第223話 名実132 (315~317 犯罪へと2)

「それについては全く知らんな。少なくとも私は一切聞いておらん。もし大吉にだけ道警から当時情報が入っていたならば、こちらにも何か圧力を掛けるように、話があったのではないかな? 確率的には、大吉にだけ情報が行っていたというのは、相当低いとは思うがね」

大島は軽く首を傾げた。西田は政光の取り調べの際に、この点について追及しておかなかったことを後悔してはいたが、大島の圧力が無かったのだとすれば、おそらく警察から情報は外部に出なかったのだろうと思い直した。当時の捜査に関わり、佐田家を担当していた南雲の証言を含め、警察側が佐田実の遺族が発見した証文や手紙を重要な証拠として見なかった為に、しっかりと捜査されなかったという、95年当時の西田達の見方のままで大方問題は無かろう。


「わかりました。小野寺さんが知らなかったんだとすれば、おそらく警察こちらで勝手に、大した証拠でもないと判断して、捜査しなかったんだと思います」

西田はそう言って話題を変えようとしたが、

「現場でやってた刑事については知らんが、警察の上層部というものは、権力側におもねる傾向がある。ひょっとしたら、勝手にその方が無難だと判断したのかもしれんぞ」

と、苦言を呈すような口調で付け加えた。その言葉に吉村は、

「まあ……、あり得なくはないですね」

とお茶を濁すような言葉を返した。大島の言いたいことは、吉村には思い当たる節があったからこその言動だった。


「そういう可能性も、全くなかった訳ではないかもしれませんが……」

一方の西田は一定の理解は示しつつ、そこまで悪意のある判断から具体的な捜査がなされなかったとまでは、南雲の言動などからはないだろうという前提の下、かなり回りくどい言い方でなした。その上で、

「それはともかくとして、今度は92年の夏に、何者かによって伊坂大吉に佐田の生存を装った脅迫文が届き、後に今度は殺人をネタに恐喝してきた訳です。政光の話では、大吉があなたにそれについて伝えた所、あなたは突っぱねたとか? 本当ですか?」

と、西田はその話題から逃げる様に次へ話を移した。


「確かに私としても、その話は東京に居て電話で大吉から聞いたと思うが、もし本当に生きていたなら、とっくの昔に何かあったろうし、あり得ないという確信はあったから、気にするなと伝えた。それにしても、あのふてぶてしい男が、到底信じられない程狼狽していたのでこちらが驚いた程だ。その後はやはり佐田は死んではいた様だったが、その殺害について今度は脅してきたと連絡を受けて、私としても少々困ったことになったと思った。だが、脅されているのは伊坂だから、私としては大吉自身で何とかしてくれと突っぱねたんだ」

大島はそう言いながら、大袈裟に手を西田達の前で横に振った。


 ここで西田は、政光には直接確かめなかったものの、少々疑問点があったことを認識していた。

「大吉はその時にそれまで同様、あなたを巻き込ませる様な発言……。例えば、あなたの関与についても脅して来たとか、そういうことはなかったんですね?」

この西田の問いに、

「言われてみればそういうことがあっても、そうおかしくはなかったかもしれんな……」

としばらく考え込んだ。その末に、

「かなり精神的にも参っているような節が窺えたから、そこまで頭が回らなかったのかもしれない。まして私自身も、その時は最初の段階で強く突っぱねたからね。5年も経ってから脅迫というのも気になった。佐田が行方不明になっていることから、勝手に殺人を推測した悪戯的なモノじゃないかと、当初疑ったんだな。まあ、ただの悪戯ではなく、その後実際に脅迫になってしまったが」

と、淡々と振り返った。


 大吉が直接的な助けを求めて大島に拒否されたことは、政光も証言しており、加齢や精神的にもダメージを受けていた大吉としては、大島の拒絶を覆すだけの策略は頭に浮かばなかったと言うのが、おそらく正しい見解なのだろう。


「ただ、一応は恐喝相手の架空口座についての情報を、ちゃんと調べてあげようとはしたんですよね?」

吉村が話に割って入ってきたが、

「一応はそういう姿勢は見せてやるぐらいのことはな……。ただ、色々調べて、名義からどうも架空口座であることまでは突き止めたが、架空口座の銀行が北網銀行だったから、私としてもその架空口座自体の情報を得ることは出来なかったということだ」

