第239話 名実148 (351~352 伊坂恐喝犯に迫る4 名前)

「それを聞いて、正直言ってちょっと安心しましたよ。そうなると後は大将次第ということですか……。出来れば逮捕は避けたいところですよ」

発言通りに、取り敢えずは安堵した表情を浮かべた吉村だったが、

「しかし、おそらく87年の盆の宿泊が、最初の2人の接点だったと思うんですが、初対面だった2人の間で、一体どんな会話がなされたら、佐田実が伊坂大吉を脅迫恐喝しようとしていたということが大将に伝わるんですかね? ……それとも佐田と大将の間には、その後も接触があったんでしょうか? 佐田のその後の足取りや遺族の証言からは、遠軽に来た様な節は見えてきませんが、ひょっとしたら北見の伊坂のところに行く直前に、遠軽に寄っていたのかもしれませんね」

と加えて言うと、首を捻った。


「うん。確かに、初対面でそこまで深い話が出る様な切っ掛けが思い浮かばんし、そんなヤバイ話を、佐田が簡単に初対面の大将に打ち明けるとも思わんな。ただ、それを前提とする限りは、その後ちょっと会ったぐらいで、脅迫の詳細を打ち明けるというのも、結局はなかなか考えにくいんじゃないかな?」

西田も同様の疑念を抱いてはいたが、おそらく初めて出会った87年8月の中旬から、佐田が殺害された9月の下旬までの期間の短さを考えると、時間的にも、親密になっている余裕はほとんどないのではと感じていた。そもそも、佐田の当時の足跡を考えれば、何度も会っている可能性はほぼないと言えた。それどころか、下手をすれば初めて会ってそのままという可能性すらあり、西田も吉村もかなり頭の痛いところでもあった。


「相当の切っ掛けがないとならないんでしょうが、初対面でいきなり、しかも飲食店の店主と一見いちげんの客と、そんな話になるとは、いずれにせよちょっと考えにくいですよねえ……」

吉村がそこまで言及した時に、西田は突然慌てた様に、手帳をすばやくめくり始めた。吉村は西田の振る舞いを不思議そうに見つめたままだったが、西田はあるページを凝視した後、

「考えられるとすれば名前だな」

と静かに呟いた。

「名前?」

意味がわからないとばかりに、吉村は眉間にシワを寄せたが、

「そうだ名前だ! 名前がまず話の切っ掛けになったに違いない!」

西田は今度は力強く断言して、

「佐田実は、姓名判断なんかが趣味で、初対面の人間と、名前を切っ掛けに話を広げる癖があったと、7年前に奥さんから聞いたことを思い出したんだ。この前見た時、手帳にも書いてあったと思ったが、やっぱりあった。おそらく、それが何か重要なヒントになってる!」

と勢い良く説明し始めた。

「ああ、言われてみれば、そんなことも言ってましたっけ……」

本当に記憶にあるかはともかく、吉村は取り敢えず西田の着想に相槌を打った。


「ただ、問題はそこから先なんだ。……大将の名前絡みの話から始まったとして、佐田は、おそらく兄である徹の遺した手紙と証文が事実に基いていると確信し、伊坂を脅迫するだけの確証を得たとしよう。更に、湧泉で出会ってから、佐田が殺害されて表向き失踪するまでの間の何時かはわからないが、大将もまた、佐田が伊坂を恐喝すると確信するに至った材料を、会話か何かから得たことになる。しかし、やっぱり名前から先の展開がどうなるかがわからん。そこから先が、一体どうなるかがわからんのだ……。大将の名前は泉、泉だ」

うわ言のように繰り返した西田は、再び手帳を熟読し始めた。

「じゃあ、俺も協力させてもらいます!」

吉村は西田が読んでいない手帳に手を付けると、

「こっからが、また長くなりそうだな……」

と、首を二度三度軽く横に振って呟きながら読み始めた。


 しかし、その日は結局何もわからないまま、西田と吉村は帰宅することとなった。吉村も西田の捜査手帳の一部借りて、家でまた見直すという。


※※※※※※※


 2人は帰宅後も考え続けて、よく眠れないまま、翌10月18日に北見方面本部に登庁した。だが、お互いに目の下に隈を作った上、冴えない顔付きでいるのを見て、それぞれ状況を察していた。


