』って名前は、『免出』という名字の中の『めん』という部分が、アイヌ語の『メム』の実際の発音の『メン』と符合し、それと日本語の『出』を合わせて、大将のアイヌ人の母親が付けたと」
と、上司に語り掛けた。
「ああ。アイヌ語のメムは、『水が湧き出る所』や、そのものズバリ『泉』という意味だが、免出の『出』という字は、それを更に強調する意味も出てくるはず。泉という名前が、大将の実父の名字から付けられたという、大将の従兄弟がしていたという話にも、それで整合性が出て来る」
と返した。
故郷の芽室で隠居していた沢井から、この夏に送られてきた「めーぷるもなか」の中に入っていた、芽室町の町名由来のアイヌ語についての説明が、武隈の詳細な解説を経て、偶然に真相解明に役に立ったという訳だった。
「あの時、武隈がわざわざ妹に問い合わせてくれたお陰だ。お前は、あの時邪険にしたが」
西田はハンドルを握りながら苦言を呈したが、
「さすがに、そんなこと今更言われても困りますよ。結果論が過ぎるでしょ!」
と吉村は口を尖らせた。
「まあな」
西田はそう言いながらも、ここまで推理が当たっていたことを確認出来ても、後々から実際にはスッキリしない、相当モヤモヤした感情に支配されていたことは言うまでもない。
「しかし、犯罪被害者の遺族に、よくもまあ、あんな大胆なこと言いますよね」
改めて部下に、さっきの発言の是非について問われた西田だったが、
「お前も取り調べで感じただろうが、特に大島のこれまでの人生の歩みは、人の見方を多少なりとも変える力があると思う。犯罪者としての責任は別にしてな……。ただ殺害されたというだけよりは、若干でも救いになれば」
そう付け足した。
「それはそうかもしれないですけど、ただ、相手があの家族だからこそ成立した会話ですよ。わかってると思いますけど……」
と釘を刺された。
「それはその通りだな」
西田も短く同意していた。
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