と答えた。

「それについては、政光からも聞いていますが、北網銀行とあなたは、関係性が悪いことも影響したということの様で」

西田としては、銀行側の口座情報管理上は表向き当然のことではあるが、それでも尚、有力政治家の介入を許さなかった姿勢の根幹に、創設以来の堅物経営をすると共に、海東匠の支持者であった北網銀行創業家と、海東匠の路線を壊した大島海路との暗闘という、ある種の歴史的経緯があることを踏まえて発言した。

「そうか、政光がそこまで説明してくれていたか……」

大島は感心したかの様な口調だったが、

「北網の元々の経営一族は、海東先生の支援者でもあったから、受け継いだ後の私の所業について、色々と言いたいことがあったのは間違いないな、うん。その後、経営は日銀OBへと移ったが、その影響は未だに続いているということだよ」

と、1人で納得したかのように頷いた。


「ここで、小野寺さんとしても、やれることは終わりと?」

「そう。これ以上は伊坂側で何とかしてくれと言うしかなかったな。息子の政光もその頃には関与する様になって来たが、最終的には金銭の支払いで済む話で、私としても、伊坂側から何かそれ以上要求されたことはない。脅迫絡みでの私はその程度の関与だ」

西田にそう返した大島は、「どうだ、この件でまだ何かあるのか?」とでも言いたそうに、2人をまじまじと見つめた。一方の西田は続けて、

「その後、結局政光からの金の提供は、つい2年程前まで続いていたんですが、それについてはご存知でしたか」

と尋ねてみた。

「2年前? ということは、……10年近くもか!」

さすがに大島はかなり驚いてみせたが、

「とは言っても、そのことについては、大吉からも政光からも『払って解決した』という以外何も聞いとらん」

と、すぐに素っ気ない言い方で済ませた。


「じゃあ、ついでと言っては何ですが、篠田が、佐田が実際に死んでいるかどうか、大吉の要請で埋めた場所まで遺体を確認しに行った際、無関係の青年にそれを見られて、口封じの為に殺害したことについては、大吉から聞いていたんですか?」

「うん!? それについては全くの初耳だが、そんなことがあったのか?」

西田の証言にかなり驚いていた。だが相手のそんな様子には見向きもせず、

「ええ。篠田の犯行という直接の証拠は、残念ながらありませんが、状況的にほぼ間違いないと思っています。そして、その篠田の92年の殺人が、結果的に喜多川が我々に95年に捕まったことに繋がるんです。詳細は面倒なのでここでの深入り避けますし、後でまた触れるとは思いますが、喜多村が篠田のその殺人について、95年になってから、色々と火消しする必要があった訳です。その行動に気付いた我々が、その篠田によって殺害されたと見られる青年の遺体を3年ぶりに発見し、それを元に、当初はその殺人の被疑者として喜多川を逮捕していたんです。とにかく、そのことについては、聞いていなかったんですね……」

そう説明した。そして言うまでもなく、その件で逮捕された喜多川が、厳しい取り調べ中に意識を失い、その点を突いて、道報の政治部を介した上で社会部を使って、大島側が捜査に圧力を掛ける記事を書かせたと西田達は見ていたのだから、それに対する皮肉の意味もあった。大島もそれに気付いたか、

「あのことに絡んでいるのか……」

と呟いた。


「時系列的には後になるんですが、ついでに先に聴いてしまいます。やはり利用したんですね?」

西田は詰め寄るように説明を求めた。

「そうだな……。これについては、より危険な立場にあった政光の方から頼まれた。『これ以上波及するとマズイ』とね。私としても、危ない芽は早晩摘み取っておきたかったので、道報の政治部の番記者に頼んで、不当捜査の印象付けをさせた」

この点について、西田は立件上必要な情報ではなかった為、政光に確認するのを忘れていたが、大島が認めている以上は事実だったのは間違いない。


「やはりそうでしたか……。我々もあの道報への圧力から、87年当時の圧力も含め、あなたの関与を疑う、むしろはっきりとした切っ掛けとなったんです。ただ、まさかあなたが直接殺害に関与しているとは、さすがにあの時は思ってもいませんでしたが……。あの圧力をどう掻いくぐって捜査するか、しばらく頭を痛めたもんですよ」