「こんな時に竹下さんが居てくれたら、何か判るかもしれないですけどねえ……」

椅子に座ったまま、あくびをしつつ愚痴った吉村の言葉に、

「無い物ねだりはよせよ!」

と苦言を呈したつもりだった。しかし、西田としても内心は、竹下の助けがあればという思いは、やはり少なからずあった。


「さて、竹下ならどうやってここから推理するだろうか」

そう西田が考え始めた時、大将の名前の由来について、竹下と今年の春先に再会した際、西田の手帳に竹下が何やら書き込んでいたことを思い出した。


 それを踏まえて、今年の分の捜査手帳を見返すことにした所、5月8日の部分の日記に着目した。西田と吉村が、北見へ取材に来た竹下と落ち合って飲んだ日だった。


 この日の竹下は、湧別機雷事故の取材で、佐呂間漁協や北見青洋大学を訪問していた。そして、佐呂間漁協で大将の「事実上の義理の従兄弟」と遭遇し、大将について話を幾つか聞いていた。その話を、酔って話の理解度が下がっていた西田の為、自ら西田の手帳にその逸話を書き込んでくれていたのだった。

 

 大将は、和人の実父とアイヌ人の母・ミチとの間に生まれたが、大将が生まれる前に、実父は、母であるミチの前を去っていたという。ミチの父、つまり大将から見てアイヌ人である祖父が、和人との結婚に良い顔をしておらず、諍いがあったことが原因だった様だ。そして、相手に未練があったミチは、祖父にバレない様に、相手の名字を由来にした名前を大将に付けていたと、大将の義理の従兄弟は竹下に伝えていた。


 大将の実名は「相田 泉」だから、竹下としては、その実父が「小泉」やら「大泉」といった名字だったのではないかと推察していた。一方で、祖父は日本語に堪能ではなかったらしいが、それでも相手の名字を知っていれば、名前をそこから付けたと、簡単にバレそうだとも竹下は疑問に思っていたらしい。


「この名前絡みの話から、証文や手紙の内容が事実だと確信した可能性が高いと思うんだがなあ……」

しかし、その名前の話が、一体どう展開したら、佐田実が、兄である徹の書き残した手紙や証文について真実だと納得出来たのか、そして大将が、佐田が伊坂を脅すことを知るまでに繋がるのか、さっぱり理解も想像も出来なかった。ひょっとしたら話の切っ掛けではあっても、その後の話の展開とは無関係の可能性も当然ある。


「泉は大将の世代だと、女としてもそれなりに珍しい名前のはずだ。まして男なら尚更だ。これがキーポイントのはずなんだが、どうにもわからん……」

西田としては、ここが勝負所になると、刑事の勘でと言うよりはむしろ、論理的に帰結させたいと願っていた。だが、現時点では、あくまで漠然とした感覚的なものに過ぎないことも事実だった。

 

 そこから昼食を摂り、休憩を取り、他の捜査状況をチェックする為に残業時間に入っても、頭からそのことが片時も離れなかった。しかし、事態を解決へと一気に結びつけるアイデアは、西田と吉村が刑事部の部屋で、夕食としてコンビニ弁当を一緒に食べている時に、案外早々に訪れた。


※※※※※※※


「さっき課長補佐の今年の捜査メモを確認してたら、大将のじつの父が和人で、お袋さんがアイヌ人で、しかも大将は結果的に私生児だってことを竹下さんが書いてて、今更ながら思い出したんですけど、伊坂大吉から息子の政光が聞いていた話や、大島が桑野から聞いていた話だと、免出重吉の遺児が、アイヌ人との間に生まれたって話がありましたよね? まさかとは思いますが、大将が免出の息子だったとしたら、話は繋がるんじゃないですか? 佐田が大将が免出の生き別れた息子だと知って、あの手紙や証文に信憑性が出るという筋書きです。そうなるとですよ。佐田実が免出の息子について、どうも居場所を把握していたんじゃないかという、佐田が調査を依頼してた探偵事務所の担当者の証言とも符合するんですよ」