西田にそう告げられた時、大島はバツが悪そうに一瞬ではあったが顔を両手で軽く覆った。実際のところ、大島や警察上層部の監視をどう誤魔化すか考えながらの捜査は、思い返しても厳しいものがあった。今になって、昔の恨み辛みをぶつけたところでどうなるものでもないが、横にいる吉村含め大島に思う所があるのは当然だ。西田も憤る思いがあったものの、グッと堪えて次の質問を繰り出すこととした。


「また、篠田がその新たな殺人を犯した際、既に確認していたと思われる、佐田の遺体を更に別の場所に隠し直したんです。それについては当時報告を受けていましたか?」

「……それについては、大吉からだったと思うが、何となく聞いた記憶がある。ハッキリとしたものではないがな。とにかくこちらとしても、より発覚しにくい場所に移してくれることに異存はないから、『それは良いことだ』と言ったんじゃなかったかな」

政光の証言でも、篠田達から大吉にこれについて伝えていたという証言が出ており、その情報が更に大島にも行っていたのだろう。


「そうですか、わかりました。では流れを95年から92年の秋以降に戻したいと思います。93年に、政光が大吉の後を継いで伊坂組のトップとなり、小野寺さんとの関係性も新たに継ぐことになります。すぐに大吉も死に、あなたとしては伊坂組及び政光との関係性については、何か思う所はあったんでしょうか?」

勿論この質問についても、立件には直接的に何の関係もなかったが、話の流れとして、西田は是非とも確認しておきたいことだった。


「正直に言わせてもらえば、大吉に対する憎悪と、それをも超越した依存関係が終わったことは、私としても喜ばしいことではあった。しかしそうだとしても、伊坂組は私にとって重要な資金源でもあり、選挙運動において大きな働きをしてくれる組織でもあったことは事実だ。それは相手にとっても、私の存在が重要だったのは間違いないはず。だからこそ純粋な意味で、単なる利害関係を持った割り切った関係として、政光とは付き合っていくつもりであったし、大吉の死後、政光にもそのような話をしたはずだ」

「大吉の息子である政光については、何も思うところはなかった?」

吉村が、それにすぐ反応して確認すると、

「そうだな……。彼には特に何もない。言わばドライな関係でもあったのではないかと思う」

そう淡々と答えたが、結局政光自体、その後は大島が主導した殺人に巻き込まれるのだから、大吉に巻き込まれた大島と、逆転した関係が後で始まることになるのは、運命のなせる業だったのかもしれない。


「そして、その後数年は何事もなく過ぎたはずですが、この間には大吉だけではなく、篠田も死にました。これについては当然知ってましたよね?」

「政光から聞いて知っていたが、彼らが何かバラすとも思っていなかったので、その死が直接的に私にとって何か意味することはなかったな。あくまで当事者だった人間の1人が死んだという、単なる事実以上でも以下でもない思いだったはずだ」

西田にそう語った大島だったが、話のついでに、西田は91年の春に、佐田殺害の実行犯であった本橋が捕まった件についての感想も、今聞いておこうと考えた。


「本橋が他の殺人容疑で捕まった時は、どう思いましたか?やっぱり、マズイという意識はあったんですか?」

「ああ、その件か……。あの時はさすがに、瀧川に私が急いで連絡を取ってね……。率直に言えば、私としては、確かにマズイという思いを抱いてはいた。但し、瀧川は相手をそれなりにというか、かなり信用していたらしく、『心配しなくて大丈夫だ』と言ってはいた。ヤクザの世界では、口の固い人間は徹底しているという話は私でも聞いていたので、その点は瀧川の人選を信用するより他無かったというのが実際のところかな。その後も佐田の件が本橋からバレることもなかったし、年を追うごとに、私としても不安はどんどん解消されていた。そして懸念はほとんど無くなって行った」


「瀧川は本橋について、他には何か言ってませんでしたか? 例えば、『捕まってしまうとは、バカなことをしてくれたな』とか?」

吉村が質問を挟むと、

「そこの記憶ははっきりとはしないが、信用していただけに、特に何か罵るようなこともなかったと思う。多少の愚痴程度はあったかもしれないが、さすがに重要な1件を任せるだけあって、信頼に揺らぎはなかったということだろう」