吉村の突然の振りに、西田は驚いて、

「ああ! 言われてみれば、確かにそれなら話が合うな!」

と吉村を見やったが、

「ただ、そうだとしても、大将の名前の由来……、手帳確認したならわかるよな?」

と吉村に尋ねた。

「泉って名前が、父親の名字と絡んでるとかいう奴ですね」

吉村はためらいがちに答えた。


「だったら、免出って名字と、大将の泉って名前の間に全く接点が見えんぞ……」

西田は部下の話にそれなりの説得力は感じたが、竹下の情報との整合性が一部感じ取れなかったので、そのまま乗り気という感じでもなかった。

「そりゃそうかもしれないですけど……。そもそも、竹下さんが聞いたという、大将の泉という名前の由来が父親の名字から取ったというもんだっていう話自体が、本当かどうかすらわからないんですから……。竹下さん自体も大将自身の口から聞いた訳じゃないし……。俺も大将がアイヌの血を受け継いでるなんて、大将からは聞いてませんからね、一切。確かに日本人離れした彫りの深い顔立ちではあると思ってましたけど……。まあそれはあんまり関係ないか、そのこととは……」

そう言うと、吉村は出会った頃からこれまでの大将との付き合いを、軽く振り返っているかの様にしばらく黙った。だが、そんなことに今時間を掛けている余裕はないと理解わかっている吉村はすぐに話を継ぐ。

「もし大将が本当に免出の息子だとして、佐田と大将の会話の中で、佐田が大将の出自でも知れば、免出重吉が実在し、手紙の中身や証文が本当のことだったと確信出来た可能性はあると思いますよ。年齢的にも合致しておかしくないですからね。当然、大将が自分の父である、生き別れの免出重吉の名前を知っていたという前提が必要だとしても、名前が父の名字に由来するって話が出て来るぐらいですから、生き別れとは言え、知っていると考えるのは、ある意味当然とも言えますし」

吉村は吉村で、自分のアイデアに固執していた。


「しかしなあ……。初対面で、しかも店主と客の立場で、複雑な自分の出自まで話が及ぶかね? 佐田の癖からして、名前について程度なら、可能性はあると思うけど」

「いやあ、そんなことないですよ。課長補佐の考えをそのまま利用すれば、話の枕として名前の件から意気投合して、色々深い身の上話にまで発展なんてことは、自分ならあり得ますよ。課長補佐は、名前から直接何かがわかったということに執着し過ぎじゃないですかね」

如何にも、人懐っこい吉村らしい回答ではあったが、完全に否定出来る程の説ではないことも事実だ。実際、西田がこだわっている「名前」絡みの話だけから、手紙や証文が間違いなく事実に基づいたモノだと佐田が確信したというのも、絶対的な論理から導き出されたものではない。吉村の話も、間接的ではあれ、あくまで話の切っ掛けとして、名前の話題が機能した可能性があることとは矛盾しない。


「しかし確実に言えるのは、佐田が徹の手紙からしか情報を得ていないと言う前提に立てば、免出の息子がアイヌ女性との間に生まれたということは、佐田は一切知らなかったってことだ。大将が実際に免出の息子だとして、佐田が確信出来るとすれば、やはり免出重吉という人物が大将の父親であると、佐田に伝えた場合のみじゃないかな」


 そう西田が喋った直後、同じ刑事部室で別のセクションにある捜査2課で、係長の神沢かんざわが、「ベア今戻ったのか! 遅いぞ! あの報告書どうした?」と声を掛けたのが西田の耳に入った。ベアとは武隈の愛称だが、どうも外回りから戻った直後だったらしい。同時に西田はその瞬間、自分でも驚くほど武隈に無意識に呼び掛けていた。

「おい、武隈! ちょっと確認しときたいことがあるんだが、こっち来てくれ!」


 武隈は一瞬どこから声が掛かったかわからず、軽く見回した後、やっと西田だと気付いて、

「あ、はい! ちょっと係長に報告書渡してからすぐに行きます!」

と言いながら、散らかった自分の机の上を、巨体を揺らしながら引っ掻き回していた。

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