と、信頼や信用という言葉を強調して答えた。この記憶が確かなら、逮捕されてからもしばらくは、娑婆しゃばと塀の中とは言え、瀧川と本橋の関係は、大島の目から見ても、信頼が続いていたと見てよさそうだ。それ故、本橋への瀧川側の要求がエスカレートすることになったのかもしれない。


「で、先にちょっと触れてしまいましたが、問題の95年になります。ここで我々自身の捜査も初めて絡んできます」

西田がそう切り出した。すると、

「まさか8年後になって、警察が再び動き出すことになるとはな……。喜多川が警察に捕まって、それだけならば良いが、『どうも色々他にも探られているらしい』と、政光から報告があった時には、一抹の不安を覚えたものだ。一方で、ちょっと圧力を加えれば我々までにはたどり着かないだろうという安心感も、まだその当初にはあったのも間違いない」

そう大島は控え目に苦笑いした。


 勿論その圧力とは、既に触れていた、喜多川が取調べで意識不明になった直後の、道報の「不当勾留」についての批判記事だろう。それを受けて、

「最初の方に喜多川は、さっきも言いましたが、篠田が殺害したと見られる青年の殺人嫌疑込みで、我々に交通事故で別件逮捕された訳です。この嫌疑の元となった行動は、92年の夏に、篠田が喜多川の名前入りの時計を青年の殺害当日に失くしていた為、万が一遺体と共にその時計が発見されると、喜多川にとってマズイということがありました。そしてそれ以前に佐田の遺体を埋めた場所、言い換えれば、その青年を殺害した場所の付近で、時計や遺体を探していたことだったはずです。しかし、時計は殺害時に篠田が紛失していたのではなく、別の場所で盗まれており、それが何と喜多川が逮捕される丁度1ヶ月程前に、たまたま手元へ警察から引き渡されていて、相当安心していたはずなんです」

西田はさっきの説明では端折った部分も、かなり詳しく付け加えた。そして、

「ところが、我々が喜多川の行動を察知し、遺体を見つけてしまったことで、奴は青年を殺害したと見なされ逮捕されました。しかし今度は、逮捕されてから僅か数日で、喜多川にはその殺害時期に鉄壁のアリバイがあることが判明したんです。これには我々も相当驚いたんですが……」

西田は、当時を思い返し数秒言葉を失ったがすぐに続ける。

「喜多川は、青年の殺害日時には、アメリカ本土に長期出張で出掛けていたんです。しかし、すぐにそれを主張しませんでした。喜多川に理由を直接確認した訳ではありませんが、そのことを主張すれば、今度は何故その遺体を探していたか、何故あの場所を知っていたのかに焦点が当たることとなり、そこから捜査が進んで、死んだ篠田にも波及しかねない。更に今度は佐田実の失踪事件……、佐田の遺体はまだその時点で発見されておらずただの失踪扱いでしたが、そこまで行き着かないとも限らなかったからでしょう。何せ二人共、佐田の失踪の後、同時に伊坂組の中で偉く出世してますからね。関連で疑われることを恐れても、そうは不思議ではないはずです。何せそっちは確実に殺害に関与していたんですから。無実の件で疑われているとは言え、実際に殺している方に捜査が移ってしまうことに繋がるなら、それは絶対に避けたいことでもある。まさにジレンマに陥っていた可能性が高い」


 西田はここまで喋ると、自分の中で一度頭を整理するために、飲み物を持ってくるように外に要求した。さすがに複雑な当時の状況を説明し、思い出しながらの聴き取りは、精神的にも大きな疲労となっていた。加えて事前に聞く内容について、きちんとまとめておく時間が無かったこともあった。


 刑務官が持ってきたのは、特に指定もしなかったため、ペットボトルのただのお茶ではあったが、一口二口と飲むごとに、西田は生気がグングンと戻っていくような錯覚を覚えていた。目の前の大島と吉村にも同じものが与えられていたが、大島はそれ程手を付けず、吉村は対照的にかなり速いペースで飲み干していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る